12

 中庭を横切って校舎中央の昇降口から中に入り、三階を目指して階段を上がる。

 廊下には談笑する学生がいたる所にいた。

「九鬼くんと一緒にいるの、誰?」

「あんな子が何で一緒に……」

 楽しげな会話のすきの聞こえよがしな低語ていごに身をすくめて、枝折は他人ひとの目から隠れるようにうつむきがちに歩く。


 何で……。

 それは、枝折が抱懐ほうかいしている疑問そのもの。


「気にすることないよ」

 天真爛漫てんしんらんまんな声に視線を上げると、棗のやわらかく細めた目と合う。

「そうよ」

 枝折の横に並んだ水木が、棗の言葉に同意する。

 春の日差しめいた相好そうごうの水木からは、昨日のおそろしい気配けはいは感じられない。

「……」

 気にしないでいられたら、どんなに楽だろう。

 何度もそう思った。気にしないと思うほど、聞きたくないことが耳に入ってきた。

「大丈夫よ」

 さとすみたいな口ぶりで言いえた水木から、枝折は目線を前に移す。

 少し前を歩く後ろ姿は、周りの目に全く関心を示さず、泰然たいぜんとしていた。


 ……どうして、あんなに堂々としているんだろう。


 鬼だと告げた水木たちが従う男性ひと

 近寄りがたい、けんのある空気。

『私には権限がない。九鬼に聞いて』

 いたら、答えてくれるの?


 自分がどうしたいか。彼らとどう接したらいいのか。

 逡巡しゅんじゅんしたまま、心がさだまらない。


 東端の教室に入る柊の後に続いて、七組のクラスにあゆる。

 柊に熱のこもった視線を向ける女子生徒たちは、その後ろにいる枝折を見た瞬間、嫌気いやけをあらわにした。

 きりきりとさる眼差しの鋭さに、枝折の心が萎縮いしゅくしていく。

「おはよー」

 枝折の背後から投げられた棗の明るい声に、クラスメイトたちの意識が引きつけられると、水木は硬直したままの枝折の腕を不意につかみ、教室の中頃まで進む。

 枝折の席に押しつけるように座らせながら、水木がそっと耳打ちする。

「気にしない」

 左肩をそっと叩くと、水木は自分の席に向かった。

 強張こわばった心をほぐそうと深呼吸を繰り返す枝折は肩を軽くつつかれて、驚いて後ろを振り向く。

「おはよう、引目矢さん」

「おはよう……細谷ほそやさん」

 親しげな笑顔で声をかけたのは、枝折の真後ろの席に座る生徒。名前の順で枝折の次だった細谷優美ゆみ


 ピンク色の薄い唇に、クルミのような丸く大きな瞳。毛先がふんわりとカールした長い髪は、手入れの行き届いた綺麗きれいな輝きがある。

 小柄な容姿で、可愛かわいらしい笑みを浮かべている。


「引目矢さんって、九鬼くんと仲いいの?」

「私は、よく知らないけど、同室の水木さんが――」

 親しいと続けようとした枝折を、別の声がさえぎる。

「引目矢さんって、滋堂さんとルームメイトなんだ。そっかそっか~」

 隣から話しかけられて、枝折は目を向ける。

 誰だっただろう――と悩む枝折に、

「ソゴウ。漢数字の十に、さんずいのかわで、十河そごう。希望の子で、希子きこ

 そう自己紹介するのは、活発げな表情の女子生徒。


 明るい髪をショートボブにした、つり目がちのキツネのような面貌めんぼう

 周りの同級生より頭ひとつ高い背丈せたけにアルトの大きな声が、ボーイッシュな印象を強くしている。


「ちょっと、希子。引目矢さんが喋ってるのに」

「悪かったって」

 非難めいた口調の優美に謝って、

「引目矢さんって、珍しい名字みょうじだよね」

 そのまま枝折に話を振る。

「十河さんも、珍しいと思う」

「希子って、呼んで。私も、枝折ちゃんって呼ぶから」

「うん……」

 屈託くったくのない笑みを見せる希子に、気後きおくれを感じながら枝折は頷く。

「じゃあ、私は優美って呼んで。仲よくしてね、枝折ちゃん」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「枝折ちゃん、かった~い」

 二人にお辞儀をした枝折に、彼女たちは親しみ深い笑顔を見せた。



     ◇   ◇   ◇     



 自分の席に座り、枝折を傍観ぼうかんしていた水木は、問題なさそうだと察して窓の外に目を向ける。

 昨日、理事長室で見た枝折の表情が気になっていた。

 葵が見鬼けんきの話を出した時の、枝折の怯えた顔つき。それと同時に、初めて寮の部屋で対面した時の彼女の顔つきが浮かぶ。

 多少の不安を持ちつつも、新しい環境に期待する明るい表情の同級生たちの中で、枝折だけが感情のない瞳をしていた。

 何の期待もしていない目。

 常に警戒を解かない少女は、ぴんと張り詰めた空気をまとっていた。


 気がかりだ。


 何故、九鬼はあの娘を護るように、命令を下したのか。

 護らなければならない理由とは――


「時間だ、始めるぞ」

 貫禄かんろくのある教師の声に、室内の空気が引き締まった。

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