第四話 てけてけ坊主とわらわら人形 承

 次の日、境ミナト少年と泉カナエ少女は早速と怪談『てけてけ坊主』の調査に乗り出した。

 ところがこの二人は二人とも、あまり校内カーストの高い位置にいるとは言えず特にミナトは先日の一件で殊更ことさら煙たがられていた。

 少なくともミナトたちのクラスではあからさまないじめなどは行われていないが、子供とは正直なもので言葉にせずとも態度には現れる。

 二人からの質問に、クラスメイトたちはいかにも面倒臭そうに「何も知らない」「聞いたことない」と同じ答えを繰り返すのだった。

 そんな調子が続いてはミナトにしてもカナエにしても、この調査に対するモチベーションが減退するのも仕方がなかった。

 昼休みになって、二人は教室から出るとこの遣る瀬無い状況について話し合った。


「誰も知らないじゃん。『てけてけ坊主』なんて怪談。本当にそんなの流行ってるの? 泉が怖い怖いって思ってるから何でもない話を聞き間違えたんだよ、きっと」


 苛立ち気味のミナトの言葉に、カナエは萎縮いしゅくしながらも必死に反論する。


「そんなことないもん。私、絶対に聞いたんだよ」

「じゃあそもそもどこで聞いたのさ? クラスの奴らは知らないみたいだし」

「えっと、三階の廊下を歩いているときに上級生たちが話しているのを聞いたの。怖かったからすぐにそこから離れたんだけど。

 他の日にも別の人たちが話しているのも聞いて『こういう話流行っているんだ、嫌だな』って思って」

「何だよ。じゃあ三階で聞いて回らないといけないんじゃん。何で最初にそれを言わなかったのさ」


 さらに苛立ちを募らせるミナトにカナエは怯えきって体をびくつかせる。

 それでもやはり、せめて一言物申さずにはいられなかった。


「ごめんなさい……。でも境くんがクラスで聞いて回ろうって言ったから」

「それは泉が噂を聞いた相手がクラスの友達からだと思ってたからだよ。三階で盗み聞きしたって分かってればそっちから調べたよ」

「だったら、どこで『てけてけ坊主』の話を聞いたのかもっと前に確認してくれればよかったじゃない」

「そんなもん、聞かれなくたって普通自分から言うだろっ!」

「だって……だって……」


 ミナトの叫び声にとうとうカナエはしゃくり上げ泣き始めてしまった。

 途端に周りの視線が責めるようにミナトに突き刺さってくる。

 こうなっては何をどう言い繕ったところでミナトが悪者になってしまうのは避けられない。

 そもそも周りの誤解を解こうにも詳しい話をするわけにもいかない。

 ミナトに残された道は自ずと一つに絞られてしまっていた。


「あ~もうっ。ごめんごめん。僕が悪かったよ。だから泣くなよ、このくらいで」


 ミナトが納得のいかない謝罪をしてもカナエはすぐには泣き止まなかった。

 カナエが落ち着くのを待っていてはせっかくの昼休みが終わってしまうと判断して、ミナトは彼女の手を引いて移動することにした。


「ほら行くぞ」


 泣けば許されるなんて女は卑怯だ――ミナトは子供心にかなり重要な教訓を身に沁みて実感していた。

 三階に着くころにはカナエの涙も少しは引いていたが、まだ鼻をすすり上げ何より腫れた目元からさっきまで大泣きしていたことは一目 瞭然りょうぜんだった。

 そんな状態の女の子を連れ上級生のクラスがある三階の廊下を歩くミナトの姿はひどく目立ち、何人かの男子生徒からはからかいの言葉を投げかけられたりもした。

 ミナトは恥ずかしさで頭が沸騰しそうになりながら走り去るのが精一杯で、とてもその男子生徒たちから話を聞くことなどできなかった。

 そして三階の廊下の真ん中まで来てミナトは足を止めた。カナエに話を聞いた正確な場所を確かめるためである。


「なあ三階の廊下に来たけど、お前が話を聞いたのってどのへん? それか話してた生徒の顔とか覚えてるか?」


 だが予想通りカナエはまだ話せるほどの落ち着きは取り戻していなかった。

 どうしようもなくなって一人で聞き込みをしようかと辺りを見回したミナトの目に留まったのは、驚きの存在だった。


「海坊主……!? 何してるの、こんなところで?」


 先日の『座敷童子ざしきわらしとぬらりひょん』事件で知り合った近林斎こんりんざいの側近――海坊主が、見間違えようもない存在感をもってミナトが通う学校の中にいた。

 それも出てきた場所が出てきた場所なのだから驚かないはずがない。

 ただ動揺のほどはミナトよりも当の海坊主の方がずっと上だった。


「ミミミミ、ミナトの坊ちゃん!? 坊ちゃんこそこんなところで何を!?」

「いや僕がここにいても何の不思議もないでしょ」


 それもそうだとはっとした様子で海坊主は我に返ると、続けてきょろきょろと周囲を確認し人通りのないことを確かめるとミナトにそっと耳打ちをした。


「実は近林斎の旦那の能力で今のあっしはここの教師として認識されるようになってるんすよ。それで色々と調べるように言われてやして」

「調べるって流行っているっていう怪談のこと?」

「い、いやそれは……すいやせんが言えないことになってやすんで。それじゃあ、あっしはこれで失礼させていただきやす」


 海坊主はそう言い残して去っていったが、その露骨な態度はどんな言葉よりも雄弁にミナトの指摘が図星であったことを教えていた。


 ――ぬらりひょんも怪談のことを調べてる?


