第9話
五月も終りに差し掛かる頃、学校は中間試験前という事で、部活も休止期間だ。
龍之介は塾が決まったらしく、週二の塾で試験勉強をやっているらしい。
林原はあれから特に変わったことはない。強いて言うなら、割と一緒に話すことが増えてきた。
俺も今日は、月島さんたちの家庭教師の日なので、まっすぐ家に帰る事になる。
家が近い事も発覚したために、林原と一緒に帰ったりした。
話を聞いていると、どうやらあれから姉貴とちょくちょくメールをする仲になったらしく、姉貴の話題と勉強の話題が俺達の会話の中心だった。
「ほら、江洲高の写真だよ」
手渡してくれたスマホの画面に姉貴が撮ったと思われる画像がいくつか映っていた。その中には月島さんと蘭さんの写真もあった。
「んー、おう。蘭さん達じゃん」
「あ、この人? お姉さんの友達だよね。ダイ……大守くんも知り合いなの?」
「まぁ、家に遊びに来るし。あと、今俺の家庭教師してるし」
「ええええええええええええええええっ!?」
突然の大声に、俺は持っていたスマホを取り落としそうになって慌てふためいた。
もっともそれ以上に慌てていたのが声の本人、林原だったが。
「ど、どど、どっちですか!?」
「ど、どっちも……」
「えーっ! なんでー!?」
「何でといわれても……受験手伝ってくれるって話で……」
というか、なぜ林原がこうまで大騒ぎしてるのか分からない。
「丁度、今日この二人がカテキョに来る日だぜ」
「……わ、私が教えてあげるって云うのはどうかなっ?」
ぬ? それはまぁ林原は俺よりも頭脳は上だし、なにより同級生で御互い勉強はしやすい環境にあるが……。
蘭さん達に教えてもらう事自体、俺にはかなり効果的なのもはっきりしてるしな……。
「お前に教えてもらうのは全然悪くない話だけど、なんなんだよ急に?」
「ほらっ、お姉さんの友達も、自分達の勉強でタイヘンだし、私となら一石二鳥だから」
何が一石二鳥なんだか、イマイチ要領を得ないが、一理ある話だ。でもなぁ……。林原と一緒に勉強するとなると……。
「あー……、まぁそうだなあ。今日話してみるか……てか、お前と勉強するとか、ちょっとアレだな……」
「あ、あれ?」
「いや、なんか龍之介が変に勘ぐって来てさ。噂とかになるといやだろ」
「私は大丈夫ですが!?」
「……いや、それに前も母ちゃんが余計なカンチガイというか思い込みしてたしな……、やっぱお前と勉強するってのはなぁ」
「…………」
やっぱり、男と女である以上そんな風に疑われるのはしょうがないかもしれないが、余計なゴタゴタに巻き込まれるのは勘弁してもらいたいところだ。
ただでさえ、神経を使う時期なんだし、俺は姉貴の事もあるしなぁ。
「大守君さ」
「うん?」
「女の子とそういう感じになるのってイヤなのかな?」
「はっ? いや、え? イヤってワケじゃないけど」
突然の林原の追及に焦ってしまった。
「じゃあ、もしかして大守君って好きな人がいるのかな?」
なんなんだ、いきなりすぎてなんでこういう会話になったか分からない。
「な、何言ってんだ!」
そういう話は女同士でやってほしい、男の俺にはどうにも馴染みにくい話なんだよ。まさか姉貴が好きなんて言える訳ないし。
「私はいるんだ」
「……は……」
いつも、伏し目がちな林原がまっすぐ、先を見つめて強く宣言していた。その横顔を俺は呆けた顔で見ていることしか出来ない。
その林原の顔は、魅力的に見えたからだ。自信のなさそうな表情の多い林原が、こんなに凛々しく見えたのはギャップの性もあるのかもしれない。
その横顔をこちらに向けて、俺の瞳を覗き込んできた。俺はその林原の眼の中に吸い込まれるように、少し我を忘れてた。
「だから、なんかわかっちゃう。大守くんも好きな人がいるんだなって」
「……なら、なおさらだろ。誤解とか好きな人にされたくないだろ」
俺の言葉に林原は、小さく頷いたあと、ゆっくり首を横に振った。
「でも、その好きな人が私の事、全然みてくれないから、誤解でもさせないと気が付いてもらえないかもしれないんだ」
