文化祭

第1話

 梅雨の六月。

 当然のように雨空は太陽を覆っていて、気がめいる。

 俺は雨は好きじゃないのだ。

 というか、具体的に言うと傘が嫌いだ。

 傘を持つと云う事は、必然的に片手がふさがる。

 この、自由に使える手が封じられるのがイヤなんだが、同意をもってくれる人はいるんだろうか。

 レインコートでよくね? なんて、直也に言われた事もあるが、レインコート着てる奴なんて全然いないし。

 レインコートは脱いだ後、どうしたらいいのか分からない。

 傘たてはあるのに、レインコートかけはないし。


「……と、まぁそういうわけで俺は雨の日が嫌いなんだ」

「はぁ……」

 林原がどうでもよさげな対応を返してくれた。

 学校の玄関で、俺は空を眺めて雨が止むのを待つべきか悩んでいるところで、隣の林原はそんな俺をいぶかしんで声をかけてきていたところだ。

「ようするに、大守君は傘が無くてまいっている……という事でいいんだよね?」

「そうです」

「たぶん……雨、止まないと思うんだけど……」

「……だよな」

 朝はまだ雨が降ってなかったんだ。

 母ちゃんは傘を持って行けと言ったが、俺は傘を持つのが嫌いなので、雨が降らない事にかけて俺は傘を置いてきたのだ。

「……大守君。一応聞くけど……一緒に傘入る?」

「……はいらねえ」

 林原も、随分俺のことが分かってきたらしい。

 俺が女子と相合傘に悦んで入るわけがないのだ。

「じゃあ……これ、使っていいよ」

 林原がそう言って、持っていた傘を差し出してきた。

「は? いや、だってお前は?」

「置き傘してるんだ」

「あ、そうなんだ。……マジでいいなら貸してくれ」

 俺は林原からビニ傘を受け取って、開く。

 林原は、そのままにこりと笑顔を見せて校内へ引っ込んでいく。

 俺は、そのまま暫くそこで林原を待つ事にした。

 今の俺には、スマホという最高の暇つぶしアイテムもあるわけで、林原が置き傘を持ってくる間の暇つぶしくらいは可能だろう。


 スマホを取り出し、メッセージアプリを立ち上げる。

 すでに、姉貴や月島さん達も登録されていて、時たま、会話したりもしているのだ。

 俺はグループトークの部屋を開いて、書き込んだ。


ダイ>傘忘れた


 ほんの数秒後、リアクションのメッセージが表示される。


リカ>だから、持ってけって言ったじゃん

ラン>だいじょうぶ?


 うーん、なんて便利なんだ。メッセージツール。最初はメールを使っていたが、今はもうメールは使わず、このチャットツールの御世話になっている。


ダイ>今、林原に傘借りた

マイ>誰だっけ

リカ>ダイの彼女

ダイ>ちげーわ、アホー!!

ラン>あ、もしかして相合傘してるの?

ダイ>違うっつーの! 傘を借りただけ。

ダイ>林原、置き傘してたんだよ。余ってんの


 ……つか、遅いな、林原。置き傘取りに行ってるだけにしちゃ……。

 俺は林原が入っていった玄関奥の下駄箱の方へ眼を向ける。

 傘置き場は下駄箱の脇に備え付けられているんだが。

 その辺りに林原はいない。


 俺はスマホを操作して、林原にチャットメッセージを送る。

 これは姉貴たちのチャットルームとは別の個別送信だ。


ダイ>おーい どうした

ユメコ>え?

ダイ>傘だよ。無いのか?

ユメコ>えっ


 ……? なんか話がかみ合ってない?


ダイ>いや、中々来ないから

ユメコ>へっ!? もしかして、大守くん、待ってくれてるの?

ダイ>は? お、おう? まだ玄関にいる


 ……つまり、林原は俺に傘を貸して、先に帰らせるつもりだったのか?

