第2章 因 ‐イン‐

10

 ひんやりとした触感。

 ゆらりゆらりと、心地よく身体がれる。

 緊張がほどけていくよう。



     ◇   ◇   ◇     



 ゆるやかに意識が覚醒かくせいする。

 まぶたを開けた瞳に映ったのは、見慣れない白。

 ひっそりとした空気で、まだ夜が明け切っていないことを枝折は認識した。おもむろに身体を起こすと、自分が制服姿のままで寝ていたことに気づく。

 いつの間に眠ってしまったんだろう。いつ部屋に戻ってきたんだろう。

 いつからここで寝ていたのか不審に思い、枝折は昨日の行動を思い起こす。

『君は、普通の人とは違う』

 脳裏のうりに浮かぶ青年の声に、枝折の身体が硬直する。

 気づかれないように、ひた隠しにしていたはずなのに知られていた。気づかれないように、極力きょくりょく他人を避けてきたのに。

 どうして、気づいたの?

 鼓動が早くなり、呼吸が荒くなる。

『我々は、おに――』

 立て続けに思い返した言葉に肝が冷える。

 引き寄せられるみたいに、反対側の壁際にあるベッドに目をやる。布団をかけて、静かに眠る女性。

 玲瓏れいろうな外見は、男女問わず見る者の目をうばう。


 見た目は自分たちと同じ。

 だけど……彼女も鬼。


 昔話やテレビで知る存在とは容姿が違うが、かすかにその気配に異質なモノが混じっている。

 親切にしてくれた。人慣れしていない枝折にこまやかに接してくれた。

 だけど――

 人じゃなかった。

 だまされていたような感覚と、妙に納得した気分が混在する。人間ではないから、こんな自分に普通に接することができたのだ。

 人なら、そのうち自分から離れていくだろう。

 ……それなら、鬼だという彼女たちは?

 そのうち、手のひらを返すみたいに害するのだろうか。優しくして、その後でらうのだろうか。

 私を食べても美味おいしくないのに。

 私に優しくしても、何のメリットもないのに。

 どうして、親切にするの?




 ――おかあさん、あそこになにかいるよ。

 今でも記憶に残る、母のとても驚いた表情。


 居間のすみに。道端に。

 疑問に思ったことを口にしていた。見えたモノをそのまま言葉にしていた。

 同じモノが他の人にも見えていると思っていた。

 他人に見えないモノが見える。それが、異常だという意識がなかった。

 それが、当たり前だと思っていた。


 自分が見えているモノが、他人に見えない。

 そう実感したのは、小学校に上がってから。

 授業中に、目の前に巨大な顔が落ちてきた。くらい眼と合い、枝折は先生が話しているのに、悲鳴を上げて退すさった。

 泥沼のようににごった双眸そうぼうが三日月の形に細まり、枝折を見てわらった。

『引目矢さん、どうしたの?』

 女性教師の驚いた声。

 ――大きな顔が……。

『顔? そんなものないわよ。寝ぼけているの?』

 先生の声がするどややかに変わり、枝折は身をかたくする。

 静かだった生徒たちがざわつき、段々とさわがしくなる。

『早く座りなさい!』

 けわしい表情で枝折に注意する教師。

 枝折の机には、濁った目の子どもの背丈せたけほどの大きな顔。

 ――でも……。

 のっぺりとした不気味な存在に、同級生の奇怪きかい眼差まなざしに、枝折はパニックになる。

『いい加減にしなさい!! 早く席に座りなさいっ!!』

 女性教師の金切かなきごえに、枝折はおびえた。

 ざわめきの中、周囲の視線が突き刺さった。




 ズキリ――

 胸が痛む。


「眠れないの?」

 そっと問いかける、優しいトーン。

「うん」

 するりと心にみ込んだそれに、枝折は素直にうなずいてからルームメイトが何者か思い出した。

 音も立てずに起き上がった水木に、枝折の身体が緊張する。

 昨日、垣間見かいまみた彼女たちの性状。残忍ざんにんな光を帯びた瞳、愉快ゆかいそうな面持おももち。

 本能が恐怖をいだく。

「怖がらせて、ごめんね。すぐには無理だろうけど……」

 申し訳なさそうにつむいだ言葉をひとたび切った水木は、がらりと語調を変える。

「私たちは、あなたを傷つけない。何があっても、九鬼がまもる。それだけは、信じて」

 真剣な口ぶり。その声に嘘は感じられない。


 どうしたら……。


「まず、制服を着替えたら? しわになってしまうわよ」

 水木の提案で、枝折はあわてて着替え始めた。

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