15

 ――…………。


 枝折の脳裏を何かがかすめた瞬間、激しい悪寒おかんが背筋をけ上がった。

 一気に身体の熱が奪われていく。

 室内の空気が変わったように感じ、枝折は視線をノートから持ち上げる。

 黙々もくもくと板書をする男性教師の背中。黒板の内容を書き写す生徒たち。


 五時限目の最中さなか

 通常の授業風景に、かすかな違和感をいだく。

 するりと、背後で動く気配を枝折は感じ取った。


 ……何か、いる。


 枝折は横を向いて、意識をます。わずかなことも見逃さないように注視ちゅうししていると、空気が揺らいだ気がした。

 なおいっそう目をらすと、陽炎かげろうのように蕩揺とうようとしていた気が少しずつ質感を増し、人の形を取る。

『ウソツキ!!』

 こめかみに鈍い痛みが走り、子どもの容赦ようしゃない言葉が突き刺さった。


 気づいては、駄目だめ


 枝折は自分に言い聞かせる。

 認識しなければ、気のせいだと思っていられる。だから、見てはいけない。

 顔を前に向けて黒板の文字をノートに書き取る作業を再開するが、枝折の近くにあるひかえめな気配に意識が行ってしまう。

 雲が太陽を隠すみたいに、乳白色にゅうはくしょくまくが枝折の視界をおおう。

 脈打つような強い痛みが頭を包む。

 枝折は目を閉じて息をつめて、願う。


 ……助けて。


 大きな物音に、枝折は目を開ける。

 クラスメイトが立ち上がっているのを見て、枝折は慌ててならう。

「礼」

 クラス委員長の男子の一声ひとこえに、全員が頭を下げる。

 くらり、と一度目眩めまいがした。

「枝折ちゃん。体調悪い? 保健室行く?」

 隣にから届く希子の心配げな声。

 保健室の単語に枝折の心が拒否をする。

 そこのあるじは、鬼。

「…大丈夫。さっき、ちょっと頭が痛かっただけ」

 無理に笑う。

 ぐいっ、と力強い手に左腕を引っ張られたかと思うと、枝折はそのまま引きずられる形で歩く。

 休み時間の喧騒けんそうが水を打ったみたいにおさまり、クラス中の視線が枝折に集中した。


 ……どうして――


 枝折の目の前にある、広い背中。

 思いも寄らない事態に目を丸くして、柊のなすがままに階段を上がる。

「あ、の……九鬼くん」

 手を離して欲しい。そう伝える前に、柊が口を開く。

「柊だ」

「……柊、くん」

「柊、だ」

 ぶっきらぼうな言葉に逡巡しゅんじゅんしながら柊の名前を声に出した枝折に、柊はねんしするかのように繰り返した。

「…………」

 枝折が呼び捨てにすることに躊躇ちゅうちょしていると、柊は階段の突き当たりにある鉄扉てっぴを押して外に出る。

「……柊、どうして屋上に?」

 日の光の眩しさに目を細めながら、眼前の背中にたずねる。予期しない状況に、するりと柊の名が出た。

「座れ」

 短く言葉を発した柊が近くの壁に寄りかかって座り込むと、枝折も手を引かれて彼の隣に腰を下ろす。

「眠れていないのだろ。少し眠れ」

「……え」

 柊の告げた内容に、枝折はどうしてと驚く。


 毎晩、嫌な夢を見る。

 目を覚ますと霧散むさんするが、嫌な感覚だけがいつも残る。

 そのせいか、眠りが浅い日が続いていた。


 どうして彼が知っているんだろう。そう不思議に思うと、ルールメイトの水木の顔が浮かぶ。

 柊に従い枝折を護る鬼。

 彼女が柊に報告することは、容易よういに想像できた。


 ふわり――

 花の香りを含んだ軽風けいふうひたいを抜けていき、枝折は思考を止めた。られて頭上を見上げると、暖かい日差しが降りそそぐ。

 その心地よさに、ゆっくりと眠気ねむけが差す。

 枝折の閉じた瞼に、ひんやりとした手のひらがれる。

 驚かさないように、そっと。

 鬼らしくない、ぎこちない接し方に、枝折の表情が和らぐ。


 胸臆きょうおくにぬくもりが宿った。

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