第三話 座敷童子とぬらりひょん 承

 噂の妖怪屋敷にやってきたミナトを待っていたのは、静寂せいじゃくだった。

 何となく、百鬼夜行の妖怪の群れが宴会でもしている想像をしていたので、少年の期待はさっそく裏切られることになる。

 しかし、時間が昼間ともなれば妖怪たちが騒いでいる方が不自然だ。

 そう思い直して、ミナトは期待を再び膨らませながら、妖怪屋敷の敷居をまたいだ。

 ところが、中に入った少年を待っていたのも、やはり静寂であった。

 随分前から空き家であったかのように、まるで人の気配を感じない。無論、妖怪の気配も。


「あれ~。なんで誰もいないのさ~」


 ミナトは不満げに屋敷の奥へと進んでいく。

 そうして、最奥さいおうの座敷までたどりついたとき、ようやくミナトの前に人影が現れた。

 ミナトはすぐに、その人影に駆け寄ろうとして、すんでのところで思い止まった。

 そのあまりに特徴的な影が、ミナトにその妖怪の正体をあらん限りに伝えてきたからだ。


「ぬ、ぬらりひょん……」


 そこにいたのは、妖怪の総大将としてあまりに悪名高いぬらりひょんだった。

 大きくて丸い禿頭とくとうと細くすぼんだ口。

 まるで瓢箪ひょうたんをひっくり返したような、特徴的な顔かたち。

 左手には煙管きせるを持ち、右手は懐に差し込まれている。

 見るからに高級そうな着物を羽織り、威風堂々たる出で立ちで鎮座していた。

 ミナトは目の前の妖怪が大悪党であることを、十分に聞き知っていた。

 見つかったら、どんな目に遭わされるか知れない。

 幸いにも『三角度笠』を被っているおかげで、ミナトの存在にぬらりひょんは気付けないはずだ。

 と、そんなミナトの安堵あんどを目の前の妖怪はたやすく吹き消した。


「何だ、坊主? てめえ、この屋敷に何の用だ?」

「あ、あれ……?」


 当然のように話しかけられて、ミナトは慌てて『三角度笠』を深く被り直した。

 だが、どれだけ目深に被ろうとも、ぬらりひょんの目はまっすぐにミナトを捉えている。


「ああ? 何してんだ、坊主?」

「おかしいよ! この『三角度笠』を被っていたら、誰にも気付かれなくなるって師匠は言っていたのに――」

「なるほど。そいつはトオセ坊の奴が集めてる妙な道具の一つか。残念だが坊主。そいつは俺には効かねえぜ」


 ぬらりひょんはにやりと笑うと、煙管を灰皿の縁に威勢よく叩きつけた。


「家人に気付かれず家に入り込むのは、この俺の本領よ。そんな俺の目を盗んで人様の家に入ろうなんて無理なこった」


 言われて、ミナトは納得するしかなかった。

 確かに、ぬらりひょんの能力はそのまま『三角度笠』を目深に被ったときの効果と同じ。

 ならば、ぬらりひょんの目は欺けないのは当然の話だった。


「や、やっぱりお前はぬらりひょんなのか!?」


 隠れることを諦めたミナトは、精一杯の勇気を振り絞ってぬらりひょんに立ち向かうことにした。


「そうともよ。妖怪の総大将――ぬらりひょん。またの名を近林塞こんりんざい当主――近林斎だ。

 俺に何か用か? トオセ坊に言われて、ここへ来たんだろう?」

「お、お前なんかに何一つだって教えてやるもんか!」

「ああ、そうかい。なら、俺の方からいいことを教えてやろう。お前さんみてえなガキの口を割る方法なんざ、この俺にはいくらでもあるんだぜ」


 ミナトはぞくりと全身の毛が逆立つのを感じた。

 それでも、ぬらりひょんなんかに何も話してやるものかと、決意を固めてぐっと唇を噛みしめる。

 そんなミナトの様子を鼻で笑いながら、近林斎は煙管を口元へ運んだ。


「たとえば、これだ」


 それから胸いっぱいに煙を吸い込むと、それをそのままミナトへと吹きかけた。

 ミナトはたまらず何度も咳き込む。

 それがようやく治まって、文句の一つでも言おうとミナトが口を開くと――


「海坊主が遠然房にやって来て、師匠に依頼をしたんだ。近林斎――お前が『とある妖怪』を始末しようとしているのを止めてくれって。

 僕は師匠に先にこの妖怪屋敷へ来るように言われて、やってきたんだ」


 何と隠し通そうとしていたはずの事実が、すらすらとミナトの口からこぼれ出したのだ。

 自分でもどういうことか分からず、ミナトは呆気に取られる。

 そこに、近林斎はまたも鼻で笑いながらに言う。


「驚いたか? この煙管は奪衣煙管だつえきせるっつってな。トオセ坊が言うところの妖怪骨董の一つだ。

 この煙管の煙を吸ったやつは、そいつが歯に着せている衣を奪われる――つまり嘘を吐いたり隠し事をしたりができなくなるって代物よ」


 得意げに種明かしをしてみせるも、それから近林斎は一転、顔をしかめた。


「しかし海坊主のバカが。くだらねえ気を回しやがって。トオセ坊の奴も、こんな坊主を寄越して一体、どういうつもりだ?」

「うるさい! 坊主坊主ってお前だって坊主だろ!」


 何もかもすっかり喋ってしまったミナトには、こんな悪態を吐くことが精一杯の抵抗だった。

 もちろん、それで近林斎に痛手を与えられるわけもない。


「とにかく、俺は今てめえのような坊主に構っているほど暇じゃねえんだ。とっとと消えねえと痛い目みるぞ」

