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 肩をつかまれる感覚に、引目矢ひきめや枝折しおりの意識は一気に浮上ふじょうした。

「――っ!」

 突然の感触に空気と一緒に悲鳴もみ込み、熱をうばわれる冷たさに身をふるわせる。

「大丈夫?」

 心配する女性の声は、枝折には聞き慣れないもの。

 まぶたを押し上げ、冷やかな気配をたどり視線を左に動かすと、心配そうに枝折の顔をのぞき込む女の姿があった。

 疾走しっそうしたように狂い鳴る鼓動のまま肩で息をしながら、眼前がんぜんの女性をながる。


 ……誰?


 肩につく長さの髪は、からす色。ストレートの髪に切り取られた面差おもざしは、透き通るような白い肌。形のよい唇は、つやのあるべに色。

 はっきりとした双眸そうぼうは、黒曜石こくようせきのよう。

 誰もが目を奪われる容貌ようぼう


 その後ろには、見たことのない色。

 自分の部屋と違う天井。馴染なじみのないにおい。

「大丈夫? 枝折ちゃん」

 じっと見つめたまま何の反応も示さない枝折をいぶかり、女性はゆっくりと同じ問いかけをした。

「……ここは?」

 自分がどこにいるのか把握はあくできないまま、目の前の女性に枝折はうつろに質問する。

「ここは、八瀬やせ高等学校の女子寮。……枝折ちゃん、調子悪いの?」

 八瀬高等学校。女子寮。

 心の中で繰り返した。

「……高校。……あ――」

 つぶやいて、枝折は思い起こす。

 自分が今、どこにいるのか。




 一週間前の、四月一日。

 全寮制の私立高校に入学が決まり、家から離れることになった。あきらかに自宅から通えない学校を選んだ。

 しぶる父を必死に説得を続けて、何とか認めてもらうことができた。父に納得してもらえた時は、心底ホッとした。


 父親の車で高校に向かうことになり、久しぶりに父と二人きり。

 高速を走り、徐々に眼前に広がる光景が変化していく。林立りんりつしていた建物が少なくなり、代わりに田畑や樹木が増えていった。

 のどかな景色に、枝折の心の不安が小さくなる。

 高速を降りて、ナビ通りに車を走らせる。

 家を出て三時間。

 都心から北東に位置する関東のはずれ。山の中腹ちゅうふくを切りひらいた土地に、私立八瀬高等学校は建つ。

 周りには、八瀬中学校と木々ばかりの、隔絶かくぜつされたような環境。


 八瀬高校の正門前に到着したのは、午後二時過ぎ。

 心配をする父と正門で別れて、枝折は入学案内にあった地図を見ながら、女子専用の寮に向かった。

 寮母に案内された部屋は、二人で一室。

 そのルームメイトが、目の前にいる女性ひと

 滋堂しどう水木みずき




「――大丈夫。ありがとう、滋堂さん」

「ちょっと、枝折ちゃん。滋堂さんはやめてって言っているのに。水木って呼んで」

 長身でスレンダーな外見がいけんに似合わない甘えた声を、クラスメイトでもある水木は出す。捨てられた子猫みたいに悲しげな表情をする彼女に、枝折は「無理」と言えなくなる。

「ごめんなさい。……水木さん」

 頑張って、やっとの思いで水木の名前を口にした枝折に、彼女は満面の笑みを向ける。

「ふふ。ありがとう」

 他人と接することが苦手な枝折は、ルームメイトの存在に気持ちが強張こわばったまま。


 入寮して一週間。

 緊張がけない枝折を、水木は何かと気にかける。

 甲斐甲斐かいがいしく世話をする水木に感謝しつつも、警戒する本能はどうすることもできない。こんな風に他の人とずっと一緒にいることがなかった枝折は、緊張をなくせずにいた。

「そろそろ起きて、顔洗って着替えて。食堂に行きましょう。今日は、入学式よ」

 入学式の単語に、枝折の心は張り詰める。

 心がざわつく。

 初めて、この学校に足を踏み入れた時から、生来せいらいの勘が「ここは危ない」と訴え続ける。


 だけど……無理。


 枝折は、自分の勘を無視することに決めた。

 もう、ここから逃げ出せない。何があっても、ここから出ていくことはできない。

 だから、自分の感覚を信じて、気をつけていれば大丈夫。

 枝折は自分の心に言い聞かす。

「本当に、大丈夫? 強張っているよ。具合ぐあいよくない?」

 すぐ目の前に見目みめうるわしい水木の顔が現れて、枝折は肝をつぶす。びくりと反応した枝折の態度に、特に気を悪くするでもなく、

「ん?」

 と、水木は人好きする笑みを浮かべる。

「ありがとう。平気。慣れていないだけ……」

 ぎこちなく笑みを見せて、枝折は返す。

「大丈夫よ、私がいるから……さて、私は先に一階の談話スペースにいるから、着替えたら来て。待っているから」

 屈託くったくなく宣言すると、水木はスマートフォンを持って、室内から出て行く。

 静かにドアが閉まるのを見届けてから、枝折は安堵あんどの息を吐く。


 ……やっと、一人になれた。


 それが、いつわらざる枝折の思い。

 固まったままの身体をほぐすように大きくびをしてから、ベッドから出る。そのまま南に面した窓まで歩いて行き、枝折はレースのカーテンをそっと開ける。

 目の前に広がるのは、緑深い森。

 世間せけんから隔絶かくぜつされたような場所。

 ――まるで、かごの中みたい。

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