第三話 座敷童子とぬらりひょん

第三話 座敷童子とぬらりひょん 起

「師匠、師匠! 妖怪屋敷の噂、知ってる?」


 来店を知らせる鈴が鳴り止まぬのも待たず、境ミナト少年は興奮気味に言った。


「何ですか、いきなり……」


 ミナトの唐突な来訪はいつものことだが、今日の彼はいつにも増して性急せいきゅうだった。

 興奮した様子で、上気した顔が赤く染まっている。


「だから妖怪屋敷だよ! 町外れにあるお屋敷に、妖怪が住んでいるっていう噂!」

「町外れの妖怪屋敷……ですか」


 遠然坊とおせんぼうはミナトの問いに、複雑な面持ちで顔をしかめた。

 その表情の意味するところは、ミナトにとっては朗報ろうほうであった。


「やっぱり! 何か知っているんだね、師匠!?」


 遠然坊はすぐに自らの不覚を悔いた。

 まさかミナトに表情を気取られるとは、我ながら何と迂闊うかつだったのだろうか――と。

 それから、もはや意味がないと思いながらも、何とか取りつくろおうと努めることにした。


「いえ。何も知りませんね」

「嘘だ! 絶対、嘘! 何か知っているんでしょ? 教えてよ師匠! 絶対、危険なこととかしないからさ!」

「それこそ嘘でしょう」


 遠然坊はミナトの白々しい発言に呆れながら、一方でミナトに妖怪屋敷のことを教えるべきかどうか逡巡しゅんじゅんしていた。

 このまま何も教えずとも、ミナトは遠からず自力で妖怪屋敷のことを調べようとするだろう。

 それならば、この場で正しい知識を与えておく方が、ミナトの安全のためにはよいのかもしれない。

 そう遠然坊が思い直したとき、そんな彼の考えを後押しするかのように、本日二度目の鈴の音が店内に鳴り響いた。


「旦那、旦那! 遠然坊の旦那――痛え!」


 声の主は大慌てで店内に駆け込もうとするあまり、遠然房の低い鴨居かもいしたたかに頭を打ち付けた。

 赤く腫れ上がった禿頭とくとうを抑えながら、暖簾のれんをくぐって現れたのは優に2メートルはあるだろう大男だった。


「いててて……ご、ご無沙汰いたしてやす、遠然坊の旦那」

「いらっしゃいませ、海坊主様。そんなに慌てて、どうされました?」


 どうやら遠然坊と既知の間柄らしい妖怪――海坊主。

 彼の登場は、すでに興奮状態にあったミナトの高揚こうようを、さらに加速させる。


「海坊主だって! ねえねえ、師匠。この妖怪、師匠の知り合いなの? すごい大きいけど、海から顔を出せるほどじゃないね! 

