第5話
翌日、気だるい朝を乗り切って学校へ行くと龍之介が寄ってきた。
「どうだった、直也の話」
「昨日の今日で聞きだせるかって言いたいトコだが……、まぁ聞いてきた」
「おおっ、流石兄弟だな。んで、実際のトコどうなんだよ」
昨夜のあらましを聞かせてやると、龍之介も得心行ったらしく、「なるほどなぁ」と頷いた。
「そう言う事なら、俺から部内に噂は噂でしかなかったって言っとくよ」
「ああ、そうしてくれ。直也はともかく、林原に変な誤解が生まれるのは可哀想だからな」
伸びをしながらそう言う俺の背後にとたとたと足音がして、林原がやってきた。
「いま、私のこと、話してた?」
擦れそうな震える声でおずおずと訊ねて来た林原はもじもじと俺と龍之介の様子を伺う。
(ううっ、マズい。適当にごまかしてくれ、龍之介)
「いや、部活の話してただけ」
龍之介が若干強張った笑顔で返答してみせると、「そっか」と小さく頷いていじらしく指を弄ぶ林原。
てっきり、それでその場を離れてくれるかと思ったら、林原は動かず、黙り込んでしまった。
「あ、あー。林原は、今日部活どうするんだ? 三年マネージャーはもうほとんどやる事ないだろ?」
気を利かせて龍之介が話を振った。どうやら、三年は部活は自由参加状態の様だ。
龍之介の言葉を受け、はっと、小さく息を呑んだ林原に俺は怪訝な目を向ける。
どうにも挙動不審だ。
「大守くん!」
「お、おう?」
突然に彼女の声の音量からは想像していなかった大きさの声が出てきて、俺は身を縮こまらせてしまった。
「今日、お姉さん、家にいますか!」
「は? 姉貴?」
イキナリの発言内容に理解が追いつかず、数秒のおかしな沈黙が続いてしまった。
ええっと、今日は姉貴はバイト休みらしいし、特に用事がないならまっすぐ帰ってくるだろうが……。
あ、待てよ。そんなに姉貴の動向に詳しいのってシスコンとバレちゃわねえか。こういう時は、「知らん」と返すのが正解だろう。
「シラン」
なぜか、カタコトになっていた。
「そ……そうですか……」
あちらも、なぜか丁寧語だった。
「な、なんで姉貴が出てくるんだ……?」
当然の疑問を俺は投げてみた。林原の反応は明らかにキョドった動きで耳たぶが真っ赤になっている。
「えーと? そのー? お姉さん、江洲高なんだよね? それで話、聞きたくてー??」
語尾がいちいち疑問系になっていて、クセなのかわからんが、指弄りが更に奇妙な動きをはじめ、まるで九字を切るかのように何か特殊な動きをしていた。
「制服ー? そうッ! 制服ッ!! 制服、着てみたかったのねッ!」
あ、そういや昨日はそんな話をしていたか。
それで姉貴の話になったのか……。俺のシスコンを嗅ぎつけたわけじゃないらしい。とりあえず、俺はほっとした。
「なるほど……。なら今度姉貴に話しとくから、姉貴がOKならこっちから誘ってやるよ」
「ほ、ほんとですか!」
なぜ丁寧語なのか。あと、俺の知っている林原とキャラが違いすぎてて正直戸惑う。
俺は食いつく林原にコクコクと頷いてみせた。
それに満足したのか、「ありがとう」と笑顔をこぼして、林原は自分の席に戻っていった。
「なんだったんだ……。林原ってあんなヤツだったか?」
俺より、林原に詳しいであろう龍之介に向き直ると、龍之介は何かに気が付いたような表情で、林原を見ていた。
「あの表情だ……」
龍之介がつぶやくように言った。
俺が何がと聞く前に、龍之介がこちらに向き直り、俺の耳元でボソリとささやく。
「俺が見た、直也と林原が会ってるところ。林原、今みたいに、なんか嬉しそうだった」
――嬉しそう?
