第18話 チャンスの裏は

「はあっ……はあっ……はあっ……んっ」

 喘ぎながら水飲んでる女の子ってエロイよね。

 風嶺ちゃんはちゅぱっとペットボトルから口を放し、もの欲しそうにしていた(らしい)俺を見て、

「天泰さんも、飲みます?」

「ああ! もちろんだとも……!」

「はいだめー」

 茶樹が横からペットボトルを奪っていった。こっ、こっ、ころす。

「かあーっ! うめぇ!」

「茶樹、お前が飲んでるとビールにしか見えないからやめて」

 審判がめっちゃこっち見たぞ。

「水分補給は大切なのだよ」

「お前はべつに頑張ってねーだろ! ……ああ、やべえ、怒鳴ったら疲れた」

 どさあ、っと俺は座席に倒れこむ。なんかもうめんどい。クリームパンになりたい。

「茶樹、俺がクリームパンになったら、お前どうする」

「冷蔵庫に入れて賞味期限切れになったら捨てる」

「お前クリームパンにそんなひどいことしてんのか」

 ちゃんと食べてあげろよ。

「わ、わ、わたしは食べます! 大好きです、クリームパン!」

「そうかそうか、よしよし。風嶺ちゃんはいい子だ」

「えへへ……あっ、そうだ、天泰さん! 暑いなら団扇ありますよ!」

 風嶺ちゃんがカバンをひっくり返して団扇を引っ張り出した。一回の表で出して欲しかったとはさすがに言えず、そしてそのまま俺のことをパタパタと扇ぎ始めてくれたのでなおさら文句は御法度になった。茶樹と目が合うと「ぐぬぬ」と歯噛みしていたので余裕のドヤ顔をくれてやった。これが兄貴という身分なのだよ、一人っ子め。

「いいし、べつに、羨ましくなんかないし! ……フレーッ、フレーッ、ね・つ・や!」

「いいぞ茶樹ちゃん、君はうちの息子のどっちかのお嫁さんになってくれ!」

「いやです!」

 うちの親父とアホの茶樹のおぞましい会話を聞き流しながら、俺はグラウンドの方を見た。

 九回裏――

 ズバァン!

「――トライッ!」

「お、三振か。まずは先頭打者を切ったな」

「あと二人から、三振を取ったら――」と風嶺ちゃんが俺を見る。

「うん。勝っちゃうねぇ、ミズコー」

 不勝神話についに終わりが訪れるのか。

「まさかだよな。本当に」

「……ミズコーって、そんなに、その……」

「弱かったよ。俺、毎年誰かしら知り合いの兄貴が出場してたりするからさ、小さい頃からたまに試合見に来てたけど、パッカスカパッカスカ打たれて、バッティングじゃバットにボールかすりもしねぇし、本当つまんねー試合ばっかでさ……」

 俺はミズコーベンチにいる地夏を見た。

「……俺ももうちょい、兄貴のこと褒めてやればよかったかな」

「え?」

「なんでもない。……ほんと、君の姉ちゃんはたいしたもんだよ。あの熱也からやる気を引きずり出すなんて、いったいどんな……」とそこで卑猥なことを言いそうになったので自粛し、

「……とにかく、試合終わったら地夏に礼を言わなきゃな」

「……ありがとう、ございます」

「いやいや、こっちこそ」

 まだちょっとぎこちない俺たち兄妹が見ている先で、なにやら向こうの兄妹は揉め始めていた。

「ボォッ! フォアボール!」

「……四球か」

 ストライクゾーンの枠から外れた球を四球投げると、フォアボールとなりバッターが一塁に進塁してしまう。熱也はまず二番手にそれをやらかし、一死一塁にしてしまっていた。

 もちろんベンチで地夏は背中に炎を宿しながら怒っている。こえー。もし選手に緊張感を持たすことが試合で勝つ手段だとしたら、あいつ置いとくだけで充分な気がする。あとベンチのうしろで修験者スタイルで相変わらずお祈りしている野球部顧問・あやねちゃん(24)もかなり怖い。なぜ入場できたのか疑問だ。

「タイム!」

 捕手の新倉が審判にタイムを宣告し、マウンドの上に防具ガチャガチャさせながら登っていった。お山の大将はそんな後輩に目もくれず、あの投げるときにバフバフさせる白いやつを手で弄んだままそっぽを向いている。

