25

 ひっそりとした校舎の中、三階を目指す柊の後ろに優美と希子が続き、少し遅れて枝折と水木が優美たちを追う。時間が止まったかのように、何の気配もない廊下を歩く。

 がらんとした教室には、学生たちの見え隠れしている感情がなく、枝折はほっとした。


 柊がクラスにいるだけで、室内の空気が変わる。女子たちの色めく雰囲気ふんいきの中に、警戒やおそれのような気配がひそんでいた。

 わずかに感じる畏怖いふの理由が、入学当初は気づかなかった。

『現世と幽世を繋ぐ門を監視している彼は強いわよ』

 さっきの水木の言葉を聞くまでは――

『我々は、君たち人間がおにと呼ぶ存在』

 続けざまに、理事長室で言われた葵の台詞せりふが頭の中に浮かんだ。


「誰もいない教室って初めて。何か新鮮」

 優美の浮かれたような声に枝折は目線を向けると、窓際まで進んだ優美が窓を開けていた。

「枝折ちゃん来て。風が気持ちいいよ」

 自分の机にバッグを置く枝折を見て、優美は胸の高さまで上げた右手を上下に動かしてさそう。

 気持ちいい、という言葉にられて優美の隣に並んだ枝折が窓から少し顔を出した。

 さわやかな風が枝折のほおをなでる。

「本当。気持ちいい」

 気持ちよさげにつぶやいた枝折をながめていた柊は、水木に視線を移す。目が合った水木に「後は頼む」と目配めくばせをすると、音を立てずに教室から出ていった。




 ざわり――

 枝折の背後の空気が警戒感を増したのは、二時限目の授業の最中さなか


 様変さまがわりした室内の空気。

 するどい気配がただよう背中側に、枝折は意識を集中させた。窓の外を見るふりをして、目線だけを向ける。全意識を向けると、陽炎かげろうのように空気がらいだ。


 ……何かが、いる。


 目をらして、注意深く観察する。

 些細ささいな変化も見逃さないように。隠れているものをあばくみたいに。

 揺らぎが、徐々に形取る。

 長身の人形ひとがた

 その視線が、窓の外に向けられているのが、はっきりとわかった。

 ズキリ。

 左のこめかみに痛みが走ったのを無視して、枝折は注視ちゅうしし続けた。

 痛みの間隔が段々と狭くなる。

 それに合わせるかのように、人の輪郭りんかくが鮮明になる。


 中性的な横顔。黒く長い髪を後ろでひとつに束ねている。


 脈を打つように痛みが響く。

 ゆっくりと長身の人影が枝折の方を向く。

 目が合った。枝折はそう感じた。

 見ていたことを悟られた。


 ……誰? どうして、私の近くにいるんだろう。


「先生。引目矢さんが体調悪そうなので、保健室に連れて行きます」

 早口でそう告げた声が遠くで聞こえた。薄膜うすまくが張られた中にいるみたいに、視界も周囲の音も不明瞭ふめいりょうになっていく。

 脈打つ激しい痛みが思考を邪魔する。


 ……いたい。たすけて。


 痛む苦しみから涙があふれ、枝折はこいねがった。


 ……助けて――


 脳裏にぱっと容貌ようぼうが浮かんだ瞬間、体温のない手で腕を持たれて、誰のものか認識できないうちに、それは刹那せつな霧散むさんした。

 立ち上がるように優しくうながされた枝折は、頭痛で思考がよく働かないまま、支えられて教室を後にする。痛みに襲われながらもやのかかった視界でも渡り廊下を進んでいるのが理解できた。

「大丈夫?」

 心配げな問いかけと一緒に、額に冷たい手が触れた。

 いつもと同じ憂心ゆうしんの響きがある声に、それが水木のものだと枝折は気づく。

「ごめんね。少し辛抱しんぼうして」

 何を謝るんだろう。ささやく水木に、枝折は痛む頭でふと思った。

「……きもち、いい」

 ひんやりとした感触に、少しだけ痛みが和らいだ気がした。

「そう?! じゃあ、少しこのままで」

 いたわる水木の声が、枝折の心にみ込む。

 静寂せいじゃくの中、枝折の呼吸の音と側頭部で脈打つ音だけが響く。

 枝折は深くゆっくりと呼吸を繰り返す。そんな枝折を水木は静かに見守っていた。

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