第12話 HOME


「ただいま~」

「あら、お帰りなさい、テンちゃん」

 鷹見家に帰ると、パタパタパタ、とエプロン姿の早苗さんが俺を出迎えてくれた。この女子大生にしか見えないアラフォーおばさんは、最近、俺のことを「テンちゃん」と呼ぶ。……アマヤスなんだけどね。

「風嶺はまだ学校? おにぎり、届けにいったと思うのだけれど」

「ああ、はい。野球部に顔出してましたよ」

「イジめられたりマワされたりしてなかった?」

「おいおい田舎の野球部はサカったモンキーじゃないぞ?」

 いきなりとんでもねぇことを言い出すところが、風嶺ちゃんにそっくりだぜ。さすが親娘……俺はトシさん似なのかなあ。

「うちの野球部はアホだけど乱暴者はいないから、心配いらないッスよ。それに地夏もいるし」

「そうそう地夏! あの子、野球部のマネージャーになったんですって? ちゃんとやれてるかしら……」

 頬に手を当てて眉をひそめる早苗さん。やっぱり育てた娘のことは気になるらしい。当然か。

「マネージャーじゃなくて、コーチです。なんか、よその学校のやつらに喧嘩売られて、発奮したみたいですよ」

「脱糞?」

「ねぇひょっとして下ネタを言えばなかよし的なこと考えてる? それやめよ」

 俺、メシ前なんだけど。

 あらあらうふふ、テンちゃんは察しがいいのねぇ、とか言ってる早苗さんを無視して、リビングに入ると香ばしいカレーのにおいがした。ああ、なんか、カレーって我が家のにおいって感じするよね……まあ、稲荷家と鷹見家は同じバーモンドカレー使いの家系だから、ほぼ一緒の味とにおいというのも関係しているかもしれないが……

「てかウンコの話した挙句に俺にカレーを出すのかよ! ひでぇ母親だな!」

「ふふっ、コラボ、狙ってみました!」

「あんたの企画はすべて動き出す前に潰れたほうがいい」ぶちころすぞ。

「はあ……あれ、ってか美鈴さんは?」

「ああ、みっちゃんは今日はお休み。風嶺の病院の日じゃないから」

 そうなのか。まァ、オフの日でもあの人たまに来るから、そのうち顔出しそうだけど。仕事ナメてんよね。

「そういえば、風嶺ちゃ……風嶺って、身体弱いンすか? 結構、病院いってるみたいだけど……」

 そのへんのことは聞いちゃ駄目かな、もうちょっと様子見ようかな、とかヒヨってたら時間が経っちゃったチキンな天泰お兄ちゃんなのだった。……まだ他人行儀だね、とかひどいこと言うなよ? 気にしてっから。

「ええ、実は、もう先が長くなくて……」

「え、ええっ!? そんな……」

「なーんちゃって! うっそぴょーん!」

「……歳を考えろ歳を。なにがぴょーんだ、ネジ飛んだのか?」

「もっと言って……」

「やめて近づかないでこの人こわい」

 実母がドMとか心の準備ができねーよ。

「こほん。まあ、冗談はそれぐらいにして……べつに風嶺は大病を患ってるわけじゃないの。ただ、昔から身体が弱くってね。貧血だし、ちょっと呼吸器系も弱くて。だから定期的にお医者さんに診てもらってるだけなの。……過保護かしらね?」

「いや、いいと思いますよ全然……菓子丘先生のとこッスか?」

「ええ。あの人、腕は確かだし、それに私も以前お世話になったことがあって。信頼してるの」

 あれだけとんでもねぇ大ポカやらかしてまだ信頼を勝ち取れるっていうのは、あのクソヒゲの腕も相当確かということなのだろうか。どうでもいいけど頻繁にLINEしてくんのやめてほしいんだよな。しらねーよ受付のパートさんのケツさわったら口利いてくれなくなったとか。

「ここに引っ越してきたのも、お父さんの仕事の関係っていうのもあるんだけど、風嶺にはあまり都会の悪い空気を吸って欲しくなかったっていうのもあって……地夏は向こうに残りたかったみたいなんだけど、我慢してもらって」

「ふうん。……風嶺ちゃ、いや、風嶺はこっちで元気そうですし、じゃあ引っ越してきてよかったですね」

「そうね。……それに、新しい息子もゲットできたし」

「やー、ハハ……そうスね」

「ねえテンちゃん」

「なんスか?」

「お母さんって、呼んでくれてもいいのよ?」

 からかうように言ってくる早苗さんに、俺は「にゃははは」と笑うぐらいが、限界だった。

 ……いやじゃないんだけどさ。

 パン、と早苗さんが唐突に手を叩いた。

「そうだ! ねえテンちゃん、今日ちょっとカレーを作りすぎちゃったのよ。だから、稲荷さんちに『おすそ分け』しにいってくれない?」

「え? あ、いいスけど……」

「せっかくだから、向こうでテンちゃんも食べてきたらいいわ。やっぱりちょっとは、向こうの家が恋しかったりするんじゃない?」

「あ、それはないッス。ここんち、凄まじく快適なんで」妹もいるし。

「そ? まあ、なんでもいいわ! 地夏の様子も見に行って欲しいし、ホラホラ」

 早苗さんに無理やりカレーを持たされて、俺はなかば追い出されるように夜道にほっぽり出された。……まァ、稲荷の家はお隣だから、いいんだけどさ。でもちょっと坂がきついんだよね……とか思っている間に、あっという間に懐かしの我が家に到着。