 俺はてっきり、林原が置き傘を取りに戻ってから一緒に帰るもんだと、勝手に思い込んでいた。

 チャットの返信はないまま、俺は暫し、玄関で雨の音と共に思案する。

 そうだ、別に一緒に帰るなんて話をしていたわけではない。

 ただ、俺が帰ろうとして雨に立ち往生していた傍に林原がやってきただけだ。

 でも、傘を借りた相手をほおって、一人先に帰るというのも、なんだかもやっとするじゃないか。

 だから、俺は自然に置き傘を取りに戻ったと思われた林原を待っていただけなのだ。


「大守くんっ!」

 玄関でぼんやりとしていた俺に林原が駆け寄ってきた。

 その表情は非常に慌てている。

 その手に傘はなかった。

「ご、ごめんなさい! 私……てっきり先に帰っていると思って……」

「いや、なんかこっちこそ悪い……」

「ううん! 私、うれしい……」

 林原の表情は慌ててやってきたためなのか赤く染まっている。

 少しはにかんだその顔は、素直に可愛らしいと思った。

 俺は、照れ隠しのために話題を持ち出すことにする。

「で、傘はどうしたんだよ」

「置き傘、無くなってたみたいで……」

「あー、誰かがパクったのかな……。なんで傘ってパクられやすいんだろうな」

「お、置き傘してた私も悪いから……」

「じゃあ、結局傘は無いんだろ。返すよこれ」

 傘を手渡そうと差し出すのだが、林原はそれを受け取らず、じっとその傘を見つめていた。

「大守くん」

「あ?」

 赤い顔のままの林原は、突如ペコリと頭を垂れた。

「一緒にかえりませんか!」

 丁寧語で繰り出されたお願いは、雨音に負けず、俺の耳にはっきりと届いた。

 ……ここでイヤだと言えるほど、俺も自分を貫くことなどできはしなかった――。


 そして、俺と林原は、一本の小さなビニ傘に身体を寄せ合って入る事になった。

 傘は俺が持っていて、足並みを合わせて歩く。

 俺の左に、林原が寄り添っている。

 借りている手前、俺は林原を濡らせるわけには行かない。

 なるべく、傘を林原のほうへ寄せたせいで俺の右腕はびっしょり濡れてしまう事になった。

 そして、左側は物凄く熱い。

 血液が全て左半身にいってしまったのではないかと錯覚してしまうほど、熱を持っていた。

 林原の右半身と擦れ合う俺の左は、ポカポカとした温かみを感じざるを得ない。

 暫く、無言で二人は歩いていくのだが、この空気が耐えられない。

 こんなの、誰がどう見てもラブラブカップルでしかない。


「おい、林原。なんか面白いこと言え。できるだけ下らないことを言うんだ」

「へっ? ええっ? そんなこと、言われてもっ」

 わたわたと考えを巡らせる林原だったが、結局何にも発言はできないまま、「えー」とか「うー」とか喘ぐしかなかったらしい。

 歩幅が違うため、俺は自分のペースで歩けず、不自然に身体を揺らして歩いてしまっていた。

 その度、俺の傘を持つ腕と林原の右半身が触れ合う。

 姉貴以外の女子とこうも接近したことなどない。

 林原に、恋愛感情は持っていないと俺は自己確認をしていたのだが、それでも正直なところ、意識してしまう。

 思春期男子のサガであると思いたい。

「なあ、お前、俺が先に帰ってるって思ってたんだよな?」

「えっ、うん……。私のことは気にしないと思ってたから……」

「そんなに俺、薄情に見えるのか?」

「そ、そんなことないけどっ」

 反射的に否定する林原がこちらに身を寄せてきた時、俺の右手に柔らかい感触が当たる。

 ……う、そういやこいつ、割りとあるんだよな、胸……。

 林原は自分の胸が俺に当たっている事に気が付いていないのか、気にしていないのか分からないが、その身を引こうとはしなかった。

「いや、別にそこはいいんだけどさ。俺が帰ってるとして、お前どうするつもりだったんだ? 学校で雨宿りしてくつもりだったとか?」

「あ、うん……。図書室で勉強して帰ろうかなって」

「雨、止まないって言ったのはお前だぞ」

「うん、だから最終手段は家に電話して迎えに来てもらう事も考えてた」

「そうか……家にな」

 そうだ。家だ。

 今まで失念していた。

 雨の中傘を一つで帰宅する。

 家は別々なんだから、途中で分かれることになるのは必然だ。

 どっちにしたって俺は濡れるんじゃねーか。


 そんなわけで二人の分かれ道までやってきた。

 俺は傘を持つ手を林原に向け、傘を手渡そうとする。

「ん。俺、あっちだから」

「え?」

 林原はまた腑に落ちない反応をした。

「いや、俺んちあっちだから、お前んちはそっちだろ」

「え? でも、まだ雨酷いし……。濡れるよ」

「ここまで来たらすぐだよ、走るし」

「だめだよ、受験生なんだから、身体を壊すような事は避けなくちゃ」

「いや、そう言っても……」

「……私の家、来てくれませんか?」

「え?」

「家まで来てくれたら、傘はそのまま大守くんが持ち帰れますし、二人とも濡れないですし」

 ああ、そうか。考えが及ばなかった。林原の家まで送れば、傘は俺がそのまま使って持ち帰っていいんだな。

「じゃあ、そうするか。お前んち行くの、初めてだな」

「は、はい! 近いですから、行きましょう!」

 気のせいか、左側の体温が上がったような気がした。


 分かれ道から十分も歩かない内に、林原宅へ到着した。

 至って普通の一戸建て。

 俺は玄関の外で待つつもりでいたので、到着と共に「そんじゃ傘、借りていくな」と告げた。

