第7話

 ――どうしてこうなった。

「おらおらー! かわせるものならかわしてみせろー!」

「ひいい、バナナ! バナナをつかいます!」

 姉貴と林原がふうせん割り対戦で燃え上がっていた。

「甲羅をバナナでは防げなぁーいッ!」

 姉貴の放った緑の甲羅が林原のカートに直撃し、ふうせんが割れ、スピンする。

「はっはー! どうだ、お姉ちゃんには敵わないと思い知ったか!」

「ま、まだです! もう一回勝負してください!」

 ……なにを競い合っているのだ、この二人は。

「おい、林原。お前、うちに何しに来たのか忘れてないか」

「忘れてないよ! 大守君のコト……、ふぁっ!?」

 白熱していた林原だったが、やっと正気に戻ったらしい。わたわたとテンパるあの小動物のような彼女にもどっていた。

「ちがくって! 大守君の、お姉さんに用があったんです」

「ああ、高校の事を聞きたいんだっけ。じゃ、アタシの部屋、おいでよ」

 やっと本題に入ったらしい。まぁ、このマリカー対戦のお陰で姉貴と林原もすんなりと打ち溶け合えた様だし結果オーライかもしれない。

 二人が二階に上がっていく中、俺はマリカーをソロプレイする。やるのはタイムアタックだ。

 しかし、まったくタイムは縮まらなかった。というか、姉貴と林原が気になっていた。

 一体、どんな話をするというのだろう。というか、江洲高校の話なら俺だって参加してもいいのではないか。俺だって、受験するんだし。

 そうこうしていると、出かけた母ちゃんと三太が帰って来た。

「あ、マリカーしてる。やらして」

「おう」

「なに、あんた一人? 彼女は?」

「だから、彼女じゃねえって言ってんだろ。姉貴に会いに来たんだよ。上で姉貴と話してる」

「あ、そ。じゃあ、マドレーヌ買って来たから、持ってってやって」

 そういってボックスを手渡してくる。

 中身を見ると小さなマドレーヌがいくつか入っている。これなら手づかみでパクつけるだろうし、適量で丁度いいおやつになるだろう。

 結局、マリカーは三太に片付けるように言っておき、俺はマドレーヌを持って姉貴の部屋へ向かった。


 ただ、本当に俺は失念していたのだ――。

 昨日は当然のように姉貴の部屋で勉強していたせいもあるかもしれない。

 俺はほとんど無造作に姉貴の部屋のドアを開いた。

「おやつ持って来たぞ……ッ!?」

 林原が来ていた理由を忘れていた。

 そうだ、制服に興味があると言っていたのだった。

 開け放った部屋で、姉貴と林原は、まさに制服を交換しているところだったらしい。

 二人とも、下着姿だったのだ。

 姉貴は薄い桃色のシンプルな下着で、林原は淡い緑の水玉の下着だった。腰周りには可愛らしいレースも付いていて、以外におしゃれだなとか瞬間的に分析してしまった。

「ダイ~っ!」

「おわ、待てっ!? げるにかっ!」

 言い訳もする暇なく、姉貴のネリチャギを顔面に食らって絵画の名前のような断末魔を上げる事となった。


 直也よ、ラッキースケベは存在するんだな……代償は死ぬほど痛いが。


「もう入っていいぞ」

 部屋の外で正座で待たされていた俺にドア越しに姉貴の声が聞こえた。

「は、はいるぞ」

 ゆっくりとドアを開け、姉貴の部屋へ入る。

 姉貴のベッドには、姉貴の制服を着込んだ林原が恥ずかしそうに座っていた。俺を見る眼が潤んでいる。下着を見られたのが相当ショックだったんだろう。

 姉貴は、デスクチェアーに腰掛けていたのだが、その姿を見て、俺は息を呑んだ。

 林原の、俺の学校の制服を着ていたのだ。


 まるで姉貴が、同年代の、同じクラスメートの女の子に見えた。

 俺は、鼓動が高まり、心が跳ねるのを感じずにはいられなかった。