 どうやら思ったよりも事は重大さを帯びているらしいと分かり、ミナトの中で底を尽きかけていたやる気が一気に満タンまで充填じゅうてんされた。

 差し当たって調べるべきは海坊主が出てきた場所だが、しかしここに入ったことがばれればミナトの残りの学校生活が今以上の暗黒に染まることは間違いない。

 今度こそいじめの対象になっても仕方がないとさえ客観的に思う。

 ミナトが頭を抱えていると、もはや存在を忘れていたカナエが不意討ち気味に話しかけてきた。


「境くん、磯野いその先生と何話してたの?」

「あ、泉。もう大丈夫なのか?」


 まだ目の腫れは引いていないものの、それなりの時間が経ったことで平静さはすっかり取り戻しているらしい。

 ミナトも海坊主との遭遇というサプライズを経たことでカナエに感じていた怒りなど全く残っていなかった。


「うん。もう大丈夫。迷惑かけてごめんなさい」

「いや別にいいけど。それより泉、海坊……あの先生のこと知ってるのか?」

「もちろん知ってるよ。海洋学の磯野先生でしょ」


 小学校に海洋学の教師なんて違和感しかないが、さすがは妖怪の総大将・ぬらりひょんの能力。

 カナエは何の不思議も感じている様子はなかった。

 もっとも妖怪としての海坊主と面識があり、他にも多くの妖怪と関わっているミナトまでは誤魔化せていないようだが。

 そのときミナトの中である閃きが降りてきた。

 きっとぬらりひょんは調査の邪魔にならないように、校内での海坊主の言動はすべて違和感のないものと認識されるようにしているはず。

 だったら、まだそれほど時間の経っていない今なら海坊主と同じ行動をミナトがしても何とも思われないのではないか。

 ミナトはこの仮説に自分の人生の全てを託し一世一代の賭けに出ることにした。


「なあ泉……ちょっと女子トイレ寄っていかないか?」

「どうして?」


 カナエが眉を潜めた瞬間、ミナトは社会的な死を覚悟しかけたが寸でのところで持ち直し次の言葉を紡いだ。


「さっき磯野先生と話して『てけてけ坊主』の噂がこの女子トイレに関係あるらしいって聞いたから」

「ふ~ん。分かった。じゃあ行こう」


 見事生還を果たしたミナト。このときほど少年の心が歓喜に打ち震えたことはなかった。

 ミナトにとっては『てけてけ坊主』のことがなくても女子トイレに入れることは喜ばしい。

 ミナトの名誉のために言っておくと、彼の中には欠片の下心もなくあるのは純粋な好奇心と探求心。

 これまでは調べたくとも調べられなかった学校の怪談のメッカに足を踏み入れられるのだから、浮かれるのも無理はない。

 ミナトは真っ直ぐに入り口から三番目の個室へ駆け寄ると、心得たとばかりに三回ノックし震える声で夢にまで見た科白セリフを言う。


「は~なこさん。遊びましょ」


 そう、学校の女子トイレといえばトイレの花子さん。

 妖怪の存在を認識し判別できるようになったミナトなら彼女と邂逅できてもおかしくはない。

 カナエはミナトの行動の意味を理解すると、咄嗟とっさに彼の後ろに隠れて縮こまった。

 普段なら鬱陶うっとうしいと思うだろうが今のミナトはまるで気にも止めず、その意識は目の前の扉に釘付けだった。

 ややあって返事が返ってきた。


「は~い。こっちよ~」


 なぜか隣の個室から。

 ミナトは声が大人びたものであることにも気付かず、目をらんらんと輝かせて隣の扉を開けた。

 四番目の個室から現れたのは、何とまたもミナトの顔見知りだった。


「うらめしや~。あら、あなた確か遠然坊とおせんぼうさんと一緒にいた坊やじゃない。お久しぶりね。今日は恋人と一緒? うらめしや~ならぬうらましや~ね」

「お菊さん? え、何で?」


 便器の中から姿を現したのはトイレの花子さんではなく皿屋敷のお菊さん。

 意外な顔の登場に面食らうミナトだが、お菊さんの方はあっけらかんとミナトが女子トイレにいることに対して突っ込み一つなく説明を始めた。


「そう。トイレの花子に会いに来たのよね。実は彼女、四十度の熱を出しちゃって寝込んでるのよ。そこで私が代理を買って出たってわけ。あの子とは同じ女幽霊同士昔からのお友達なのよ~」