「な、なにを話してるんでしょうか……」

 俺はそれよりパタパタ扇いでくれている風嶺ちゃんの色っぽい首筋に目がイっちゃっていたのだが、

「ま、やっぱ終盤戦で熱也のコントロールもいよいよダメになってきたし、打たれてもいいから弱めに投げろって言ってるんだろうね」

「で、でもゆっくり投げたら打たれちゃうんじゃ……! ら、ランナーもいますし……?」

 たどたどしくも野球用語を駆使して意見を述べてくる風嶺ちゃん。

「そうだけど、でもまあ、七割の力で投げても熱也の球はハナコーには打てねーと思うよ」

「ほえー……」

「ほ、ほえー?」

 なんか感心されたのか放心されたのか。

「……そ、それはまたなぜ……?」

「いま、ハナコーのバッターって打順が七番なんだよね。ランナーが六番。打順って、一番がイチバン多く打つから、最初からバッティング成績がいいやつを置いていくわけ。七番くらいになると下位だから、全然打てないやつでもピッチャーだからとかそういう理由で置かれてたりすんの」

「な、なるほど……つまり、手を抜いても勝てちゃう、系?」

「うん、言い方悪いけどそんな感じ。むしろ熱也がこのままフォアボール連発して点取られるまでいったほうが嫌だねって感じなんじゃん? ゆっくり投げれば熱也のコントロールもいくらかマシになるし」

 だから、ここではゆっくりのんびり投球がベストだし、それはベンチにいる地夏も、ボール受けてる新倉も分かってるんだろうけど……

 熱也はウンって言わねぇんだよなあ。

 あ、ほら、また首振ってる。タイムも無限に時間もらえるわけじゃないから新倉がスゲー焦ってるのが見えるけど、熱也は全然とりつくシマもない。まさに断崖絶壁の拒絶だ。

 こうして見ると、地夏の兄貴なんだな、ってことがよく分かる。

 似てるよ、あの二人。

 やろうと思えばなんでも出来ちゃうところとか、ムカツクくれーにな。

「あ、新倉さん、戻っていっちゃった……」

「交渉決裂、ってところだろうな。うわあ。絶対想像したくねーよ、こんな場面で熱也の全力投球を捕るとか。むしろこれ勝ったら兄貴じゃなくて新倉がスゲーよ」

「が、がんばれ……新田さん!」

「新倉だよ」

 モブキャラの悲哀を見つつ、試合は再開され、

 そして熱也は、

「……ボォッ! フォアボール!」

 案の定、四球を出した。

 スタンドから盛大なため息が漏れる。

「……熱也めえ、いったい誰が育てたらあんなワガママになるんだ! なあトシ?」

「……若い頃の、タカに似てるな、彼は」

「え、そう? えへへ」

「……お父さん、鷹見くんはべつにあんたを褒めてるわけじゃないのよ?」

「いや褒められたでしょ! どう考えても今のは俺の褒められポイントだったでしょーっ!」

「あらあら、稲荷さんて、なんだかオモシロイ」

 などと和気藹々としている鷹見稲荷両家。なんかむしろ取り違えがあったことで同窓会を省いて家族ぐるみで仲良しになれたよねみたいな雰囲気出してるのがちょっとムカツク。たぶん地夏もここにいたら俺とおんなじことを言うだろうな。

 鷹のジョニーはすっかり試合に飽きて、球場の上空を「ぶぁっさぶぁっさ」と飛んでいる。時々日が陰るので見上げるとジョニーが飛んでいるというあんばいだ。あのヤロー風嶺ちゃんの上ばかり通って俺のところには陰を落とさねぇ。ぶっとばす。ヤツがうちのみかん泥棒だったことを俺は忘れてないんだからな。

「ね、熱也さん二人目のランナー、出しちゃいましたね……」

「そうだね。次出したら満塁になっちゃうし、次のバッターにホームラン打たれたらスリーランで逆転。……まあ、ホームランは打たれねーにしてもツーベースヒットでも喰らったら逆転になっちゃうかもね」

「じゃ、じゃあ熱也さんはやっぱりゆっくり投げるしか……」

「……どうだろね。次のバッターって八番なんだよね」

「……それが、なにか?」

「八番って、ピッチャーなんだよ。……ピッチャーって疲れるからさあ、バッティングできても下位に置かれてたりするんだ」

「えっ、えっ! さ、さっきと言ってることが違……」

「それが勝負事なんだなあ」

 ピンチはチャンスで、チャンスはピンチ。

 だからみんな、面白がるんだろうね。

 ……俺には全然、わかんねーけどな。

「とはいえ、うちの兄貴は」

 ズバァン!

「――ットライィィィィィクッ!」

「……ピンチになると、燃え上がっていくヤツなんだよね」

 八番、三振。

「ほ、ほええ……」

 二死一・二塁のまま、最後の打者がバッターボックスに立った。

 ヒット記録は、ない。

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