嬉しそう、だったのか? 俺にはテンパっているようにしか見えなかったが。
「あんな反応で会話してたら、誤解もするだろ?」
……そうか? 俺は自分がシスコンとバレないようにするのに気を使いすぎてて正直、林原の様子にそこまで気を回せていなかったが。
「なら、もしかしたら、林原は直也にも姉貴の事を聞いていたのかもしれないな」
「ううむ、そうなんだろうか? なんか違うような気がするが」
そんなことより、俺はいまだ解決しない、幾多の障害を一つ一つ乗り越えていくしかない。
俺も塾に行った方が勉強に集中できていいのかもなあ。
集中してれば、姉貴の事で悶々としないだろうし、高校受験もうまく行くだろう。
でも、受験に受かって高校に通いだしても、また勉強に追われて今度は大学受験……、その後は就職活動でまた苦しんで……。
就職しても、会社でこき使われてってカンジなのかなあ。
なんか、……人生ってめんどくせえ……。
みんな、なんで生きてんだろうな。『死ねばいいのに』とかじゃなくて、どうやってこの坂道を登っていくのだろうと素朴に思った。
登山をする人間の気持ちが俺には分からない。
でも、なんとなく、『やりがい』とかそういうので登山してるんだろうかな、なんて想像する。
頂上まで上りきったその景色はさぞカンゲキするのだろう。空気がおいしいのだろう。人間として一皮向けるのだろう。
だけど、俺にはどれも実感できない。
正月にTVで見た駅伝もそうだ。
長い距離走って、ゴールして、それで何になるのだろう。
別に登山家やランナーをディスってるワケではない。本当に、俺は『やりがい』とか『熱意』とか分からないのだ。
夢中になれたのは、唯一姉貴の事だけ。でもそれも諦めようとしている俺は、つまり、夢を手放そうとしているという事だろうか。
テニスに夢中になれる龍之介や直哉が羨ましい。
モンバトにハマる三太が羨ましい。バイトで頑張る姉貴が羨ましい。
……なんで俺はこんなにも中途半端なのだろう……。
――学校も終り、今日はまっすぐ帰宅した。
家に帰っても誰もおらず、居間のテーブルに母ちゃんの書置きが残してあった。
どうも三太と一緒にスーパーに買い物に行ったらしい。
誰も居ない隙に、勉強をやっちまおうと、自室で宿題と問題集に手をつけていると姉貴が帰宅した。
「ただいまー」
林原の事を話そうと一階に下っていく。
「姉貴ー、ちょっと話があるんだけど……」
玄関には、姉貴のほかに二人、江洲高校の制服に身を包んだ女性が靴を脱いでいるところだった。
その二人は、よく家にくる姉貴の友人の、月島麻衣さんと西野蘭さんだった。
「あー、ダイくん。お邪魔しまーす」
蘭さんが明るく挨拶をしてきた。蘭さんは、明るくマイペースな人で気さくに話しかけてくれる優しいお姉さんって感じの人だ。
髪は肩を覆うくらいの長さでウェーブが入っている。姉貴を含めたこの三人の中で最も女性らしい印象を抱かせる。
「よ、やってんのか」
と、短すぎる挨拶をしてきたのが月島さん。……何をやっていると聞いているのだろう。
月島さんは(麻衣さんとは呼べない。なんかそんな雰囲気の人なのだ)なんと云うかクールビューティーというか、ミステリアスというか、イマイチ何を考えているのか掴みにくい人だ。
見た目は明るく染めた髪を、姉貴より少し長めに伸ばしたショートスタイルで姉貴よりは綺麗なストレートヘアをしている。姉貴はちょっとクセっ毛だ。
それから、印象的な切れ長の目。睨まれるとちょい怖い。いい人なんだが、パッと見、ちょっとガラが悪い不良少女に見えなくもない。
そしてなにより、直也のファーストキスの相手だ。
「う、うす」
俺は二人にそれだけ返して、姉貴に向き直った。
「ダイ、なんか話あるって?」
「あ、あー……。その、ガッコの同じクラスの女子がさ、姉貴に会いたいらしくて」
「へ? なんで?」
当然の反応ながら、姉貴は目を丸くして瞬きした。
俺のクラスの女子が会いたいなんて聞けば、そりゃキョトンとするだろう。
「そいつも江洲高受けるんだけど、色々話聞きたいらしい。あと、制服に興味があるんだと」
「なに、それ。お前の彼女?」
月島さんが、ジト目で切り込んできた。俺は慌てて否定した。
「ち、ちがっ! ただのクラスメートだよ」
「ふうん……。別にちょっと会うくらいはいいよ。制服に興味があるんなら、あたしの貸してあげてもいいし」
姉貴ならそういうだろうなという反応そのままの返しだった。さばさばしていると言うか、あまり細かい事を気にしないのが姉貴のいいところだ。
「そうか、じゃあ伝えとく。土曜でもいいか?」
「土日は、ダメだな~。予定入ってる。明日の夕方でも良いなら、家まで連れてきたら?」
「む……。分かった。それで伝えるわ。明日な」
とりあえず、林原の用件はなんとか片付いた。俺は上に戻ろうと階段へ向かい始めたとき、月島さんに襟首つかまれ、喉をつぶした。
「ぐえ」
「私の質問、答えてない」
し、質問? あ、さっき、『やってるか』、とか聞いてたヤツか?
