24

 スイッチを入れられたみたいに、枝折はぱっと目を覚ました。

 全力疾走した後みたいに、どくどくと心臓が荒れ狂っている。息苦しさと、鳥肌の立つ感触が、夢の名残なごりのようにとどまる。

 上体じょうたいを起こして、枝折は震える指先をじっと見つめた。


 ――ツカ、マエ……タ。


 耳に残る歓喜かんきの声。

 幼女ようじょの、少し舌にもつれるような甘ったるい声だった。

「大丈夫?」

 水木の憂色ゆうしょくを含んだ声が、枝折が夢の内容にふけるのを遮断しゃだんした。

「うん……だい、じょうぶ」

 訥々とつとつと返す枝折を、水木はじっと見つめる。


 ……どうして、こんな夢を見るんだろう。


 八瀬高校に来てから、見るようになった。

 日に日に近づいてくる気配けはいが、自分を狙っているのはあきらか。

 あの夢は、よくない。

 枝折の直感が告げる。


「辛かったら、辛いって言っていいのよ。一人でかかえ込まずに、頼っていいのよ」

 信実しんじつな水木の吐露とろに、枝折は顔を上げた。

「頼る……?」

 水木の言葉を繰り返して、枝折は首をひねる。

 言われた内容は理解している。しかし、周りの人から敬遠けいえんされてきた枝折にとって、それは関係のなかった言葉。

 だから、戸惑う。

「危険だと思ったら呼んで。あなたの声は必ず九鬼に届くから」

 念を押すみたいに水木は言い足す。


 ……助けてって手を伸ばしたら、それを摑んでくれるの?


 胸の奥深くにき起こった思いをしのばせたまま、枝折は着替えを始めた。




 軽く朝食を取った枝折は、いつもより早く寮を出た。

 女子寮から高校の敷地に入った途端とたん、通用門の近くにある大木たいぼくにもたれる柊と目が合い、枝折は足を止めた。

 幹から背を離すと、柊は枝折に歩み寄る。

「今日は顔色が悪い」

 そう告げると、すっと柊の腕が延びて枝折の前髪をわけてひたいに触れた。

 枝折の心臓がひときわ大きく打つ。

「だい、じょう……ぶ」

「無理はするな」

 枝折がうなずくと、柊は触れた時と同じにさっと腕を引く。そのまま、身体の向きを変えて、校舎の方へ歩き出した。

「枝折ちゃん、なるべく九鬼のそばにいて。一番安全だから」

「一番、安全……?」

 水木に背中を押されて歩き出した枝折は、水木にたずねる。

「こちらの世界である現世うつしよと、私たちが住む世界の幽世かくりよ。そのふたつのかいつなぐ門を監視している彼は強いわよ」

 水木の言葉に畏敬いけいの念が込められているのを枝折は感じ取った。

「……水木さんって――」

 枝折が水木に話しかけた時、

「おはよう」

 と背後から希子の声が届いた。

 立ち止まり後ろを振り返った枝折は「おはよう」と挨拶を返す。

「枝折ちゃん、顔色悪いよ。大丈夫?」

 希子の隣を歩く優美が心配そうに問いかける。

「あまり眠れなくて……」

「昨日みたいなことがあれば尚更。優美もよく寝れなかったみたい」

 枝折の言葉に希子が同意する。


 ケタケタとわらう気配。

 あからさまな、悪意。

 自分たちを目がけるように落下した窓ガラス。

 粉々に割れた破片はへんを眺める希子。


 昨日――その単語で、情景が脳裏に浮かぶ。

 枝折は息をひそめて、そっと周囲の様子をうかがう。

 いつもより早い時間帯のためか、昨日の事故のせいか、学生が少ない校内に暖かい日差しが降りそそぐ。山から吹き下りるひんやりとした風が心地よい。


 ……昨日のような気配はない。


 枝折は安堵あんどして肩の力を抜いた時、視線を感じて、その元を探す。

 数メートル先で立ち止まり、後ろを振り返っていた柊と視線がぶつかった。無言で枝折を見つめるが、彼の瞳は「離れるな」と語っていた。

 柊より手前で枝折を待っている水木たちに気づいて、急いでけ寄る。

「ごめんなさい」

「平気?」

「うん、平気」

 気にかける水木に答えてから、枝折は柊に目を向けると、ちょくに柊の眼差まなざしが交差した。


 じっと枝折の様子を観察していた柊は、確認したいことが終わり、校舎に向かって歩を進み出す。

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