第三話 座敷童子とぬらりひょん 転

「あれ? ぬらりひょん――は?」


 気付けば、ミナトは寸前まで近林斎こんりんざいといたはずの奥座敷から、別の部屋へと移動していた。

 部屋の内装の感じから、同じ屋敷の中であることは分かるが、一体なぜ自分がいきなりいどうしているのか?

 ミナトには皆目、見当がつかなかった。

 そんなミナトの不安をあおるようにして、彼の耳に規則的な音が流れ込んできた。


 ポーン ポーン ポーン――


 それはまりをつく音だった。

 おそらく、この屋敷の子供が遊んでいるのだろう。

 何の当てもないので、とりあえずミナトは音のする方へと向かうことにした。


「この部屋かな?」


 音をたどってたどりついた部屋のふすまを開くと、そこには小さな女の子がいた。

 年はミナトと同じ九つかとおくらいだろうか?

 黒髪のおかっぱに、黒い着物に帯までもが黒一色。くだんの毬も一点の曇りもない漆黒である。

 ただ何よりも真黒く染まっているのは、その少女の深淵しんえんのように暗然あんぜんたる大きな瞳だった。

 その闇のような瞳に、ミナトの意識はすうっと吸い込まれる心地がした。

 少女はずっとついていた毬を両手で持ち抱えると、ミナトの方へと向き直る。


「……大丈夫?」


 ぽつりと呟かれた少女の声に、ミナトはようやくのこと我に返った。


「あ、うん……えっと、君は一体――?」

「私は座敷童子」


 少女の言葉に、ミナトは大して驚きはしなかった。

 目の前の少女は、一般的に連想される座敷童子そのままの姿だったからだ。


「僕は境ミナト。ねえ、ここにいたら危ないよ。君は悪い妖怪に狙われているんだから」

「知っているわ」


 ミナトの正義感からの忠告を、座敷童子は何てことのないように受け流して、再び毬をつきはじめた。


「私はあの妖怪から、あなたを助けてあげたのよ」

「僕を助けた? 君が?」

「そう」


 ミナトは自分が突然、別の部屋に移動した絡繰りを知る。


「ありがとう。助けてくれて。でも、やっぱり早く逃げないと。ここもいつ、ぬらりひょんに見つかるか分からないよ」


 ミナトは一刻も早い逃走を座敷童子に勧めるが、彼女はまるで焦る様子はない。

 ただただ、一定の拍子で毬をつき続けている。


「大丈夫よ。あの妖怪に私たちは見つけられない。誰も――私たちを見つけることなんてできない」


 あまりにも淡々と抑揚なく紡がれる少女の言葉に、ミナトは今更ながらに人外の気配を感じた。

 ただ目の前にいる妖怪は座敷童子。いい妖怪であることは間違いない。

 現に自分を助けてくれたのだから。

 ミナトは自分が感じた本能的な恐怖を打ち消しながら、座敷童子へと近付いていく。


「見つけられないって……どういうこと?」


 座敷童子は、やはり同じ拍子で毬をつき続ける。

 ずっと変わらない音。変わらない風景。

 ミナトはまるで、この部屋の時間が止まっているような錯覚に陥る。


「ねえ」


 少女は少年に問いかける。


「私と一緒に遊んでくれる……?」


 その漆黒の瞳に、少年の意識は今度こそ完全に吸い込まれていった。



                            ◆


「ミナトくんっ!」


 近林塞から急いで座敷童子のいる屋敷へとやってきた遠然坊と海坊主。

 ミナトの姿を探して、次々と部屋を物色していくも彼は一向に見つからない。

 とうとう最後の部屋に行き当たり、遠然坊は微かな望みをもってふすまを開け放った。

 果たして、そこには一人の老人の姿があった。


「近林斎……様」

「ふんっ。遅え、遅すぎるぜ。トオセ坊」


 近林斎は苛立たしさを隠そうともせず、遠然坊に悪態を吐く。


「ま、待ってくだせえ……遠然坊の旦那~! ――げっ! こ、近林斎の旦那!!」


