第5話 兄と妹と親とあとへんなの


「天泰、母さんがめっちゃイケメンにしてあげるからね!」

「とりあえずポマードくせぇ」

 俺は洗面所の前でお袋にとっ捕まっていた。首根っこを掴まれ、髪に整髪剤をローションのように塗りたくられ、そして衣装はタキシード。完全に気合を入れすぎた婚活生だ。

「お袋、こんなの日本じゃフォーマルって言わねぇ。普段着でいいって菓子丘先生、電話くれたじゃん」

「なに言ってんの、あんたはあたしの息子なんだからね。実のご両親に『ダサッ』とか思われたくないでしょ」

「べつにそんなん思わんだろ……おい、助けてくれよ親父ぃ」

「どうした天泰」

「おめぇマジでアロハシャツで行くの?」

 テンガロンハットにサングラスまで着けた親父は、完全に会社の金を使い込んだラストリゾートを往く横領マンに見えた。ちょっとヤケになって壊れてるのかもしんない。

「恥ずかしいから普通のカッコしてくれよ。実の親とか関係なく、誰にも見せられるザマじゃないよそれ」

「父さん、この格好で母さんにプロポーズしたんだぞ。縁起がいいんだ」

「そんなんより俺は日本の和の心を信じたいね」

「なんだなんだ、なに騒いでんだよ」

 兄貴の熱也が戦国時代の甲冑を着て現れた。俺は頭を抱える。

「なんで和洋どっちかに百点満点で突っ込むんだよ! 節度を持て節度を!」

「天泰なに言ってんだ? あ、親父いいねそのアロハ」

「だろぉ? 熱也は物分りがいいな。天泰も見習えよ」

「おめぇらのセンスにはついてけねぇ」

「そうよ、母さんのイケメンフォーマルスタイルの天泰のほうが一番カッコイイよ。ね、天泰」

「普通になりたい」

 朝からガチャガチャしながら、俺たちはなんとか着替えを済ませ朝食をかっこみ、家を出た。俺はとりあえず周囲に気を遣う。誰かに見られたら一生笑いものにされる。俺の前髪、ブタのしっぽみたいにカールしてるんだぜ? 笑えよ。

「天泰、なんかあったら俺が守ってやるからな」

「兄貴、その気持ちだけでありがたいから甲冑は脱げ」

 ハロウィンパーティみたいな稲荷家は、親父の運転する軽トラで団地の集会所へ向かう。そこの和室で、俺は本当の家族と出会うことになっている。

 俺ん家からまっすぐ田んぼを突っ切っていき、駅前そばの丘に十五号棟くらいの小さな団地がある。三十年ほど前に作られたそうだが、だいたいこの町のガキはここに住んでる。なので軽トラから降りた俺は熱也の甲冑に隠れながら、こそこそと集会所へ行く羽目になった。

「天泰、堂々としろ。おびえることはないんだ」

「おびえてんじゃねぇ恥ずかしがってんだクソ親父」

 この人の頭のネジの飛び方、時々菓子丘先生を思い出す。やっぱ地元にずっといるとみんな似てくるんだ。こわい。

「おい、天泰。あれ見ろよ」

「なんだよ兄貴。……あ」

 集会所の前に、見慣れない高級車が停まっていた。輝かしい車種のエンブレムがボンネットに溶接されている。あきらかに、こんな片田舎の団地に駐車されるような車じゃない。

「……相手の家の車かな」と熱也。

「たぶん、ね」と俺。

 相手方は、もう来ているらしい。俺は昨日から高まりつつあった緊張が、いよいよ最高潮に達しつつあり、軽くよろけた。熱也に腕を掴まれる。

「おい、メシ喰わなかったのかよ?」

「喰ったよ。見てたろ」

 団地の一階から集会所の玄関に入り、左手にある襖を開ければ、そこに本当の両親がいる。

 何度考えても、喰ったものを戻しそうになる。人間って脆いんだな、とか考えながら、俺は親父が襖を開けるのを眺めていた。

 光が溢れる。

 そこにいたのは――

「……たっ、鷹見ぃ!?」


 ○




 岩盤みたいに可愛げの見当たらない女だと思っていたが、今日はさすがにめかしこんでいた。いつもバラッと散らせている髪はお団子にまとめてあり、大人っぽいタイトなダークスーツを着込んでいる。

 そんな鷹見地夏は、ばりばりにキメてきた俺を見て「あ」と呟いた。驚くと、表情が一気に子供っぽくなることを俺は初めて知った。

「……稲荷?」

「あれ、二人とも知り合いなの?」と熱也が甲冑姿のまま、俺の背後から顔を出してきた。

「いや、なんつーか……クラスメイト」

「マジか」

「……なんで甲冑着てるんですか、先輩」と鷹見が不審そうに熱也を見る。

「いやこれは心の構えっていうか……ああ、そっか、俺の後輩でもあるのか。えーと……」

 熱也は指をくるくるさせていたが、鷹見が先手を打った。鷹見家の前で、しずしずと頭を下げる。

「初めまして、兄さん。……妹の地夏です」

「いも……うと……」

「兄貴?」

「あ、あぁー……」

 甲冑姿の熱也がおもいっきり背後にぶっ倒れた。親父とお袋が慌てて駆け寄る。……熱也のやつ、どうも弟のことばっかり考えてて、自分に妹がいたという新事実を忘れていたらしい。

