第2話

 林原が告白した初恋の相手は、実の兄だという。

 そんな話を俺に振って来るという意味。

 ……もう、認めるしかない。

 林原は、俺の好きな相手を知っているんだ。


 俺が姉貴に恋していることを――。


「林原、今の話はマジなのか」

「うん」

 ……だとしたら、俺と林原は同類になる。

 だから俺の事に感づいたのかも知れない。

「物心付いた時から、ずっと、お兄ちゃんの事が好きだったんだ。それは、最初は恋愛感情なんて分からなかったんだけど、気が付いたんだよね。お兄ちゃんの事が『好き』な事に」

 ゆっくりと語る林原を見ていて、気が付いた。

 林原の兄への恋は、決着がついているんだと。

 決着が付いているから、俺に話しているのだと。

「気が付いたきっかけは、お兄ちゃんが中学に入ってから暫くして、彼女ができた時だよ」

 写真の中の林原は笑顔で兄に抱きついていた。

 無邪気。そんな笑顔だ。

 まだ、禁断の果実を食べていない、知らなかった頃の笑顔だろう。

「彼女ができたって聞いた時、私、すごく苦しかったんだ。それで気が付いた。私の好きは、『恋』なんだって」

「…………」

 俺は言葉を返せず、ただただ、林原の話を飲み込む。

「お兄ちゃんは男子テニス部だったんだよ。江洲中の。それで、彼女さんは女子テニス部の同級生」

「……そう、だったのか」

「だから、私は江洲中の男子テニス部にマネージャーとして入る事にしたの。お兄ちゃんを取り返すために」

「んなっ!? お前がテニス部のマネージャーやってる原点はそれなのか!?」

「そうだよ。お兄ちゃんのためだけに入ったんだ。テニスとか、マネージャーの事はどうでもよかったんだよ。最初はね」

 そう言って、軽く笑う。

「私が、中学一年に上がったころ、お兄ちゃんは中学三年。だから、うちのお兄ちゃんと、大守くんのお姉さんは同級生みたいだね」

「ま、まじか……」

 そこまで親和性があるのは軌跡なのだろうか……。

「でも、大守くんのお姉さんと、うちのお兄ちゃんは全然接点ないみたい。御互い、知らないみたいだし」

「ふうん……」

 なぜかそれを聞いてほっとした。なぜかは自分自身分からない。

「それで、一年間マネージャーとしてお兄ちゃんにくっついて、彼女との仲を裂こうとしてたんだよ。私」

「お前、結構アグレッシブなんだな……」

 ちょっと前までなら、意外に思ったが、今となってはこの林原夢子という少女のしたたかさを多少知ることもあった。

 事実、そのしたたかさによって、俺はいま彼女の部屋でオレンジジュースを飲んでいるのだろう。

「こんな風には言いたくないけれど、恋する女の子ってスゴいんだよ」

 ……そういうモンだろうか。多感な年頃で、色々と影響を受けてしまうのは分かるが……。

 ま、俺だって姉貴の半ストーカー的な事をやっている以上、否定はできない。

 『恋』は盲目って言葉もある。


「それで、結局どうなったと思う?」

「え……いや……」

「お兄ちゃんと彼女さんは、受験を前に分かれました」

「マジか」

「別れた理由、なんだと思う?」

「お前のせい、なのか?」

「……だったら良かったのにね」

「え?」

「別れた理由は、一緒の高校に行けないから、だって」

「……え?」

「一年間やった私のアプローチは、まったく眼に入ってなかったみたい。私が何かしても、しなくても、二人は別れたんだ」

「……そ、か」

 なんと答えて良いのかわかんないので、ぬるい相槌を打つしかなかった。

「その時に、分かったんだ。私がどれだけ必死にお兄ちゃんにぶつかっても、全然届いてなかったんだって」

 雨音が聞こえる部屋で、林原の言葉が零れ落ちていく。

 その雰囲気のせいだけではないだろう。林原が悲しそうに見えたのは、きっと、彼女の一年がどういうものだったのかを物語っているためだと感じた。

「そ、そんな事無いだろ。やり方がまずかっただけじゃないか?」

 慰めにしてはちゃちなセリフが口から出てしまった。

「私も、そう思った。私は、彼女と別れて欲しかったんじゃない。私を見つめて欲しかったんだって。だから、私は、お兄ちゃんに告白することにしたんだ」

「……! マジ、か」

 俺の求めた回答の一つ。

 告白――。破滅しか考えられない選択肢だと認識している。

「うん。まっすぐ伝えなくちゃ、絶対に気が付いてもらえないし、私の気持ちも片付かなかったから」

「……それで……?」

「お兄ちゃんに好きって言ったんだ。兄弟としてじゃなく、男の人としてって。……結果から言うと、当然ながらふられちゃったんだけど」

「当然、か」

 家族に慕情を打ち明けて、すんなりと行く方が変な事だ。そんな事は分かっている。

 それでも、俺はその『当然』に反抗心が騒いだ。

 林原は、アルバムの写真に視線を落としてポツポツと、失恋のエピソードを聞かせてくれた。その声色は、寂しげであったが、振り切ってもいる。そんな風にも感じられた。

「うん……。『当然』なんだって言われた。『お前が普段生活している時、空気を感じているか? 空気がないと生きられないけど、その存在に感謝した事はない。あって当然。それがお前だ』って、お兄ちゃんに言われたんだ」

