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 寮の部屋を出た水木は一階に下りると、談話スペースに立ち寄らず、寮事務室の前を通り屋外おくがいに出た。

 手中のスマートフォンを操作し、少し前に届いたメールを確認する。


 届いたのは五分前。

 内容は、命令形の呼び出し。

 向かう先は、女子寮と高校敷地のさかい。水木は足早に向かう。


 女子寮と高校をつなぐ門扉はひとつ。女子寮の周りを、人の身長くらいの高さの植木が囲い、内外の目をさえぎっている。

 この時間はまだ学生たちは寮にいて、道を通る人の姿はない。

 開放してある門を通りすぎ、近くにある大木の幹に寄りかかる男性に、水木は歩み寄る。


 シャープなあごに、鼻筋の通った顔立ち。長身で均整の取れた体躯たいく。漆黒の髪は少しクセがあり、硬質な黒い瞳はけんを帯びている。

 やや薄い唇を固く閉ざし、不機嫌ふきげんそうに見えるが、眉目びもく秀麗しゅうれいな容姿をそこねていない。


「遅くなり、申し訳ありません」

 口早に謝罪する水木に対し、男は億劫おっくうそうに手を振る。

 墨黒すみくろえりそで真紅しんくのラインが入った、すっきりとしたスーツタイプのジャケット。同じデザインのパンツ。臙脂えんじ色のシャツに、灰黒色かいこくしょくのネクタイ。

 八瀬高校の制服に身を包んだ彼は、少年というよりは青年のような外見。

「で、様子はどうだ?」

 素っ気ない口調で、男性――九鬼くきひいらぎたずねた。

「まだ、緊張というか……警戒していますね。本能で、ここがどういう場所か勘づいているのか、全身の毛を逆立さかだてた子猫みたいで、」

 水木は一旦いったん言葉を区切り、目をせる。

 思い浮かぶのは、先程の寮内での枝折とのやりとり。

可愛かわいらしくて、つい構いたくなります」

「程々にしておけよ」

 嫣然えんぜんとした顔つきで答える水木に、柊はくぎす。

 玩具おもちゃを目の前にした子供のよう――なら可愛いげがあるが、今の水木の顔つきは、獲物を見つけた肉食獣そのもの。

 かたわらで、こんな空気をかもし出していたら、枝折が警戒するはずだ。

 柊は内心嘆息たんそくしつつ、今は枝折の警戒心に少し安心する。

「取ってうなよ」

 きつく細めた双眸を水木に向けて、柊は告げる。

勿論もちろんです。一切の間違いが起きないように――九鬼のめいたがえません」

 するどい柊の言葉に水木は感情を消し、重々しく答える。

「……」

 無言で水木の顔を見据みすえていた柊は、左手を顔の高さまで持ち上げて軽く振り、眼差まなざしで「行け」と命じる。

 彼の意思を受け取った水木は、深く一礼をしてから女子寮へと引き返す。



     ◇   ◇   ◇     



 女子寮へ続く道を歩きながら、水木は思い返していた。

 九鬼柊の祖父が運営する、私立八瀬高等学校。

 ここの理事長室に呼び出されたのは、三月の初め。何故なぜこんな所に召集しょうしゅうされたのか、目の前にいる男以外、全員が感じていた。

 集まった面子めんつに見せるように、柊は重厚な机に一枚の紙を投げ出す。

「四月からここに入学する」

「ここ?」

 不審げな声を発したのは、水木の隣に立つ男子。

「八瀬高校。何があってもまもれ」

 語調は、厳命。

 重々しい空気が室内を満たす。それを発するのは、理事長机に不遜ふそんにもたれかかる柊。

 理由を聞ける雰囲気ふんいきではなかった。

 抜き身のやいばを連想させる、冷え冷えとした空気。

 机上の紙をかかげ、水木は記載された内容を確認する。


 黒く長い髪を三つ編みにして、しゃちほこった顔写真。目の上で切りそろえられた前髪。その下の垂れ目がちな小さな瞳はうれいを含み、小さな口をへの字にしていた。

 生白なまじろいのっぺりとした顔は、まるで作り物のよう。

 心許こころもとない表情の少女の写真。その脇に、『引目矢枝折』という名前。

 笑えば愛らしいだろうに。水木はこころひそやかに思う。



     ◇   ◇   ◇     



 四月に入り、寮の部屋に姿を見せた少女。

 写真同様に、陰鬱いんうつとしていた。

 新しい環境。

 親元を離れての一人での生活。

 自由な環境。

 不安もあるが、期待に心が浮き立つ気持ちもあるはずなのに――

 目の前に立つ枝折には、明るさはなく、切羽せっぱ詰まったような、覚悟のような感情が表立っていた。

 明らかに、同い年の少女たちとは違うたたずまい。枝折のその表情が、心に引っかかる。

 何が、少女の心を重くしているのか。


 ――まぁ、いいか。


 水木の目に女子寮の戸が映る。

 ひとまたたきの後、水木の気持ちが切り替わる。

 寮のドアを開けて中に入ると、階段を下りてくる枝折の姿を見つけた。

 水木は、がらりと表情を一変いっぺんさせる。

「枝折ちゃん、ご飯食べに行こう」

 水木が声をかけると、驚いたように目線を上げた枝折は小さくうなずく。

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