第15話 くすぶるガキは


 帰り道、俺と風嶺ちゃんは手を繋いで帰った。

 ……いや待って、誤解しないで欲しい。さすがに血の繋がりのある妹に手を出したりはしねーよ。相手は熱射病で倒れた直後だし、いざっていうときに抱きかかえるために手を掴んでいるだけであって、べつに恋人繋ぎしようとして「アハハ……」とか微妙な笑いされてそれとなく拒絶されたりしてねーから。やめてよその目。なによ。

「……天泰さん、あの、さっきからどこを見てるんですか? なにか面白いものがあったりとか……?」

「え? いやいやべつに、そんなことはないよ。ないともさ」

 俺は空咳して風嶺ちゃんの純真なまなざしを誤魔化した。ちくしょー一緒に暮らし始めて、まだ二ヶ月経ったかどうかって感じだし、会話ぐらいならそこそこできるようになってきたけど、まだ『妹』って感じはしてこない。なんか、『家族』のお芝居にお互い付き合ってる感じっつーか……だからやっぱりまだその、近くで見ると、意識しちゃうんだよ、異性として。でもちょっと! ちょっとだけな!

「あの、今日はありがとうございました。楽しかったです」

 ぺこっと頭を下げてくる風嶺ちゃん。いやいやいや。

「んなことしなくていいって、そもそもウチのバカ兄貴がゴネたのが原因だったんだし……俺の方こそ、兄貴のガス抜きに付き合ってくれてありがとな。本当はあんなの、捕手の新倉がやんなきゃいけねーのに」

「バッテリー、というやつですか?」

 食いつきがいい風嶺ちゃん。鼻息も荒い。……そうだよ? 投手と捕手はバッテリー、いわば小学生とランドセル、さらには茶碗とお箸みたいな関係なわけなんだけど、なんか顔真っ赤で「ふんふん!」と呼吸を激しくされるとなんかべつな答えを期待されてそうでスゲー怖い。どうしたの風嶺ちゃん。

「いいなあ……わたし、この通り、身体が弱くて……運動部って、憧れなんです」

 風嶺ちゃんは「なはは……」とちょっと寂しそうに笑って、古いドレスでも見せるように自分の服を摘んでみせた。

「わたしがこんなだから、お姉ちゃんにも嫌われちゃって……」

「そんなことねーよ。妹が嫌いな姉ちゃんなんかいないよ」

 風嶺ちゃんはふるふると首を振った。それから窺うように俺を盗み見てきてから、足元を過ぎ去っていく、夜道の無数の石ころを見下ろしながらぽつぽつと喋った。

「お姉ちゃんは、なんでもできる人だから、いつもみんなの人気者でした。勉強もできて、走るのも速いし、クラスの男子とかいつも血祭りにあげていて……」

「わかるよ」

 あいつの血祭りってガチだもんね。

 兄妹二人で「ぶるるっ」と地夏のおそろしさに震えた後、風嶺ちゃんは続けた。

「でも、だから、わたしにとってはいつも自慢のお姉ちゃんでした。こどもの頃は、……いまもこどもですけど、わたしが近所の子にいじめられたりしてると、すぐに駆けつけて助けてくれて……」

「ふうん。……いいとこあんじゃん。じゃ、やっぱ嫌われてるなんて思い込みなんじゃん?」

 いつの間にか手は離れていて。

 またふるふる、と風嶺ちゃんが首を振る。

「……お姉ちゃんがわたしを許してくれるわけないんです。だって……」

「あぶねぇっ!」

「えっ……?」

 俺は風嶺ちゃんを抱きかかえて、歩道に倒れこんだ。その横を建材をたっぷり積み込んだトラックが威嚇するような騒音を立てて通り過ぎていく。

「わり、俺が車道側歩けばよかった。……風嶺ちゃん?」

 俺の腕の中で、風嶺ちゃんはぼーっとしていた。まさかまた熱射病が? と思ったが、風嶺ちゃんは苦しいとも暑いとも言わずに、ただぼそっと呟いた。

「……変わりたいなあ……」

 この妹が、いったい『何』に悩んでいるのか。

 ちょっとだけ、分かった。

 ……気がする。


 ○


 家に帰った俺は風嶺ちゃんをリビングでスマブラしながらアイス喰ってた美鈴とかいう給料泥棒に引き渡してから、ソッコーでシャワーを浴びた。もう六月も終わりだし、さすがに一日遊園地は暑かった。戻ってきたら風嶺ちゃんはクソメイドの手によって氷をぶちこんだ寝袋の中に詰め込まれ「たすけてくださいあまやすさん」になっていたので俺は美鈴さんをやっつけてやろうとしたがめっちゃ睨まれた(「んだコラ?」とか言われた)のでそれを諦め、風嶺ちゃんの健康を静かに目を閉じて祈るのだった。

「あ、あまやすさああああああああん!!」

「ゆるせ妹よ」

 とかやってるうちにトシさんが帰宅。娘が氷漬けにされているのを見て「うん」みたいになんか納得しながら(たすけろよ!)、俺を見た。

「テン、今日、楽しかったか?」

「え? あ、はい」

「そうか。よかった」

 のちにお湯をぶっかけて解凍された風嶺ちゃんから聞いた話によると、あの最初に俺が生垣の中で出くわしたゾンビが俺の実父だったらしい。企画経営脚本作家に現場のゾンビスタッフまでこなすこのグラサンはとても俺の父親だとは思えないほど高スペックらしかった。高給取りっていうよりいつも働いてるからこんな豪邸を買えたのかもしれない。夢があるんだかないんだか。