……そっか、こいつ地味の代名詞みたいなヤツだしな。相手の男が林原の恋慕に気が付かないのは正直なところ頷ける。
俺はきっと、姉貴に誤解されたくないのだ。俺に彼女が出来たなんて、思われたくない。
それよりも、俺の好意を知ってもらいたい……、けど、そんなのは許されない。だから、俺は諦めるんだ。
いつか、姉貴よりも好きになれる女の子に出会えたら、諦めきれるのかもしれない。
正直、そんな人が現れるなんて考えられないが。
「大守君は、好きな人に気が付かれてる?」
「……いや」
言ってからしまったと思った。俺は自然に『好きな人がいる』事を伝えてしまったようなものだったと。
「じゃ、一緒だね、私達。好きな人に気が付いてもらえてないんだ」
「そう、かもな」
全然共通点なんてないと思っていたが、こんな色恋沙汰で共通してるなんて、なんだかおかしな話だ。
俺と林原は小さく笑った。
「私の知ってる人?」
「そんなん、言えるか」
例えどんなに仲のいいヤツだろうが、俺は自分の姉が好きな事をしゃべったりはしない。この想いは死ぬまで吐き出すつもりはない。
「知ってる人なんだ」
林原が見透かした。女の感だろうか。眼鏡の奥の瞳には確信が宿っていた。
……ダメだ。この手の話題になれば女の方が上手だ。このまま会話を続ければ丸裸にされちまう。それは避けたい。
「もうこの話、終りな」
「じゃあ、私の話だけ聞いて欲しいんだけど」
「……なんよ?」
林原の顔を見ずに、返事した。林原に見つめられたら、全部バレちゃいそうだと思ったからだ。
「絶対に付き合えない人に告白して、玉砕することが分かってる時って、どうする?」
「い、言ってる意味が分かりませんネ」
なんなんだ、その意図は! まるで、俺の悩みを全部しっているんだぞって話のフリじゃねえか!!
「だから、例えば相手が……そうだ、大守君がお姉さんの事を好きだとして、告白する? 諦める?」
「俺が姉貴を好きなわけあるかあああああああああッ!!」
思わず、林原を壁に押し込んで、全力で否定して見せた。林原も流石に慌てたようで、すこししどろもどろに言葉をつないだ。
「た、たとえ話だってば……、これは私の話なの。お、大守君の話じゃないんだから」
シスコンバレを隠すのに、少し冷静さを欠いてしまった。落ち着け、あんまりキョドるとマジでバレるぞ……。
「つ、つまり、お前はそういう禁断の愛に触れるか触れないかって状態なのか?」
「それはヒミツ。だって、大守君も教えてくれなかったし」
「むう。まぁ、それはいいや。あー、だから相手に告白してもOK貰える見込みがないのに、告白をするべきか諦めるべきかって事で悩んでるんだな?」
「そう、大守君ならどう思う?」
暫く考える……。俺だったら諦める。姉貴に対してそうするように。姉弟で恋愛なんて、あのドラマの中で十分だ。リアルにやったら、色んな人を不幸にするだけだと思うんだ。
多分、親は絶対に反対するし、弟達も変な気持ちを抱く事になるだろう。もう自然じゃいられなくなる。家庭崩壊だ。
そして何よりも、姉貴は俺を弟としてみていて、男としてみてるわけではない。
おかしいのは俺だけなんだ。
間違っているのは俺だけなのに、それに姉貴を巻き込むのはおかしな話だと思う。
「……告白がジコマンなら、すればいい。マジで相手の事を思ってるんなら、辞めたほうがいい」
「結構、厳しいコメントだね」
「でも、そーだろ。フラれること分かってるなら、コクっても泣くだけだろ。しかも相手にも気まずい思いさせちまうだろ」
「でも、告白せずに諦めきれるの?」
「……しらねえよ」
……俺は何度も、シスコン卒業しようと思ってるんだ。でも、全然諦められない……。告白せずに、諦めるなんて……できるんだろうか。
例えば、相手と距離が離れていれば、顔をみない期間が広がれば……いつか忘れる事ができるかも。
でも、それだと、顔を見るたびに思い出す姉貴だと、すぐに熱がブリ返す。
となると、他に好きな奴を見つけるって案が、やはりいいのかなあ。でも、本当に好きなヤツを諦めて他のヤツを好きになれるのかなあ?
あー、くそ、なんだこの女々しい思考の渦は!
