誤幕 すみいくものは心などでは決してない

 かつて、北原狂哉がきっかけとなり片倉雪斗が中心となった事件があった。それは表現力の欠如した大人たちによって【天才児童立てこもり事件】と無様に称されたものだが、事実とはいつだってキャッチコピーとは違っている。事実は無知の知を知る子供たちが、悪意を正義と掲げる特定の大人たちに対して起こした革命ごっこ。

 あれは片倉雪斗が中学生の頃。とあるレスラーの事故死が殺人だと看過した友達が、なぜだが学校を占拠する暴挙に出た。それがまさかさらに酷いことの始まりに過ぎなかったとは。

 それは片倉雪斗が中学生の頃。クラスメイトに、父親がプロレスラーをしていた少女がいたのが、始まりだった。しかし、それだけで事件は起こらない。偶然の連鎖を伴ってトラブルは問題になる。つまりトラブルメイキングとは偶然の作為的接続を行う悪意であり、不自然な偶然の連鎖がない限り、事件とは発生しないものなのだ。

 父親がプロレスラーをしていた少女など、導火線の始点に過ぎず、代用の効く偶然に過ぎなかった。きっかけはあくまできっかけなのである。しかしそれでも、全てのきっかけは父親がプロレスラーをしていた少女が狂哉や雪斗と同じクラスに居たことであり、そうして酷いことは始まった。

 子供たちがただ、納得のできる正義を望んだ物語。誰も泣かずに済む優しい真実を欲しがる子供の罪。それは狂哉と雪斗が中学の頃の話。主犯格である狂哉や雪斗は、中学生だった当時も既に一人の暴力的教師を社会的に抹殺した過去を持つ、言わばネジが外れた子供の中のさらなるエリートであった。だがそれでも、全ては子供たちが全身全霊を賭して戦った、ただひたすらにまっすぐな行為だったと言える。

 同時期に散りばめられていた偶然の配材を接続し、暴挙に誘ったのが北原狂哉であった。

 始まりは、とあるプロレスの地方興行に雪斗たちがクラスメイトの縁から招かれたことから、そこでクラスメイトの父親が事故死したことから、だった。

 コーナートップからの空中技に失敗し、足を滑らせて危険な角度で首が曲がって落ちたレスラー。即座にレフィリーストップで決着がついた試合の結末。そこから二度と立ち上がることのなかった敗者。初めて見る死の瞬間。

 トリックなど介在しようがないほどに、シンプルで決定的な不幸な事故。事実、その全ては事故として処理された。しかし冷静な真実に目を向ける視野を持っていた少年が現場に居合わせていたことが、まさに不幸の始まりであろうか。

 【トラブルメーカー】曰く、究極の殺人とは事故死にある。

 床を毎日毎日、必要以上に磨く行為を決して殺人とは言わないように。たとえ「転んで死ね」と願い、日々磨く殺意があったとしても、床磨きはあくまで掃除行為であるように。

 もしくは毎晩のように濃い茶を飲ませる行為を決して殺人とは言わないように。たとえ「眠さのあまり意識朦朧として転んで死ね」と願い、日々注ぐ殺意があったとしても、お茶を淹れる行為はあくまで日常に過ぎないように。

 それを誰も殺人とは呼べないように。

 確かに転んでも必ず人が死ぬわけではない。寝不足だからといって必ず事故るわけではない。だが、事故を死を誘発する。確率はいつだってゼロではありえない。

 事故死、つまり確率に任せたトラブルで殺す行為こそが究極の殺人なのである。

 トリックなど介在しようがないほどに、シンプルで決定的な不幸な事故。しかし【トラブルメーカー】は持ち前のろくでもなさで本質を見抜く。

 終始、明らかにふらついた足つき。アピールにしては過剰な回数の、頬を叩く真似。瞳のおぼろ。死したるレスラーが、事故をしてもおかしくない状態に居たのは疑いようのない事実であった。通常ならざる事態に気付いていた者もいたことだろう。

 プロレスラーの死は確かに事故死であった。人為的な殺意により事故の確率が上乗せされた、事故死であったのである。それはつまり、殺人。事故死の殺人など、幾らでも実在するのだ。

 真実は睡魔という死神に殺された、哀れな男が一人いたということ。きっと、毎夜ぐっすり眠れていれば発生しなかったであろう事故が起きたということ。

 睡眠不足のレスラーが転んで死んだ。それが狂哉の確信した事件のあらまし。

 ここにある睡眠不足という前提、当然狂哉は裏付けをもって確信に至る。全てを見抜く必然が当然に存在していた。つまり、この事故死のロジックを教えたのは他でもなく北原狂哉自身であるということ。誰に、犯人に。犯人の少女に。クラスメイト、被害者の実の娘に。

 全ては事件直後も取り乱すことなく全てを直視した娘の姿が雄弁に語る事実である。ああ、この事故は、少女が起きてほしいと願っていた事故なんだ。頑張って、不幸な事故が起きる努力を積み重ねたんだな。ついに、叶ったんだね。

 風邪薬を飲んでも人は死なない。だが、副作用の睡魔は事故を引き起こす。それはあくまで不幸な事故である。夜中に騒ぐ行為も、事故のきっかけにしかすぎないのだ。

 それでもこれは殺人なのである。安らかに眠らせない努力をし、早起きを強要し、きっとその日は睡眠薬入りの風邪薬も盛ったのであろう。北原狂哉は推理ではなく革新していた。目撃者多数の事故死。なんとも見事な毒殺であると勝手な感動すら感じていた。

 あないとをかし。うまく殺りおるわ、あの娘。狂哉が冗談のような口ぶりで呟いた言葉を、傍らで雪斗だけが聞いていた。

 こうして、事件は事故死として処理されたのである。真相を見抜いた者全てが告発を行うかと言えば別の話であり、それが【トラブルメーカー】ならば尚更に正義とは無意味なテーゼ。

