第四話 てけてけ坊主とわらわら人形 結
「いやそれでよかったの?」
次の日の放課後、今回の事件の顛末を遠然坊から聞いた境ミナトのそれが第一声だった。
「まあ私も最初はどうかと思いましたが、てけてけ坊主が再び悪霊に戻ることは考えにくいですし、お菊さんに見てもらうのがある意味では一番安全なのではないかと」
「いやそうじゃなくってさ。依頼の解決がこんな形でいいのかって」
ミナトが問い質したいことはてけてけ坊主の処遇ではなく、遠然坊の方針に関することだった。
「カナエが依頼したのは『てけてけ坊主の噂をなくすこと』でしょ。てけてけ坊主が悪さをしなくなっても噂は続くんじゃないの?」
「続くでしょうね。しかしカナエさんからはもう『てけてけ坊主』に対する恐怖心は取り除かれているのですから噂が続いていても問題はありませんよ」
「ふ~ん」
遠然坊が語ったこの着地点がミナトには意外だった。
なぜなら依頼に対しては表面的な解決――この場合は噂をなくすことだけに注力し、根本的な解決――この場合はカナエの恐怖心の解消にはあえて目を向けないのが、遠然坊の信条だったはずだからである。
『豆腐小僧と一反木綿』事件のときには故に自分の力では豆腐小僧を一時的に救うことが限界だっただろうと自ら零していたくらいだ。
いつもの遠然坊ならばカナエとてけてけ坊主を引き合わせるという危ない橋を渡るくらいならば、噂だけをなくそうと策を講じるはずだった。
「何か今回のやり方は師匠らしくなかったね」
ミナトが何気なくそう言えば、遠然坊はそれこそらしくなく口ごもり気味に言った。
「今回の依頼者は妖怪ではありませんでしたからね」
「え?」
それはどういうことなのか、ミナトは気になりながらもどうしても踏み込むことができなかった。
もしかすると、遠然坊との今の関係が壊れてしまうような嫌な予感がしたから。
「ところで『てけてけ坊主』の方はこれでいいとして『わらわら人形』の方はどうするのさ? 放っておくの?」
だから聞こえなかったことにして別の話題に移ることにした。
「ええ。なぜなら『わらわら人形』などという怪談は――」
遠然坊はすでにいつも通りに戻った口調で衝撃の言葉を口にした。
「最初から存在していなかったんですから」
◆
今にも倒れ込みそうな様子で何とか近林塞に帰宅する海坊主。
疲労感をいっぱいに含ませた溜息を吐きながら障子を開けると、何と外出中だったはずの主がいつもの場所に鎮座していた。
「だ、旦那っ! いつお戻りに!?」
驚きを隠せない海坊主。
それもそのはず、彼は主に無断で屋敷を抜け出していたのだから。
「海坊主。てめぇ、今までどこほっつき歩いていやがった?」
当然の詰問に対して答えを持ち合わせない海坊主は、何とか近林斎の気を紛らわせようと試みる。
「いや、まあ……ちょっとその辺りを散歩してやして……そ、それより旦那! 今回はお見事でしたね。
まさか『わらわら人形』なんて怪談をでっち上げて、遠然坊の旦那にてけてけ坊主の髪の毛を集めさせるよう仕向けるなんて、そうそう思い付けるもんじゃありやせんよ」
「ふん。トオセ坊の奴ならこの程度のことはとっくにお見通しだろうがな。だが、あの野郎を俺の思い通りに動かせたってのは気分がいい」
てけてけ坊主を憎しみから解放でき、おまけに遠然坊を自分の手の平の上で躍らせて一石二鳥。
近林斎は満更でもなさそうな様子で煙管をぷかぷかと吹かす。
「しかし、もしもあのまんま、てけてけ坊主が滅せられていたらどうするつもりだったんです?」
「んなこと考えもしなかったよ。奴は同じヘマを二度もやらかすようなタマじゃねえからな……」
海坊主は知っている。先日の座敷童子を救うことができなかった件は遠然坊と近林斎――二人の心に大きな傷を残していること。
そして、何だかんだ言いながらも近林斎はやはり心配で一部始終を己の目で確かめに行っていたのであろうことも。
「ところで海坊主、お前さんこんなんで話を逸らせたなんて考えてやいねえだろうな? 俺に隠れてこそこそと何してやがったのか洗い浚い吐いちまいな」
「ま、待ってくだせい旦那っ! それだけは勘弁して――」
必死の懇願も構わず煙管の煙を吹きかける近林斎。
海坊主は咄嗟に口と鼻を大きな両手ですっぽりと覆うも、煙はわずかな隙間をするりと抜け体の中へ入り込む。
途端に海坊主の口の戸は立て板に水の例えをそのままに開け放たれ事の次第を一から十まで曝け出す。
「実はお菊さんに頼まれやして、てけてけ坊主の髪の毛を集めてたんですよ」
「何だと!?」
せっかく憎き遠然坊を意のままに働かせたと思っていたが、実はこちらの配下を動かされていたと知り悔しがる近林斎。
別に近林斎自身が動かされたわけではないのだから構わないのではないか、と海坊主は正直思うのだが彼のプライドが出し抜かれた事実を許せないのである。
