第12話
「念願のスマホを手に入れたぞ!」
この時をどれほど待ち望んだ事か。スマホがないだけでお前とは友達できませんとすら言われる時代。
スマホをもっていない人間の居場所のなさったらなかった! まぁ、同じスマホ無い奴同士でつるんでたりはするのだが。
とりあえず、基本操作はマスターした。色々なアプリを入れるのは一旦置いといて、まずは林原にメールを送ってみよう。
俺はメッセージカードを取り出して、その女の子らしい文字と落書きを改めて暫く眺めた。
まさか、林原があの時の事をずっと覚えていたとはな……。
あれは多分中二の時だったか……、教室で龍之介と話してる時だ。当時部活のエースだった龍之介は割りと女子に人気があった。
最も、龍之介は脳筋だから、恋愛なんざまったく興味がない。告白されてもフってばかりいたんだ。
そういうフられた女子が、腹いせなのか傍の席にいる林原に聞こえるようにキツイ言葉を投げているのをたまたま聞いたんだ。
「女子テニス部だってあるのに、わざわざ男子テニス部のマネージャーやるって、絶対男目的だよねー」
大体こんな感じの内容だったと思う。
俺はその言葉に対してぶっちゃけ、その通りだと納得していた。マネージャーなんて雑用係でメンドウなだけだろうし、旨味なんてそれこそ男からチヤホヤされるくらいじゃないかと思ったからだ。
しかしながらその言葉に虫唾が走った。俺が気に入らないのは、『それの何が悪い』と云うところだ。
結局この女は、自分がフラれた鬱憤をぶつけたいだけのペラペラの人間じゃないか。男にモテたいなら、お前だってマネージャーになればいい。
マネージャーやってる奴はその分、雑用って対価を支払っているんだ。対価も払わず、旨味だけ吸おうと考えているのが気に入らなかった。その悪意をわざわざ口に出し、相手を不快にさせる態度にムカついた。
思っていても、黙っていろ。そう考えるのみであった。
今にして思うと、この女からすれば、林原にではなく、龍之介に聞かせるように言っていたのだと分かる。
女子マネなんか、男目当ての卑しい女だから、相手にするなよって言いたかったんじゃなかろうか。
……ともかく、俺はまだその女子グループの言葉を堪える位の余裕はあったはずなのだ。
「でもさ、部内で恋愛禁止になってるはずだよね。マネージャーが色気振り撒いてんのってルール違反なんじゃない?」
「だよね、反則じゃんねー? 部内の男子は恋愛対象にしてはいけません~」
その何でもない一言に俺はあっさりキレてしまった。自分に向けられた言葉ですらないのに。
普通の人ならなんでもない話だろうが、俺には地雷だったのだ。部内恋愛禁止、ルール違反。このワードだけで俺は音を立てて立ち上がっていた。ハデに椅子が鳴ると、かしましかった女グループがシンと静まった。
「るせーよ。ルール語る舌ならマナーをわきまえろ」
勢いだった。カっとなっていて、もう自分が何を言い出すのか自分でも分かってない。
ズカズカと胸糞悪い女達の前まで歩いていって、ブチまけてしまっていた。
「な、なんだよ、お前。カンケーないだろ」
女達が慌てながらもこちらに敵意をぶつける目を向けた。
「関係ねえんなら、余所でやれ。耳障りなんだよ」
「はぁー? 何様なのアンタ」
「あんたが出て行ったら?」
「おい、ダイサク」
女子らに睨まれる中、遅れて龍之介が割って入ろうとする。だが俺はそれを遮った。
「――お前が来たら、意味がねえんだよ」
俺のその一言で、龍之介はその場で立ち尽くした。
龍之介にフラれたこの女の口を封じるのには、龍之介に相手をしてもらうのが一番良いんだろうが、それだと俺の怒りは収まらない。
俺が怒っているのは、単純に自分起因だからだ。龍之介を、もちろん林原も、巻き込む気はないのだ。
これは俺の怒りなのだから。
「ルールがなんだ、心にルールもクソもあるか。好きな気持ちに反則があるかっ!!」
翌日から、俺は盛大にクラスの女子から総スカンを食らった。
まぁ、元々女子にモテたいなんてこれっぽっちも考えていなかったので、なんとも思わなかった。
女子グループの林原に対する攻撃対象が俺に移った事で、林原はそれからおかしな言いがかりをぶつけられる事はなくなったらしい。
ただ、俺に対するチマチマとした嫌がらせは続いた。
教材を捨てられたり、歩いていると、頭上から突然水をかぶせられた事もあった。その時に二階に例の女子グループがいた事に気がついていたが、俺はとりあえず無視を決め込んだ。