 【トラブルメーカー】は決して事件を解決しない。悪意とはただひたすらに、災厄の連鎖を望むもの。真実の告発が人を笑顔にしない事を知るが故に、ならば、せめて笑わずにはいられないほどに馬鹿馬鹿しい世界を望む愚か者のサーガ。

 こうして北原狂哉は事件の真相を見抜きながら、全てが事故死で処理されるのを放置した。

 この事件の真相は復讐。正義の刃は少女にも存在していたのである。少女の名を十河歩といい、同じころに兄である豪が母親を事故死させていた事は別の話である。十河という名の家を継ぐ兄妹が犯した、断罪という罪。人殺しであった両親を殺す負の連鎖。

 十河家の呪い。許されざる罪を犯していた、愛する二人の両親。

 それでも犯人である兄妹は決して罪を自白しない。全てが愛に基づく、両親の為の清算であったとしても、わざわざ悲劇めいた口調で語ったりはしない。殺さなければいずれ殺されていた、そんな呪われし血脈ならではの茶番などで喜ぶ人間の為に、わざわざ語る筈もない。

 世界には、常識などでは縛れない家庭の事情など、幾らでもあるのだ。それは日本という国も例外ではないという、全てが全てつくづく安い話に過ぎなかった。

 だが、その後の展開に【トラブルメーカー】は怒りを持って暴挙を犯す決意を固める。

 あれは片倉雪斗が中学生の頃。とあるレスラーの事故死が殺人だと看過した友達が、なぜだが学校を占拠する暴挙に出た。それがまさかさらに酷いことの始まりに過ぎなかったとは。

 そうして訪れた混乱の極みを全て終息させる一手を放ったのが、静嶺セツナ。嗚呼、素晴らしき哉、万能なる【名探偵役】の担い手也。

 しかし彼女は万能であるが故に、数年後、命を落としていた。

 こうして全ての解決を誰か任せにしていい子供時代の冒険活劇は終わり、ひたすらに現実が立ちふさがる。自分で何とかしないといけない大人の世界へ。




   誤幕 すみいくものは心などでは決してない




 湖岸で炎船に襲撃された夜。風がさらに冷え込む深夜過ぎ。湖岸沿いを少し行ったところにある脇道に片倉雪斗は自分の車を止めていた。夜は静けさを増していく。

「雪斗は今、プロレスラーしてるんだっけ?」

「まーな。狂哉、お前は普通に就職してたよな」

 雪斗にとっては腹の立つ話だが、北原狂哉は勉学的にも悪くない頭の持ち主であった。高校の頃はほぼ全ての授業を眠り倒し、試験も欠点ギリギリをさ迷っていたくせに、あっさり某国立大学の某理系学部に現役で合格するという要領のよさの持ち主。曰く試験勉強と受験勉強の対策は違うらしく、二度手間の勉強を嫌って高校の試験は捨てていただけとのこと。本当に、嫌いになる要素てんこ盛りの友達であろうか。

 そんな北原狂哉は、卒業後もしっかりと大企業に就職を決めていた。「大学生と同じことをしていたら金がもらえるからたまらねーぜ」などと、中学生みたいな頭の悪いことを言っていた気がする。

「んー、まあ研究職っていう感じかなぁ。ところで雪斗くん。この車はあなたのですね?」

 雪斗がキーをかざすと、目の前の車からガチャリという音がした事から推理された真実。北原狂哉は名推理を発揮し、車の持ち主の特定に成功したかのように振る舞った。つくづく馬鹿馬鹿しい態度をとるのが好きな男である。

 実はこの時、北原狂哉は意図して不自然に話題をすり替えていたのだが、そんなことは日常でもよくあることなので、気付いた雪斗も気にしなかった。それもまた、ひとつの分岐点であったのだろう。しかし仮に指摘したからと、未来に選択肢が増えたわけではない。少なくとも真実の手掛かりにはなったことだろうか。嘘や偽り、作為の類にこそ真実は依存する。

「それにしても、雪斗にも車に乗る日が来るとはなぁ」

「いや、その感慨深げは意味わかんねぇ。ていうか車ぐらい社会人なら乗るさ。特にここは、もう地元じゃないんだ。来るにはアシがいるだろうよ」

「そっか。俺は電車が好きだからな。不便でも好きなもんに乗る主義なんだぜ」

「ウザい顔してんな、ウザい」

「そう言うなよ。そんなポリシー溢れる俺だが、まあ今回ばかりはお前の車に乗るのもやぶさか違うって言ってやってるんだ」

「そこ恩着せがましいのはおかしいだろ。ていうか車には乗らねーよ」

「は?」

 テンポだけは褒めるべきものがあるだろうか。狂哉が畳みかけるアレな発言に対して、丁寧に逐一のツッコミを入れる辺りは雪斗という男の性格を示している。

 車から荷物を取り出すと、雪斗は再びロックをして車に背を向けた。

「敵サンがテメェの事故死を御所望なら次は足を潰しに来る、だろ」

「おお、つぅと狙撃か!?銃か!?カーチェイスの銃撃戦が怖いのか?」

「日本にあるまじき発言を目ェ輝かせて言うな。敵さんが何かを用意してくれてるなら、まずは俺の車だろって言ってんだよ。ふざけんなよ、まだローン残ってるっつぅの」

 愛する国産車に仕掛けがあるのは雪斗にとってもかなりの最悪のシナリオという奴だった。 それでも愛しているからと心中を強要しかねないような女を愛する類の男ではない。実際には道連れを望む女よりも、全て一人で背負って死んでしまうような女の方が厄介なのだが、まあそれはいいだろう。