 中学の制服の姉貴は、正直なところ、可愛すぎた。姉貴ではなく、ただのクラスメートの女の子だったらと思わずにはいられなかった。


「何、黙ってんの。まずは夢子ちゃんに謝る!」

「あ、ああ。す、すまん。わざとじゃないんだぞ?」

「う、うん……。いいよ……」

 恥じらいを残し、真っ赤なトマトのような林原はスカートの上の拳をきゅっと握って許してくれた。

 はぁ、正直ほっとした。姉貴の裸を見たときは、殴られながらもなんだかんだ、後を引いたりはしないが、同級生の裸となると色々問題になりそうだしなぁ。

「どう? 夢子ちゃん、似合ってるよね」

 姉貴が夢子……林原の高校姿を指差して同意を求めてくる。

 林原の高校制服姿は、どこか着せられている感もあった。例えるなら七五三の子供だろうか。いやそれは流石に言いすぎかもしれないが。

 しかし、おかしいとは思わない。似合っている、いないで言えば、似合っている。

 江洲高校の制服はシンプルなセーラー服なので、個々でアレンジすると個性を出しやすいと評判なのだと姉貴は語る。

 そのため、普通に着こなすと、可も無く不可も無くという感触だ。

 林原が結構おとなしめの地味な外見をしてるので、こう……馴染みすぎていて……上手い例えとして用いるとすれば……。

 すごく背景との親和性が高いというか……。つまるところ、モブ女学生感が半端ない。

 そういう意味で、

「すごく似合っている」

 ……と、俺は真摯な感想を申し上げた。

 それを受けた林原の反応は、もう酷く乙女チックだった。

 真っ赤に染まっていた顔はさらに熱くなった様に、顔面から火を噴かんばかりだったし、蒸気がでてもおかしくないと思わせた。

「ありがとう」

 と、震える声で小さく漏らしていた。かなり嬉しそうだと思った。

 目差している高校の制服が似合うと言われたら、受験のモチベーションも上がるだろう。

 これで少しでも林原が受験のプレッシャーから癒されるならそれは良い事だ。


「で……、なんで姉貴は中学の制服着てるんだ?」

 俺にとっては姉貴の方が問題だ。正直、写真を撮りたいレベルだし。

「いやー、せっかくだし着てみたくなって。なっつかしいな~」

 姉貴は姿見の傍でくるくると身体を捻る。不思議なもんで、普段周囲で見慣れている女子の制服なのに、姉貴のその姿から眼が離せなかった。


「あ、すっかり忘れてたぜ。ほら、お菓子。マドレーヌだと」

「お、やりぃ♪」

 姉貴の部屋でおやつタイムとなった。

 マドレーヌはふわりとしていながら、カリっとした甘みもあって、とてもうまい。

「あ、夢子ちゃん。ケータイある?」

「はい、ありますよ」

 マドレーヌをぱくつきながら姉貴はスマホを取り出す。林原もスマホをもっていた。俺は持ってない……羨ましい……。

「アドレス交換しよ。いつでも連絡してよ、知りたいことがあれば教えて上げられるし」

「いいんですか、お願いします」

 林原が何やら操作をして、スマホ同士を向け合った。赤外線通信のようだ。

 電子音が鳴り、アドレスの交換が完了したらしい。

「登録できました、ありがとうございます!」

「うん、今度教室の写真とか送ってあげる」

 そこで林原が俺の方を見つめてきた。なにやら物欲しげな顔をしているのだが、マドレーヌならやるつもりはない。

「あぁ、ダイはケータイ持って無いんだよ」

「あ? ああ、ケータイの交換したかったのか」

「そっか……」

 少し残念そうにしながらスマホを仕舞い込む。俺も今年の誕生日にスマホを買ってもらえる事になっているので、来月には念願のスマホ所持者になれそうだが。

「来月の誕生日にスマホ買って貰えるから、そしたら連絡してやるよ」

「あっ、来月誕生日なんだ?」