「もしかして、その服もトイレの花子さんに借りたの?」

「そうよ。似合うかしら?」


 お菊さんは便器にはまったままのお世辞にも決まっているとは言えない姿勢のままくるりとターンして見せる。

 トイレの花子さんの女児服は当然、お菊さんにとってはサイズが小さくピチピチだった。

 赤いスカートと繋がったサスペンダーは大きな胸に押し上げられ、白いシャツも引っ張られてへそ出しルック、スカートも際どいくらいの超ミニになってしまっている。

 感想を求められてミナトは言葉にきゅうした。迷った末に正直な印象を告げることでお菊さんに今のファッションのやばさを認識してもらうことにした。


「お菊さんの年でそんなちび○こちゃんみたいな格好はどうかと思うけど……」

「あら、これはこれで一部の殿方には需要があるのよ」


 ある意味予想通りではあったがミナトの狙いは全くの空振りに終わった。


「まあ坊やはまだ理解できない方が健全なのかもしれないけれど」

「ところで海坊主がここに来なかった?」


 服装の話題から話を逸らしたくてミナトはやや強引に本題に入った。


「そんなことより坊や、可愛らしい彼女が今にも気絶しそうよ。男としてもう少し気を配ってあげた方がいいんでなくって」

「えっ!?」


 ミナトが自分にしがみついているカナエの顔を覗き込むと、確かに卒倒寸前な様子だったがそれ以上に驚きなのは彼女の目がまっすぐにお菊さんに向けられていたことだった。


「まさか泉、見えてるのか?」

「そりゃあ見えるわよ。こんな純真無垢を絵に描いたような子にまで見えないんじゃ私はとっくにこの世から消えているわ。ねえ」


 カナエはお菊さんからの問い掛けにも反応を示していて、彼女が『見える人』であることは疑いようがなかった。

 ミナトはカナエの人一倍臆病な性格の原因が分かった気がした。

 見えるからこそ、その存在を確信しているからこそ妖怪やオカルトめいた話を聞き逃さずにはいられないのだ。

 ミナトも無意識にそれに気付いていたからこそ、カナエだけに遠然房の話をしたのだろう。

 ミナトはお菊さんに言われた通りに急いでカナエのフォローに努めた。


「え~と泉、この人は悪い幽霊じゃないからそんなに怖がらなくても大丈夫だ。安心して」

「うん。それは知ってる。前に境くんから聞いたことあるし」


 『河童と皿屋敷』事件のことまで話していたのか、とミナトは自分がカナエに何をどこまで話しているのか分からない恐怖に再び捉われていた。

 しかし今はそれを置いておいてカナエの恐怖を取り除くことが先決だ。

 ところがカナエもミナトが心配するほどにはやわではなかった。

 あるいは先程ミナトに迷惑をかけたことへの後ろめたさもあってか、気丈にも自分からお菊さんに話しかけた。


「初めまして、お菊さん。境くんの……お友達で、泉カナエといいます。よ、よろしくお願いします」

「は~い。よろしくね、お嬢ちゃん」


 立派に挨拶あいさつを成し遂げたカナエだったが、お菊さんから笑いかけられたところで耐え切れない怖さが顔を出したのかミナトの背後にまた隠れてしまった。


「あらあら、絶賛失恋中の私に見せつけてくれちゃって。やっぱりうらみうらめしうらましやだわ」 

「河童とはその後、どうなったの?」

「お陰様で言いたいところなんだけれどお生憎様、もう完全に嫌われちゃったみたいなの」


 さめざめと泣く仕草をするお菊さんだったが、それも一瞬ですぐに満面の笑みに早変わりした。


「まあそれはそれとして、トイレの花子に何の用だったの? よかったら私の方から用件を伝えておくけれど」


 お菊さんの百面相にミナトは付いていけず慌てて本来の目的を告げた。


