第五話 火達磨と雪女
第五話 火達磨と雪女 起
秋も半ばを過ぎて、例年であれば肌寒さを覚える季節。
そんな中にあって、遠然房(とおせんぼう)を目指す境ミナト少年の格好は半袖短パンであった。
それは子供が風の子だから――というわけではない。
「あ~……つ~……い~……よ~……」
少年は両肩をがっくりと落とし、さながら屍のように重い足取りで灼熱の地面を踏みしめる。
そう。どういわけか少年の暮らす土地では、暦(こよみ)にそぐわぬ真夏日が連日続いているのである。
もちろん、熱気に襲われているのは遠然房周辺とて例外ではなかった。
どころか、あの店はただでさえ熱を吸収しやすい黒色の壁に加え、入口以外には窓一つない造りとなっている。
そんなわけで、店内はまさに天然サウナ状態と化しているのだった。
さしものミナトも、今日ばかりは遠然房へ行くのをやめようかと考えるほどだ。
ただそれでも、やはりあの店、そしてあの店主が少年の心の拠り所であることに変わりはない。
故に、うだる体に鞭(むち)打ちながらも、少年は地獄へと歩を進めるのだ。
ところが、遠然房へ近づくにつれミナトの体の熱は増すどころか、むしろどんどん冷めていった。
初めは季節相応の涼しさに生き返った心地を覚えるミナトだが、それも束の間。
今度は、真冬も真っ青の寒波が薄着の少年の肌に突き刺さってきたのだ。
「さっむ!! 師匠! なんだよ、これ!?」
ある意味でいつも通りに、叫び声を上げながら店に飛び込んだミナト。
そんな彼を、異常な冷気の原因が出迎えた。
「ごめんなさいね、坊や。寒い思いをさせてしまって」
そうミナトに詫びるのは、真白い着物に身を包んだ女性の妖怪だった。
彼女の肌もまた雪のように白く、子供であるミナトでさえ目を見張るほどの美貌(びぼう)の持ち主だった。
そして、その氷柱のような肢体(したい)からは、足元が薄い氷の膜を張るほどの冷気を発していた。
「ゆ、ゆゆゆゆ、雪女……?」
ミナトは歯をガチガチと震わせながら、目の前の妖怪の名を呼んだ。
雪女――妖怪世界のヒロインと聞けば、真っ先に彼女を連想する者は少なくないはずだ。
当然、ミナトも雪女に興味が引かれないはずもなかったが、それ以上に今は体の震えが深刻だった。
雪女は正面に向き直ると、遠然坊にすがりつくような声で言う。
「それで遠然坊さん。私の願いを聞いてくださるの?」
「……残念ながら、雪女さん。その依頼は受けかねます」
雪女からの頼みを、目を伏せたままに断る遠然坊。
ミナトは遠然坊が妖怪からの依頼を断るのを見るのは初めてだった。
雪女は交渉が通らないと見るや、くるりと遠然坊へと背を向けた。
「そう。分かりました。では、他所へ頼むことにいたします。お邪魔しました」
そう言って、強烈な寒気をまとったまま雪女はクールに去って言った。
途端に、猛暑が店内を襲い始める。
あまりの寒暖の差に頭がくらみながら、ミナトは遠然坊に話しかけた。
「やあ……師匠」
「ミナトくん……君には本当に呆れますね。こんな暑さの中、わざわざここへ来るなんて……」
「うん。僕も今日はやめとこうかと思っていたけど、でも来て正解だったよ。何せ、あの雪女に会えたんだからね」
と言いながらも、ミナトの声にはいつもの覇気はない。
「まあ、もう一度会いたいかと言われると微妙だけど」
異常な酷暑の中にあってさえ、あれほどの冷気を出す雪女。
人間の身では、同じ空間にいるだけで死にかねない。
雪女の怖ろしさに、先程までと違った意味で身を震わせるミナト。
遠然坊はそんなミナトに、雪女についての正しい理解を促そうとした。
「彼女も、いつもあれ程の冷気を身にまとっているわけではありませんよ。今は特別なのです」
「特別って?」
「彼女の力は、感情によって左右されるものなのです。強い感情を抱くほどに、冷気もまた強くなる」
遠然坊の説明に、しかしミナトはまるで得心がいかなかった。
「強い感情? 僕には雪女はすごい冷静に見えたけど」
「一見、そう見えても心の中までは分かりません。特に女性のそれは我々には理解し難い」
やはりミナトは納得いかないままだったが、正直に言って雪女の心境になど興味はなかった。
ミナトが知りたいことはただ一つ。
「それよりさ、師匠。雪女は何の依頼で来ていたの?」
その質問は遠然坊にとって容易に予測できたものだった。
故に、淀みなく用意していた答えを口にする。
「彼女は好きな妖怪がいるそうです。しかし、その妖怪は火の妖怪。雪女である自分では近付くこともできない。
だから、その妖怪に近付けるよう、私に『ある道具』を貸してほしい――と、そういう依頼でした」
「『ある道具』って?」
この質問もまた、容易に予測できたものであろうに、今度の遠然坊は一拍遅れて返答した。
「…………『火鼠(ひねずみ)の皮衣(かわごろも)』です」
その道具の名にミナトは聞き覚えがあった。
「『火鼠の皮衣』? 何だっけ、それ。何かの漫画で見た気がするんだけど」