 遅れて部屋にやってきた海坊主。

 彼の姿を見るやいなや近林斎は飛び上がり、そのまっさらな頭頂部に煙管を力いっぱいに叩きつけた。


「こんの――バカ野郎がっ!!」

「い、痛え~!!」


 頭を押さえてうずくまる海坊主。

 近林斎はその襟に掴みかかって睨みつけた。


「余計な真似しやがって! てめえのせいで面倒なことになったじゃねえか!」

「す、すいやせん! すいやせん、旦那~」

「ちっ!」


 近林斎は海坊主の襟から手を離すと、必死に周囲を見渡している遠然坊へと向き直った。


「てめえもてめえだ、トオセ坊」

「近林斎様。小学生の男の子を見ませんでしたか?」

「ああ、見たさ。今の今まで見えていたさ。――が、いきなり消え失せやがった」


 想定していた最悪の事態を知り、遠然坊は両目を見開く。


「消えた……? やはり、座敷童子の仕業ですか?」

「当たりめえだろ。見損なったぜ、トオセ坊。てめえともあろうもんが、あんな坊主をこんなところへ送り込むたあな」

「……申し開きのしようもございません。私の勘違いのせいで、こんな事態を招いてしまうとは……」


 遠然坊は己の不覚を呪って歯噛みする。

 そんな遠然坊を庇うようにして、海坊主もまた自身の短慮をびる。


「遠然坊の旦那は悪くありやせん。元はと言えば、あっしが遠然房に行かなけりゃ……近林斎の旦那を信じていりゃ……」

「ふんっ。悔やんだって仕方がねえ。ともかく、一刻も早くあの坊主を見つけねえとな」

「そうですね。何とかしてミナトくんを見つけなければ」


 近林斎の言葉に、遠然房は項垂れていた頭を上げて前を見据えた。


「近林斎様。あなたの能力――認識を操作する力で、ミナトくんを見つけることはできないのですか?」

「それができりゃあとっくにやってる。トオセ坊。てめえがあの坊主にやった笠のせいで、余計に見つけにくくなってんだよ」


 遠然坊の指摘を近林斎は即座に否定する。

 遠然坊は度々、裏目に出ている自分の行動に再び自責の念を覚えるが、即座にそれを打ち消そうとする。

 今更、いくら後悔したところで時間の無駄でしかないのだ。


「座敷童子の力に加えて『三角度笠』の力が働いて、ミナトくんを見つけられない……何かよい手はないものか」

「思ったんですが」


 ここで海坊主が何やら思いついたのか、挙手をしながら口を開いた。


「その笠を被っているもの同士なら、力は効かないんでしたよね? じゃあ遠然坊の旦那なら、ミナトの坊ちゃんを見つけられるんじゃないんでやすか?」

「確かに『三角度笠』を被っている私ならば、笠の効果を打ち消せる分、ミナトくんを見つけやすくはなるでしょうが……」

「微妙なとこだな。俺の力で『トオセ坊があの坊主を認識する力』を底上げしたとしても、座敷童子の力の方が強えだろう」

「そ、そこまで怖ろしい妖怪なんでやすか……座敷童子は」


 海坊主はここまでの道中で、遠然坊から座敷童子のことを聞かされてはいたが、それでもなお座敷童子の危険性を信じ切れずにいた。

 だが遠然坊と近林斎。この二人は座敷童子の怖ろしさを嫌というほど認識している。

 決して甘く見てはいけない存在なのだ。


「くそっ! せめて、もう少し……もう少し、あの坊主を認識しやすくする方法があれば――」

「それです! 近林斎様!」


 近林斎の漏らした言葉に、遠然坊は閃きを得る。


「何だ? 何か思いついたのか、トオセ坊?」

「ええ。この『三角度笠』は目深に被れば認識しづらくなる効果、逆に阿弥陀に被れば認識しやすくなる効果があるのです」

「なるほど。つまり、あの坊主の被っている笠を何とか阿弥陀被りにさせりゃあ……しかし、一体どうやって?」

「それは――」


 せっかくの名案も、実現不可能では意味がない。