「えー、歩くのしんどいって車乗ろうぜー。さっき投げ捨てられたせいで全身が鞭打ってるんだよー」

「一つ、今さっき言った電車好きのポリシーはどうした。二つ、鞭打ちの辛さナメんな。三つ、さあ選べ、命とどっちが大事よ」

「そりゃお前。四、誰にも束縛されずに、オレでありながら生きることが一番大事だろ」

 中身がなく噛み合わない会話は、北原狂哉の得意とするところである。これに正面から付き合ってはいけないことを雪斗は重々承知の上だった。ここは冷たく流すに限る。

「相変わらず無駄に死ぬほどかっこいいな。いい加減、無駄だからここで死んでくれ」

「ツッコミが死ね死ねのワンパターンで俺がかわいそうだぜ。お前もつまらない大人になりつつあるんじゃね?」

「お前がいつまでも面白すぎるだけだろ。そんで面白い人間はつまらない人間に迫害される相場と決まってる」

 街灯の少ない路地では、その少ない明りの周囲での羽虫密度がハンパないことになる。まとわりつく羽虫を手で払い、雪斗は腕を組んだ。

 狂哉や仲間たちと下校していた中学の間、轢き殺されそうな目に出会った回数が三を超えた頃には、彼の洞察力も危機感知能力に値するまでに磨きあげられていた。その感覚を研ぎ澄まして周囲を見渡す。そうして、違和感がなさすぎる場所に辺りをつける。具体的には砂地や溝の周囲。何かを仕込みやすくて、隠しやすい場所。それは中途半端に道路だけをコンクリートで舗装した街では結構簡単に判別ができる。

「あとはあそこと、あそこかな」

 渾身の力で目星をつけた場所に握り拳大の石を叩きつけると、その周囲に小さな火柱が上がった。匂いから察するに、ガソリンを駆使した地雷だろう。ガソリンのような液体爆発物の炎を自在に操るには相当の技術がいる。無駄に職人技を感じさせる炎であったが、どうやらそれも所詮は真似事のようで、ごっこ遊びほどの破壊力しか感じられない爆発しか上がらなかった。

「わーお、なんであんなところに爆発物が?」

「そんであとはあそこだ。あの不自然に配置された蛇口、たぶん透明じゃない燃える水が出る」

 空気が一段と寒くなってきたのは間違いないだろう。冷たく空気は人を刺す。

「なんじゃそりゃ。一気に冷めるぞ、そんな意図もわからんありえないトリック以下。なんか命狙われてるのがアホみたいになってきた」

「そういうことだ狂哉、これが"手当たり次第"ってことなんだよ。馬鹿なりのな。つまり、俺様の車も手当たり次第に含まれている可能性が非常に高い」

 そう呟く雪斗は自信に満ちた自虐の笑みを浮かべていた。それは読みや推理による確信ではなかったが、少なくとも相手について何となくイメージが固まりつつあるが故の余裕である。

「今日、お前を狙っているのはかなり派手好きの馬鹿だ。それにこれは個人の犯行じゃない。やることにやってみた感がアリアリでムラが多すぎる、つぅかレベルが酷過ぎる」

 事故死を望むことは、静かに確定した処理を望むことと同義である。それはつまり正しい意味での完全犯罪。そもそも完全犯罪とはその死を事故でしかあり得ない、死を人為的ミスによるものとすることで成立するものだ。炎船だの爆発物だの、後処理が必要な荒っぽい手段を選んでいる時点で、色々と致命的な失敗をしていると言っていい。

「道具が一貫して焼死体狙いっつぅ事も踏まえて、ちゃんと惨たらしくお前を殺す気はあるみたいだが、物量でなんとかしようとする辺りが酷いな。やっぱマジで手抜き工事みてーだ」

 研ぎ澄まされた雪斗は饒舌になる癖があった。もしくはそうして余裕を意識して演じることで、危機的状況で精神のバランスをとっていると北原狂哉は分析する。雪斗の饒舌は続く。

「ビジュアル重視の演出過剰にもほどがある。冗談で投げた先に安い地雷があるなんて、冗談だろとしか突っ込めないほどにな」

 そう呟くと振り返り、片倉雪斗は言った。

「全くだぞ。ってか適当だったのかよ、さっきの石投げ」

「ああ、だから火柱が上がった時にはちょっとビビった」

 そう言うと雪斗は、自身の抱いた推理をはっきりとした言葉に続けた。言葉は証言に過ぎず、決して証拠ではない。それでも、真実の構図は既に雪斗の頭に描かれていた。

「つまりだ、ここまでくると全部ウソくさすぎるって事だな」

 真実こそが嘘をつくのならば、やはり最初に破壊しなければいけないのは"前提"だろう。前提として提示された言葉が真実である補償など、どこにもないのだ。

 北原狂哉は言った。『オレさ、多分近い将来には、ぶっ殺される。ほぼ確定でね』。ならば、それはいったいどこまでが本当だ?

 抱いていた疑念、『そこまでするか』の意味を考えれてみればわかること。―――『そこまでするならとっくに殺せていたんじゃないのか』。それが真実だ。

 真実はひとつ。つまり、殺意無き襲撃。

「こりゃ脅迫とか警告って奴だろ。そんでてめぇはそれを知っていた。だから今も余裕ぶっこいてて、今はまだ殺されないと思っている。違うか?」

 凍えそうな夜、夜風が冷めた視線を二人に突き刺した。気づくきっかけなど、夜風にさらされて頭が冷えた、それだけで良かった。時に無言は雄弁に肯定の意を示す。いつの間にか北原狂哉はヘアワックスで立てた前髪を手串で下ろしていた。影が瞳にかかり、口元の笑みからは悪意しか読み取れない。雪斗は自身の結論を続ける。

「待ち合わせの場所に先にいたのはお前だ。なのにお前は無事に俺を待つことができていた。おかしいよな、ここまで手間暇かけて殺そうとしている相手が目の前でぼーっとしてるのによ。標的を討たない理由なんか用意する必要ないよな」