 すると、林原が首を横に振った。

「上がっていってください」

「……え、いやそれはなんというか、敷居が高い」

「な、なんでですか! 私は大守くんの家に行ったんですよ」

「いや、それは姉貴に会うためだし……俺別にお前んちに上がりこむ理由がないっつーか……」

「肩、濡れてるから……乾かしていくほうがいいと思う」

 う、濡れてんのバレてたのか。

「私のこと、濡れないようにしてくれたんだから、せめて乾かすくらい、させてほしいな」

「……それを言うなら、そもそもお前が傘を貸してくれなかったら、俺はずぶ濡れ確定だったんだぜ」

「じゃあ、上がってね」

 何がじゃあなのかは理解できないが、俺は促されて林原家の敷居をまたぐ事になったのだった。


 林原家に上がりこんだ俺は、居間に通されるかと思ったが、なんと林原の部屋に通された。

 ドアには「ゆめこのへや」と手作り間溢れるプレートがかけられていて、なんだか可愛らしかった。

 部屋の中は、落ち着いた雰囲気ながらも、ところどころの飾りつけは女の子のセンスを感じさせる。

 姉貴の部屋とはやはり、違う。

 女の子の部屋という空気が漂っているのだ。

 だから、俺は正直部屋に入って緊張しっぱなしだった。

 どこに居座ればいいのかも分からず、ドアの手前で固まっていた。

「とりあえず、脱いで?」

「ファッ?」

「乾かさないと……」

「あ、うん。そうだったな」

 恥ずかしい勘違いをしてしまった事を隠すように、慌てて学ランを脱ぐ。そのまま林原が手を差し伸べたので、学ランを渡す。

 脱いだ学ランをハンガーにかけ、部屋の脇に干す林原。

「カッターシャツは濡れてない?」

「いやっ、大丈夫!」

 本当は少し湿ってはいるんだが、女子の部屋の中でこれ以上脱ぐのはなんだかヤバい気もする。

「飲み物とか用意してくるね。ゆっくりしてて」

「え、いや、いいよ」

「こないだのお礼もあるんだよ」

 そう言う林原はどこか嬉しそうに、笑顔を見せて部屋から出て行った。

 ……ゆっくりしろと言われても……。

 正直、落ち着かない。

 きょろきょろと部屋を見回す。

 勉強机に、ベッド。タンスと本棚。部屋の中央には小さめの円卓。インテリアとしては普通なんだが、やはり女子の香りがするわけで……。

「ぐぐ……、どうしたらいいんだ、これは」

 結局、林原がジュースを持ってくるまで、俺はその場でもじもじとしているしかなかった。


「オレンジジュースしかないんだけど、よかった?」

「おかまいなく」

「ふふっ」

「何笑ってんだ?」

「なんだか、私の部屋に大守君がいるのがおかしくって」

「お前が連れてきたんだろーが」

「連れて来ちゃったんだよね」

 なんだ、その返しは……。「いたずらをしちゃった」みたいに、無邪気な悪巧みがバレた子供の表情を見せる林原は、なついた小動物のように可愛らしかった。

「ねえ、大守くん。せっかくだから、ちょっとお話しようよ」

「話って?」

「好きな人の、お話」

 ……そうだ。

 俺の相談役を買って出たんだ。

 ……ちょっと前なら、死んでも話す気はなかったんだが、ここ最近の林原との交流、俺自身の内心の変化、そして今のこの空気。

 なんだか、今なら話してもいいかな、なんて考えてしまう。


 だけど、やはり自分の姉に恋しているなんて、言えない。

 笑われるか、引かれるか、諭されるか……。どれもイヤだ。

 俺は、林原のトークには素直に乗り出せず、口をつぐんでしまう。

 そんな俺の反応を見て、林原は机の引き出しから、手帳のようなものを取り出した。

 それを俺の前に差し出して中身を開く。

 それは、小さめのアルバムだったらしい。

 開かれたページには、写真は収められていて、幼い少女が写っている。

「これ、小学校の時の私。たぶん……三年生の時かな?」

「お、おう?」

 今と変わらぬおかっぱ頭で地味な印象はそのままなんだが、眼鏡はしてないようだ。

「眼鏡してないんだな」

「あ、うん。眼が悪くなったのは六年生になってからで、眼鏡をかけ始めたのは中学生からだから」

「へえ、林原の事だから、勉強のせいか?」

「ええと……そう、かな」

 何やら誤魔化すような言い方をする林原だったが、別に突っ込んで聞くほどの話題でもないかと思って、そこは深入りしなかった。

 何気にそのままアルバムの写真を見ていく。

 すると、幼い林原の隣に男の子が一緒に写っているものがチラホラとあった。

 写真の中の林原はその男の子にべったりとくっついていて、手を握っていたり、抱きついていたりしていた。

「この男の子、誰だ? 随分仲よさそうだな」

 軽く訊ねた俺の質問に、林原は一つ間を置いて、回答した。

 その表情は、先ほどまでのいたずらをした子供のそれではなく、一人の女性らしさを魅せる表情をしていたのが印象的だった。

「それ、お兄ちゃん」

 兄……。一人っ子じゃなかったんだな。

「ふうん」

「私の初恋の人だよ」

 ……その言葉に息を止めた。

 写真から、林原へ顔を向けなおすと、その眼の力に共鳴するように俺の心がドクンと跳ねた。

 真剣な眼差しは、放った言葉が冗談ではないと物語っている。

「私、お兄ちゃんが好きだったんだ。男の人として」

 俺は、どう答えていいのか分からず、視線は写真の中の兄妹へ注がれていった――。

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