第16話 GAME
まァあんだけカッコつけたら遅刻しちゃうのが天泰さんだよね。
ガバッ、と起きた時にはすでに八時を回っていて、どんだけチャリンコぶっ飛ばしても我らがミズコー野球部の初戦開幕には間に合いそうになかった。天を見上げてまずは瞑目。昨日の夜、スマホのオンラインゲームのチャットを荒らしたりしていたばっかりにこんなことに……いや、悔やんでいても仕方がない。
携帯を見ると風嶺ちゃんが『いま気づきました!』という題で『天泰さんどこですか!?』とメールを打ってきていた。『おうちです』と当たり前な返信をしてから、ンッと伸びをする。今日はトシさんも早苗さんも球場へ行っているらしいから、鷹見一家は総員で俺のことを忘れて置いていったらしい。もう不貞腐れて二度寝しようかと思ったが、いちおう兄貴の試合だもんな。パンツからなにから総とっかえで着替えて準備しましたよええ。
家を出る時、リビングでぐーすか寝ている留守番という名の職務怠慢をしている美鈴さんを軽蔑しながら玄関口にいくと、「ぶぁっさぶぁっさ」と鷹のジョニーが俺の肩に止まった。
「お前も置いてかれたの?」
「クアァ」
「じゃ、……一緒にいくか」
いくら寝ぼけていたとはいえ、誘う相手がちょっとおかしかった気がする。
なんで仲良くなってんだ、俺とこの鳥。
○
「うぃーす」
「あっ、天泰来たあっ!」
球場のスタンドに鷹乗せたまま上がると、いるわいるわ、応援団から熱也のファン、それから稲荷鷹見をはじめとするミズコー野球部保護者さま方が一斉に俺の方を見た。ええ、遅刻ですよ。置いていかれましたよ実の妹とその家族から。ニヤニヤしやがってクソが……
「天泰さん、こっち、こっちです!」
なぜか青いシャツに日本国旗のペイントを顔に施したどっからどう見てもサムライブルーをよそから持ち込んでいる風嶺ちゃんに腕を引っ張られて、俺はフェンスそばの客席に押し込まれた。チアガール姿の茶樹もいる。
「おっ、天泰~よかったね、まだボール回ししてるところだよ!」
「チャリンコパンクするほど漕いだわクソが。……てかお前、なんでチアのカッコしてんの?」
「私、ベンチのスポドリ飲み干すから試合の時は応援団に配属されるの」
「お前ハブられてるよ」
ていうか中学の時にも同じことやってこっぴどく叱られてんのにまだ反省してねーのかこのダメダメマネジは。
「よくもまー万年初戦敗退に応援団が来てくれるもんだなあ……ってか、熱也のファンかこれ。なんか、去年より増えてね?」
「高校二年の夏だもん。熱ちゃんにお熱なJKはとても多いのだよ、天泰坊や」
ミズコー応援団はほとんどが女子である。男子はガクランなんか着たら熱中症で倒れるので、軽量に軽量を重ねてもはや見せパンの域に達しているチアガールたちだけが「フレッフレッ、い・な・り♪」などと踊っている。鷹のジョニーが若い女のフェロモンに釣られて女子を襲い始めたが、俺は何も見ていないしチアの服がジョニーのくちばしでズタズタにされてもそれは自然の御心のすることだから静かに見守ることしかできない。俺はなんて無力なんだ。
「天泰、鼻血」
「すまん。……くそう、いつだってモテるのはピッチャーなんだよな」
ティッシュ借りて鮮血に染めてから茶樹に返し、やっと一息。
「おう親父、お袋。兄貴の調子はどう?」
「聞いて驚け見て笑え!」
「ごめん無理」
「……調子いいみたいだぞ?」と熱也の顔写真がプリントされたうちわを両手に持った法被姿の親父が言った。頭がハッピーかよ。
「ふっふっふ。タカ、よく見ておけよ。俺の息子の生き様を!」
「……(こくん)」
俺の育ての親父に自慢されている実父のトシさんは暑いのかちょっと身体が斜めに傾いでいる。今日の天気は曇りだが、異様に湿度が高く、座っているだけでケツの下がびっちょりだ。