 炎船でさえも、殺す気のものではなかった。覚悟さえあれば、船が衝突する前に冷たい琵琶湖へ飛び込めば、それだけで回避は可能だったのである。

 事実として発生した出来事が、深い考察を妨げることは多い。事実、「実際にそうなってしまったのだから、それがどれだけ不自然でも現実だ」みたいな正論が、詭弁の余地を奪うのだ。

 だが、詭弁にはどこか真実が宿る。現実に嘘があるのなら、誤魔化しにこそ真実は宿るのだろう。だからこそ、現実に誤魔化されてはいけない。

 片倉雪斗自身も危険慣れしているせいで見逃しそうになっていた。完全に踊らされていた。作為的な状況を知り、フィクション的状況を味わいつくした影響が目を曇らせていたのだろう。

 歪んでいたのは誰だ。真実か、それとも心か、視界か。真実は本当にひとつなのか。

「とんだアトラクションパークだ。茶番の舞台でまんまと踊らされたんだな、特に俺は。古くから、ピエロはホラー映画で大活躍する恐怖のシンボル的な役割を果たしてきたな。だけどお前は、愉快な着グルミの猟奇殺人鬼に狙われているんじゃなかった。ましてや幕末の亡霊みたいな悪鬼羅刹の伝説を扱った怪奇ミステリーの要素もなかった。全てはもっと現実的で悪趣味で散財好きの行為だ」

 ウンザリするほどの悪ふざけ。真実とは案外浅い所に存在しているものなのかもしれない。

 どこか作業的にトラブルに対して接してきた弊害でもあるのだろう。幼稚園の頃のトラブルがどうした、小学生時代が中学生時代が大学生時代が今に何の影響を与えている。それは目を覚まして背筋を伸ばせば簡単な話だ。

「だってコイツは、ただのごっこ遊びの皮を被った、ただの脅迫なんだからな」

 冷たい風は決して吹いたりしない。冷たい風はいつだって、刺す。穿ち貫き、荒ぶ。吹き荒べ、未だヌルさの抜けない真実の風よ。踊れよ、愚かな人間よ。

 雪斗は狂哉の右肩を掴んでいた。コーラ缶をふたも開けずに握りつぶす自慢の握力である。事実、縛る拘束と同義のワシ掴みであろう。

「話せよ。今日の爆発系が全部警告系なら、今ならまだ間に合うかもしれないんだろ?殺されない程度の恨みを買う状態で済んでいるんだろう?―――だから話せよ、今度は誰にどんな恨みを買ったんだ。コレはなんらかの組織ぐるみじゃなきゃ有りえねぇ無駄使いだ。どこかのオヤジやシャチョーさんにケンカでも売ったか?一体どこの誰がお前に殺意を抱きかけている、危険の種は今誰が持っている?」

 片倉雪斗には、真実を知る必要があった。今がまだ差し引きできる状態ならば、手がかりさえあればやることもきっと見えてくるはずだ。雪斗の中で、友達を守るという動機が強く固まる。並列して抱く殺意を抑えるだけの理由さえあればそれだけで!

 北原狂哉が、お手上げのように両手を挙げた。

「…さすがだな、雪斗の洞察力は。伊達に不自然慣れしていない。理性のネジの飛び方がシューティングスターだ」

 シューティングスター。論理を乗り越えた物理法則をもって描く曲線の軌道。不可能を否定し、絵空事を肯定する凶星。だが凶星が地に堕ちた時、重く重い死の摂理が大地を圧する。

「確かにお前はシューティングスターに飛んだ理性のネジを使いこなしている。だが、やはり日本人だな。多少ドラマチックに物事を見る癖がある。だからお前はいつまでも三流なんだよ」

 その言葉は、心底冷たい瞳から放たれていた。他人に突き刺す視線のように、軽蔑に値する凡人を眺めるように、真実だけを見通す瞳のように。冷たさは痛さと同義であり、いつだって世界の星はそうやって人の営みを見下してきた。

「でも流石にそろそろ痛々しいと言うか、見ていられない」

「は?」

「雪斗の恥ずかしい推理ごっこはハズレだって言ってんだ、ばかやろうめ」

 言葉にされていない皮肉までもが雪斗に突き刺さった。危機的状況に慣れすぎた人間は、時に物事を大ごとに感じてしまうという。たとえば戦場から帰った兵士のPTSDがそれだ。

 冷たい風はさらに温度を下げて痛みを増す。冷風などなくても、人は震える。凍えて凍てついて、凍りつく言葉がある。近しい人の言葉ほど、心を深く突ら抜いて生殺す。生きたまま殺されろ。殺されたまま生きろ。価値のない生なら、否定されてしまえ。否定こそが人を生殺して、真実を暴く世界、そんな世界が醜いこの世界だ。

 誰も片倉雪斗の痛々しい発想力を責めることなどできやしない。そういう不幸で恥ずかしい星の下に、彼は生まれつき、育ってしまったのだから。

 力の抜けた雪斗の手を、埃のように狂哉は肩から払いのける。

「全部オレだよ。すべて、俺が協力者たちに依頼して色々と今日の物騒を仕掛けてやったのさ」

 思い出せ。【トラブルメーカー】とは、いったい誰のことだったかを。

「ドッキリにひっかかっておめでとう、マイフレンド。歪んだお前が組織とか痛い発想に向かうように全部仕組んでやったんだよ、馬鹿正直のおおばかやろうが」

 雪斗の口には言葉もなかった。それは全ての感情が自虐に向かい、それどころではなかったからである。遠からずとも当たらず。皮肉にも真実とは解釈一つで的を射る。全ては確かにごっこ遊びの皮を被った脅迫であった。だがその黒幕は誰だ?

 今、自分自身を黒幕だといった、この男は誰だ?