「あ、いや実はトイレの花子さんに用があるっていうか。今学校で流行ってるある怪談について調べていて、それについて何か聞けたらって思って来たんだ」

「ある怪談?」

「うん。『てけてけ坊主』っていう怪談らしいんだけど、お菊さん知ってる?」

「もちろん。女子トイレは噂話の宝庫だもの」


 正直、普段の棲み家が井戸のお菊さんに対しての期待はそれほど大きくはなかったので、これは望外の喜びだった。

 しかもミナトにとってさらに嬉しい情報をお菊さんは付け加えてくれた。ミナトは飛び上がらんばかりに興奮する。


「ってことは『てけてけ坊主』以外の怪談についても知ってるの!?」

「ええ。知ってはいるけれど~君、また彼女のこと忘れてな~い?」


 言われてミナトがカナエの方を窺うと、彼女は小さな体を震わせながらうわ言のように同じ言葉を繰り返していた。


「無理無理無理。他の怪談なんて止めて。お願い。無理無理無理無理無理無理無理――」


 その様子はちょっとした怪談より余程ホラーだった。

 どうやらお菊さんの仕入れた怪談百物語を聞くのはまたの機会にするしかないらしいとミナトは諦める。


「じゃあ、とりあえず『てけてけ坊主』だけ。実はどういう話かも知らないから」


 ちらりと自分の背にしがみつくカナエを見ながらミナトは言う。


「あんまり怖くないように教えてくれない?」


 ミナトはいつも注文している品が売り切れ仕方なく別のものを頼む客のように嘆息した。

 お菊さんは元気が売りの看板娘のようにその注文を繰り返す。


「は~い。あまり怖くない『てけてけ坊主』ね」


 その明朗さは怪談の語り手としては雰囲気が崩れるのもいいところだが、カナエのような聞き手にとってはちょうどよかった。


「まずてけてけは知ってるわよね」

「まあ、そのくらいは一般常識だからね」


 てけてけは都市伝説の一つ。

 舞台は一面が白銀に彩られた冬の北海道。踏切で列車事故に遭った女子高生がいた。

 彼女は上半身と下半身が分断され本来なら即死するところを、あまりの寒さで血管が収縮し止血されたために上半身だけの状態で数分間もがき苦んだ。

 その光景を目撃した人によれば彼女は死の間際まで「足はどこ? 足はどこ?」と自分の失われた下半身を求めていたという。

 そして彼女は死んだ後も悪霊となってこの世に留まり、なくした下半身を探しているという話だ。


「で、この話を聞いた人のところに三日以内にてけてけが現れて、てけてけを撃退する呪文を言えないと下半身を奪われてしまうんだよね」

「ねえ境くん! 呪文は? てけてけを追い払う呪文は!?」

「さあ何だっけな~」

「境くんっ!」


 こほん、と大きな咳払いが二人の間を遮った。


「ご両人、のろけるのは他でやってもらえるかしら」

 お菊さんのこの茶化しは効果 覿面てきめんで少年少女は共に耳まで真っ赤にして押し黙ってしまった。

 静まったのを確かめてお菊さんは続きを話し始めた。



「『てけてけ坊主』はそのてけてけと似た話でね。

 ただし季節は冬ではなく今のような梅雨の時期。

 このあたりで、やっぱり踏切で列車に轢かれた女子高生がいたの。

 彼女はてけてけと同じように両足を根元から切断されるほどの大怪我を負ってしまったのだけれど、すぐ近くが病院だったこともあって一命を取り留めたの」

「よかった」

「ええ。不幸中の幸い――けれど大きな不幸であることには変わりはない。

 さらに追い打ちをかけるように、彼女は頭にも大きな怪我を負っていて手術のために自慢の長い髪をばっさりと切り落とされて丸坊主になっていたこともあって余計に気落ちが大きかったわ。

