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すごかったね、さっきの」

「九鬼くんって、カッコイイよね」

 入学式会場の熱狂めぬまま、興奮気味にしゃべり合いながら女子たちは講堂から出ていく。

 柊の発言で騒然となった入学式は早々に切り上げられ、学生たちはそれぞれの教室へ戻るように告げられた。

 大きな熱量の中、身を小さくして講堂から逃げるように出てきた枝折は、朝からそばにいた水木の存在がないことに気づかないまま機械的に足を運ぶ。

「あの九鬼ってヤツ、何様なにさまだよ」

「やめとけ。痛い目見るぞ」

 女子とは異なる、男子の険悪な声風こわぶり。その空気にどきりとした。

 人いきれの中にまぎれる、凶暴な存在。

 人混みからのがれるように生徒の波から外れて脇の道を選び、人気ひとけのない通路を重い足取りで歩く枝折の耳が、葉のこすれる音を拾った。

 立ち止まり、風を感じようと空を見上げた。まだ半日しかってないのにひどく疲れていた枝折の心が、木々の間を通る涼やかな風で少し軽くなる。

 小枝を踏む乾いた音がして、背中に怖気おぞけが走った。

「あれぇ。こんな所に女の子がいる」

 みみざわりな男の声に枝折は後ろを振り向いた直後、茂みの合間から二人の男子生徒が姿をあらわした。

 色素の抜けた明るい髪。ネクタイをゆるめ制服を着崩す姿に、知り合いたくないタイプだ、と枝折は認識した。

 た笑みを見せながら、一人が枝折に近寄る。見た目は自分たちと変わらないのに、醸し出す空気は全く別物。

 逃げ出したいのに、足がいつけられたように一歩も動かない。

 目を合わせたくなくて、枝折は視線を下げる。


 ザワリ……。


 枝折の背後の空気がとげをはらむ。

 心臓が悲鳴を上げる。

「――へぇ。いい匂いするな、お前」

 一人分のスペースを空けて立ち止ると、意外げに目を丸くすると、更に近づき、

「なあ、味見させろよ」

 獰猛どうもうに囁いた男が、枝折の右腕をやおら摑み恐怖心をあおった。

 虫唾むしずが走る。


 イヤッ!!


 瞬間、枝折の背後の空気が変貌へんぼうして、見えない針に肌を刺された。

「その手を離して頂けませんか? 先輩」

 割り込んできた冷淡れいたんな女性の声は、枝折にとって聞き慣れたもの。しかし、その語調は初めて耳にする。

 緩慢かんまんに首を回して後ろを見ると、鋭い双眸で男子生徒を睨む水木の姿あった。

「何だ、お前? これからイイコトするんだから、邪魔すんなよ」

 不機嫌に告げた生徒の左腕をらえたのは、男の片割れ。少し離れた場所で静観していたが、気配を消して近寄り、止めに入った。

めておけ。水鬼すいきだ。……それに隠形おんぎょうしている奴もいる」

「あぁ!? 水鬼?」

 邪魔した相方あいかたに険悪さが増した男に、水木は口許くちもと酷薄こくはくな笑みをいた。普段と違う彼女の雰囲気に、枝折は目をみはった。

 本能が逃げろと、わめく。


 ――誰?

 スイ、キ……?


 好戦的な空気。艶然えんぜんと笑みをたたえながら、冷酷な目をする水木。そんな彼女を茫然と見つめていた枝折は、初めて見る水木の顔つきに血の気が引いた。

 ここは、おかしい。

「止めろ。九鬼が出てくる」

 ややあせりを帯びた声に、男子生徒はようやく枝折の腕を離した。

 ……クキ?

 忌々いまいましげに舌打ちをして、男たちは逃げるように立ち去ったが、まだ残る腕を持たれた感触に、枝折はきむしりたくなった。

「大丈夫?」

 ひんやりとした水木の手のひらが、さっき摑まれた箇所に触れた。そして、心配そうに語りかける水木の声。

 さっきまでの攻撃的な気配はなく、枝折のよく知る雰囲気に泣きたくなるほどホッとした。

 泣き出しそうな枝折の顔を見た水木は、複雑そうに瞳をらし、苦笑する。

 ふと、自分の後ろにあった気配を思い出して、意識を背後に向けた枝折が目をらすと、陽炎かげろうみたいにその場の空気が揺らいだ気がした。

「……ねぇ。スイキって、何?」

 水木の笑顔に、枝折は問いかけた。

「ごめん。その疑問に、私は答える権限がない。九鬼に聞いて」

 真摯しんしに謝罪する水木。

「クキ、って……?」

「九鬼、柊。我々が、従う者――」

 枝折のひとごとのような呟きに、答えた水木は一旦言葉を切る。

「安心して。私たちがあなたを護るわ」

 一呼吸後に、当然のごとく告げた。


 ――クキ、ヒイラギ。


 その名に、入学式の会場で隣に座った男性が、枝折の脳裏に浮かんだ。

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