 物事とは、現実的な手段を陳腐と呼ぶ。一番あり得ることを、あり得ないと断じねば野暮。だが本来、答えは普遍、普遍ゆえに答え。それは決してウツロワナイ。ただ、人が陳腐と野暮に負けて歪めてしまうだけの無能なる不幸。

 雪斗の読みは確かに真実を見据えていた。だが、最後の最後で影を差すのが真実である。

「今回は、オレが仕組んだ。…つまりはそういうことだ」

 こうして物語は、終わりと始まりがそれぞれ始まった。

「つまり、お前が描いた敵は実在している」

 容赦のない狂哉は、さらなる真実を畳みかける。そう、こうして世界を描くための扉の向こうが拓かれるのだ。殺す風は吹く。

「は?」

「悪ぃな。でもそうでもしないと、オレが今日これから死んでたんだよ」

 それが、真実の答え。茶番が誰の為に行われ、誰に向けて行われるかという着眼があればたどり着けた答え。状況をてっとり早く伝えるには、実際に魅せるのが早いということ。

 ―――これまでの全てがドッキリならば、どれほどよかったか!


 天才は愛に基づく。冷たい常識が挑む可能性そのものを否定し、幼き頃の天才を無個性に殺さないためには、愛という優しさが欠かせない。

 優しさは、賢き者のみ許された行為である。愚か者の優しさは一人遊びの自己満足に過ぎず、時に「あなたのために」という言葉が相手に言えぬ傷をつける。

 きっと常識にとらわれない、子供のような想像力をもった大人こそが愛を知るだろう。

 優しさとは技術であり、人に優しくできるのは優しくされたことがある人間だけである。優しさを知る者が優しさを奮うのであり、賢い者こそが真にうまく立ち振舞う。

 優しさはお芝居に似ている。ごっこ遊びを越えて、人の心にきっかけを与えることができるのはごく少数、そして自分だけができる優しさを持っている人は、少ない。

 あれは片倉雪斗が小学生の頃。トラブルメーカーと再会した少年は、体罰を繰り返す教師をワナにかけて社会的に追放した。片倉雪斗が当時を思い出すときによぎるのは、友人の孕む狂気に対する、純粋な恐怖だった。北原狂哉は偶然に頼らないのはその頃からも同じ。ただ当時の悪友には今以上に、冗談みたいな閃きを実行する勇気が備わっていて。

 誰が信じるだろうか。行われた全てが仕組まれた茶番であり、よりにも寄ってそのトリックがプロレスのロジックを実際に活用してのものだと。

 あの時、悪友は教師を正論と詭弁を駆使して挑発し、暴力を引き出した。そこから彼が侵した早業は、正にたった一手で王手をかける鬼手そのもの。

 【ブレードジョブ】と呼ばれるプロレス技がある。それはプロレスというショービジネスの中で構築された痛みの表現である。つまり、カミソリやカッターの刃をあらかじめリング下やリストバンドに仕込んでおき、タイミングを見計らい「ここぞ観客が驚く!」タイミングで自作自演の流血沙汰を犯す行為。それをブレードジョブという言葉は指す。それは物語作法や、もしかしたらロジックと言えるかもしれない。

 流血は痛みを端的に表現する赤の色をもっている。ましてやそれが教室、つまり子供たちの眼前で行われたとなれば、パニックを引き起こすのは必然だろう。決して真似をしてはいけない行為だが、あとは刃を隠す仲間とパニックの最中に「情報誘導」をする仲間がいればいい。それだけで一人の人間が抱く人生プランを確実に崩壊させることができる。「嫌ァ」「ああ、せんせいがッ」「助けて」「ゆるしてください」「ごめんなさい」「許してあげて!」「もう殴らないで!」。はい、さようなら。

 あの時、狂哉はビンタにうずくまり流血した。それは文章に起こすとより不自然さが伝わる状況であろう。ビンタが音速を超えてカマイタチでも発生させない限りは、そんなことありえない。わざとらしく躓いて机にでもブツかっていれば自然な流血が演出できたものを、あえてそうしなかった事を片倉雪斗は聞いている。

「オレは理不尽な暴力をやり返したかったんだ。だから、あの体罰野郎がハメられたと理解できるように貶めなきゃいけない。なら、自然な演出は不要だろ?ただオレは、体罰食らった結果に流血していたガキを演じていればいい。あとはバカな大人が正義振りかざして人間一人を破滅させてくれる世界さ」

 それは余りにも冷徹で冷静で冷酷な判断だろうか。ウソをつく時は真実だけを言えばいい、それが絶対バレないウソのつき方だ。バカが勝手に想像膨らましてくれる言葉を選び、口にする。それが究極のウソなのだと悪友は語った。

 ただ流血という事実が全ての過程を捏造し、自作自演という真実を封殺する。

 どこで仕入れたとも知れない知識を持っている子供は多い。だが少年・北原狂哉にプロレスの知識がもしなかったとしても。別の手段によりやはり「子供たちの敵」の人生は破壊されただろうと片倉は確信を抱く。手段など、幾らでもあるのだ。たかだかひとつの知識が持つ悪影響など、たかが知れている。大切なのは知識を束ねて、いつでも活用するだけの実行力なのだ。それは、知識では得られない勇気という狂気。

 暴力は、あくまで暴挙によってのみ食われる弱肉である。当時の悪友の本質は、そうした暴挙をやり抜く事にあった。嘘を真実として演じるだけの度胸が異常たる所以。

 誰も止めることのなかった出来事。一人の大人を破滅させたという過去の物語。

 迷いを払うために背中を押す行為を優しさと呼ぶならば、これこそは究極の現実、茶番であろう。しかし、背中を押されて迷いを払ってこそ天才は覚醒する。自作自演。それは現実に力を持つ、ごっこ遊びという究極の儀式なのである。