 とうとう手詰まりかと思われた、そのとき――。


「それはあっしに任せてくだせえ! ミナトの坊ちゃんの笠を阿弥陀被りにすりゃあいいんですよね!?」


 海坊主がドンっと自分の胸を叩いて、堂々宣言する。


「ええ。ですが、一体どうやって――」

「こうやってです!」


 言うが早いか、海坊主は自分の羽織りを脱ぐと、それを使って下から上へ思いっ切り風をあおった。

 その強烈な風を受けて、遠然坊の笠は自然と阿弥陀被りになる。

 それを見て、近林斎も遠然坊も海坊主の狙いを察知した。


「どうだ、トオセ坊? あの坊主はいたか?」

「……いえ、どうやらこの部屋にはいないようです」

「なら、次の部屋に行くぞ。しっかりと目ぇ凝らして探しやがれ! その眼鏡が伊達じゃねえってんならな!」


 三人は部屋から部屋へ移動しながらミナトの姿を追った。

 海坊主が風を起こし、近林斎が認識を操作し、遠然坊が探す。

 そうして、ついに彼らは境ミナトを認識することに成功した。


「いた! いました! あそこです!」

「なるほど、確かに。そこにいると分かりゃあ」

「おお! あっしにも見えました!」


 ただ見つけはしたものの、ミナトの様子はどう見ても無事とは言い難かった。

 その目は焦点が合っておらず、遠然坊がいくら呼び掛けても何一つ反応を示さない。


「ミナトくん! ミナトくん!」

「やべえな。こいつは相当、取り込まれていやがる。どけ、トオセ坊。今、そいつの認識をいじってやる」


 近林斎の力を受けて、ミナトの目は徐々に光を取り戻す。

 そして、遠然坊の声がようやく少年の耳に届いた。


「ミナトくんっ!!」

「師匠……?」

「ミナトくん! 私が分かるんですか?」

「え、うん。どうしたの、師匠? そんなに慌てちゃって」


 ミナトが正気を取り戻したことを確かめると、遠然坊はようやくのこと安堵あんどの息を吐いた。

 その後、すぐにいつもの妖怪相談所――遠然房店主の顔をのぞかせる。


「ミナトくん。君は座敷童子と会いましたね。今、どこにいるか分かりますか?」

「え? 何言っているのさ、師匠? そこにいるじゃない、毬をついている女の子が。もしかして、見えてないの?」


 ミナトが座敷童子がいる場所として指差した先へ、ゆっくりと近付いていくのは近林斎。

 そして、彼は非情の決断を口にするのだった。


「ここだな。じゃあ、とっとと始末をつけるぜ」

「な、何でだよ! その子が何したって言うの? ねえ師匠! 見てないで止めてよ、師匠ってば!!」


 ミナトの必死の嘆願に、遠然坊は目を伏せて首を横に振るしかなかった。


「残念ながら、もう座敷童子を助ける術はありません。彼女は、近林斎様に殺してもらう他ないのです」

「だから何で!?」


 ミナトが遠然坊に食ってかかる間にも、近林斎は淡々と自分の仕事を進めていた。

 その手を座敷童子のいる場所にかざすと、静かに詫びの言葉を告げる。


「悪いな」

「待っ――」


 ミナトの最後の叫びも虚しく、座敷童子はこの世界から姿を消した。

 ぬらりひょんの認識を操作する力――それは、その気になれば認識によって存在を保つ妖怪を、消滅させることも可能だった。

 ただ、そのためには『そこにいる』と分かるくらいの認識が必要となってくる。

 無論、ミナトはそんなぬらりひょんの能力の理屈など知らない。

 ただ、この場で自分にしか見えていない座敷童子が消えていく姿を見て、いやがおうにも思い知る。

 自分が居場所を教えてしまったばかりに、彼女は消えてしまったのだと。


 後に残ったのは、彼女がいた唯一の名残――真っ黒な毬だけが、無造作に転がっていた……。

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