第4話 家族じゃなかった
「ええええええぇ――――――――っ!!!!」
お袋が俺の首をがっと掴み、釣り上げたマグロみたいに振り回し始めた。
「あ、天泰が、うちの子じゃないって!? そんなことありません、だってこんなに、こんなに似てるのに!!」
「そ、そうですよ先生!」
親父も立ち上がって釣り上げられた俺の顎に肩を思い切りぶつけてその場に蹲った。俺も痛ぇよ親父。
「天泰は確かにうちの子です! いったい誰がどんなホラをその小汚ぇ耳に吹き込んだんですか!!」
「お前ぶち殺すぞ」
菓子丘先生の顔輪筋がひくひくしている。
「孝雄、お前、俺の言うことが信じられねぇのか?」
「うっ……」
「和江、確かにお前と天泰は似てるが、残念ながら……」
「……残念ながら?」
「他人の空似、だ」
「そんなあっ……な、なにを根拠に!?」
「俺の独断でDNA鑑定した。向こうの親御さんから相談されてな。調べてみた」
「向こう?」
俺が問い返すと、菓子丘先生はまっすぐに俺を見てきた。
「うちで出産した母親から、娘が自分の子供じゃないんじゃないかって相談されてな」
「そ、それと俺がどう関係してるんスか? ってか、娘って……」
どうどう、と菓子丘先生は俺をなだめる。馬か俺は。
「まあ落ち着け。俺だって、そんなことあるわけないと思った。特に母親からの相談だったからな、ビビったよ。普通は父親がそういう疑問を持つもんだからな」
「じゃあ、どうして?」
「そこの家の姉妹が、あんまり仲が良くないそうだ。特に姉貴が、家族の誰とも似ていない。で、調べてみたら、姉のほうはその家の誰とも血が繋がってなかった。うちで取り上げた赤ん坊で、そういうことがあったら、可能性はひとつだ」
菓子丘先生はおそらく死ぬまで脂肪がつかずに終わりそうな薄い腹の上で両手を組んだ。
「取り違えだ」
「取りちがっ……え? それって、あれですか、映画とかにもなった、べつべつの赤ん坊が違う家の子として育てられちゃったっていう……」
「ああ」
「ああ、って! ああじゃないッスよ! え、俺がその姉のほうと間違えられたってことですか!?」
ありえねぇ。なんだそりゃ。ってか、性別すら違うじゃん。
菓子丘先生はパン、と拍手を打った。
「スマン! 確認も取った。お前らが生まれたあの日、前日に宴会やっててな。全員二日酔いで、うん、なんかよく見てなかったっぽい! 相手の親御さんと天泰のDNAがばっちり一致した。孝雄と和江と、その娘さんのほうもな。いやー、ワリワリ」
「おいいいいいいいいいいいいいい!?」
軽すぎるだろノリが! 友達んちに靴下忘れてきたのとはワケが違うぞ!
やっと俺の頭を離したお袋と、衝突から息を吹き返した親父が俺といっしょくたになってワヤワヤと菓子丘先生に食ってかかろうとした時、先生が、
「落ち着けっ!!」
俺たちを一喝した。
ビタっ……と動けなくなる。実は軍医あがりって噂は本当なのかもな……俺たち悪くねぇのにグゥの音も出ねぇ。
菓子丘先生は鷹みたいな目で俺たちを睨みつけた。
「いいか、落ち着け。パニックになるな。一大事件なのは認めるが、べつに人死になんて出てやしねぇ」
「そ、そりゃそうですけど……」と親父も腰砕けになりつつある。ガキの頃、菓子丘先生が買ったばかりのポンコツ中古車に蹴りを入れたら裏山にぶちこまれて三日間彷徨ったとかいう記憶がいまだに抜けていないらしい。
「でも、先生……かなりショックなんですけど」
「慣れろ」
むちゃくちゃだなこの人。
てか、俺、親父とお袋の本当の子供じゃなかったのか……いきなりすぎてまったく実感が湧かない。いまどきドッキリテレビもやらないだろうしなあ。
