第四話 てけてけ坊主とわらわら人形

第四話 てけてけ坊主とわらわら人形 起

 しとしとと降り続く雨音に耳を傾けながら、遠然坊とおせんぼうは今日も退屈な時間を過ごすことを予感していた。

 こんな日に外へ出掛けたくないのは人間も妖怪も変わらない。元より遠い客足はこの天気のせいでここのところ一層遠のいている。

 やってくるとすればあの少年か、あるいはよっぽどの珍客くらいのものだ。

 いっそのこと、今日は早めに店を閉めてしまって一日道具の手入れに当てようか?

 そんな遠然坊の思索に待ったをかけんばかりに、いつもの顔が戸口から現れた。


「師匠、こんにちわ~。今日も暇?」


 間の悪いときにきたものだと遠然坊はいつも以上に境ミナトの来訪に気を悪くした。

 さて、どう言って追い返そうかと思った矢先、遠然坊ははっとした。そして慌てて営業スマイルに表情を切り替える。


「いらっしゃいませ。ようこそ遠然坊へ」


 その豹変ひょうへんにミナトは驚き目を見張った。


「急にどうしたのさ、師匠。今更、僕をお客さん扱いして」

「君じゃありませんよ、ミナトくん。私は後ろのお嬢さんに言ったのです」

「後ろ?」


 ミナトが背後に目を向けると、そこには黄色い合羽を着た小さな女の子が立っていた。

 その少女にミナトは見覚えがあった。


いずみ? 何でこんなところに?」

「ミナトくんが連れてきたのではないんですか?」


 てっきりミナトの友達という珍客中の珍客が来たのだと思っていたが、遠然坊のこの勘ぐりは外れていたらしい。


「知らないよ。同じクラスってだけで別に仲がいいわけでもないし――」

「まあまあ、とりあえず中に入れてあげて話を聞いてあげましょう」


 少女がずっと塞ぎ込み雨の中に立っているのを見かねて遠然坊はそう促した。

 少年が不満そうに口を尖らせながら先に店内へ入ると、不安そうな面持ちの少女がその後に続いた。

 二人が学校指定の揃いの雨合羽を脱いだ後で、ミナトは少女を問い詰め始めた。


「で? 泉は何でこの店に来たの?」

「ごめんなさい……」


 泉という少女はやっとのこと重い口を開けたがそれもほんの少しのことで、すぐにまた押し黙ってしまった。


「いや、僕はどうしてここにいるのかって聞いたんだけど?」

「ミナトくん、そう急かさずに。彼女も怯えているじゃないですか。

 君はもうすっかり慣れたものかもしれませんけど、彼女にとってはこの店自体初めての場所なのですから。もう少し落ち着くのを待ってから、この子が自然に話すのを待ちましょう」