 深夜営業のレストラン。そこが気持ち悪い単語の飛び交う舞台となった。

 ドリンクバーだけで何時間も耐えなければならない年齢でもない二人は、適度に酒と食事を注文しながら会話をした。くだらない昔話から洒落にならない昔話まで。

 後悔は万死に値する数で列挙できるが、だからといって今の生を否定することは誰にもできないように。過ちを犯しても、その罪に耐えて生きることが強さであるならば、こうして笑える二人の強さは生半可なものではないのだろう。時にそれは、覚悟があるという言葉で形容される。この場で費やした悠長な時間でさえも、もはやこの二人に取ったは後悔に値しない。

 そうやって二時間ほど馬鹿話に花を咲かせたところで、ようやく話は本題に辿り着いた。

「雪斗、マンガとか小説とか読むクチだよな。…錬金術って理解るか?」

「あー、まあ単語単語ぐらいならな。ホムンクルスとかそういうのだろ?」

「そうそれ。オレさ、賢者の石を作っちゃったんだよね」

 話は唐突に振られたが、雪斗は大して驚かなかった。目の前の男が、たとえ話好きだと理解しているからである。たとえ良い年の大人が使用するには多少気持ち悪いキーワードが飛び出したとしても、必ず意図があると把握しているから。

「まぁコレを見てくれよ」

 錬金術やらホムンクルスやらの単語がたとえ話による表現だろうと、雪斗はわかっていた。人域を超えた領域のトラブルを狂哉がつくりだしたらしいという所までも理解を進めていた。願わくば、そのまま神話の域までトラブルがブッ飛んでいてくれたら、どれほど話が早かったか。理解する必要もない事態ほど、楽なものは無いのだから。

 雪斗にとっては不幸にも、そこからはとても想像しやすい、とても現実的な"発明"の話になった事であろう。時代パラダイム変遷シフトや産業革命に相応しい禁忌の超発明。人が、エネルギー法則を超える為の原点へ。

「なんだ、この黒い液体」

「俺が精製した、人口石油」

「人口石油…だと!?」

 人口で石油。たとえ話の気配はどこにもなかった。危険なのは、目の前の北原狂哉という男が現実的な単語のみで構成されるフレーズを使用した時であることを、本能に刻みつけられるレベルで雪斗も理解している。

「そ。それもまさに究極、限りなく天然に近い養殖資源ジ・アルティメット・バイオマス。しかもコストすげぇ安価」

 石油の成り立ちには諸説あり、信憑性を無視したならば"古代の生命が時を経て"という考え方が有名だろう。実際には、現代のペースで燃やし続けても50年は枯渇しないであろうと言われる量の液体が全て生命のスープだとは考えにくいという者もいる、が。

 だが、全ての想像を黙らせるのが事実だ。事実は、目の前の黒い液体が本物に負けない質をもった、燃える水であるということであった。エネルギー問題で国が戦争をする時代に、それは意味を持ちすぎる発明であろう。

「まァ乱暴に仕組みを説明するとだな、"命"に超圧力と超音波をブツけるんだ。その状態を保ち続けると、ドロっとした生命のスープができる。それに特許モノの極秘処理で加熱と冷却。まぁこの冷却を挟むことがポイントなんだが、詳しい自慢は省く。そこからさらに超圧力と超音波を重ね続けると、熟成が進んで質も問題ない臭水に仕上がるってワケ」

「命のスープ、ねぇ」

「それは、なんというか。国家レベルで重い発明」

「まさにダイナマイト、ノーベル賞ものの大発明だな」

 かつて、偉大な発明家の人道的発明が非人道的発明になってしまったように。偉大な発明は人を爆破する発明は人を殺す発明なのである。

「発明自体は大した話じゃない。いずれはきっと誰かがやってたことだからな」

「俺にはよくわからんが、そうなのか?」

「ああ、ヤバイのは技術そのものじゃねぇ。言ったろ、コストもすげぇ安価って。マジにヤバイのはそっちなんだ」

「でもそれがどうしたよ、安いのは良いことじゃねぇか」

「雪斗、仮にも経済学部だろうが。デフレスパイラル辺りから勉強しやがれ」

「大学は知識に関係ねーよ。てか大学なんてのは女体の神秘を学ぶところだ。学部なんて、食われた女の肩書だろ。文学部の女を沢村がまた食った、みたいな」

「沢村に謝れ。あと文学部の女にも謝れ。ていうか沢村君て誰だ。女を食い荒らして近隣他校にも名を轟かせていた、あの伝説の沢村くんか」

「ああ。オレの股間はメガトンキックで有名なあのサワムラーくんだ」

「…色んな人に訴えられるぞ。いや、マジでせめて伏字使え」

「いいんだよ、世代が違う人間には通じないから」

 話が大きく脱線を見せる。雪斗は意図して話をそらしていた。考える時間を少し稼ぎたかったからである。

 確か、狂哉は有名国立大学の王道理系学部に在籍していたはずだ。そしてその時の学習を生かして研究職として大企業に就職を決めていた。その圧倒的な才覚は、文系学部とは比較にならない拘束時間を要する理系学部在籍にも拘らず、ヒマ潰しと称して教育実習に来る事を許すほどに酷いモノだった。

 確かに頭がイイ奴だ。この男なら人口石油精製法ぐらい、完成された技術するだろうという信頼感すらある。

 だからこそ見えるものもあるのだろう。今はそんな言葉で逃げてはいけない。現実的な問題が、まだ隠れているハズだ。手掛かりは揃っている。人口石油。安価。発明した人間自身に死が迫っていると思わせるような盤面を描く配置は!?