そんな具合に、いつかは飽きるだろうと思いながらも放置したのがいけなかったのか、ヤツら少々調子に乗ってきたらしく、当時三年のガラの悪い先輩を焚き付けて、俺をボコって来たのだ。
流石の俺もというか、俺にしちゃよくガマンしたほうだった。
完全にブチきれてしまった俺は、三年の先輩もろとも、その女子にさえ暴力を振るってしまったのだ。
女に手を上げる男は最低だと、少年ダイブの漫画の主人公が口癖にしていた。
なんとなく、ああ、そういうもんなんだなと思っていた。
腕力で勝る男が女に対して、拳を振り上げるのは『悪』なのだろう。
そんなこたぁ分かっていたが、俺はガキんちょだったのだ。
自分に向けられた悪意には、悪意でしか対抗できなかった。俺は漫画の主人公ではないのだ。ただのクソガキで、バカで情けない男なのだ。それを分からされた。
結局、その後、嫌がらせは終わったのだが、俺は両親を呼び出され、教師に厳重に注意された。相手の女子の家にも出向いて頭を下げた。本人は出てこなかったが、親に対して何度も謝り、相手の親はそれを許さず、俺を殴り飛ばそうとして、庇ったオヤジが殴られたのだ。
俺の代わりにオヤジが殴られた。
それが物凄くショックだった。
その夜、帰りの車の中で俺はオヤジに泣いて謝った。オヤジは、子供みたいに泣く俺に何も言ってくれなかった。
でも、そのまま豚骨ラーメンの店に連れて行かれて、ラーメンを食わせてくれた。ラーメンの味は全然分からなかった。ただただ、悔しくて俺は鼻水と一緒に麺を啜ったように覚えている。
家に帰ってからも、俺はやるせない気持ちのはけ口を見つけられず、心はグチャグチャに乱れていた。
とにかく、今は独りになりたい。
直也や三太と一緒の部屋に入りたくなかった。
母ちゃんは、俺を気遣ってくれた。だが、オヤジが殴られるのを見たときから、俺は親にこれ以上自分を気遣って欲しくないと、母ちゃんの気遣いに素直に対応できなかった。ほっとけよと怒鳴ってその場でうずくまる。……うざったくてしょうがない。いっそ、俺を怒鳴りつけてぶん殴ってくれた方が気持ちが良かった。
そして、そんな風に考える自分に、なによりも大きな怒りを持ってしまう。俺は、本当に最低野郎だ――。
その晩、リビングのソファに横たわって、自己嫌悪でなんども自分を殴りつけていた。
「ちくしょう……、ちくしょう……っ」
右手の拳を自分の頬や、脚に打ちつける。それでもこの煮えたぎる嫌な気持ちはまったく消え去らない。
何かに思いをぶちまけると、それを攻撃してしまう。
人に当たるのも、物に当たるのも許されはしない。俺がすべて悪いのだから。俺の思いは俺が受けるしかなかった。
目をきつく閉じながら、何度もぶつける自分の拳と肉体が、痣だらけになっていた。
「くそっ、くそっ……」
ふいに殴りつけようとした右手を誰かに捕まれ引き上げられた。
閉じた瞳を向けると、明かりの消えたリビングで姉貴が右手を掴んで見下ろしていた。
「……離せよ」
俺は姉貴の手を振り払おうと荒々しく右手を振った。それを俺以上の力で姉貴は右手を引っ張り上げ、俺の上体はソファから起き上がってしまう形になった。
「アタシが相手になるから、掛かって来い」
姉貴が手を離しながら、俺を見据えて言い放った。
俺は、姉貴の言葉に一気に毒気を抜かれた。何を言ってるんだ、このバカ姉はと呆れもした。
「はぁ? なんでお前が相手になるんだよ、関係ないだろが、バカか」
「あんたが何で怒られたのか、頭下げなきゃならないのか、あんた分かってる?」
姉貴は重々しく口を開き、硬く圧縮された声色を零して、変わらず俺を見下ろしている。
……もちろん、分かっている。暴力行為は許されない。ましてやその対象が女に向けてのものだったら尚更だ。俺は社会的に許されない、最低の事を仕出かしたのだ。
「分かってるよ」
「アタシはわかんないッッッ!!!!」
頷きかけた俺を、まるで叩き付ける様な姉貴の感情が、俺の淀んだ精神をぶん殴った。
「なんで、ダイが頭下げんだッ! なんでダイが自分を殴らなきゃいけないんだッ!! 先に謝るのはあっちだろッ!!」
「それでも、俺は女に暴力振るったんだ。許される事じゃないだろ」
「だったら、嫌がらせは暴力じゃないのかよ! 女が男に暴力するのは許されるのかよ!! アタシは許さないッ!!」