「ねえ、大守くん。一緒に勉強するのがだめなら、私には恋のお手伝い、させてくれませんか?」
俺の渦巻く脳みそが、林原の言葉をきちんと捕らえられなかったようだ。
「……なんだって?」
「大守くんの恋、応援したいなーって」
「なんでそうなる!?」
「だって、家庭教師は断られたし……」
「そうじゃねえよ!? 俺の恋愛なんざ、ほっとけって話だよ!」
林原……こいつ、何を考えているのか、どうにも分からない。
「そうはいかないの。お姉さんから、ダイのこと、よろしくって言われてますから!」
「姉貴……、何余計な事言ってんだ……」
「大守くんは、その好きな人のこと、諦めたいって思ってるのかな? さっきの回答からすると」
「……おう、そだよ」
もう観念した。それに、諦めきれる方法があるなら、俺もずっと知りたいと思っていたし、正直自分だけではもう解決できないかもしれないと思っていたのだ。
誰かに相談したいと思った事は何度もあった。
いま、まさに林原がそれになってくれようと申し出てくれたのだ。全然悪い話ではない。姉貴も言ったじゃないか……一人で悩むな、と。
「でも、なかなか諦めきれない、であってる?」
「あってる」
「告白する気は?」
「絶対にない」
それが姉貴の為にもなる。姉貴が好きだからこそ、俺は告白なんて絶対にしない。
「じゃあ、ずっとキモチを閉まって過ごしていくんだね。……すごく辛そう」
林原は、俺の話を本当に素直に受け止めてくれているらしい。言葉の後半は、声が少し濡れていた。
「でも、それがいいんだ。たぶん、な」
「無理には、聞かないけどね。どうして……諦めなくちゃいけないのかな?」
「アダムとイブの話知ってるか?」
「禁断の果実を食べて、楽園を追放された男女の事かな?」
「俺は果実を食べた事を知られたくないんだよ」
俺の稚拙なたとえ話に、暫く林原は考え込んでいた。
「……大守くんはヘビに唆されて果実を食べたイブって事か~」
「そんなトコだ。楽園からは出たくない。相手にわざわざ果実を食わせるつもりもない」
「独り失楽園なんだね。孤立して、楽園にいるのに、安心できないんだ」
「……そうかも」
そうだな、結局俺は、楽園に居ても、独りで苦しむしかない。こんな事は誰にも相談できっこないし。独り失楽園とはよく言ったもんだ。
「でもさ、だったら大守くんはヘビに唆されたんでしょ? なら、ヘビは大守くんが果実を食べた事を知ってるよね」
「あ? まぁ例え話だけどさ」
この場合、ヘビはきっかけとなったあのドラマになるんだろうか。あのドラマ、結局最後は姉弟で付き合って終わってたんだよなあ。でも、その後の人生がどうなったかを描いてなくて、幸せなキスをして終了だったから、見てて消化不良極まりなかった。
「だったら、大守くんは一人ぼっちじゃないよね。そのヘビも大守君の事を知ってて、楽園にいるはずだもん」
「うーん? まぁそうなのかなー。でもヘビに該当する人は居ないな」
「だったら、私がヘビになるよ」
「あ?」
林原がまたとんでもない事を言い出した気がする。ヘビになるってどういう事だ??
「果実を食べたイブだけど、アダムには果実を食べて欲しくないし、自分が食べた事もヒミツしていきたい。でも、独りでそのヒミツを抱えていくのはタイヘンでしょ。だから、事情を知っているヘビが相談に乗ってあげる事で、イブは楽園でも上手く生活していけるのでした。なんてどうかな?」
「……つまり、どういう事だよ」
言わんとすることは分かるんだが……それを林原がやるってのは、意味が分からない。
「だから、私が大守君の……禁断を共有する、共犯者にして」
「共犯者って……」
……ルールに反した俺は、犯罪者。犯罪者が相談できる相手は、同じ犯罪者って事か……。でも、それを林原がやるって意味が分からない。なんでコイツがそんな事をしなくちゃならんのだ。姉貴によろしくと言われただけで、俺のこんな立ち入ったところまでヨロシクして貰うのは変だし。
俺がいぶかしんで林原を見つめると、彼女は小さく笑った。
「ふふっ、ちょっと話し込みすぎちゃったね。来月のテスト、頑張ろうね」
「あ? お、おう……」
林原が次の通路を右折して、さよならと手を振った。その最後の笑顔はとても印象的だった。
俺がずっと独りで抱えていた姉貴への恋慕の問題。それを始めて、ボカしながらだが話を聞いてもらったからだろうか?
林原の笑顔は、温もりを持って、俺の心をじんわり温めてくれたらしい。
……その時、ふと、こんな風に思った。
――本当のヘビは俺自身だったのではないかと――。
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