 けれど彼女の不幸はこれで終わりではなかったの。

 その女子高生には校内でもベストカップルと噂されるほどのラブラブの彼氏がいたのだけれど、事故の日を境にぱったりと連絡が途絶え見舞いにも来てくれない。

 きっとこの雨のせいだ――彼女はそう思うことで何とか自我を保とうとしたというわ。

 そして有り余る時間を使って彼のことを想いながら何個も何十個も何百個もてるてる坊主を作ると病室の窓から吊るしたの。

 でも、いつまで経っても雨は一向に止まず彼からは一通の便りもない。彼女はとうとう絶望し首を吊って自殺してしまった。

 最初に見つけたナースは恐怖に震える声で言ったらしいわ。それはまるで大きなてるてる坊主のようだった――と」


 お菊さんの迫真の語りをカナエはもちろんミナトも息を呑んで聞き入っていた。


「この話にもてけてけと同じように続きがあるの。

 この女子高生の霊――てけてけ坊主は恋破れた乙女の味方でね。

 失恋をした夜に窓に大量のてるてる坊主を吊るしておくとその家にやってきて話を聞いてくれるの。

 そして失恋した女の子に代わって、振った相手の男に復讐してくれるんだって。はい。『てけてけ坊主』でした」


 ぱんっとお菊さんが両手を打った音を聞いてミナトとカナエは現実に戻ってきた。

 流石は幽霊が語る怪談だけあって臨場感は満点であった。


「ありがとう、お菊さん。まあまあ面白い話だったよ」

「そう。お役に立てたら何より。他に何かないかしら?」


 ミナト的にはこれで十分に満足のいく成果だが目指すのはこの怪談をなくすことだ。

 遠然坊の仕事のために必要な情報は何かミナトは考え質問する。


「そうだな。この怪談って本当に流行っているって言えるほど広まってるの?」

「う~ん。高学年の女子生徒の間では浸透しんとうし切っているけれど他はイマイチって感じかしら」

「なるほど。ありがとう。もういいよ。じゃあね」


 聞いておくこととしてはこんなところだろう。ミナトはお菊さんに別れを告げ、自分たちの教室に帰ろうとした。

 ところが、そこでお菊さんの方から呼び止められる。


「ちょっと待って、坊や」

「何?」

「教えてあげた代わりってわけでもないんだけど、この手紙を遠然坊さんに渡してもらえるかしら」

「これもしかしてラブレター?」

「まあ、そんなようなものね」


 先程の仕返しとばかりに茶化してみようとしたミナトだったが、向こうの方が一枚も二枚も上手でまるで動揺することはなかった。


「分かったよ。渡しておく」

「ああ、最後に一つだけ」


 敗北感に打ちひしがれながら今度こそその場を後にしようとするのを再度 さえぎられ、ミナトは流石に苛立ち気味に応じた。


「何さ?」


 お菊さんはいたずらっぽい微笑みとともにミナトの後ろを指差した。


「彼女、腰抜かしちゃってるわよ」

「ご、ごめんなさい……」


 がんがんと痛み出したミナトの頭の中を代弁するかのように、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。