「し、知っているぞ。『とある妖怪』を始末するつもりなんだろ! 絶対に僕がそんなことさせないからな」

「あ? もしかして坊主。俺が何の妖怪を始末するつもりかも知らねえのか?」

「し、知って――げほっげほっ。……実は知らない」

 虚勢を張ろうとしたミナトだが、またも奪衣煙管の煙を吹きかけられる。

「知らねえんなら教えてやる。俺がこれから始末するのは――座敷童子だ」

「座敷童子だって!?」


 驚くのも無理はない。

 座敷童子と言えば、幸運を運ぶいい妖怪であることは、あまりに有名な話。

 そう、ぬらりひょんが悪い妖怪であることと同じくらいに有名だ。


「座敷童子を始末しようだなんて! お前はやっぱり悪いやつだな!!」

「ふん。本当に何にも知らねえんだな、坊主」


 近林斎は呆れ果てたとばかりに嘆息しながら言った。


「いいか。座敷童子って妖怪はな――」



                            ◆


 妖怪屋敷――近林塞こんりんざい

 妖怪相談所――遠然房とおせんぼうとは、あらゆる意味で真逆の様相を呈す。

 遠然房が漆黒の房(小部屋)なのに対して、近林塞は純白の要塞ようさい――を思わせるほど物々しい大豪邸だ。

 その名の通りに屋敷の周りは林になっており、樹齢数百年とも思える大樹が屋敷をぐるりと取り囲んでいる。

 遠然坊と海坊主は、あれから急いで近林塞まで駆け付けた。

 おそらくは、屋敷の主である近林斎と境ミナト少年の、おだやかではないだろう会話が聞こえるのを想像して。

 しかし、予想に反して近林塞はひどく静かだった。


「おかしいですね。ミナトくんが先に着いていると思ったのですが」

「ちょいとお待ちを。あっしが様子を見てきますんで」


 そう言って、海坊主は玄関先に遠然坊を待たせ屋敷の中へ入っていった。

 そして、すぐに大声を上げながら戻ってくる。


「大変です! 遠然坊の旦那!」

「どうしたんですか?」

「これを見てくだせえ!」


 海坊主から手渡された紙を受け取り、遠然坊は一読する。

 それは近林斎が海坊主に宛てた書置きだった。

 内容は、今から座敷童子を始末しに町外れの屋敷へ行く――というもの。


「どうやら一足遅かったようですね」

「あっしが戻るまで持っていてくだせえ、と頼んでいたんですが……」

「そんなことを言われて、大人しく待っている御仁ではないでしょう」


 言って、遠然坊は同じ科白を伝えた少年のことを思い出した。


「そういえば、ミナトくんはどこに?」

「その何とか笠を被っているから、姿が見えないんでやしょう?」

「いえ『三角度笠』は同じく『三角度笠』を被っている相手には、効果がないのです」

「じゃあ、ミナトの坊ちゃんはここにはいない――あっ、まさか!」


 海坊主が衝撃の事実に気付いたとばかりに大仰にのけ反る。


「ミナトの坊ちゃんは近林斎の旦那の後についていったんじゃあ。ほら、その笠の力で気付かれにくくなってれば――」

「いえ、それはありえませんね」


 しかし、遠然坊は海坊主の考えをあっさりと否定した。


「あの方の能力を考えると『三角度笠』の力が効くはずがありません。もしもミナトくんがつけていると分かれば、どんな手を使っても追い返すはずです」

「それじゃあ、ミナトの坊ちゃんは一体どこに?」


 海坊主は腕を組んで必死に頭を振り絞るも、もともと考え事には向かない性分。

 すぐに限界がきたのか、投げやり気味に適当な結論を出した。


「まあ、そんなに心配しなくても。案外、道に迷っているとか場所を勘違いしているとか、そんなとこかもしれやせんよ」


 しかし、そんな海坊主の適当な結論が、遠然坊を真実へと導いたのだった。


「勘違い――?」


 遠然坊はミナトの言葉を思い出し、それから近林斎の書置きに再び目を落とした。

 近林斎は『座敷童子のいる町外れの屋敷』へと向かった。

 そして、ミナトは『妖怪が住んでいるという噂の町外れの屋敷』へと――。


「しまった!」


 遠然坊はくしゃりと手の内にある紙を握り潰す。


「どうしたんでやすか、遠然坊の旦那?」

「私はとんだ勘違いをしていたのです。ミナトくんが向かった『町外れの屋敷』はここではなく、座敷童子のいる屋敷に違いない」


 言って、遠然房は海坊主を問い質す。


「どこですか? 座敷童子のいる屋敷は? 早く行かないと取り返しのつかないことになります!」

「こ、こっちです!」


 遠然房の剣幕に呑まれながら、海坊主は目的地へと彼を先導した。

 走りながら、海坊主はずっと気になっていたことを聞かずにはいられなかった。


「しかし、ミナトの坊ちゃんが座敷童子のいる屋敷へ向かったんだとしても、そんなに慌てる必要がありやすか?

 近林斎の旦那も、あっしの頼みも聞かずに飛び出して……一体、座敷童子の何がそんなにまずいんでやすか?」

 遠然坊は走るうちにずれた笠を、ぐっと目深に被り直しながら言った。

「座敷童子という妖怪は――」

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