 片倉雪斗は、わりとあっさり諦めた。

「ギブ。答え教えて。安価な人口石油のどこに、お前が殺される可能性があるんだ?」

 素人目には億万長者になれる発明だと思える。ならばとっとと金を稼いで安全を買えばいい。いくら知り合いとはいえ雪斗のような、プロレスラーというむしろ実践的ではない格闘家などに頼る必要などないはずであるのだ。

 狂哉は静かにため息をつくと、言葉を発した。それは、これまでに彼が貫いた作法通りの導入。たとえ話から始まる、現実的フレーズという問題提起。クイズの手法。

「オレがこの技術を完成させたときに見えたのはさ、人類の明るい未来でも暗い時代でもなかったんだ。オレが感じたのは、いたってシンプルで生活に直面した危機だった。―――だってよ、この技術って普通に完全犯罪てんこもりなんだぜ」

 ウーロン茶のグラスで氷がピシッと裂ける音が響く。また話が飛んだ、相変わらずアクロバティックな思考の持ち主だ、おれよりよっぽど思考がシューティングスターじゃねぇかと、雪斗は苦笑する。

 だが、いたって真面目な話であった。

「笑いごと違うぜ。さっき低価格って言ったが、加えてコイツは場所も取らない技術なんだ。家庭に一台レベルで所持できるような、な。なら考えてみ、ただ材料である【命】をマシーンにブチ込めばそれだけで完全犯罪になるんだ。これって各家庭に完全犯罪メーカーを売り渡す死の商人みたいなモンなんだぜ。だってよ、人間だって【命】なんだから」

 さらっと言葉にされた真実。つまり、人間を安価で石油化して処理することができる技術。

「家庭に一台レベルたぁ、それはまた色々と過程をすっ飛ばした発明だな」

「今なら過程を辿ることも大事だって思うよ俺も。エネルギー問題を解決する夢のような未来が俺の手で現実に、オレが完成させたのはそんな素敵な未来を描く発明だったはずだ。なのに、完成したのは平均的な成人男性を圧縮して、たかだか1リットルやらそこらの液体に変えちまう技術だ。電子レンジ感覚で、沈して三分ハイできあがり。そいつを燃やして完全犯罪ってな」

 殺人は容易である。だが死体とは究極の証拠であり、多くの殺人事件は死体に残された情報を逆算することで解決される。ならば究極の殺人とは如何に短時間で死体を消失させるかであろう。もしもその点を解決するお手軽アイテムが完成したならば世界中の名探偵は愚か、推理小説を描くゴーストライターまでもが職を失うことは間違いない。

「コレさえあればエネルギー問題も人口問題も、果ては食糧問題すらも解決ってね」

 増えすぎた人間たちに食料を供給するために。そこにある命を資源に代えれば有意義に、ふたつの問題は同時に解決をする。

 かつてなく残酷で、頭の悪い話だが、あり得ない話ではない。可能性があれば試すのが人間だ。便利なものがあるならば、使うのが人間だ。

 もしも殺したい人間がいて、完全犯罪マシーンが一台あったならば、ご気軽に事は済まされるだろう。

「それでお前は今、殺されても仕方がない状況に陥ったってか。何をした?禁断の技術を封印する為の指輪を捨てる旅の中で、罪のないエルフかドワーフでも何人かブチ殺したか?」

「まぁ研究施設を爆破してきた。あと支援金も全額、詐欺紛いの権利譲渡を駆使して現金化、持ち逃げしてきた。今日の夕方に逃げた直後が今なんだな。だが明日の夜ぐらいまでは、本当にヤバい人までバレないように工作をしてきたつもり。だけど、それもマジにそこまでもつかはギリギリだ。そういうわけでオレ様、いつの間にか恨みを先物取引で買いまくり」

 軽く言うが、組織ぐるみのインサイダー取引もびっくりの一大重犯罪活劇である。

「…だから先物取引は素人には危険だとあれほど。んで逃げて追われてるわけか。まぁそこまで黒い手段で逃げたら殺意にも怯えるわな。ていうかの選ぶ手段がひとかぎる。そこまでしちまったらお前、ふつうに同情の余地がないぞ。その被害者の人たち、何も悪くないじゃねーか」

「そこをなんとか同情ポイント確保するのが友達ってもんだろ」

 呆れたように天を仰ぐ。それ以上、雪斗はわざわざ余計な説教をする野暮をしなかった。

 このタイミングで煙草の煙でも燻らせれば、ため息をつく感じが表現できて絵になったのだろうが生憎2人とも喫煙者ではない。それでも寒空にはかれた白い息だけが、しばしの沈黙をはぐらかしていた。

「…まぁ、可能性に手が届きそうなら追い求めちまうよなー」

「そりゃあ最高の探究者気取りができたさー」

「そんで挙句の結果がコレか」

「まね。近い将来、安いヤクザでもオレの北原狂哉って名前ぐらいは知ることになるだろうよ」

「ちなみに聞くけど、オレがお前を売ったら幾らとかなりそうか?オレもヤクザな職業柄、ヤバい筋の顔見知りもいることにはいるんだけど」

「保存状態と引き渡し先によるな。死体と金の在り処をセットでスポンサーなら5億バック、生きた状態ならさらに3億ゲット。それでも、ぼったくり価格と言っていいだろうよ」