                            ◆


 一方、遠然房では店主は今日も暇を持て余した昼下がりを送っていた。

 この日も太陽とは無縁の空模様。そして客足とはとんと無縁の玄関口。

 遠然坊は今日これからの予定を頭の中で思い描いた。夕方からはミナトたちの話を聞いて、場合によっては今晩は忙しくなるかもしれない。 

 ならばこの隙間時間は貴重なものだ。来るか分からない(まず来ない)客のためにじっと座っていては勿体ない。

 遠然坊はそう考えて、昨日はやれず仕舞いだった道具の手入れを今のうちにやってしまおうと思った。

 が、またしても遠然坊のその計画は打ち崩されることとなる。


「よう。邪魔するぜ」


 二日続けての珍客来訪。

 一体いつからそこにいたのか。戸の開く音、呼び鈴の音、その他一切の物音も聞こえないままに彼はそこに立っていた。

 しかし驚くことではない。それこそが彼の能力なのだから。

 遠然坊はいつも以上に丁重にこの珍客を出迎えた。


「いらっしゃいませ。近林斎こんりんざい様。今日はどういった御用でしょうか?」


 近林斎は遠然坊の顔を一瞥いちべつすると、何が気に喰わないのかいつも通りの仏頂面を突き出した。


「別に大した用はねぇ。トオセ坊。てめぇ、私立間(はざま)小学校で近頃 流行はやっているって怪談について何か知っているか?」

「知りません……と言ったら?」

「いいか。てめぇは余計な手を出さず黙って見ていろ。この件は生半な問題じゃねぇ」


 にらみ付けて凄んでみせる近林斎。

 並の者ならその迫力に首を縦に振る以外できなくなるだろうが、そこはさる者・遠然房店主。

 その眼力に真っ向から向かい合う。


「残念ながらそれはできません。その怪談について何も知らないというのは嘘ではありませんが、すでに手は出している状況だからです」

「何だそりゃ? どういうこった?」

「申し訳ありませんが依頼内容について話すことは、いくらあなた様でもできません」


 近林斎は長い付き合いで遠然坊の強情ぶりをよく知っている。

 追及は無駄な努力とばかりに諦めて、改めて釘を刺しておくことにした。


「ふん。なら精々こっちの邪魔はすんじゃねぇぞ。もしそうなりゃ容赦ようしゃはしねぇ。それから」


 と、近林斎はいともついでのように本命の用件を付け加えた。


「あの坊主にはあんま首を突っ込ませないよう、よく見張っとけ」

「ええ。心得ています」


 遠然坊は眼鏡の鼻当てを押し上げて物憂げに目を伏せた。

 近林斎は煙管きせるの煙を胸いっぱいに吸い込むと苦々しげな顔で中空に吐き捨てた。


「トオセ坊。お前さんはどう思う? 今回の件にやっこさんが絡んでいると思うか?」  

「ミナトくんが通う小学校でのこと、というのは無視できませんが現時点では無関係だろうと考えています」

「ふん。その甘い見通しに足元をすくわれねぇといいがな」

「もしも本当に危ない状況になったとしたら、あなたも見て見ぬふりはできないでしょう」


 遠然坊の微笑みを近林斎は憎らしそうに睨み付け、実際以上に大きく見える背中を向けた。


「ともかく『わらわら人形』について何かを掴んだら――」