「な、なにやってるやってるってんだ?」
「受験生に聞くのは勉強しかないだろ」
抑揚のない言葉で言いながら、切れ長の目が俺をジトリと見ていた。
「あぁ……それね……まぁボチボチ」
「私達ねぇ~、今日はダイくんの家庭教師に来たんだよー?」
蘭さんがニコニコ笑顔で思いも寄らない事を言った。
「はっ!? なんで?」
「いや、昨日の夜、勉強のこと、聞いてきたじゃん。そのこと話したら、蘭が教えてやるって張り切ってさ」
……まさか、昨夜のちょっとした誤魔化しに使った質問が、こんなことになるとは……!
「蘭さん、頭いいの?」
蘭さんのニコニコ笑顔には癒されるが、知的さを感じたことはあまりなかった。どっちかと云うと、マイペースなのんびり屋。昼行灯って印象だったからだ。
「実は、学年トップクラス」
月島さんがブスっと不貞腐れるように情報を提供してくれた。
「あたしじゃ、あんまり勉強は教えてやれないからさー、丁度いいっしょ」
「そ、そりゃ……蘭さんが教えてくれるなら、俺はありがたいけど……」
改めて蘭さんを眺めてみる。前から思っていたが、非常にグラマラスな体つきをしてらっしゃる。もしかしたら、合格したら、特別なご褒美とかシてくれるかもしれない。
直也なら、「そのチョモランマのぼりてー!」と胸部にダイレクト登山申請をするところだろう。
こ、こんな人に手取り足取り家庭教師して貰えるなら、俺の成績も有頂天かもしれない。
「いいよ~。ヒマしてるし、ねっ、麻衣ちゃん」
「……おう」
「蘭さんが家庭教師してくれるのは分かったけど、なんで月島さんも?」
「私が来たら悪いか、あー?」
こわいこわいこわい。目が坐ってんだよ、マジでえッ!
「麻衣ちゃんはね、将来先生になりたいから、家庭教師やってみたいんだって」
くったくなく蘭さんがそう言うのだが、俺は疑いの眼差しで目の前のカミソリのような表情の月島さんに嫌な汗をかきまくっていた。
「余計な事を言うな、ったく」
「ま、マジなん? 月島さん、先生目差すって」
「進路希望で、特になかったから思いつきで書いただけだ」
と、月島さんが若干顔を赤らめて言い訳がましく言う。
……進路調査……。そっか、姉貴たちも、そういうので考えている時期なんだな。
姉貴は進路をどうするんだろう……。
そんなわけで俺は姉貴の部屋に連れ込まれ、受験勉強と宿題を蘭さんの飴、月島さんのムチにより着実に進ませて行った。
「じゃあ、次の英文を過去形にしなさい」
「I live in Tokyo.」
月島さんが問題を読み上げ、蘭さんが流暢な英語で歌うように発音する。ヒアリングの勉強になるからと始まった英語の勉強だ。
えーと、和訳すると私は東京に住んでいます。だから……。
「アイ リブ イン エド」
パコーォンッ!
