4

 水木に引き連れられて、枝折は女子寮を後にした。

 学校の南東に位置する女子の寮から高校の敷地に入り、西へ曲がる。横に小川が流れる舗装路を北の方に進み、校舎を過ぎると講堂が見えた。

 白を基調とした二階建ての建物。

 建物の一階に入り、あまりの規模の大きさに、枝折は気後きおくれする。

 階段状に設置された座席が、正面の舞台を囲むように扇形おうぎがたに広がる講堂には、かなりの生徒が集まっていた。

 サワサワと囁く声が波打つ中、枝折の不安な感情がふくらむ。この中では、自分が異分子のように感じてしまう。

 喧噪けんそうの中、ピリピリと肌を刺す空気に、足がすくむ。立ち止り、無意識に一歩足を引く。


 ……ここにいては、ダメ。


「枝折ちゃん?」

 後に続いてこない枝折に気づき、水木がかえりみる。

 どうして、みんな平気なんだろう。


 ……私の気のせい? 慣れない環境に戸惑っているだけ?


 だけど、初めてこの高校に来てから、ずっと感じる違和感。本能が危険信号を発し続けている。

 逃げ出したくなる自分を、枝折は必死になだめる。

 誰も知らない場所を選んで、ここに来た。寮に入ることに難色なんしょくを示す父をどうにか説得してきた。だから、ここから逃げ出せない。

 警戒する自分の直感を信じて、注意していれば大丈夫。そう自分自身に言い聞かす。

「早く、座ろう」

 水木がそっと枝折の左手首を摑むと、中へ進んでいく。

 冷たい手に、ぞくりと身震みぶるいする。

「枝折ちゃん。ここにしよう」

 空いている席を見つけると、身体を強張らせる枝折にお構いなしで、水木は生徒の合間あいまを歩く。

 水木に引っ張られ座った席で、枝折は肩で息をつく。

 少し落ち着いてから、こっそり周りを眺める。親しい生徒同士が談笑する姿は、よくある学校内の光景。

 自分と変わらない形貌けいぼう

 しかし、浮足うきあしつ雰囲気の中に、異様な気配がまぎれている。

 自分たちと違う……鋭利えいりな……。

 うかがうように、ひっそりと。


 コ、ワ……イ。


 ドクン――

 鼓動がひときわ大きくねる。

 左隣の席に座る気配に、本能が恐慌きょうこうする。枝折は、勝手に震える身体を必死に押さえつける。


 コワイコワイコワイコワイ、コワイ……。


 身体が、本能が、激しく拒絶する。恐怖のあまり、金縛りのように全身が動かなくなる。

 このおそれの正体を知っておかないと……。

 拒否反応を起こそうとするのを我慢して、そっと左側を盗み見る。気づかれないように。

 制服越しでもわかる、引き締まった肢体したい


 どんな人なんだろう。


 怖いもの見たさで、枝折は警戒しながら、視線を持ち上げる。

 鋭さのある、精悍せいかんな横顔。切れ長の双眸を不機嫌そうに細めていた。

 意思の強そうな光を宿す瞳が、枝折をとらえる。

 細めた眼差しが凶暴さを帯びた。


 蛇ににらまれた蛙――って、こんな感じなのかな。

 頭のすみで、ちらっと思う。


 背筋が一気に冷え、身体がまた震え出す。

 悟られてしまう――

 自分の両腕をかかえるように押さえつけても、震えは止まらない。強張る枝折の手にひやりとした手が添えられ、パニックになりつつあった心が急速冷却した。

「大丈夫だから」

 そっと低く告げる声に顔を向けると、水木の真摯しんしな表情がある。

 ――大丈夫だから。

 今までと違う口ぶりに、少し安堵する。

 水木のまとう雰囲気と普段の彼女の話し言葉がちぐはぐで、違和感がぬぐい去れないままでいたから。

 これが本来の彼女に近いのかもしれない。

 そう考えると、他人行儀じゃないと思えて、少し気が楽になる。気を遣ってもらうのは、心苦しかった。

 むしろ、放置していて欲しい。




『新入生代表、九鬼柊』

 スピーカーを通して、無感情な男性の声が堂内に響く。その言葉に反応したのは、枝折の左に座る男。


 ――クキ、ヒイラギ。


 枝折の脳裏に柊の木が浮かぶ。

 艶と質感のある、濃緑のうりょくの若い柊。

 柊の葉のように刺々とげとげしい、空気。

 ゆらりと立ち上がると、気だるげに壇上だんじょうへ向かう。彼が横を通る度、女子生徒がさざめく中を柊は無関心な顔で壇上に上る。

 驚きと感嘆かんたん。黄色い嬌声きょうせいが場内を満たし、落ち着きを失う。騒然そうぜんとする中に、攻撃的な気配が混じる。

 マイクの前に立つ柊の姿は堂々としていて、同い年なのだろうかと不審に思う。見た目は同じくらいなのに、老成ろうせいした感じがある。

 柊が目をすがめただけで、場の空気が鋭さを増す。

「いいか。場をわきまえろ。行き過ぎたら…狩るぞ」

 威圧的な語調。一瞬で空気が凍りついた。

 枝折は、暴言のような台詞せりふに肝を潰しながら、そっと壇上を見る。

 演台に立つ柊は傲然ごうぜんと佇み、教師陣は茫然ぼうぜんとそんな彼を眺めていた。

「何だ、アレ」

「さすがは……九鬼だな」

『静かにっ!!』

 新入生たちのどよめきに、教師たちはあわてふためきながらも、この場を静めようと努める。


 そんな中、枝折は柊からも異質な気配を感じ取った。

 人とことなる、モノ。

 頭の片隅をザラリとかすめた。

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