「ちょっと待ってください! 『わらわら人形』ですって!?」


 近林斎の去り際の言葉に遠然坊の冷静さは激しく乱され、思わず椅子から立ち上がり叫び声を上げた。

 その様子に近林斎の方も元から険しい顔にさらにしわを寄せた。


「あ? 何を声を荒げてやがる。てめぇもこの怪談について調べているんじゃなかったのか?」

「……私が聞かされた怪談の名前は『てけてけ坊主』。『わらわら人形』ではありません」


 近林斎にも遠然坊が動揺した理由が伝わると、老人は戸口に向かっていた足を取って返しどっかりと店の床に座り込んだ。


「どういうことだ? 二つの怪談が同時に流行っているってことか? それとも――」

「どうでしょう、近林斎様。ここはつまらない意地は捨てて情報を共有し合うというのは。

 私は現時点で『てけてけ坊主』がどういう怪談であるかお教えすることはできませんが、後数時間もすればお伝えできます。そちらが一から調べるよりははるかに早いでしょう。

 その代わりに私に『わらわら人形』の情報を提供していただきたいのです」


 遠然坊の提案は近林斎の自尊心に障るものであったが、互いに利があることは否定しようのない事実。

 結局、近林斎はこの提案を受け入れることに決めた。


「『わらわら人形』は呪いのわら人形から派生した怪談だ。

 呪いのわら人形の知名度を利用した話、とも言えるな。主に低学年の坊主共の間で流行っているらしい。

 簡単に言っちまえば呪いのわら人形によって受ける呪いを、別のわら人形を胸元に仕込むことで防げるってもんだ。

 どっかの誰かが自分のことを呪ってわら人形をグサリとやる。だが、その呪いは胸元のわら人形に刺さって本人には届かない。

 お次はどうなる? そう、そいつが呪った相手に呪いは移る。しかもただ移るだけじゃなく最初の呪いに次の呪いが上乗せされて移っていく。

 徐々に呪いは蓄積されていき、やがてわら人形でも肩代わりできないほどの大きさとなって貫通。

 数多の呪いを一身に背負い受けることになった不幸ななにがしは、死ぬよりもひどい目に遭う――と、ここまでが初期段階だ。

 今ではこんな風に変化して広まっている。

 呪いの終着点になるのは誰だって嫌だよな。だがそれをほぼ確実に回避できる方法があるっていうんだ。

 それは実に単純ながら明快で、護身用のわら人形を一体だけでなく二体・三体と持つこと。

 考えりゃ分かることだが呪いは一方向だからこそわら人形の数だけ倍々で膨らんでいく。

 だから呪いの方向を散らすようにしてやりゃ、まあよっぽどの嫌われ者でもいない限りは呪いはそこまででかくはならねぇってこった。

 こうしてわら人形はわら人形を呼び仕舞いにゃわらわら溢れ出す。故に『わらわら人形』。ガキが考えたにしちゃ、それなりによく出来てやがる。

 この怪談の一番いやらしいところってのは、わら人形を複数持つことで自分の身を守ると同時に他人を救うことにもなるってことだ。

 実際にやってることは自分可愛さに呪いを他へ移してるだけだが、ここに公共の利益のためでもあるっていう絶好の正当化の理由を用意してやることで、うまい具合に罪の意識が薄れるようにしてあるってわけだ。本当にどこの誰が考えたか知らねぇが大したもんだぜ」


