第四話 てけてけ坊主とわらわら人形 転

「ミナトくん! 私、ミナトくんのことが好きなの。私とお付き合いしてください」

「悪いなカナエ。僕は孤独を愛する男……故に君の想いに応えることはできない。さあ今すぐ僕の目の前から消えてくれ」

「そんな……ひどすぎるわ」

 カナエは瞳から溢れ出る大粒の涙を隠そうとするかのように、土砂降りの空の下へと駆けて行った。

 それを何とも言えない眼差しで見送ってからミナトは背後に視線を移す。

「師匠。本当にこんなのでいいの?」

「ええ。後は日が暮れる前にこれを仕上げれば準備完了です」

 遠然房の床一面に敷き詰められたそれらを今一度見渡してミナトは不可解そうに眉根を寄せる。

「ねえ、いい加減教えてよ。あんな演技したりこんなもの用意したりして一体何をしようっていうのさ」

 遠然坊が計画を秘すのはいつものことだが、今回はカナエには説明してミナトにだけ話してくれないので余計に不満だった。

 だが遠然坊は何度聞かれようとも話す気はないようで、それ以前に今はそんな余裕がないとばかりに口早に言う。

「それは事が済んでからお話しますよ。さあ、早く手を動かしてください。急がないと目標の量には到底届きません」

「事が済んだら……って、もしかして今回は僕を連れてってくれないの!?」

「当然ですよ」

 続く遠然坊の言葉は妖怪相談所の店主らしかぬ、ひどく常識的な発言だった。

「夜遅くに女の子の家を訪れるなんて君にはまだ早すぎます」


                            ◆


 日が暮れてからも、この日は一日中雨が降り続ていた。

 そして自分の部屋のベッドに顔を埋めた少女の目からも、未だに透明な雫は流れ続けている。

 少女の部屋はいかにも女の子らしく可愛らしい内装だった。

 ところが、それを台無しにするような外装が窓の外に施されていた。

 てるてる坊主である。それも一つ二つだけなら内装の可愛らしさを助長するアイテムではあるのだが問題はその量だった。

 夥(おびただ)しいほどの数のてるてる坊主が、窓ガラスを覆い尽くさんばかりにぶら下がっていたのだ。

 一目見ただけで思わずぞっとするだろう光景。常人ならば触らぬ神に祟りなしとばかりにこの場を離れることだろう。

 だが、離れるどころか逆にこのてるてる坊主に引き寄せられる存在があった。

 彼女(セーラー服を着ていることから辛うじて女性と分かる)には、体の上と下からあるものがバッサリと斬り落とされていた。

 すなわち髪と両足である。

 足を持たない彼女はしかし宙に浮かび上がり、自らが人外の存在であることをあらん限りに主張しながら少女の部屋――二階の窓に近付いていく。

 そして、てるてる坊主の仕切りを挟んだまま泣き濡れる少女に問いかけた。

「……あなたはどうして泣いているの?」

 突然の声に少女は顔を上げ、窓辺に立つ――否、浮かぶ彼女と目を合わせた。

 少女はひどく驚き慄きながらも、何とか言葉を紡いでいく。

「だ、大好きだった人に、こ、告白……したんだけど」

「振られちゃったのね。その男は何て言ってあなたを泣かせたの?」

 少女は――泉カナエは先程ミナトから浴びせられたあの二重で意味でひどい科白をそのまま伝えた。

「何てひどい男なの。あなたはその男に復讐したいのね」

 彼女は――てけてけ坊主は聞いていた話の通りにそう提案してきた。

「復讐?」

「そうよ。あなたが味わった屈辱を彼にも味あわせてやるの」

「…………うん」

 カナエが小さく、しかしはっきりと応えたのを確かめると、てけてけ坊主は凄惨に笑って言った。