 河童と違って水かきとかもないし、普通の人間みたい! もしかして、人間に変化とかしているの? 海坊主が変化するって聞いたことないけど」

「な、何ですか、この坊ちゃんは?」

「ミナトくん、そのへんにしておきなさい」


 もはや恒例行事ともなっているミナトの質問攻め。

 思わずうろたえる海坊主に、遠然坊は助け船を出す。


「失礼しました。その子は境ミナトくんといって――」

「遠然坊師匠の一番弟子さ!」

「――と自称して、この店に頻繁ひんぱんに出入りする困った少年なのです」


 遠然坊の紹介に、当然ながら当のミナトは納得いかないとばかりに口を尖らせる。

 そんなミナトの様子を気にも留めず、遠然坊は海坊主の紹介へと話を進める。


「ミナトくん。こちらは海坊主様。先程、話していた妖怪屋敷の住人ですよ」


 後半の情報は話すべきかどうか迷ったが、やはりこれを機に話しておくべきだろうと遠然坊は判断した。


「やっぱり! 噂は本当だったんだね!」

「よろしくお願いいたしやす、ミナトの坊ちゃん」

「うん、よろしくね。海坊主。ねえ、妖怪屋敷って他にも色んな妖怪がいるの?」

「いえ、妖怪の出入りは多いですが、住んでいるのはあっしと――」

「ところで海坊主様」


 好奇心旺盛なミナトとお人好しの海坊主。

 この二人の会話を放置していては、いつまでも本題に入れないと判断し、遠然坊は強引に会話に割って入った。


「この度はどういったご用向きで? あなたがこの店にやってきて、近林斎こんりんざい様が黙ってはいないでしょうに」

「へ、へえ。あっしもそう思いやしてね。実は今回は近林斎こんりんざいの旦那には内緒で、遠然坊の旦那のところへ来た次第でして」


 海坊主は罰が悪そうな顔で言った。

 遠然坊は、この妖怪が己が主に逆らって自分に相談に来る――という事実から、よほどの大事なのだろうと察した。


「それで、肝心の用件は――」

「コンリンザイって? 何のこと?」


 ここで、またもミナトの問いが差し込まれた。

 ミナトの性格からすれば当然の言動ではあるものの、はやる遠然坊には少年の好奇心が少し鬱陶うっとうしく感じられた。

 らしくもなく、語気を強めて質問に答えた。


「妖怪屋敷――近林塞の当主。それが近林斎様ですよ。こちらの海坊主様の主でもあります」


 妖怪相談所――遠然房の店主――遠然坊に対して、妖怪屋敷――近林塞の当主――近林斎。

 この二人は決して仲が良いとは言えない間柄で、一言で言えば商売敵のようなものだった。

 だからこそ、海坊主がこの店にやってくることは緊急事態と言えるのである。


「海坊主様。失礼ですが用件の方を手短にお伝えくださいますか?」

「へえ。実は今、近林斎の旦那が『とある妖怪』を始末するつもりのようでして……」

「『とある妖怪』?」

「へえ。あっしの依頼というのは、近林斎の旦那を説得して何とかそれをやめさせてもらえないかと――」

「えっ! じゃあ今から、その妖怪屋敷に行けるの? というかさ、近林斎って師匠みたいな通称でしょ? 本当な何の妖怪なの?」


 ようやく前に傾きかけた話に、再三に渡って水を差してくるミナト。

 さしもの遠然坊も、我慢の限界に達しそうだったが、すんでのところで自分を押さえつける。

 ふうー――っと一つ深呼吸を入れると、ミナトの方に向き直り、まっすぐにその目を見つめた。


「ミナトくん」

「な、なに、師匠……?」


 ミナトには遠然坊の仕事を邪魔しているという自覚はなかった。

 ただ、自分の欲望のままに行動しているだけである。

 遠然坊も、この少年の好奇心を完全に抑えることが不可能なことは再三承知だった。

 ここで注意をしたところで、一時的に大人しくなるだけであろう。

 故に、遠然坊は止むを得ずとも次の行動に移るしかなかった。


「妖怪屋敷の場所は知っていますか?」

「あ、うん。具体的な場所まで噂になっていたからね」

「では、先にそちらへ向かっていてください。私は海坊主様の話をうかがってから、後で向かいます。そこで大人しく待っていてください」

「え! 本当っ!!」


 そう、ミナトをこの場から遠ざけてしまうという手である。

 もっとも、ミナトに一人で行かせることに不安がないでもなかったが、遠然坊は近林斎のことを信頼していた。

 商売敵ではあっても、その人間性――もとい妖怪性に関して、疑問を挟む余地はないと考えている。


「じゃあ、さっそく行ってくるね!」

「ああ、待ってください。ミナトくん」


 師の許しを得て、早速とばかりに駆け出そうとする少年を、遠然坊は呼び止めた。

 ミナトは少しの時間も惜しいとばかりに、足踏みをしたまま首だけ振り返る。


「何さ、師匠?」

「これを被っていきなさい」


 そう言って、遠然坊はミナトに三度笠さんどがさを手渡した。

 無論、ただの三度笠ではない。

 妖怪の力の一部を宿した妖怪骨董の一つである。


「これって確か『からかさ地蔵とこもりこうもり』事件のときの……」

「ええ。『三角度笠さんかくどかさです」


 『三角度笠』――その名の通り、被る角度に応じて効果が変わる三度笠である。

 いわゆる阿弥陀(あみだ)被りのときは、阿弥陀如来のような後光を発し、道行く人々の視線を一身に受けるほどの存在感を放つ。

 逆に目深に被ると、その存在感は極端に薄まり、まるで道に転がる石ころのように人の目に止まらなくなる。

 そして、平らに被ると普通の笠として使える。


「使い方は分かっていますね。それを目深に被って、なるべく人目に触れないようにして妖怪屋敷へ向かいなさい」

「いいけど、なんでわざわざそんなことをするの?」

「あなたの話では、すでに近林塞が妖怪屋敷であるという噂が広まってしまっているのでしょう? 

 そこにあなたが出入りしているところを誰かに見られれば、後々面倒なことになります」

「まあ、確かに。分かったよ、これを被っていけばいいんだね」


 ミナトは素直に遠然坊の言葉に頷くと、言われた通りに『三角度笠』を目深に被った。

 途端に、遠然坊と海坊主の視界からミナトが消えた。

 無論、透明になったりしたわけではない。ただミナトの存在が捉えづらくなっただけである。

 気にしない限りは、まるで気付かれない存在というわけだ。

 これでようやくのこと、遠然坊は心置きなく仕事に取り掛かることができた。


「お待たせして申し訳ありませんでした。さて、話の続きを」

「へえ。えっと、どこまで話しやしたか……」

「『とある妖怪』を始末しようとしている近林斎様を、説得してくれという話でしたが」

「そうそう、その妖怪というのが座敷童子なんです」

「座敷童子――?」


 途端に遠然坊の顔が険しくなった。

 その様子に不可解さを覚えながら、海坊主は話を続ける。


「へえ。おかしな話だと思いやせんか? 座敷童子といえば、幸運を運ぶ妖怪だってんで有名でやしょう? 

 それを始末する――だなんて、あっしには近林斎の旦那が何をしようとしているのか、さっぱりでやして……聞いても何にも教えてくれやせんし――」

「いえ、おそらく近林斎様の判断は正しいでしょう」


 遠然坊の言葉に、主の正気を疑い困惑していた海坊主はまたも面食らった。


「と、遠然坊の旦那まで! 座敷童子の何がそんなに危険だってんです!?」

「説明は後です。ともかく、我々もすぐに近林塞へと向かいましょう」


 遠然坊は自分の分の『三角度笠』を取り出すと、それを急いで身に着ける。


「無論、説得しにではなく、助力をしにね」

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