第13話 熱血拒否宣言


 それからよく、風嶺ちゃんはミズコー野球部におにぎりの差し入れをしにいくようになった。

 部活終わりのあいつらは電柱もちょっとオシャレなクッキーに見えるとかアホなことを言い出すくらいなので、おにぎりの差し入れは相当ありがったらしい。

 新倉がよく俺にこんな感謝の言葉を伝えてくる。

「天泰、なんで風嶺ちゃんのおにぎりにはジャムが入ってるんだ?」

「愛情だよ」

 面白いからそのままにしておく。

 好評だったよ、と俺が言うと風嶺ちゃんはパアっと顔を明るくさせて「本当ですか!? わたし、頑張ります!!」とさらに色とりどりのジャムをおにぎりに詰め始めた。もはや虹である。穿り返したら縁日の水風船みたいなカラーリングになっているおにぎりを風嶺ちゃんは二、三日に一度、哀れな子羊どもに持っていく。美少女中学生からの贈り物だ、胃薬ごと飲み込むがいい。

 で、俺はというと、あれから稲荷のほうの親父と一緒に潮干狩りにいったり、親父と一緒に鹿を乗りこなしに京都いったり、親父と一緒に土日使ってキャンプしたりしてて、まァ親父と遊びまくってて、熱也や地夏が風嶺ちゃんとどうしてるのかまったく分からなかったんだが、ま、楽しそうにおにぎり握ってる風嶺ちゃんを見れば、わりかし上手くやってるんだろーなという予測はついた。結構いい感じなんじゃん? と頬杖を突いてお兄ちゃんぶってみたりしてみたり。

 俺も結構、お兄ちゃんが板についてきたかな?

「天泰さん、あの、そこの生クリーム取ってくれませんか?」

「いいともさ」

 などと妹に米との食い合わせが牛乳以上にヤバそうな白いブツを渡しながら、しんみりとする天泰さんなのだった。

 と、そんな日曜の朝。

 ミズコーとハナコーの地区予選の初戦が一週間後に迫った日に、ぴんぽーん、と珍しくチャイムが鳴った。鷹見家、なんと裏口から搬入ができるようになっており、食材やら衣類やらはそっちからブチこむので、正面玄関からは家族とメイドと友達しかやってこない。

「あれ、誰でしょう。美鈴さん?」

「やつにインターフォンを鳴らす文化が浸透しているとは思えないな……ちょっと見てくるよ」

「あ、わたしもいきます」

 トテトテトテ、と玄関までおっとり刀で走っていく鷹見兄妹。玄関口の止まり木で鷹のジョニーがぶぁっさぶぁっさと羽をはばたかせ、「なんか知らないやつ来たけど俺、上いってたほうがいい?」みたいな顔してたから頷いたらどっか飛んでった。あいつ頭いいわ。

 がちゃん、と扉を開けると――

「あ、兄貴?」

「……あ、あまや、す……た、たすけ……て……ぐふっ」

 ばたん、と。

 玄関先で、うちの兄貴がユニフォーム姿でぶっ倒れていたのだった。

 風嶺ちゃんが「キャーッ!」と両手に口を当てて叫ぶ。

「さ、殺人事件!」

「死んでない死んでない」

 俺は熱也の腹を蹴って仰向きに転がした。ばっちり呼吸してるし。

「もういやだ。天泰、俺はもう野球なんかしない」

「なにがあったんだよ……って、どうせ地夏の猛練習に音を上げたってところだろ? 根性ねぇなぁ」

「ふっざけんなよ! あ、あいつがどんな悪魔的な女かお前は知らないんだ……!」

「あ、悪魔だなんてそんな」風嶺ちゃんがわたわたと手を振る。

「お姉ちゃんは、人の命までは取りません!」

「本当かなあ」

 ギロッ、と睨まれてしまった。おお。風嶺ちゃん、地夏のことになると結構強気なんだよね。

「なにがあったんですか、熱也さん。教えてください、きっとお姉ちゃんもなにか理由があって熱也さんを生き地獄に落としたんだと思います」

「……された」

「え?」

「燃やされたんだよ、……うちにあったエロ本全部っ!!」

「はあああああああああああああああっ!? それ、俺のもあったよね!! 絶対あったよね!! どういうことなんだよクソ兄貴!!」

 俺は思わず熱也の胸倉を掴み勢い余ってぶち殺しそうになったが、風嶺ちゃんに「天泰さん!」と羽交い絞めにされて事なきを得た。いや事なきを得てない。俺のエロ本が……必死に裏山に捨てられてるのを集めてきたコレクションが……