「任せて。あなたの心の雨はきっと私が晴らして見せるから」

 そして目の前のてるてる坊主に彼女の右手が触れた――次の瞬間。

 強烈な痛みが走り抜けたかと思うと、謎の力によっててけてけ坊主の手は弾かれてしまっていた。

「なっ――こ、これは!!」

 見れば、先程まで居並んでいた大量のてるてる坊主は、そのすべてから布が取り払われ中に隠されていた正体を露にしていた。

 そう、てるてる坊主の中身は遠然坊とミナトが急拵えで用意した小型のわら人形だったのだ。

「いささか不安ではありましたが、どうやらうまくいったようですね」

 と、動揺するてけてけ坊主に追い討ちをかけるようにして聞こえてくる男の声。

 わら人形の切れ間から見えたのは、やや袖を余らせた着物を悠々と纏った遠然房店主――遠然坊の威風堂々たる姿だった。

 このときてけてけ坊主は自分が罠に掛けられていたことをようやく悟る。

 『てけてけ坊主』と『わらわら人形』。この二つの怪談が合わさると怖ろしいことになる。

 ならば逆にこの最悪の相性を利用して、てけてけ坊主を消し去ってしまおうというのが遠然坊の考え出した策だった。

「あ……ああ……」

 己の呪いの力をわらわら人形によって増幅され跳ね返されたてけてけ坊主の体は急激に朽ち始めていた。

 それでも騙されたことへの怒りか、彼女は鈍くなった動きでなおもわら人形の山に突進する。

 だが結果は同じ。彼女の体はいとも容易く跳ね返される。しかしそれでもてけてけ坊主は怯まなかった。

 雨にも負けない涙を流しながら。風にも負けない叫びを上げながら。彼女はぶつかり続けた。

 何度でも。何度でも。もはや頭部しか残っていない状態になっても諦めなかった。

 一体、何が彼女をそこまでさせるのか。遠然坊には分からなかった。ただの悪足掻きとしか思えなかった。

「もう止めて!」

 そのとき、突然の声にはっと我に返った遠然坊とてけてけ坊主。声の主はあろうことかカナエだった。

 あるいは境ミナトでさえぞっとしかねない惨状のてけてけ坊主を前にして、カナエは真っ直ぐに彼女に向き合った。

 そして遠然坊にさえ見抜けなかったその本心を見抜いたのである。

「もう止めてあげてください。遠然坊さん。それにてけてけ坊主さんも」

 カナエは窓を開けるとぶら下がるわら人形の一つを手に取り、そこから何かを抜き取った。

「あなたはこれが欲しかっただけなんでしょう?」

 それは一本の長く、そして美しい黒い髪の毛。

 そうか――遠然坊はようやくてけてけ坊主の行動の意味が分かった。

 彼女がわらわら人形に立ち向かっていったのは自分を罠に掛けた遠然坊に怒りを覚えていたからではない。

 ただ目の前にある、失ったはずの髪を取り戻そうとしていたのだ。

 あの涙もあの叫びも怨嗟のそれではなく、ただただ歓喜からもたらされたものだった。

「う、おお……あ!」

 わら人形の壁を越えて差し出されたカナエの手。

 てけてけ坊主がそれに触れたとき、何と彼女の体が再生し始めた。

 それだけではない。何も生えていなかったはずの彼女の頭から美しい濡羽色の髪が伸びてきたのである。

 その顔も以前とは明らかに違う。垢抜けた普通の女子高生の顔で彼女はカナエに優しく微笑みかけていた。

「これは一体?」

 予想外の事態に驚きを隠せない遠然坊。その背後から、いつからいたのか一人の女性が彼の疑問に答えた。

「あらあら遠然坊さんともあろうものが知らないのかしら? わら人形はそもそも形代(かたしろ)の一つ。対象を呪えばそれは呪いのわら人形だけど逆の使い方もできることを」

