16

 ゆらり、と身体が揺れた感覚がした。

 つめたい大きな手が、目縁まぶちをすっぽりと包み込む。

 頭に響く鈍痛どんつうを、いたわりのある手のひらが少しずつ取り去っていくようで、その仕草に優しく温かい母の手を思い出した。

 母のそれとは違う、たくましい大きな手。驚かさないようにそっと触れる仕草から、母と似た優しさを感じる。

 すげない語気や鋭利えいりな気配とは全く違う触れ方に、枝折の目から涙が一粒落ちた。

「――っ」

 傍にある気配が息をむ。


 ……おかあさん。




「…………」


 ――誰かの声がする。


 眠りと覚醒の中間地点でぷかぷかとただよっていた枝折の頭が感知した。

 まだ、このままでいたい。そう思える心地よい空気が、一瞬で凍りつく。

「――っ!」

 急に立ちのぼった怒気どきに目を開けた枝折は、視界に映る光景で自分が横になっていることに気づく。

「驚いて目を覚ましてしまいましたよ」

「お前が余計なことを言うからだ」

 からかうような口調の水木に、柊は邪険じゃけんに返す。

 すぐ上から降ってくる柊の声。側頭部そくとうぶに接する感触。

 柊のももを枕にしている体勢たいせい狼狽ろうばいして、枝折は急いで身を起こして謝る。

「ご、ごめんなさい」

「……」

 柊に無言のまま見つめられていると、まっすぐでくもりのない瞳に吸い込まれそうになる。


 ――視線が……。


 枝折は身の置き所がなくなり、目線を下に向ける。

「顔色よくなったわね。じゃあ、教室に戻りましょう、枝折ちゃん」

 顔をのぞき込む水木に頷きながら、枝折は柊の視線から逃れらることに内心ほっとした。

「先に戻ります。いいですよね」

 枝折を立ち上がらせながら水木は、枝折の隣で座る柊に告げる。

「――ああ」

 柊が承諾しょうだくする。

「教室に戻ろう。授業は終わってるけど」

「えっ……」


 ……そんなに眠っていたなんて――


 水木に促されて扉の方に向かった枝折は、屋内に入る前に立ち止まり横を向く。

「あの……ありがとう」

 枝折は柊にそう伝えてから屋内に入り、階段を下りているとにぎやかな笑い声が聞こえてくる。

 水木と一緒に教室に戻ると、室内には希子と優美の姿しかない。

「枝折ちゃん、大丈夫?」

 枝折に気づいた優美が真っ先に声をかけてきた。

「え……?!」

「保健室で休んでたんでしょ。滋堂さんから聞いたよ」

 希子の言葉で、水木がそう配慮はいりょしてくれたことを知る。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫。心配してくれて、ありがとう」

「友だちだもん、当たり前じゃん」

 優美と希子の気持ちが嬉しくて、枝折の顔がほころびる。

「枝折も体調よくなったし帰ろう。荷物はかたしといたよ」

 優美は無邪気な笑みで、学校指定の黒いバッグを枝折に差し出す。

「滋堂さんも一緒に帰りますか?」

 希子のよそよそしい口ぶりに、水木は忌避感きひかんが隠れていることを察知した。

「残念ながら、このあと呼び出されてるの。誘ってくれて、ありがとう。」

「そう。じゃあ、先に帰るわ。うちらは寮に戻るよ」

 あでやか微笑を浮かべる水木に淡々たんたんと答えた希子は、枝折たちの方へ向き直ると、がらりと声音こわねを変えた。

「――残念。滋堂さん、また明日」

 優美はそう言うと枝折の腕を摑んで歩き出す。

「あっ……水木さん。今日は、ありがとう」

 優美に引っ張られながらも、枝折は顔を向けてお礼を伝える。


 ……少しは警戒心を解いてくれたのかしら。


 そう思いながら、枝折の後ろ姿を眺めていると、水木の脳に柊の問いかけが直接響く。

≪水鬼、隠形鬼。何か感じたか?≫

≪俺は、何も≫

≪私もです≫

 それぞれ答えると、

≪そうか……≫

 柊の声が思案するかのように押し黙った。

 水木の心に警戒色けいかいしょくが、ザワザワとき上がる。

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