「午後から一雨来るんだっけ?」
「みたいだねー。試合が終わってから降り出してくれるといいんだけど」
茶樹が足をぷらぷらさせながら、電球でも確かめるみたいに空を見上げた。
「……あいつらの金の力で天気を変えられないかな」
グラウンドをはさんだ反対側には、ハナコー野球部の応援団がずらりと並んでいる。やはり執事の格好をして、先頭に立ってるアホが指揮棒を振ってベートーベンを演奏している。ここはコンクール会場じゃねぇぞ。
「いつ見てもすごいよねーあの応援……」
「とりあえず、いつも辛気臭ぇクラシックなんか演奏するのやめてほしいんだよなー。やっぱアニソンだろ、こういうときは。呼吸をーとめて1びょ……」
「だよねぇ! そう思って、茶樹ちゃん、MYマイク持ってきちゃいました!」
「やめろ死ね」
俺は茶樹の手からマイクを叩き落としそれを足で粉々に踏み砕いた。
「ああああああああ!」
「お前はなぜ悲しみばかり繰り返すんだ」
新倉が中二の時に試合で倒れたのはお前のせいなんだぞ。
「……さ、茶樹さん、そんなに歌が……?」
「ううっ、ちがうっ、ちがうんだよ風嶺ちゃんっ、ぜんぶ天泰が、天泰がいじわるで」
「俺はただ、平和を望んでいるだけだ」
普通にあの声量だと審判のコール聞こえないから退場になると思うしね。
「てか風嶺ちゃん、悪いことは言わないから、その狂った格好はやめたほうがいい」
「な、なんでですか!? わ、わたしも一生懸命応援しようと思って……」
「風嶺ちゃん、よく聞け」
俺は妹の華奢な身体をサムライブルーごと鷲づかみにして、その目を覗き込んだ。
「……それは、サッカーだ」
ゴクリ、とツバを飲み込む風嶺ちゃん。わなわな震えながら、
「……ば、バカな……!」
「現実は君に厳しい。けれど、負けてはいけないよ」
「天泰カックイー」
「お前とりあえず踊るフリだけでもしとけよ茶樹」
客席で休んでるチアがいるってダメだろ。
「だってだって、ベンチに入れてくれないちなっぴが悪いんだもんね」
ぶう、と頬を膨らませながら、グラウンドの中にあるミズコー野球部のベンチを指差す茶樹。ちょうど俺らから斜向かいのところにあって、そこにはボール回し(試合前の数分間だけ与えられた練習時間)に参加していないマネージャーと、それから気合を入れて白リボンに『見敵必殺』と高野連から言葉狩りを喰らいそうな物騒ワードを刺繍して黒髪に結んだ地夏がいた。腕を組んで、キャッチボールしているミズコー野球部スタメン九人を睥睨している。スゲー偉そう。
「風嶺ちゃん、君は慎ましさを忘れてはいけないよ」
「えっ……そ、そうですか?」
そこそこ発育している胸に手を当ておずおずと聞き返してくる風嶺ちゃん。その理論でいくと君のお姉さんはヤマトナデシコなんだけどね。残念ながらモンキーだ。
「ってか、天泰、大丈夫なの?」茶樹が俺の顔を横から覗き込んでくる。
「……今日、熱ちゃんものすっごく投げると思うけど」
「だって見に行くって言っちゃったし」
俺はグラウンドの隅っこで、捕手の新倉相手に投球練習している熱也を見た。……やっぱ、遠くから見ても熱也が本気で投げると股間のあたりが「ヒュンッ」として、猛烈にそわそわしてこの場から消えてなくなりたくなる。
「でもま、俺が我慢して観戦するからにゃあ」
俺はため息をつきつつ、マウンドの上にいる兄を見下ろした。
「勝ってもらわなきゃ、困るっしょ」
「……そうだよね!」
嬉しそうに茶樹が頷いたところで、新倉が「ボールバックーっ!」と叫んだ。どういうことかというと、試合が始まるよ、ってことなのだ。
さてさて、どうなるやら。
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