「頼まれたからってひょいひょいと請け負う奴があるか! この木偶の坊が! 全部台無しじゃねえか」
「す、すいやせん、旦那……」
「で? そのお菊は今どこにいやがる?」
「私をお呼びかしら」
絶好のタイミングで姿を現したのは当のお菊さん。
「ごきげんよう、海坊主さん。その節はどうも」
にこやかに挨拶をするお菊さんに、海坊主は蛸入道のように真っ赤になって鼻の下を伸ばす。
「どどど、どうもです。お菊さん。あ、あのこの間の約束のことですけど」
「ああ。ご一緒にどこかへ遊びに行くというお約束でしたわね」
「そ、それで今度の土曜日なんてどうかなと――」
「申し訳ありませんが、今度の土曜日は花子と新しいお友達と三人とで遊ぶ予定ですの」
「じゃあ次の日の日曜日なら――」
「すみません。日曜日も遠くへお出掛けすることになっていまして」
「だったら――」
「その次もその次もその次も、大変残念なことに忙しくてお会いになりませんの。ですがいつか必ずお約束は果たしますわ」
「は、はい。楽しみにしていやす」
どう考えてもあしらわれていることに気付きもせず海坊主は『その日』のくるのを信じて妄想に花を咲かせていた。
そんな放心状態の海坊主を尻目にお菊さんは近林斎と向き合う。
「近林斎様もごきげんよう」
「ふん。ご機嫌なわきゃねえだろ。誰かさんのせいでよ」
「どちら様のことかしら?」
「そもそもてめぇ、一体この屋敷にどうやって入りやがった?」
「あら、家人にも気付かれず建物を出入りするのは、ぬらりひょんの専売特許とでも申すおつもりなの。そんな狭量なことでは妖怪の総大将の名に傷がつきますわよ」
近林斎の気迫にも全く物怖じせずにのらりくらりと追及を躱すお菊さん。
妖怪の総大将・ぬらりひょん。その気になればどんな妖怪でも消し去ってしまえる彼を前にここまで堂々と振る舞える妖怪はおそらく彼女くらいのものだろう。
「ちっ。食えねえ女だな。もういい。とっとと消えろ」
「主様がそう仰るのであれば出て行く他ありませんわね。ああ最後に一つだけ。先程、芥川の近くで河童が苦しんでいるのを見かけましたわ。
救って差し上げた方がよろしいんでなくて。まあ、大したことはないでしょうけれど」
そんな言葉を捨て台詞に、現れたときと同様、静かに消えるお菊さん。
近林斎はその最後の言葉の意味を考えた。
すべての妖怪について目を光らせている近林斎は当然、河童とお菊さんの関係についても既知である。
河童がお菊さんを避けようとしたので、お菊さんが河童の皿をくすね自分に会いに来るよう仕向けた一件のことも耳に届いている。
「海坊主。てけてけ坊主の髪の毛は一本残らずてめぇが集めたのか?」
「いえ。お菊さんも一部見つけたと言ってやしたが」
そうか。と近林斎は膝を打った。
お菊さんが今回の件に協力したのはわら人形に仕込む髪に一部河童のものを混ぜ、てけてけ坊主の呪いを送ることで小さな復讐をするためだったのだ。
ただ腑に落ちないことが一つある。
「そもそもお前はどこでお菊に会ったんだ? ここ最近はお菊の井戸に行ってる暇なんかねぇだろう?」
「もちろん学校で会いやした。具合の悪いトイレの花子さんの代理として学校の女子トイレにいたんです」
「トイレの花子が体調不良だと? そんな報告は俺のとこに降りてきてねぇぞ。失恋したとは聞いてるが――」
そのとき近林斎ははっと気付く。
なるほど。お菊さんは海坊主にてけてけ坊主の髪の毛を集めさせたように、トイレの花子さんに河童の髪の毛を集めさせたのだと。
いくら間抜けな河童でもつい先日皿を取られたばかりでまたお菊さん相手に頭部の警戒を怠るとは思えない。しかし少女相手ならば油断してもおかしくはない。
しかしそう考えると、またおかしなことが出てくる。
近林斎はてっきり、お菊さんは遠然坊の指示で動いていたのだと思っていたが、それなら彼女の行動は『わらわら人形』の怪談を近林斎が遠然坊に騙った以降になるはずだ。
しかし実際には彼女はそれよりずっと以前から動き出している。
おまけにトイレの花子と入れ替わり学校に潜入調査をしていた海坊主と接触するという抜け目のなさ。
今回の近林斎たちの計画をお菊さんは事前に知っていたとしか考えられない。
――だが一体どうやって?
しばらく考え続けてみたがどうやっても答えが出ない。
仕方なく近林斎は一旦この問題を頭の隅に追いやって目前の問題に取り組むことにした。
「ともかく苦しんでいるっていう河童を助けてやるとするか」
「へい。じゃあいつも通り井戸端で方針を――」
海坊主のこの言葉でいとも容易く疑問が氷解する。
「おい海坊主」
「何ですかい?」
近林斎は煙管で庭園を指して言った。
「そこの井戸、今すぐぶっ壊せ」
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