「ただいまー」

 あ、やべ、ちょっといまウルッと来た。ウルルン滞在記した。だめだ天泰、最後まで泣くんじゃない……とか思って廊下を一歩踏み出したら、何かを踏んでずるっとコケかけた。あ、あぶねぇ! 大事なカレーをウンコみたいにぶちまけるところだったぜ……

「誰だよこんなとこにこんな……ん?」

 俺は器用に爪先で、自分が踏んだものを摘み上げた。

「……パンツ?」

 そのとき、がちゃっと脱衣所の扉が開いた。

「ねえ母さーん、シャンプー切れちゃったんだけど替えってどこ……」

 目と目が合う。

 いや、俺が目だと思ってたものは実は目じゃなくってピンク色のブツだったわけだが、それに気づいて俺は泡を喰って壁際まで後ずさった。

「うわあああああああああおっぱいだああああああああああああああ」

「ぎゃああああああああああなんであんたがここにいんのよ死ね天泰!!」

 もちろん俺が目撃した裸体は地夏サンだったわけで、その天女のようなおみあしが俺の水月を撃ち抜くのも当然な流れなわけで。

 ……カレーだけは、なんとか守ったよ。

「な、なんだいまの悲鳴は!? どうしたんだ地夏……」

 がちゃっと居間に続くドアから出てきた稲荷家の大黒柱も突然この世界に現出した現役JKの裸体に「うわあああああああああああああ!!」と動揺しまくり地夏が「と、父さんっ!? ちょっとこっち見ないで!」とか胸とか股とか隠してる間に親父の脳の配線が切れて「うほおおおおおおおおおお!!」と自分の胸をゴリラみたいにドンドン叩き始めたところで俺は自分の育ての父が馬鹿なんだと思い出した。

「うほっ、うほほっ、うほぉぉぉぉぉっ!!」

「くっ、このボケっ!!」

 地夏が回し蹴りで親父をドアごと居間にぶちこみ(蝶番がぶっ飛んだ)、俺はさらにその一瞬にまたなにか爽やかに黒く茂った何かをチラ見した気がするのだがそもそも蹴られた腹が痛くて痛くて涙が止まらなくてそれどころじゃなかった。どうして、どうしてこんなことに。俺はカレーを届けにきただけなのに……


「どう考えても、帰宅早々パンツ脱ぎ散らかして風呂入ったお前が悪い」

「……暑かったのよ……それに! か、家族しかいないんだから、いいでしょべつに! あんたが来るなんて思わなかったし!」

 ドタバタ騒ぎの後、みんなでカレーを食った後、あらためて地夏の暴行傷害行為に対する反省会が開かれた。お袋は呆れて寝た。

 俺はドォンと食卓を叩く。

「バッカヤロー! 親父の気持ちも考えろ! 実の娘のものでもハダカはハダカだ!! なにか間違いがあったらどうするんだ!!」

「天泰、やめてくれ」首にギプスはめた親父が悲しそうな目で俺を見る。

「俺の世間体にかかわる」

「ごめん親父」

「あっはっは、おもしれぇー」

 一人怪我を免れた男子陣である熱也はケラケラ笑っている。のんきしやがって、こっちはちょっと吐いたわ。

「てめぇー……地夏。お前結構、稲荷家に馴染んでやがるじゃねーか」

「……なによ」

 パジャマ姿で白リボンをふわふわさせながら、地夏が俺をムッと睨んでくる。

「あんたは、うまくやれてないわけ? はっはーん、うらやましいんだ?」

「べ、べつにそんなんじゃないもん! う、うえぇ」

「おいちなっぴ! あまやっぴを泣かすなよ!」

「兄貴そのクソなネーミングセンス、俺にも流用するのやめてくれるかな」

 あまりの衝撃に涙も枯れたわ。

「……ふん。そっちはどうせ、風嶺がおどおどして上手く会話が続かないんでしょ。分かるわよ」

「いや風嶺ちゃんとは楽しくやってるけど、お前の母ちゃんが……」と言いかけてちょっと切り、

「早苗さんが、な、その……し、下ネタ言ってくるんだよ」

「男でしょ、それぐらいなんとかさばきなさいよ」

「うんこちんちん」

「死ねこのクソ天泰!!」

 顔を真っ赤にした地夏の左フックが俺の鼻先をかすめていった。もうこの女よくわかんねぇな。

「天泰、うんこちんちんはよくない。ちんこぶらぶらにしよう」

「先輩殺しますよ」

「ごめん」

 地夏が、はあ、とため息をつく。……ピンクのパジャマ姿もあいまって、なんとなくその華奢な身体から色気が漂っている。

「ま、いいわ。あたしのハダカを見たことは……いずれ三百倍にして返してもらうけど、今日のところは許してあげる」

「事故だったのにムシろうとするとか、アタリ屋かてめーは」

「うるさい。……ま、パパとママによろしく。そのうち風嶺がいない時にでも、顔出すって言っておいて」

「おい。……なんでお前、そんな風嶺ちゃんを目のカタキにするの?」

「おっぱいが風嶺ちゃんのほうがちょっとだけ大きいから?」

「バカっ兄貴よせっ、あっ」

 俺が庇おうとした時にはもう、両目を燦々と太陽のように輝かせた地夏の怒りの鉄拳が兄貴の左胸をぶち抜いていた。

 それで、その時の話は、なんか終わっちゃったんだよね。

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