「お前のこと、空気だって言ったのか」

「特別には思えないけれど、なくちゃいけないもの。それが家族で、それ以上でもそれ以下でもないって」

 林原の表情を見て、俺は理解した。

 寂しいとか、悟ったとか、経験して大人になったとかじゃない。

 『諦め』だったのだ。林原は、その恋を諦めたんだ。

 そんな彼女を見ていると、フツフツと俺の中が熱を持っていくのを感じる。それは、自分自身との合わせ鏡のようにも思えたからかもしれないが。

「家族が空気なら、お前はどうして、空気に特別な想いをもったりしたんだ。お前は空気に、いつもありがたみを持って生きているのか?」

「そんなことはないけど」

「当然だ。空気には心はない。人は、心を好きになるんだ。だから、好きになった事に、家族なんて関係ない」

 そうだ。そんなの、当たり前だ。

 林原の兄はきっと妹に対して、その想いは間違っているんだよと、諭すために伝えた例え話でしかなかっただろう。

 だけど、普段の林原を見ていて、そして最近の林原を見ていて、俺は彼女の事を誤解していたのだと気がつけた。


 アルバムの写真の林原夢子の笑顔は、眩しく可憐で、魅力的に輝いていた。

 この雨の中、二人で帰った体温。

 俺にアプローチしてきたこと。

 こうして、家に俺を招きいれたこと。

 いつも、彼女は頑張っている時に、丁寧語で話していた。

 俺はずっと、林原夢子は地味で、モブで、背景で、空気のような存在だと思っていた。

 それは、林原がそう演じていたからだ。

 最愛の、初恋の人からお前は空気だと宣言され、自分を殺し、諦めた。

 そんな彼女が、ふとしたきっかけで、俺に見せた本当の林原夢子の表情。

 好きな兄を取られると必死に一年間、テニス部に入ってまで兄を取り返そうと動いたアグレッシブな彼女こそ。

 俺と一緒に帰って、家に招いた一生懸命な彼女こそ。

 林原夢子だったんだ。

「お前は、空気じゃない」

「……そっか。私、空気じゃないんだ……。だから、待っててくれたんだ。それが嬉しかったんだ……」

 そうだ、もうこいつは俺にとって、重要な人物だ。

 だからこそ、俺も、彼女に告白しようと思った。

「……林原。俺は、好きな人がいる。……それは、俺の姉貴なんだ」

「そっか。なんとなく、そうかなって思った」

「いつ頃から?」

「んー。初めて大守君の家に行ったとき」

「マジか。そんなに分かりやすかったか、俺……」

「うん。でも、それは私がずっと、大守君の事を考えていたからだと思う……」

「んなっ、何言ってンだ、あ、あほ」

「さて! それじゃ、長くなっちゃったけど、ココからやっと大守君の恋愛相談、始められそうだね」

「ぐっ……。お前、ほんとしたたかだよな」

「ふふふ~~!」

「ったく、そうは言っても前に話したとおり、俺は姉貴に告白する気はないぜ」

「ずっと、好きな気持ちを隠して、お姉さんに好きな人が出来たら、それでも隠していける?」

「……隠して行くつもりだ」

「お姉さんの幸せを応援できる?」

「できる。無理やりでもする。もっとも、姉貴に相応しい男かどうかは俺がじっくり審査してやるけどな」

「じゃあ、大守君の幸せはどこにあるの?」

「…………」

「お姉さんが幸せなら、大守君も幸せ?」

「……そ、そうだ……」

「自分の幸せを他人任せにしても、上手く行かないよ」

「むぅ……っ」

 バッサリと切り捨てるような林原の言葉に反論できなかった。

 好きな女が幸せなら、俺も満足だ。

 そんなセリフを漫画で見た気がする。

 俺はそれに対して、なるほどと思ったのだが、実際のところそれは自分自身への言い分けと言うか免罪符というか。愛さないのが愛、みたいな。何か矛盾を孕んでいるなとも思えた。

 だが、俺はその答えにすがるしか方法はなかった。

 相手を好きでいる事が許されないのだから。だったら、自分の幸せの着地点はそこにしかないようにも思えた。

 そんな純情な俺の想いを知ってか知らずか、林原が飛んでもない事を言い出した。


「好きな人とキス、してみたいと思わない?」

「きっ?! はあああッ!?」

「えっ、変かな? お姉さんとキス、したくない?」

「ばっ、ばっ、ほああ!?」

 藪から棒になんなんだ! 俺は思考が追いつかず、顔を真っ赤にして汗をタラタラかきはじめていた。

「……あ、そっか。恥ずかしい、のかな」

「い、いや、っつか、それとこれとはまた……」

「えっちなこととか……その、男の子のほうが好きなのかなって思ってたけど……」

「何言ってんだよー!?」

 あ、姉貴と……え、エッチ……。

 頭の中に姉貴のパンツとか、姉貴の唇とか、昔一緒にお風呂に入った事とかが蘇る。

 そん時は、もちろんその……下半身が熱くなることもあった。って事は……俺はそういうのをしてみたいと考えていたって事になるのか!?