 熱也は「くっ」と悔しそうに顔を背けた。よく見れば眼鏡にヒビが入っており、やつが地獄を潜り抜けてきたことが窺い知れる。

「地夏のやつが言うんだ……えっちなことは……タンパク質の無駄だって……」

「タ、タンパっ……」俺は慌てて風嶺ちゃんを見たが、どうやらすでに手遅れ、性教育の魔の手はがっちり俺の妹の精神を蝕んでいたらしく、顔面真っ赤。熱也のヤロー、日曜朝から飛ばしすぎだろ!

「……それで、その、あー、『原因』を取り除くために、えっちなブツを全部焼かれた……と?」

「……まあ、現場を押さえられたので」

「それがさらなる原因じゃねーか」

 なにやってんだ兄貴。相手が茶樹でも眼鏡割られてたと思うぞ。

「だからって……だからって、俺と天泰の思い出を燃やすことないだろっ……!」

「妹が聞いてるんでそういう不躾な発言は控えてもらえるかな?」

 ちょっと風嶺ちゃんに後ずさられて、結構傷ついたよ俺。

「それだけじゃねー……地夏は、いや地夏コーチは俺たちを軍鶏かなんかだと思ってんだ……走り終わってバッティング練習かと思ったら急にまた走らせてきたりするし、俺たちがノックしてる時に美味そうにアイス食ってるし、風呂上りにパン一でうろついてたら怒るし……」

「最後のは兄貴が悪い」

「とにかくっ、もうっ、限界なんだよ!! 俺は、俺は、俺はあっ!!」

 兄貴は頭にかぶった野球帽ではなく、自分の眼鏡を掴み地面に叩きつけて自らの手でそれをブッ壊した。

「もう野球なんかやめる!! 俺は、俺は普通の帰宅部の高校生になる!!」

「とりあえず、裸眼にはなったな」

「うっ、ううっ、ちくしょう、地夏のやつ、俺の眼鏡まで……」

 両膝を突いてうなだれる熱也。

 さすがにちょっと可哀想だな……とはいえ、試合を一週間前に控えているいま、エースが抜けたらうちのミズコーは壊滅だ。というか部員足りないんじゃねーか説もある。三年が抜けるたびに一年を口説き落として、ご褒美によさげな背番号を与えまくってるからなうちの野球部は……

 特に地夏がやばい。

 あいつが、実の兄がこんなところでギブアップ宣言と共にメガネぶち壊してることを知ったら、たぶんあいつは熱也をつくね棒か何かにしてしまうに違いない。このままじゃうちの兄貴が、なんらかのつまみにされちゃう。それだけは避けなければ……

 猛練習に疲れ果てたエースの傍らに、風嶺ちゃんが膝を突いて、その顔を覗き込んだ。

「熱也さん」

「かざねる」

「そんなあだ名にされてんのうちの妹?」

 俺のツッコミは無視され、風嶺ちゃんが熱也の肩をポン、と叩いた。

「熱也さん、熱也さんはエースだから、野球をやめちゃだめです。みんな、悲しみます」

「……そうかもしんないけどさあ」

「わたしも悲しいです。お姉ちゃんも、熱也さんの腕を信じてるから、つらく当たるんだと思います。……え、えっちなのはよくないと、わたしも思うけど……」

 そこでなぜ俺を見る、我が妹よ。……積極的に集めてたのは俺じゃないし。

「だから、熱也さん。一日だけ、お休みしましょう」

「え?」と風嶺ちゃんを見上げる熱也。

「わたし、おにぎり届けにいってただけですけど、マネージャーのお仕事なんて、全然お手伝いできませんけど……熱也さんが、頑張ってるの、見てましたから。……知ってました?」