「ミナトくんの見たという漫画の予想は付きますが……。元は『竹取物語』に出てくる伝説の品の一つです」
「『竹取物語』っていうと、かぐや姫が出てくるやつだっけ?」
「ええ。日本最古の物語ともいわれる古典ですね」
遠然坊は『竹取物語』――そこに出てくる『火鼠の皮衣』について簡単に説明した。
竹取の翁(おきな)はある日、光る竹の中から小さな女の子を見つける。
女の子はかぐや姫と名付けられ、竹取の翁夫婦の下で美しい女性へと成長する。
かぐや姫の美しさは評判となり、五人の貴族から求婚されるも、かぐや姫は彼らに難題を出す。
それは自分が求める品を持って来られたら、求婚を受けるというもの。
「かぐや姫が五人の貴族たちに求めた五つの品。そのうちの一つが『火鼠の皮衣』です。
その名の通り火鼠の皮から作られた衣であり、火にくべても燃えることがないという品なのです」
「ふ~ん。なるほどね。確かに、それを着れば雪女でも溶けずに火の妖怪に近付けそうだね。
でもさ~師匠。いくら大切な道具だっていっても、ちょっと貸してあげるくらいいいじゃん」
このミナトの問いに、とうとう遠然坊は沈黙しか返せなかった。
「………………」
その様子を見て、ミナトは察する。
「……もしかして、師匠。その道具持ってな――」
「持っていましたよ!」
遠然坊は両手を机に叩きつけ立ち上がると、そのまま背後の道具の山へと手を入れる。
そうして目的の品を見つけ出すと、四つの道具を広げて置いた。
「これが『仏の御石(みいし)の鉢』! これが『蓬莱(ほうらい)の玉の枝』! これが『龍の首の珠(たま)』! そして、これが『燕の子安貝(こやすがい)』!!
いいですか!? これらの品はいずれも! 先程話した『竹取物語』に登場する、かぐや姫が貴族たちに求めた伝説の品々なのです!
そして、私は『火鼠の皮衣』も含めて、五つすべてを揃えていたんですよ!」
一つ一つを指しながら熱弁を振るう遠然坊。
遠然坊の妖怪骨董への熱意を知っていたつもりのミナトでも、ここまで取り乱す師匠の姿には面を喰らうしかなかった。
「そ、そう……でも、何で『火鼠の皮衣』がないの?」
「盗まれたんですよ! つい先日!」
遠然坊はガタリと音を立てて椅子に座ると、一つ欠けたコレクションを前に項垂(うなだ)れる。
「何たる不覚……『豆腐小僧と一反木綿』事件に続き、またも妖怪骨董を盗まれてしまうなんて」
「ま、まあまあ。そう落ち込まないでよ、師匠。そのうち戻って来るかもしれないし」
痛いところを突かれて焦るミナトに、追い打ちをかけるように遠然坊がするどく睨みつける。
「もしやとは思いますが、君の仕業じゃありませんよね……?」
「ち、違うよ。何でもかんでも僕のせいにしないでよ」
今回ばかりは何の心当たりもないので、さすがに心外だと声を荒げるミナト。
遠然坊も言い過ぎたと思い直したらしく、ミナトに謝罪する。
「そうですね。ミナトくんがあの道具を欲しがる理由もありませんし。疑ってすみませんでした……」
謝ってもらえたのはいいものの、いつも毅然(きぜん)とした師匠の弱気な姿に、ミナトは調子が狂う感じがした。
遠然坊の消沈はなおも続く。
「はあ……。よりによって、『火鼠の皮衣』を盗まれているときに、それを貸してほしいなんて依頼がくるとは……。
見せびらかしたかった……『火鼠の皮衣』を。これらの五つの品が揃っていることを自慢した上で、貸すのを断りたかった……」
遠然坊の屈折した心情の吐露に、結局、道具を貸すつもりはないのか――とミナトは少し幻滅しながら、とある違和感に気付く。
「だけどさ、師匠。ちょっと、おかしくない?」
「何がですか……?」
遠然坊は顔を上げないままに生返事をする。
ミナトは、これは重症かもしれないなと思いながら、少しでも熱を取り戻そうと自分の気付きを話した。
「だから、今師匠が言ったことだよ。『火鼠の皮衣』が盗まれてすぐに、それを貸してほしいなんて依頼が来るなんて。
偶然にしても、あまりにもタイミングがよすぎないかな?」
いつもなら、この程度のことはあっさり気付くだろう遠然坊。
しかし、今回ばかりは道具の紛失が余程ショックだったのか、ミナトの言葉でようやく気付くことができた。
「確かに……! その通りですよ、ミナトくん」
「やっぱり雪女が『火鼠の皮衣』を盗んだのかな?」
「いえ、それならわざわざ彼女がこの店に来て『火鼠の皮衣』を求める理由がない。それこそ、自分に疑いを向けるだけです。ただ無関係とも思えません」
遠然坊は少しずつだが、いつもの調子を取り戻してきたようだ。
下げていた顔を起こし、思考停止していた頭を働かせ始めた。
「ともかく、雪女さんのことを少し調べてみるとしましょう。その先に必ず『火鼠の皮衣』を盗んだ者がいるはずです!」
これまでのどんな依頼よりも熱のこもった遠然坊の宣言に、ミナトは少し熱し過ぎたと後悔した。
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