 で、やっと眠れると思って布団に入ったところで(最近ようやく新居の部屋にも慣れてきた)、スマホがウィンドミルし始めて何事かと思ったら地夏からのLINEだった。うっかり触って既読つけちゃったので仕方なく確認。

『先輩がいなくなった。探しておいて。あたしは寝る』

 てめえ。

 ……ったく仕方ねぇなぁ。地夏のやつ、知らねーのか。熱也が夜中いなくなるのは、自販機でエロ本買いにいく時か、あるいは、河原に投球練習しにいく時だけだ。

 どっちに熱也がいるのか心の中で賭けながら、俺はチャリンコ転がして熱也を探しに外に出た。

 ちなみに、賭けには負けた。


 ○


 俺たちの水鏡町には国道が通っている。まあ、その国道が終わるのが俺らの町で、つまりそれを逆走していけばいつかは都会に出るというわけだ。その国道は、銀竜川を超える時にちょっとの間だけ橋になる。

 その橋の下の河川敷が、熱也のお気に入りの投球練習の場所だった。

「よっ」

 俺がチャリンコを乗り捨てて声をかけると、熱也は「ん」と振り向いた。グラブの中にボールをパシパシと投げ込んでいて、その先には熱也が材木屋の兄ちゃんにドラクエのレベル上げを条件に廃材で作ってもらったマトがある。さすがに指先が選手生命の投手には、金槌なんて危ないものは持たせられないからな。

「やる気充分じゃん。遊んで帰って練習とか、高校球児って感じ?」

「うるせー。やらねーと地夏が怒ンだよ」

「その地夏サンから探して来いって頼まれたんですけどねぇ」

 チッ、と熱也は舌打ちしてから、ゆっくりと振りかぶる。

 パシィン

 軽く投げて、マトに当たった球がふわっと舞い上がって熱也のグラブに収まる。ゆっくり投げているから、なんとかギリギリ白球恐怖症の俺でも耐えられる。

「なんかあったのかよ、兄貴」

「なにが?」振りかぶって、投げる。ゆっくり。

「兄貴が練習なんて、なんかないとありえねーだろ。試合一週間前だから、なんて言い訳は聞かないぜ?」

「……お前には隠し事できねーなー」

 ふう、とため息をつき、ソフトフレームのメガネの位置を直す熱也。投球用に慣らした足場から足を外すと、それまで剣呑だった雰囲気が「ふっ」と消える。わりとマジで界王拳でも使ってんのかも。

「……地夏に言われたんだよ。ちょっと」

「ちょっと、ってなんだよ?」

「あたしは先輩を信じてます、的な」

「……ほほう。それでやる気を出しちゃったと? ミナミを甲子園に連れてって?」

「ばかやろ、んなことできるわけねーだろ」

「おいおい、高校球児としてその諦めのよさはどーよ? 十回だか十五回だか勝てば日本一なんだろ? よゆーじゃん」

「お前な……殺されんぞ? マジでやってるやつに」

「兄貴もマジでやりゃーいいじゃん」

「やなこった。疲れるし、緊張するし、いいことねーよ試合なんか。俺は、みんなと楽しくやれりゃそれでいいって思ってたんだよ。ずっと」

 パシパシパシ、とグラブの中のボールを何度も投げ込みながら、

「……でも、どうしてなんだろな。なんかさ、地夏はいきなり来たのにやる気満々だし、俺がサボってると本気で怒るし、それに野球部のみんなも同調しちゃってさ。俺はてっきりみんなでサボって地夏が呆れてそれで終わりになると思ってたんだよ」

「ならねーだろ。……あいつ、兄貴の妹だぜ?」

「そうだな……って、なんだよ? お前までアレか、俺をハップンさせよーっての? カンベンしろよな……」

 そういうわりに、熱也はボールをいじるのをやめない。

「なんかいきなし、天泰は実の弟とかじゃねーってなって俺も結構動揺したしさ。お前が出てってかなり寂しいし……」

「うへぇ、キモイぞ兄貴、それ」

「黙って聞けよ。……新しくできた俺の妹はさ、そりゃ頑張り屋さんで、妹だっつーことを省いたってイイヤツだなって思うよ。ちゃんとしてっしさ。でも、シロートじゃん。べつに俺らが勝とうが負けようが、まあ確かにハナコーのやつらは態度悪い時あるけど、関係ねーじゃん? 自分らが納得してやってりゃそれで」

「……兄貴は納得してんのか? 万年一回戦敗退で」

「だから言ったろ、俺は楽しくやれりゃそれでいいんだって。だって野球だぜ? 苦しかったり辛かったり、まあちょっとならいいけど、それを超えて『上』を目指す意味って、はっきし言って俺にはワカンネーよ。……でも」

 三球目。綺麗にマトに当たった白球が三度舞い上がる。

「こんな俺を、なんでか知らねーけど、みんな信じてくれンだよ。『お前がいれば勝てる』とか『本気で今度は県大会優勝できそう』とかさ。県大優勝って甲子園出場って意味だぜ? んなことあるけねーって、俺が言ってんのに……地夏もみんなも、全然聞く耳持ってくんない。

 ……なんでなのかな、って、自分でも、思うわけ!」

 硬球はかたい。あたれば死ぬこともある。

 それを熱也が全力投球すれば、マトなんか軽く壊れる。

 戻ってこなかった白球の先を見ながら、熱也は肩で息をしていた。

「地夏のこと、まだよくわかんねーけど……でも、妹が兄貴に『頑張れ』って言うから、さ」

 ため息をつき、

「俺、勝つわ」

 公式戦まで、あと一週間の夜だった。

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