 慌ててコクコクコク、と頷く熱也にくすっと風嶺ちゃんはやさしく微笑み、

「だからね、一日ぐらい、いいと思うんです」

「でも、地夏が……」

「お姉ちゃんには、わたしも一緒に謝ります。だから、今日は……わたしと天泰さんと熱也さんで、野球、サボりましょ?」

 そう言って風嶺ちゃんは、俺と兄貴の手を左右から引っ張った。

「……天泰、お前は、いい妹を持ったな……兄ちゃん嬉しいよ」

 ふん。

 言われなくても、自慢の妹だっつーの。

「で、兄貴。今日、どうすんだよ? このへんにいたら、地夏に殺されるぞ」

「やっぱりお前もそう思う?」

 びしょ濡れになったモモンガみたいに気弱になる熱也くん。

「そうですね……じゃあ、遊園地なんてどうですか?」

「遊園地って、あれか? 町までいって駅から七つの、あのだーれも行きそうにない閉園間近の遊園地」

「へ、閉園だなんて……大丈夫ですよ、パパが立て直すって言ってました」

「え、トシさんってあそこで働いてんの!?」

「知らなかったのかよ天泰」と熱也が白い目で見てくる。

「うっせーな、バカ兄貴。まだそのあれだ、トシさん、無口だから、あんまり……喋って……なかったり……」

「それで、うちの親父と潮干狩りとか行きまくって自分を誤魔化してたのか」

「だからうるせーな! いちいち心を読むんじゃねーっ!」

 ハズいだろっ!

「まあまあ」と風嶺ちゃんが俺たち兄弟をとりなす。

「とにかく、わたしなら顔パスですし、天泰さんにもパパのお仕事を紹介したいと思ってたところですし……熱也さんも、どうですか? おいしいアイスクリーム屋さんがあるんです。そこでわたしと……」

 風嶺ちゃんは胸の前で手を祈るように握り締め、気弱そうな上目遣いで言った。

「一緒に、今日を忘れてみませんか?」

「忘れま――――――――――っす!!」

「だよね」

 そういうわけで、稲荷兄弟と鷹見兄妹――どっちも俺が含まれてるんだけど――は、水鏡遊園地でサボタージュを断行することになった。

 変更などないっ!


 ○


「風嶺ちゃん、ジョニー連れてくの?」

「ええ、この子、行きたいって言ってます」

 風嶺ちゃんの頭をかぎ爪で捉えた鷹のジョニーは「ニヤリ」と俺を見た。

「熱也さんは、鳥、お嫌いですか?」

「大好きだよ、君ごと」

「殺すぞ熱也、そこで死ね」

 お兄ちゃん許さないよ。

 そんなこんなで、頭に鷹を乗せた美少女(制服)と、泥まみれのユニフォーム姿の高校球児(裸眼)と、服を洗濯しちゃって中学の頃のジャージしかなかった俺という、駅で切符買って(熱也はなぜかユニフォームの底に回数券が一枚残ってた)通ろうとしたら駅員さんに「お前ら頭おかしいんじゃねぇの?」と本部にチクッてやろうかと思った罵倒を浴びせられた三人は、そんなことにはクヨクヨせずに一路、くだんの遊園地を目指すのだった。

「遊園地とかめっちゃ久々だわ。パンフ買お」

「兄貴いま財布持ってないけど大丈夫?」

「かざねる、貸して」

「は、はい……」

 しずしずと財布から五千円を取り出した風嶺ちゃんの顔になぜか恍惚とした表情が浮かんでいて俺はヤバイと思った。なので止めた。

「だめだよ風嶺ちゃん、だめんずは死ぬべきなんだ」

「だめんず……?」

「天泰、男の夢を壊すようなマネはやめろ!」

「あんたはいいから財布を取ってこい!」

 ……もちろんそんな時間はねーから、今日の熱也の出費は全部、俺が持つことになった。菓子丘先生のとことか、知り合いの酒屋とかでたまにバイトしてるから金はなくもないけどさ。……ちなみに鷹見家からのお小遣いは、稲荷家の頃と同額にしてもらっている。歯止めはかけとかないと、金銭感覚が窒息死しそうだし。

 楽しみだなあ、わくわくするなあ、と靴を脱いでシートから窓の外を眺めている熱也の知能に若干の心配をしながら、俺はスマホのLINEをチラ見した。

「…………」

「ど、どうしたんですか天泰さん。顔色が一気に悪く……」

「いや……なんでもない。兄貴には、感づかれないようにしてくれ」

「は、はい……」

 俺はスマホの電源を切り、額を押さえた。俺が見たのは、茶樹から送られてきた三分前のミズコーグラウンドの画像だった。

 ……地面に穴って空く? 普通。

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