「おい、人ん家の兄貴を失神させるな」

「勝手に倒れたんでしょ」

 鷹見は針ねずみのようのとりつくシマがない。霊長類の女王みたいな顔つきで、顎をしゃくった。

「父さんと母さんも、こっちに入ったら? ……鷹見家のことも紹介したいし」

「いやでも熱也が……」と親父。

「兄さんなら隅っこにでも寝かせておけばいいでしょ。……さ、これで感動の再会ってわけね」

 権謀術数を企む軍師みたいな顔で鷹見が微笑む。こいつ、この状況を楽しんでるらしい。なんて肝っ玉だ。華奢な外見とは裏腹に、男の俺より何倍も根性があるらしい。こいつはきっと昨夜、泣いたりしなかったんだろうなあ。

 などと思いながら、俺、親父、お袋は鷹見家の面々の前に座った。間には長くて脚の低い木製テーブルが河のように流れている。俺はあらためて、意識して目を逸らしていた、自分と血の繋がった家族の顔を見た。

 妹がいる。

 確かに姉とは似ていなかったが、かといって俺と似ているわけでもなかった。髪はショートボブ、歳は当たり前だが俺より年下なんだから中学生だ。姉の地夏よりさらに華奢で、まだランドセルを背負っても似合いそうだ。目玉焼きのようにまんまるな目で、動物園の虎を前にしたように俺を見ている。ちょっと怯えているのか、肩に力が入っていて、壊れかけの人形みたいだ。

「……よ」

 片手を挙げて挨拶してみると、妹は「はわ!」と電流に触れたように反射して慌ててぺこりと頭を下げてきた。うーむ、当然だが他人行儀だ。

「は、はじめまして。鷹見風嶺……です。中学二年生、です」

 ガラスのように透明感のある声で、妹は俺に挨拶してくれた。

「で、こっちが……パパとママ、です」

「……天泰」

 俺はびくっと身体が震えるのを感じた。意識して、実の両親らしい二人のことは視野から外していた。だが、いつまでもそうしておくわけにもいかない。俺はおそるおそる、名前を呼んできた男性の方を見た。

 やくざがいた。

「ひいっ……!」

「……稲荷、安心していいよ。うちのパパ、こんな顔だけど普通に会社員だから」

「マジで?」

 だって顔に傷とかあるし、座ってるだけなのにバスケット選手並みに背が高いってわかるし、サングラスとかかけてるんですけど。エースでも狙ってくのかよ。

「…………」

「あらあら、お父さんたら傷ついちゃって」

 と言ったのは、やくざの隣に座ってるお妾さん……じゃなくて、育ちのよさそうなお姉さん。いやちょっと待て。そんなわけあるか。

「……も、もしかして、母さん?」

「うふふ」と女性が笑う。嘘だろ、大学生にしか見えねぇ……ちらっとお袋のほうを見ると俺を睨んでいる。まだ何も言ってねぇじゃん!

「初めまして、稲荷家のみなさん。鷹見早苗です。このたびはその……なんて言えばいいんでしょう?」

「そうよねぇ」とお袋も早苗さんと一緒になって考え込んでいる。のんきだなてめーら。

「えぇと、稲荷和江です。この子の……」俺をちらっと見、

「天泰の、母です」

「どうもご丁寧に。私は、地夏の母です」

 深々と頭を下げあう二人。なんかぴりぴりしたものを感じた気がするが、二人が顔を上げたときにはもうそんなものはどこにもなかった。

「あなたが、私の娘なのね。地夏……ちゃん」

「……うん」

 俺のお袋が鷹見に言う。なんだろう、なんかスゲェ違和感がある。自分ちの母親が、同級生に「地夏」と名前で呼びかけてるわけだから。普通ねぇよな、こんなこと。

「天泰のクラスメイトなんですって?」

「まあ、一応」

「二人は、いい仲だったりするの?」

「はあ!?」

 鷹見が歯を剥いて叫んだが、さすがに態度が悪いと思ったのかばつが悪そうに顔を背けた。気が強いってのも大変だなー。

「そんなんじゃないです、ただ同じ学校に通ってるだけで……稲荷、あんたもなに黙ってんのよ。否定しなさい」

「まかせとけ、誰がこんなまっ平らな岩盤女と……イテテテテッ!!」

「そこまで言えとは言ってない」

 鷹見が俺の頬をつねりあげて釣り上げられたブラックバスみたいにしてくる。

「あんた、見かけによらず口が減らないのね。……母さんも変なこと言わないでよ」

「え、だって、ねぇ? もし二人が好き合ってたりしたら……あ、でも問題ないのね。べつに二人の血が繋がってるわけじゃないものね」

「でも、結構アツいですよね。ほかの二人からはそれぞれ兄弟姉妹になるわけですし」と早苗さん。

「そうそう、そうよね! ここからきっと物語が始まるのよ~あ、でも天泰より熱ちゃんと地夏ちゃんの方が禁断の恋なのね」

「バッカみたい」

 地夏はため息をついた。

「パパたちも何か言ったら? さっきから黙りこんで見つめ合ってるけど。……なに、そっちのケでもあるわけ?」

 イライラしてるのか口調がきつくなる鷹見。そんな実の娘を一瞥もせず、うちの親父が、

 ひしっ!