 一通りの概要を聞き終えて遠然坊は思い浮かんだ疑問を差し挟んだ。


「すでにその第二段階が広まっているということですが、実際に生徒たちは複数のわら人形を忍ばせているのですか?」

「そいつをちょうど海坊主の奴に調べさせているところだが思うように進まねえ。尻尾を掴ませにくいってのもこの怪談の厄介なところだ。

 だが少なくとも四五人のガキが、実際にわら人形を持っていたのを確認している」

「それは……少々まずいかもしれませんね」


 遠然坊が顔を曇らせると近林斎は珍しくこれには素直に同意を示した。


「ああ、かなりまずい。『わらわら人形』の名の通り、誰かが持ってると分かりゃ自分の身を守るために他の奴らも次々と持ち始める。

 いつどこから飛んでくるか分からねぇ矛に備えて盾を持つことに抵抗のある奴はそうはいねぇ。だがその盾は反射機能付きだ。

 疑心暗鬼が蔓延まんえんして、大袈裟に言やあの学校の一部はすでに小さな冷戦状態だぜ」

「そして、もし我々の危惧していることが杞憂きゆうでなかったとしたら――」

「その可能性は決して低くはねぇ。『てけてけ坊主』って名前からして、こいつもてけてけを下敷きにした都市伝説系の怪談だろうしな」


 遠然坊と近林斎の危惧とは『てけてけ坊主』が誰かを呪うという性質を持っていること。

 『てけてけ坊主』が素人の呪いなどとは桁違いの強烈な矛となり、それが『わらわら人形』という盾によって増幅・拡散されれば……。

 冷戦が血みどろの血戦になる日も遠くはない。


「ちっ。どうやら俺の方がよっぽど見通しが甘かったみてぇだな。トオセ坊、約束だぜ。『てけてけ坊主』の仔細しさいが割れたらすぐに俺に知らせやがれ」


 苛立ちも隠そうとせず近林斎は慌ただしく店を後にした。

 残された遠然坊は思った。どうやら道具の手入れをしているような暇は当分訪れることはなさそうだ、と。


                            ◆


「やはりそういった内容でしたか……」


 ミナトとカナエがもたらした『てけてけ坊主』の内容が、最悪の予想に合致していたことを知って遠然坊は小さくうめいた。


「え? これってそんなにやばいものだったの?」


 『わらわら人形』のことを知らないミナトには遠然坊の嘆きが理解できなかった。

 それに対して呑気なものだ、とやや理不尽な怒りを覚えながら遠然坊はミナトに事の次第を説明する。


「『てけてけ坊主』単体ではそれほど怖ろしくはありませんが、もう一つ『わらわら人形』という怪談が――」


 と、その途中で遠然坊は何か違和感に気付いた。そう何かがおかしい。

 あまりにも『悪く』行き過ぎている。二つの怪談の最悪過ぎる相性然り。それらが遠然坊の耳に届いたタイミング然り。

 ――もしもこれが『甘い見通し』でないとするのなら。

 遠然坊は自分の考えの裏付けを取るようにミナトにある質問をする。


「ミナトくん。君は『わらわら人形』という怪談を聞いたことはありますか?」

「ん? ううん、知らないけど。どんな話なの?」


 遠然坊はこの瞬間にすべてを確信した。彼のらしかぬ行動にもこれで得心がいく。


「なるほど。つまりそういうことですか。しかし、どちらにしても時間がない」

「ねえ師匠。『わらわら人形』って何なの? 師匠ってば」


 自分を無視して思索に耽り始めた遠然坊の注意をミナトは必死で引こうとする。

 だがその結果、遠然坊が目を留めたのはミナト本人ではなく彼が手に持った封筒だった。


「ミナトくん。その手紙はどうしたのですか?」

「ああ、これ? これはお菊さんが師匠に渡してくれって預かってたんだよ。はい!」


 やや乱暴に手渡された封筒を遠然坊は急いで開封した。

 そして、その内容を一読しにやりと口の端を吊り上げる。


「何をにやついてるんだよ。気持ち悪いな」

「失礼。すべてが解決できると分かって、つい気持ちを抑え切れませんでした」

「え、嘘? 何が書いてあったの、その手紙に?」


 遠然坊はミナトからのこの質問も無視して手紙を封筒に戻す。

 それから何とすでに蚊帳の外に置かれていたカナエに視線を向けた。


「カナエさん」

「は、はい」

「申し訳ありません。大変屈辱的なこととは思いますが」


 遠然坊はいつもの余裕を湛えた笑みで衝撃の言葉を告げた。


「ミナトくんに振られていただけますか?」

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