「お菊さん!? いつの間に?」

「最初からいましたわ。気付いてませんでした?」

「……ええ。それよりわら人形の逆の使い方というのは?」

「つまり相手を呪うのではなく相手を思い遣れば幸運をもたらす幸運のわら人形になるということ」

 最初に『わらわら人形』に掛けられていた想いは遠然坊の『てけてけ坊主』を滅そうとする呪い。

 それが彼女を救ってあげたいというカナエの愛情に変わったことで幸運のわら人形となり、てけてけ坊主は生前の姿を取り戻すことができたというわけだ。

「ほら、あれを見て」

 言われて、お菊さんが指した方に目を向ければ大量のわら人形が役目を終えて自然に還っていくところだった。

 夜風に運ばれ消えていくわらの中で一本だけが不自然に遠然坊の手の上へと落ちる。

 それは金色に輝き辺りをまばゆく照らしていた。

「金色ということはこれは『幸運のわらしるべ』ですわね」

「『幸運のわらしるべ』……? 私が知っているのは持ち主を不幸に導くという黒いわらしべ――『呪いのわらしるべ』ですが、これはもしや幸運に導いてくれる品ということですか?」

「ええ。『呪いのわらしるべ』が人を呪わば穴二つなら『幸運のわらしるべ』は情けは人の為ならずといったところかしら。

 ですがお気を付けください。どちらの『わらしるべ』も同じ方を向くことも珍しいことではありませんから」

 幸運と不幸が同居する状況も往々にしてあるということか。

 遠然坊はもう少しこの聞き慣れぬ道具についてお菊さんから聞こうとしたが、すでに彼女はその場を離れ何とてけてけ坊主の傍らにいた。

「初めまして。てけてけ坊主さん」

「え、あ……あなたは?」

 人見知りなどという言葉と最も縁遠い存在のお菊さんはあっさりとてけてけ坊主に話しかけた。

 一方のてけてけ坊主は失意の底から救い上げられたばかり。突然の幸運に未だ平静を取り戻せていない。

「私はお菊。そこそこ有名な幽霊よ。幽霊歴もあなたよりはずっと長いし、以前はあなたみたいにうらめしや系で売ってたこともあるから色々と力になれると思うわ~」

「あ、その……そうなんです。私、あの子の愛情を受けて気付いたんです。

 今まで自分勝手な理屈でたくさんの人にひどいことをしてきたんだって。ただどうやって罪をつぐなっていけばいいのか……」

「なるほどね。まあ結論から言うと何もしないでいいわよ」

「は?」

 お菊さんの爆弾発言にてけてけ坊主はもちろん傍から聞いていた遠然坊も呆気に取られる。

「あなたは何も悪くないもの。悪いのは男よ。全部男が悪い」

「いえ、でもやっぱり私自身にも責任が……」

「ない。全くもってないわ。周りがどう言ったって気にすることもない。

 うらめしいわ~と思ったら勝手に幽霊になって暇だから日課の皿数えしていただけで悪霊扱いするような奴らよ。気にするだけ無駄」

「はあ」

 何だかお菊さんの謎の説得力に、ただでさえ混乱中だったてけてけ坊主の思考力は段々と麻痺し始めた。

「だからあなたは何も気にせずこれからの幽霊ライフを楽しめばいいのよ。昔の悪い恋なんて忘れて新しい恋に生きればいいわ。

 ちょうど私も花子も男に振られたばかりだし、三人で恋活しましょう恋活を」

「でもこんな私なんかを好いてくれる人がいるんでしょうか? 確かに髪は元に戻りましたけど、こんな両足がないような女を」

「あらおかしなことをいうのね。よ~く下をごらんなさい」

 てけてけ坊主は言われたとおりに視線を下ろしたが、やはり自分の腰から下が何もない醜い半身が目に『映らない』だけだった。

 妙に期待を持たされたせいで余計にショックを受けた。

 文句の一つでも言ってやろうとお菊さんの方へ目を向けかけたとき、ようやく彼女が言いたいことが分かった。

 そうだ。目の前に浮かぶお菊さんにも両足がなかったのだ。

「幽霊に足がないなんて常識でしょ」

「はい! 私、すべてを忘れて新しい恋に活きます!!」

 すべての迷いが晴れたような清々しい顔で新生・てけてけ坊主は産声を上げたのだった。

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