 ……と、鷹見家の大黒柱の手を握った。俺は貧血を起こして倒れた。

「あ、天泰さん!?」

「風嶺ちゃん、俺はもうだめだ。うちの親父の真実に耐え切る心を俺は持ってない」

 風嶺ちゃんは俺に駆け寄ってきて介抱してくれた。いわゆる膝枕というやつだ。ありがとう親父。

 そんな親父が、わなわなと震えながら言った。

「……トシか? トシだよな?」

 やくざにしか見えない俺の実父が、サングラス越しにチラッと俺の養父を見た。

「タカ、か」

「おおおっ!! マジか、本当にトシか!!」

 親父がやくざの背中をばしばし叩いている。

「ひっさしぶりだなあ! 元気にしてたか? 大学行ってからお前、全然こっちに戻って来ねぇからよぉ!」

「いや、何度か戻ってはいたんだが、なかなか顔を出せなくてな。仕事の都合で、こっちにまた越してきたんだ」

「そうか、そうかぁ。よかったなあ……」

 自分の立派な銅像でも眺めるようにしながら、親父がやくざの肩を叩く。

「……お前が、俺の娘を育ててくれたのか……」

「タカこそ。……篠宮さん、だよね」

 実父が、俺のお袋を見た。

「鷹見くん……サングラスかけてたから、わかんなかった……」

「ああ、ちょっと仕事柄ね」と鷹見父。やっぱやくざなのでは。

「え、なになに、どういうこと?」と俺は起き上がって鷹見娘の脇を突いた。

「あたしも知らない。てか、気安くさわんないで」

「高校の同級生だったんだ」と親父が俺たちを振り返って言った。

「……いよぉし! 今日はめでてぇ!」

「は?」と俺。

「再会を祝して呑むぞ! 宴会じゃあ――――! お、こんなところに菓子丘先生が用意してくれたとおぼしき寿司と酒があるぞ! トシ、今日はトコトン飲み明かそうぜ!」

「おう」とやくざが静かに微笑む。

「いや、おうじゃねぇし。未成年いるんだけど」

「あなたたちはオレンジジュースよ~」と早苗さんが早くも注ぎ始めている。

「はい、天泰くん」

「あ、どうも」

 オレンジジュースを渡されて、俺は気恥ずかしく思いながらお礼を言った。

「天泰も喰え喰え! それから地夏ちゃんも、ホレ、イクラ食べるか?」

「魚介類は苦手なんで」と鷹見はそっけなく片手を挙げた。

「ば、バカヤロー! 空気読めよ、親父めっちゃ落ち込んじゃったじゃねぇか!」

「ヤなもんはヤなの」

「……風嶺ちゃん、君の姉ちゃん、かなり怖いね」

 一応、気を遣えるのか親父とお袋の酒を注ぎに席を立った鷹見の背中を見ながら、俺は妹に耳打ちした。

「いつもあんななの?」

「うーん、あんな感じ……ですかね」

 風嶺ちゃんは照れ臭そうに笑った。なんだ、菓子丘先生は仲が悪いとか言ってたけど、そんなことなさそうじゃん。少なくとも妹は、姉のことが好きなように見える。で、俺はその姉とはなんの関係もないけどこの子とは血が繋がってて……あれ? やばい、わかんなくなってきた。あとで図にしよう。

「うーん、ここは……?」

「お、兄貴起きたか。寿司があるぞ寿司が」

「天泰……あれ、その子は……?」

 起き上がった熱也が、俺の隣にいる風嶺ちゃんを凝視している。風嶺ちゃんからはガチの他人なので、俺の妹はちょっと言葉にあぐねてもごもごしている。そんないたいけな女子中学生を、俺の兄貴がいきなり抱き締めた。

「妹よ!」

「キャ―――――――ッ!!」

「兄貴バカ落ち着けっ、それはあんたの妹じゃねぇ!!」

 あんたの妹はあっちの怖いやつのほうだよ、と言ったら俺の後頭部に灰皿が飛んできた。

 ガッコォン、とドラム缶を叩いたような派手な音がして、

「うぎゃあっ……」

 薄れゆく意識の中、俺は「お兄ちゃん!」と自分を呼ぶ声を聞いた気がするが、きっと気のせいだったと思う……

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