俺がじぃっと見ていると、親父と目が合った。なんとなくひるむ。
「親父……」
「天泰」ポン、と俺の肩を叩き、
「なんかよくわからんことになったが、お前は俺たちの息子だ!」
「お、親父っ!!」
「よく言った!」
菓子丘先生がパシンと扇子を取り出して広げ、顔を扇ぎ始めた。『幸福一生』と墨字で書かれたその扇子が菓子丘先生はお気に入りらしい。
「いいか、確かに天泰はお前らの子供じゃなかった。天泰にとっても、孝雄と和江は実の両親じゃなかった。それはそれでヤバイっちゃヤバイが、ま、気にするな。十六年も一緒に暮らしてれば拾ってきた子犬にも情が移り始める!」
「ずいぶんと移り難い情だな!! 小型犬だったら天寿を全うしてんぞオイ」
「ほらな孝雄、アホのお前と違って天泰のツッコミには気品がある。お前の子じゃねぇよ」
「天泰~~~!」
「クソジジィ、人ん家の父親を泣かせんなや!」
感極まったのか、親父とお袋に左右からなぜか抱きつかれる。どうでもいいがなぜ俺の顔面を頭突きの形で押し潰そうとしてくるんだ。痛ぇ。
「……菓子丘先生、その、相手の家……つまり、本当の俺の両親って、どこに暮らしてるんですか?」
「この町にいるよ。会うか?」
「……そりゃ、ま、気になるんで。ていうか、俺、どうなるんスか? 向こうに引き取られるとか……?」
「さあな。向こうも娘ともども混乱してるっぽいし、そのへんはお前らで話し合いでカタつけろ」
「せ、先生ぇ……」
「相談には乗る。だが決断するのはお前たち家族だ。向こうさんもな」
菓子丘先生が、ポン、と俺の肩を叩いた。
「よかったな、天泰。家族が増えるぞ」
「え~? なんかめっちゃポジティブ」
ついてけねーわ、このジジィ。
○
パタン、と親父が診察室の扉を閉めた。
家族三人に重たい空気が流れる。
今日一晩、よく考えてから、明日、相手の家と面会(?)することになった。セッティングは菓子丘先生がしてくれるらしい。俺の身の振り方はその後に決まることになる。血のつながってない、この家に留まるか。それとも顔も知らない実の両親と暮らすか……なんだかわずか十分間、菓子丘先生の診察室にいただけで、十五年ぐらい経ったような気がする。
親父が「はぁ」とため息をついた。
「母さん、昼飯どうする」
「それが問題よね」
「メシのこと考えてたの?」
いままで見てきた中で一番深刻そうな顔してたのに。
「わっはっは、冗談だ冗談。ちゃんとお前のことも考えてるぞ、天泰」
「とりあえず空いてる胃を押さえながらそわそわするのやめようか」
「最近の球場って、ご飯置いてないのよね」
「球場っていうかあんたらが今日いったのは高校のグラウンドだからね? 出店とかないから」
この家からツッコミ役の俺がいなくなったらどうなるんだろう。とても心配だ。兄貴の熱也もボケ倒し野郎だし……
てか、べつに行かなくてもいいんだよな? 向こう。
会うだけ会ってそれっきり、わはは妙なことになっちゃったね年賀状くらいは出し合おうか、で終わったりとか。うん、それでもいいかも。
……本当の家族、ねぇ。
親父が「ラーメン喰いてぇ」と言い出したので茶樹ん家のそばの『雷々亭』へと向かう道すがら、俺はぼんやりと考え込んだ。いちおう、地方出身なので家の跡継ぎのこととかもあるが、俺は次男なので、そのあたりは兄貴任せでも問題ない。かといって、ホイホイと実の血だかなんだか知らんがよく分からんものに引っ張られて家を出る気も無いけど。
てか、俺、次男じゃなくて長男だったのか。
さらに、菓子丘先生の話じゃ、『妹』までいるとか。
……妹ぉ?