月島さんが、ソッコーで丸めたノートで俺の頭頂部を殴った。心地よい音が俺の散切り頭から鳴った。
ちなみに、姉ちゃんは帰って来た母ちゃんと一緒に夕飯を作っている。
今日は、月島さんと蘭さんも一緒に夕飯を食べる事になったので、手伝うことにしたらしい。
三太は下でテレビでも見てるだろうし、さっき帰って来た直也は一度顔を出したあと、姉貴にジャマをするなと引きずり出されていった。
「ふんふん……。ざっと見た感じ、ダイくんは理数系が苦手みたいだね」
「あと、英語と社会と国語もな」
「全部じゃねえかっ!」
容赦ない分析に、俺の思春期プレパラートハートにひびが入りそうになる。
「弱点補強の課題箇所は見えてきたし、次回はその辺に焦点を当てて勉強の計画を練ってあげるよ~」
「そ、そっすか……。っつか、いいんスか、マジで。俺の家庭教師なんか」
「私は、いいよ~♪ 思ったよりも楽しいし。ね、麻衣ちゃん」
「……私は別に楽しくはないんだが」
蘭さんが変わらずにマイペースな笑顔で、月島さんに懐っこく同意を求めていた。月島さんは突っぱねたように言うが、まんざらでもない感じを表情から読み取れた。
「二人は仲、いいんすね」
「仲良くねーよ」
「相思相愛だよ~」
そっぽを向く月島さんに、蘭さんが抱きつく。随分打ち解けた関係に見える。
「私達、子供の頃からの付き合いだからね~」
「……腐れ縁だよ。友達っつーより姉妹みたいなもんか……」
「へえ、幼馴染なんスね」
幼馴染と兄弟って似ているんだろうか。俺には幼馴染が居ないので良く分からない。龍之介は小学五年からの付き合いだし、ガキの頃からずっと仲のいいヤツなんていない。
「姉貴とは、中学で仲良くなったンすよね」
二人が始めて家に来たのが、姉貴が中一の時だった。およそ四年前か。
「うん♪ それで一緒の高校に行こうねって、一緒に受験もしたんだよ~」
「蘭さん、勉強できるんでしょ。なんで江洲高なんかに……友達と一緒ってそんなに大事ですか?」
少し林原の事が頭によぎった。学力だけなら上の高校を狙える状態で、どうしても江洲高に行こうと考えているあいつの気持ちが分かるかもしれないとなんとなく考えていた。
「周りはね、そんな軽率な決め方をするなって怒ってたよ。親も先生もいい高校に行けって」
「それでも、こいつは私らと一緒の高校を志望したんだよ」
「友達が行くから、ですか」
将来って、そんな風に決めちゃってもいいのだろうか。友達が一緒だから、というのは悪いけれど、俺も少し軽率な決め方に思えた。
「私にとっては、何よりも大事な事だったからね」
しかし、蘭さんのその断言は、ひとつも後悔をしていない様子だった。寧ろ、誇っていると言うか、とても魅力的な表情で充足を感じられた。
「そ、そっか。蘭さんでもそんな考えをするんですね。俺、ちょっと安心しました」
「ダイくんも、友達が行くから江洲高にしたの?」
「い、いや、俺は近いからってのが理由なんですけど」
「そんなことよりさ、リカの事なんだけど……」
俺の照れ隠しの回答を月島さんがバッサリと断ち切った。
……そんなことって……。辛らつだぜ、月島さん……。
「みんなー! ご飯できたぞー!」
月島さんが、後半何かを言おうとしていたが、姉貴が飛び込んできたため、会話が一時中断となった。
「あ、うん、いこっか」
蘭さんも、どこか取り繕うような笑顔を見せ立ち上がる。いつもがふんわりとした笑顔を湛えているので尚の事、異質さが浮き上がった。
「え、あ、おう」
俺はどこか奇妙な感覚に乱されながら、姉貴の部屋から出る事になった。
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