 そこで仕舞ったばかりのスマホをまた取り出した。何やら、また操作している。

「いつ? 誕生日」

「六月四日、ムシの日だから、無視しちゃってもいいよ」

 姉貴が代弁し、余計な情報まで与える。それを聞いて、スマホに何やら登録しているらしい。俺の誕生日を入力したのだろう。

「もうすぐだね」

「中間試験とかぶってるけどな……はぁ」

「がんばれよ~。受験の点数だけじゃなくて、内申点ってのもあるんだからね」

 定期試験や日頃の態度なども、受験に影響するってことは分かるが、なんとも息苦しい。

 これが俺たちにストレスを与えて、結果品行に乱れが出てしまうのでは元も子もない気がするのだが。

 それとも、ストレスと上手く付き合って、外面よく生きていくための訓練でもあるのだろうか。

 たしかに、社会ってのはそういうところなんだろうとニュースなんか見ていても感じてはいるが。

「あの、お姉さんは受験の時、どうでした? その……不安とかありましたよね」

 林原も俺と同じ気持ちだったのかもしれない。俺が訊ねて見たい言葉をそのまま代弁してくれた。

「んー。アタシはね、正直なところ受験自体は全然不安に思ってなかったんだ」

 ……え、そうだったのか。

「それよりも、もっと怖い事があったから、受験はむしろそれを忘れさせてくれる逃げ道になってたかも」

「怖いことって何だよ、初耳だぞ」

「……それはヒミツ。ダイや夢子ちゃんに話しても参考にはならないだろうしね」

 そういう姉貴の顔は、貼り付けた笑顔だった。生まれたときからずっと一緒の姉貴の笑顔だ、すぐ分かる。

 姉貴が笑うときは、もっと俺の心を明るくしてくれた。

 でも、今の笑顔はあの階段ですれ違った姉貴の顔――、別人の笑顔だったからだ。


「でもね」

 俺はいぶかしんだ眼を向けていたが、姉貴はそこでまっすぐな眼を俺たちに向けてくれた。

「苦しいときは、一人で苦しんだらだめだぞ。絶対に支えてくれる仲間がいるからな」

 その言葉を受け、林原も俺も深く頷いた。そうさせるだけの意思を感じさせてくれたのだ。



 日も暮れ始めたので、林原を送っていくことになった俺は、二人で夕暮れの道路を歩いていた。

「かっこいいね、お姉さん」

「そうかね」

 と、曖昧に濁したが、心の中では同意していた。しかしながら、姉貴の言う怖いものが気になっていた。

 あの時期、姉貴に何かあったんだろうか? 俺は特に何も感じなかった。何も感じていなかったのが歯がゆい。

 姉貴の不安に気が付いてやれなかったなんて。

「あのね、大守くん」

 俺の思考を遮る林原の声は、なにか力強さを感じた。

「今日はありがとう」

「おう、なんもやってねえけど」

「そんなことないよ。私、独りで怖かったけど、大守くんが居たから、頑張れてるんだから」

「あ? なんの話だ?」

 林原の言っている意味を汲み取れない。今日、家に案内した事に関しての礼だとしたら、独りで怖いというのは当てはまらない気がするし。

 俺が首を捻っていると、林原はその小さな声を美しく響かせ、鳥のさえずりのように告げた。


「……もし時間を戻せるなら、やりなおしたい」


「え……」


 ぱちりと外灯が点灯した。暗くなると自動で点灯する蛍光は、林原をスポットライトの様に照らした。


「ここまででいいよ」

「……ああ」

 俺には分からなくなってきた。

 女は表の顔と裏の顔があるって聞いたことがある。

 姉貴も、林原も、俺の知らない顔を今日見せた。

 俺は手を振る林原に片手を挙げ、その姿が闇に溶けるまで暫くそこで蛍光を浴びていた。

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