会ったこともない女の子といきなり兄妹になるとか、無理だろさすがに。
でもどーしよ、妙にウマが合ったりしたら……
「どうした、天泰? ちゃんとラーメン喰えよ。しなちくやろうか」
「いいよ親父、自分で食べな」
「そうか」
雷々亭でやけに俺に喰ってるものを分けようとしてくる親父の持つ箸は、ちょっと震えていた。
俺はそれに気づいてないフリをして、雷々亭のおやじん家の冷蔵庫から強奪したシュークリーム喰ってるお袋から視線をまたがせて、窓の外の町を眺める。
野球のユニフォームを泥だらけにした一団が帰っていくところだった。知ってる顔はいない、他校のやつらだ。
熱也の試合が終わったらしい。
……兄貴、なんて言うかなあ。
○
ラーメン喰ってから家に帰ると、兄貴の熱也が戻ってきていた。
「おう、天泰おかえり。みかん喰うか?」
「いらん。てか兄貴、実はさ、俺たち兄弟じゃなかったっぽい」
「うん、LINEで見た」
「マジかよ」
お袋を振り返るとVサインをしている。べつに褒めてない。
「びっくりしたわ~」
と兄貴の熱也は風呂あがりの半裸の格好で居間に伸びていた。結構、熱也は学校でモテるので、女子どもが見たらキャアキャアいいそうな光景だが、俺から言わせてもらえば髪を乾かす前に畳に寝転がるのはやめろと言いたい。
「たいへんだったのよ熱ちゃん~あ、試合どうだった? 勝った?」
「逆転サヨナラ負け」
熱也はへらへらしている。
「天泰が応援に来ないからだぞ? お前が来ると俺んとこのチームは強いのにさ~」
「兄貴がガキの頃、俺の股間にボールぶつけてから俺は野球をなるべく見ねぇって決めてんの」
俺に睨まれた親父がそっぽを向いている。元はといえば幼稚園児に硬球を買ってやったこのアホが悪い。
「てか、帰ってきたとき茶樹いなかった? さっきまで来てたんだけど」
「んー? 茶樹なら最後ちょっと試合を見に来てたぞ。んで帰った。てか俺が喰おうと思ってた蕎麦が無いんだけど」
「茶樹が喰った」
「あのヤロォ……」
茶樹は俺の幼馴染でもあるが、同時に熱也の幼馴染でもある。……幼馴染と書いて宿敵、と読むが。
「天泰も大変だな。妹が増えて」
「茶樹は妹じゃねぇ。……てか、そのへんも知ってんだ」
「ぶい」
「ぶいじゃねぇぶいじゃ。大事なことはLINEとかメールではやめようねって言ってんだろお袋。……兄貴?」
熱也が起き上がって、あぐらをかいた。なんとなく俺と親父とお袋も正座をして向かい合う。以心伝心なのはいいが、なんで熱也がボスみたいになってんだ。
「じゃ、話し合いでもするか。……天泰、おまえ、どうすんだ?」
「どうするって言われてもな……」
俺はボリボリと頭をかいた。
「向こうに会ったこともねぇし、なんとも。菓子丘先生は……なんか、結構、〈引越し〉もアリなんじゃんみたいな感じだったけど」
「そうか……」
熱也が考え込んでいる。メガネについたホコリは、見慣れたグラウンドの土だ。
「親父とお袋はどう思ってんの?」と熱也が聞いた。
親父が、ふ、と笑い、
「うわああ天泰~~~~! いくなあああああいかないでくれええええええ」
「寄るな親父」
四十間近のおっさんにこれ以上抱きつかれるのはノー・サンキュー。
「お袋は?」
「……ま、天泰が決めることよね」
俺は母親を見た。
「あのね天泰、これは大事なことだから、あんたにちゃんと考えて欲しいの。父さんだめになってるけど、べつに気にしなくていいから。明日、本当のご両親と会ってみて……」
それからちょっと尻すぼみに言葉が消え、お袋が目じりを拭った。
「あんたが向こうにいきたいな、ちょっと試してみるのも悪くないかなって思ったら、遠慮しないで、行っていいんだからね。母さん、あんたを縛るのは嫌だから」
「……お袋」
「もちろん、あんたにはうちにいてほしいけどね。炊事洗濯料理裁縫、熱ちゃん出来ないし。あたしも嫌いだし」
「そうだね」
俺は水仕事で傷んだ手を持ち上げてみせた。お袋は「てへぺろ!」みたいな顔をしている。いい雰囲気が台無しだわ。
「たまには俺をラクさせてくれや」
「はいはい、じゃ、母さんは熱ちゃんのユニフォームでも洗おうかな。ほら父さんいくよ、じいちゃんばあちゃんにも連絡しないと」
「うう~」
親父がお袋に首根っこ掴まれて廊下の奥へと消えた。
「さすがに高校の同級生だっただけあって、いまでも息ぴったりだなあ」
と俺が言うと、熱也がめずらしく返事をしなかった。ん、と思って振り返ると、熱也はメガネを拭いている。それがまるで俺の顔だと思っているかのように、顔を伏せたまま呟く。
「行くなよ、天泰」
「え……」
「俺は、行ってほしくねぇから。……そんだけ」
あー腹減った、と熱也が立ち上がって居間を出ていった。茶樹に荒らされた冷蔵庫をゴソゴソ漁っている熱也の物音を聞きながら、俺は意味もなく畳のいぐさをむしった。
その夜、俺はいろいろ考えた。
なんか妙にセンチメンタルになっちゃって、納戸から家族のアルバムを取り出して眺めたりした。
稲荷家はほとんど旅行にはいかなかったので、旅先の写真は少ない。でもだいたい盆だの暮だの親戚が集まるときには誰かがカメラを持ってきていて、毎年写真は増えていく。よくよく見ると、確かにガキの頃の俺と熱也は全然似ていない。
俺はアルバムを閉じて、また納戸に戻した。べつになんてことない。
来年もまた、おんなじような写真が増えてくだけだ。
家族四人の、ありふれた写真が。
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