 うぐううううっ、俺は自分のコトを変体のシスコンだと思ってはいたが、こうして今改めて考えると、マジで俺、キモくないか!!??

「で、でも、好きな人とは……やっぱりその……したくなると思うんだけど……」

 林原はなおも俺に容赦ない精神攻撃を仕掛けてくる。少し顔を朱に染めているあたり、林原自身も恥ずかしい質問ではあるのだろうが。

「お前はどうなんだよ! したいのか! お兄さんが好きだった時、そういうの、してみたいと思ったのか!?」

「えっ……、その……お兄ちゃんが寝てる時、こっそり……したことある……」

「えええええええ!?」

「き、キスの話だよ?」

「俺はまだしたことないんだよおおおおおおおおっ」

 直也に続いて、林原まで……。

 しかも、こいつ寝込みを襲ってやがるっ!

 女子の方がそういうのに強いってのは分かっているが、俺の清純なハートがどんどんピンクに染め上げられていく。

 俺が寝てる姉貴にキスしようものなら、絶対にぶっ飛ばされる。

 直也が姉貴のおっぱい揉んだ時も、半殺しにされていたから間違いない。

「でも、真面目な話……異性として好きなら、そういう気持ちもあると思うんだけど……これって大切な事じゃないかな」

「むぐ……。それはまぁ、その……、姉貴の裸とかみると、ヤバいときはある」

「……男の子だね」

「お前が振った話だろっ!」

「私のお兄ちゃんは、私の裸みても、なんとも思わないから、やっぱり大守くんの気持ちって本物なんじゃないかな」

「お前の裸……」

「あっ、ちょっと、今のなしです! うううっ」

 姉貴の部屋での着替えシーンを見てしまったために、割と想像できてしまうあたり、ヤバかった。

 林原もあの時の事を思い出してか、今更なぜか胸に手を当てて隠すような動きをとる。

 しかし、そうか……家族の裸なんてなんとも思わないのが普通だよな。

 直也のエロは、正直冗談でしかないし、三太も姉貴と風呂に入る事に何の疑問も持ってない。

 ……姉貴と、キス……か。

 正直なところ……して、みたい。

 でも、そういう一線を越えるのはヤバイから、考えないようにしていたんだ。無意識に。

 それを今、赤裸々にほじくられて思い知った。

 俺はやっぱり、姉貴の事を『女』としてみているんだ。

 ……気持ち悪いヤツだな、俺は……。

「はぁ……やっぱ口でどうこう言った所で、結局俺は、姉貴が好きでエロにも興味あるシスコン野獣なんだなあ。ヨゴレだわ……自分がいやになる」

「それは違うよ」

 俺の重い溜息と沈んだ肩を持ち上げるような力を持った言葉が、林原から届けられた。

「好きってそういう事だよ。汚れてないし、大守君は、変じゃないよ」

「そうは言っても、姉に欲情してますなんて、周りに言えないだろ」

「ど、度合いの問題だよ。好きな人とキスしたい、それは当たりまえじゃないかな」

「まぁ、そう言えばそう、だな」

「私は、大守君がそうやって、自分のコトをおかしなヤツだとか、変体だって考えていて、溜息をつき続けて……、大守君自身は幸せになれるのかなって思ったの」

「俺の、幸せか……」

「自分のコトをもっと、好きになって良いんじゃないかなって私は思う」

「……はは、あんがとな。林原」

 まだ、自分の幸せなんて言われてもピンとは来ないんだが、確実なのは……こうしてヒミツを誰かに打ち明けた事が、随分と気分を軽くさせていた。

 林原が自分をさらしてまで行動してくれなかったら、永遠に巡ってこなかった機会だと思う。

 梅雨が運んだ雨の転機は、俺の中にある何かをゆっくりと切り替えさせていく。

 許されないと思っていた想いを、好きになってもいいのだと、そういってくれた少女を俺はもう一度見つめた。 


 林原夢子は、やはり地味な印象をぬぐえない女の子だったが、俺のたった一人の理解者なのだ。

 その存在の大きさは、俺の淀んだシスコンのレッテルを剥がしていくような、確かな熱をもっているように思えたし、ビニール傘で触れ合った半身はその熱をまだ思い返すことが出来そうだった。

 俺は少しだけ、雨が好きになりそうだった。

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俺は姉貴の他人になりたい 花井有人 @ALTO

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