 二人は少女が話し始めるのを待つことにした。

 ところがいつまで経ってもまるで話す気配を見せない少女に、ついにミナトの堪忍袋の緒が切れた。


「何か言えよっ!!」

「ミナトくん!」


 がなるミナトを遠然坊は再度 たしなめると、雨にそぼ濡れた子猫のように大人しい少女に優しく語りかける。


「初めまして、お嬢さん。私はこの店の店主をやっております遠然坊といいます。お嬢さんのお名前も聞かせていただけますか?」


 遠然坊の紳士的な態度に心を許したのか、少女はこの店に来てから二言目を口にする。


「私は泉カナエ……です。境くんのクラスメイトで小学四年生です」

「カナエさん。カナエさんはどうしてこの店に?」

「その……前に境くんから聞いていたお店でお願いしたいことがあって。それで境くんの後を尾けてきたの。ごめんなさい」


 ミナトがカナエの言葉で驚いたのは後半ではなく前半の部分だった。


「僕が遠然房のことを泉に話しただって? 嘘だ。僕がクラスの連中にここの話をするわけがないよ」

「でも境くん私に色々とお話してくれたよ。ここのお店のこと。店主さんのこととか。不思議な道具のこととか。よ、妖怪の話とか」

「だからそんなのありえないってば。僕はまったく覚えてないし」


 平行線をたどる少年少女の会話に店主は助け船を出した。


「おそらく『豆腐小僧と一反木綿』事件のときのことではないですか?」


 ミナトは遠然房の推察に納得すると同時に、それ以上の動揺を覚えた。

 あの事件のとき、ミナトは一時的に普段と違う認識を持った状態で生活していた。

 故に普段ならありえない行動も無意識のうちにとってしまっていて、ミナトの記憶に残っていない事柄も多々あるのだ。


「言っておくけど、あのときの僕は四十度の熱があって頭がおかしくなってただけで……ちょっと待って。僕、クラスの他の奴らにも遠然房のこと話してたの?」


 一体、自分がどんなことを口走っていたのか途端に怖ろしくなってミナトは確認を取る。


「ううん。多分、私だけ。他のクラスメイトに話しても笑われるだけだけど、お前なら信じてくれるだろうからお前だけに話すんだ。って境くんも最初に言ってたでしょ」

「ならいいけど……って、何をにやついてるんだよ、師匠!!」


 幸いにも被害が最低限に留まっているらしいと知りミナトは胸を撫で下ろす。

 ところが、その傍らで遠然房が意味ありげに目を細めているのを見て、少年の心は再び騒めいた。


「いいえ何でも」

「何でもなくないだろ!」


 なおも忍び笑う遠然房に顔を真っ赤にして反駁はんばくするミナト。

 その光景に釣られて固くなっていたカナエの表情も自然とほころんでいた。


「さてカナエさんの緊張も大分解けてきたようですし、ここへ来た経緯も分かりました。では先程仰っていたこの店での用件について、お聞かせ願えますか?」

「言っとくけど、この店は妖怪相手の相談屋だから人間の依頼は受け付けないよ。依頼料も泉には払えないだろうし」


 まぜっ返すミナトに対して遠然房は大仰に首を左右へ振って苦言をていする。


「せっかく彼女が話す気になってきたというのに何てことを言うんですか、君は。

 確かにこの店は妖怪相手の商売ですが、私も商売人である前に血の通った一人の人間。

 こんな雨の日にやってきた女の子を話も聞かず追い出すなんてことをするはずがないでしょう。ましてや何か請求しようなんて恥知らずな真似をする気はありません」

「ふ~ん。僕のときとは対応が全然違うね」


 先程からのミナトの横柄さが嫉妬しっとに起因するものらしいと分かり、遠然坊は可愛らしいものだと胸が和んだ。

 その嫉妬は遠然坊に対してのものか、あるいはカナエに対してのものか、果たしてこの少年は気付いているのだろうか?


「失礼、カナエさん。そういうわけですので遠慮なさらずお話しください」

「えっと、私のお願いは」


 蚊の鳴くようなカナエの声に二人は聞き逃すまいと口をつぐんだ。


「今、学校で流行っている怖いうわさをなくして欲しいの」

「噂をなくす?」


 少女の口から告げられた予想を上回る難題に、遠然坊は思わず腕組みをして険しい顔をした。

 噂話――特に怪談は扱いが非常に難しい上に、場合によっては取り返しのつかない事態になることも少なくない。

 カナエは続けて言う。


「うん。えっと、境くんは『てけてけ坊主』って聞いたことある?」

「『てけてけ坊主』? いや聞いたことないけど。噂なんて放っておけば消えていくんじゃないの。人の噂も七十五日っていうし。まあ個人的にどんな話かは気になるけど」


 ミナトの楽観に遠然坊は同意しかねたが、この場でそれを言葉にしてもカナエの不安をあおるだけだと思い自重する。

 代わりにミナトの発言の中でうなづける点について追及することにした。


「そうですね。どういった噂なのかは私も気になるところです。その怪談を沈静化させるのにも具体的な内容が分からないことには手の打ちようがありません」

「内容……えっと」

「無理に話す必要はありませんよ。少しずつでも構いませんので」


 お世辞にも話し上手とは思えないカナエ。

 多少は落ち着いたといってもまだ緊張も完全になくなったとは言えないだろう、そんな考慮からの遠然坊の気配りだったがカナエが言いあぐねているのは別の理由からだった。


「そうじゃなくって、私『てけてけ坊主』がどんな話なのかは知らないんです」

「は?」


 あまりに奇想天外なカナエの言葉に、さしもの遠然坊も驚きを隠せなかった。


「つまり内容も分からない話に対してカナエさんは怯えているということですか?」


 カナエは口をへの字にして今にも泣き出しそうになりながら頷いた。


「怖い話ってだけで怖いもん。どんな話か分かる前になくして欲しいんです」


 遠然坊はほとほと困り果ててしまった。もしかするとこの少女の依頼は遠然房始まって以来の難事件なのかもしれない。

 あんな大言壮語の後でなければ今からでも断りを入れたいくらいだ。

 こっちが泣きたい気分になりながら、遠然坊は何とか解決策を模索する。


「とにかく先程も言ったように話の内容が見えないままではどうしようもありません」


 しかし考えをいくら煮詰めても、やはりカナエの要求をすべて叶えるのは無理があった。

 噂の内容を知らないままに解決するというのは諦めてもらう他ない。


「ですから、その『てけてけ坊主』という怪談の内容を何とか調べて私に教えてください。話はそれからです」

「でも私、怖い話とか本当に駄目で……」


 この答えは予想がついていた。カナエ一人に調べさせるのは酷というものだろう。

 しかし場所が学校となると遠然坊が手を貸すにも限界がある。

 となると、残された手は一つ。


「ミナトくん。彼女を助けてあげてくれませんか?」

「境くん、お願い」


 遠然坊とカナエの視線が店の隅でふて腐れていたミナトに集まる。

 初めこそその視線から必死で目を逸らしていたが、すぐに耐え切れなくなったのか諦めたように溜息を吐いた。

 

「分かったよ。どんな怪談かやっぱり気になるし、師匠の頼みだからね」

「ありがとうっ!」


 少年の不器用な照れ隠しと少女の無防備な感謝とが交わされるのを聞きながら、遠然坊は店を閉めずにいてよかったと思った。

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