9

 キキタクナイ。


「君の目は、見えざるモノが視える」

 葵の台詞に、枝折の瞳がひび割れてこおる。

『ウソツキ!!』

 去来きょらいする声に先程とは違う怖れが枝折の身体を襲い、うまく息が吸えなくなる。呼吸が荒くなり、鼓動が早くなる。

 そんな枝折の様子を、少し離れた場所で水木はそっと観察する。

あやかし妖怪ようかいもの――人とは異なる存在。そういった異形のモノが視える」

「だから、我々の気配を察知して、怖れている」

 葵の発した内容を引き継いで木蓮が続ける。木蓮の穏やかな表情に、少し前の攻撃的な空気が重なる。

 追い詰められていくように、枝折の心がちぢこまる。


 どうして? なぜ、知っているの?


「あ……あなたたちは、誰? ここは……何?」

 きたいこととは違う問いが、枝折の口からこぼれる。

「ここは、端境はざかい

「――ハザカイ?」

幽世かくりよ現世うつしよの境。ここは、人と化生けしょう共生きょうせいできることを目指す試験地のようなもの。我々は、君たち人間がおにと呼ぶ存在」

 淡々たんたんと告げる葵の声。

 聞き慣れない言葉に困惑しながらも、鬼という単語に敏感に反応した。


 ……やっぱり、人じゃなかったんだ。


 思い浮かんだのは、二本のつのと牙を持つ姿。おぞましい形相ぎょうそう

 室内にいる人たちを見回す。ここにいる彼らは人間と同じ姿形をしている。

 目を引く容貌ようぼう。そして、凶暴な気配は、人となるもの。

 自分の勘は正しかったんだ。枝折は、恐怖に一歩足を引く。葵の鋭い視線が、枝折を捕らえる。

 逃がさない、というように。

「君は、普通の人間とは違う。この外で生きるのは辛い――違うか?」

 葵の言葉が、枝折の心に突き刺さる。


 ……ああ。やっぱり――


 枝折の顔がわずかに笑む。

 哀しげな、でもどこか安堵したような複雑な面持ちに、水木は目を瞠る。

 どこにも、居場所がない。

 そう思い知ると、泣きたくなった。枝折はきびすを返して、理事長室から飛び出した。

 何も考えずにひたすら走る。

 無我夢中に。

 ここでも、知られてしまった。もう、ここにもいられない。


『キミワルイ』


 不意によみがえる言葉。

 得体の知れないものを見るような目つき。

 一人、また一人と離れていく友人。れものに触れるように接する同級生も、いつしか拒絶するようになった。

 じわりと目の奥に熱がこもる。

 下瞼したまぶたに盛り上がる温かさに、枝折は気づかないふりをする。そうしないと、ずっと我慢がまんしてきたものが全てあふれ出てしまう。


 ザワリ。


 不快な空気に鳥肌が立ち、枝折は立ち止まる。

 周囲を見渡すと深い森の中。光が届かないほど茂る樹木の間に立ちくしていた。

 気づかない内に正門を通り抜けて、学校の敷地の外に出てしまったらしい。

 ねっとりと纏わりつくような、冷気。


 ――ダメ……。


 本能が、拒絶する。

 枝折はふと思い直す。

 このまま死ねば、こんな苦しい思いをしないで済む。死ぬのって、どれだけ苦しいんだろう。でも、どれほど痛くても、この一回きり。

 密やかに、しかし確実に近寄る気配に、周辺の空気も冷え出す。

 悲鳴を上げるように、ザワザワと木々が震える。

 死んでしまえば、どんなに楽だろう。


 それでも――怖い!!


 あまりの冷気に身体がこごえ、足を摑まれたかのようにぴくりとも動かない。

 枝折の前で立ち止まり、かぶさろうとする黒いおどみに、枝折は目をつむった。

「――っ」

 息を止めて衝撃に備えた瞬間。

 シュッと、鋭い気配が枝折の脇を通り過ぎた。この森にただようおぞましい空気ではなく、金属が持つ硬質な冷たさ。明らかに違う空気の感触に、恐る恐る枝折は目を開ける。

 見慣れない後ろ姿が視界に入った。

 凛とした広い背中。自分と同じデザインのジャケット。苛立ちを露わにし、殺気を隠そうともしないで、枝折と捕食しようとするモノとを遮る形で佇む男性。


 誰……?


 枝折は思いもしない事態に呆然とする。

「――何しに来た」

 冷淡に告げた声は、少し前に耳にしたものと同じ。講堂内の時より、理事長室で聞いたものより、非情な響き。

≪…………≫

 柊の言葉に反応し、浮遊する気配がうなりを上げる。

≪ク……イ…タ、イ――≫

 形のない存在の視線を、枝折は強く感じた。突き刺さるような、獲物に狙いを定めた捕食の意思。

「形すらとどめられぬ、脆弱ぜいじゃくな分際で」

 嘲笑あざわらう、低い女性の声。

 強張った首を必死で動かし、枝折は背後を見る。

 楽しげに笑うのは、ルームメイトの水木。その目には残忍ざんにんな光が宿っていた。

「消え失せろ」

 左手を優雅に持ち上げると、流水のような気配が枝折をすり抜けて黒い澱みを囲む。それとは別の温かい空気が、冷気で冷えた枝折の身体を優しく包み込む。

 柔らかな暖かさに枝折の緊張がほどけると同時に眠気が襲う。


 ……スイキ。

 スイ――みず

 水の、鬼。


 枝折は、意識を手放した。

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