見上げる俺に、なにか暖かい物がぽたりとこぼれた。
姉貴は泣いていた。俺以上に、姉貴は怒っていたし、悲しんでいたし、悔しかったのかも知れない。少なくとも、姉貴の涙は、すごく暖かかったのだ。
「……姉貴が許さなくても、相手が……周りは俺を……、つか、なんでお前がそんなに怒んだよ」
「知るか、バカ! いいから、アタシが相手になるから、掛かって来い!」
「だから! 俺は女に暴力振るったから怒られてんだぞ! 姉貴を殴れるわけないだろうが!?」
「それがムカつくんだッ!! 女に暴力を振るうな? 女ナメてんのかッ!!」
段々言ってる事がメチャクチャになってきている。
「アタシは、昔からお父さんにも拳骨で殴られて育ってきた! アンタとも、何度も殴り合いの喧嘩してんだ! あんな女と一緒にするなぁっ!」
俺は姉貴の勢いに押されて、そのままソファに倒れこんだ。姉貴がその上に覆いかぶさる。マウントポジションを取られていた。
姉貴の火種が大きく燃え上がって、感情が爆発しちまってるらしい。そのまま胸ぐらをつかまれて、姉貴は顔を押し付けてきた。
「……あんたは間違った事をした……。でも、あんただけが悪いんじゃないんだからな……」
「……ごめんなさい」
俺の胸に顔をうずめて泣く姉貴を見て、素直な謝罪を始めて行えた気がした。相手の女の親に頭を下げても、どこか釈然としない思いは確かにあったのだ。オヤジが殴られた時も、俺のせいでオヤジが殴られた事がショックで、泣いて謝ったが、それも謝罪のためじゃなかった。
宙ぶらりんの感情を姉貴が代弁し、俺の心臓を殴りつけて叱咤した。そして、こうして免罪してくれたのだ。
結局、その時から俺は悔い改め、男と女をより強く意識するようになった。なぜなら、俺の胸で泣いてくれた姉貴が愛おしくて触れ合った肌の柔らかさは、俺の固い筋肉とは明らかに違ったのだ。
そして、困った事に俺はやはり姉貴をより一層、好きになってしまったと自覚せずにいられなかった。
気がつくと、二人で抱き合ったままソファの上で寝ていた俺たちは、翌朝気恥ずかしさで御互いに自室で悶え苦しんだのは、黒歴史というべきか否か。
まぁ、そういう分けであの事件は、林原の事など始めから眼中になかったため、アレの恩返しと言われると、どうにもムズ痒くなってしまう。
だけど、そうだな……。俺が悪い事をしたのは間違いなく、それで救われた人も居たのは、また間違いのない事実なのだとしたら、俺の罪はイニシエーションだったのだろう。
『ケータイ買った大守』と改行も空白も入れない稚拙なメール文面を作成し、俺は送信をタッチした。
一分も経たないうちに、俺のスマホの初着信メールがやってきた。
『ハッピーバースデー♪ これからは、連絡も取りやすくなるね。いつでも連絡ください。恋の共犯者より。P.S.誕生日は十月十日、萌えの日なんだって』
カラフルなアイコンがアニメーションしながらメールを彩っていた。このメール内容をたった数秒で作ったのか。恐るべし、メール術。
……誕生日は十月か。ちょっと間はあるし、これなら貯金を溜める余裕もあるだろう。お返しの為にも林原の好きな物などを調査する必要もあるなあ。
そういえば、俺の誕生日プレゼントって姉貴と折半したんだっけか。
そうなると、姉貴の誕生日も何か贈ってやるべきだな。
姉貴の誕生日は八月だ。あと二ヶ月しかない。まずはこちらをどうにかするべきだな。
姉貴の好きな物は割りと色々知っている。
まず、肉が好きだ。だが、食い物は却下だろう。やはり、何か残り続けるものがいい。
アクセサリなんかが定番なのかもしれないが、姉貴はそういうものはあまりつけない。
精々ヘアピンとか、鞄にバッジをつけてるくらいだしな。
……俺の予算から行くと出しても三千円くらいかな……。あんまり高価でも退いちゃうだろう。好きなバンドのCDとかになりそうだなあ。
――そうだ。林原があの時の恩返しをするのであれば、俺も姉貴にあの時の恩返しをしてもいいんじゃないだろうか。
そう、姉貴の不安を解決する、『共犯者』に俺はなりたいと思った。林原の真似事だが、同時に林原の気持ちにも共感できた。
試験も終り、とりあえずの平穏がやってきたのだ。
俺は今こそ、姉貴の問題に向き合おうと、男の決意を固めた。
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