「拷問とかして精製方法を聞きだしたら?」

「そりゃお前、交渉を間違えない限り白紙の小切手クラスに化けるぜ」

「そりゃあ、破格の命だ。スープにするには惜しい」

「そうさ、そしてタチの悪い敵がまだいる」

「そんな狂哉の破格な価値を無視して、メンツだけを見るバカ、か」

「ああ、オレもリアルに殺し屋なんか雇われる状態に自分がなるとは思ってなかったよ。スポンサーの一人がヤバい人でな。あの人ならたぶんやるね」

「ヤバい人って理解ってて支援金を持ち逃げしたとかマジすげーな」

 冗談やたとえ話が多く含まれていることは雪斗も理解している。だが、だからと言って現実が誤魔化しよりもヌルいとは限らないのである。

 この男が生まれついた星ならば、それぐらいの難業は簡単に立ちふさがってくれる。

「守ってくれなんて言うなよ。おれも男だ。野郎なお前相手にそこまでしてやるほどの義理はねぇぞ」

「言うかよ。お前に一通り話したかったのは、ケツを拭いてもらいたくてじゃあねぇ」

「なら遺言状でも俺に託して、ケツ拭くのにも使ってくれってか?」

「あー、そんな感じでだいたい正解。すげえな、お前」

「まじかよ、すげえな、オレ」

 分岐点は人生に於いて幾らでもある。

 例えば大切な人が出来た時。例えば大切な人が死んだ時。

「俺は今や救いの価値もない悪党だ」

「知ってる。だから違和感がある。お前、すべての命は等しく価値なんかねぇとか本気で考えちゃう恥ずかしいクチだろ」

「まーね」

 北原狂哉は話の早い友人に対して我が意を得たりとニヤついた。

「ほんとつくづく思っちまうぜ。人生で価値があるのは命なんかじゃ断じてねぇんだよ。価値があるのは優しさだ、幸せだ、願いだ、祈りだ。価値が生まれるのは人に優しくされた時だ。価値が生まれるのは人に幸せを分け与えた時だ。価値が生まれるのは不幸を浴びても立ちあがって顔を上げる意志だ。そういうのに比べたら、命なんて無価値もいいところだろうよ」

「らしい事を言うな。そういうのを際立たせて価値を与えたくて、おまえは人生をかけて嫌われ役を演じてきたことぐらい仲間内はみんな知ってる。お前がクズであるという個性が、色んな優しい人たちに優しいという個性を浮き彫ってきたこともわかってる」

 片倉雪斗はようやく全てを理解した。目の前にいる旧い友人の企みを。この男が何を目論み、こうして笑っているのかを。

 ウーロン茶を飲み干す。烏と龍のブレンド茶は、血の味すらしてくれない。

 だからどうした。それでも今も、全てを受け止めて決意を固めた振りならできるじゃないか。

「それで、死を死として薔薇撒くとでも云うつもりか?」

 雪斗の導きだした回答。それは、この男は最悪の形で自身の確立した技術をブチ撒こうとしているということ。殺す風よ、吹き荒れろ。殺人に使用できる未来技術を、殺人の技術として。

「オレはさ、トラブルメーカーとして、てっぺん目指したいのさ。陳腐だけどシンプルでいいだろ?それってやっぱり、死を課題にしなきゃ始まらないと思うんだよ」

 もはや眉唾モノの技術など問題ではなかった。肝心なのは、この北原狂哉という男が人口石油という大風呂敷を世間に信じ込ませるだけのトラブルを用意できることであり、つまりは大した役者であるという事実にある。

「やっぱり人は死という未来から眼を逸らしちゃいけないと思うんだよ。いつどうやって死ぬか、俺が宗教家ならそこを教義にする。犠牲とか自爆とかそういうの否定する感じの教義。どうせ死ぬならじゃなくて、死が待っているなら、そこから今を始めようっていう感じの思想。だから、おれも始めようと思ったのさ。取り返しのつかない未来ってやつをな」

「そんで肝心のおまえは、罪を背負って死んだ聖者でも気取りたいのか、身の程知らずが」

「そうさ、罪を自覚させて死にたいのさ、おれは。そうすりゃ無価値なおれの命でも意味のあった死とならんことよ。それで人に意志を与えるならアリだろう?価値があるのは、あくまで死なんだ。死を理解しても立ち上がる人の強さなんだ。おれはトラブルメーカーとして、人に迷惑をかけまくって、それを乗り越えた打ち克った奴らに始末されて生を終えたいんだよ。死ななきゃ学ばないってんなら、おれが死ぬことで学ばせてやる。そう決めたのさ」

 片倉雪斗は、黙って北原狂哉の覚悟を受け止める決意をしていた。

 史上最悪として死ぬことで、世界に最悪を伝えて、最悪を否定する。その人生に救いはない。ファミレスから出て、ゆっくりと歩き出した二人。岐路はすぐそこまで来ていた。

「たぶんコレはハッピーエンドにはならねぇ筋書きだ。今日からオレは罪を犯しまくる気だし、だからたぶん近い将来でハンパに後味悪く殺されるだろうよ。でもやっぱりそれで終わるストーリーは嫌だよな。だから雪斗お前なんだ。そこから始めるべきが、お前だけなんだ」

「お前はこれからを、もう止める気は、無いんだな」

「ああ、止めてほしいならてめえで止めてみなってね。その正義は雪斗にくれてやる」

 北原狂哉は前髪をかき上げて優しく笑った。

「オレはガキすぎるんだろうな。今の世の中に不満とかありまくり。否定したい存在多すぎ。だから、そういうのブチ壊そうと思ってさ、実際にやってやろうって思ってな。そういう生き様が夢でさ。ガキくせーんだけど、オレはやっぱガキくせーことがやりたくて生きてるんだ。仕方ねーよ。だからメメントモリ、その為に、おれは死にたいのさ」

 人ハ皆、死ヲ想フ。

 愛しい死よ、どうか未来までも血に染まりませぬように、今という生を見守って。

「俺はこれからヤりたい放題の暴挙を犯す、愚行を重ねる、人を悲しませる、バカを苦しめる、そんで何事もなかったかのように忘れ去られる。でもそれでいいのさ、そういう人生がいいんだ。俺ぐらいは、そういう破綻した人生を歩んでいいハズなんだ」

「誰だって歩めるモンなら歩みたいっつの。人とは違う道なんてよ」

「違うぜ、雪斗。人はみんな違う道を歩いているんだ。ただ、みんながその道を踏み外して立ち止まろうとしているだけなんだよ。安定なんてつまんねぇのに、アンバランスのスリルを楽しめていない。でもな、大丈夫なんだよ。人は、道を踏み外しても立ち止まっても躓いても大丈夫なんだ。立ち上がれるんだ。だからきっと、おれがどんだけ酷い死に方をしても、ハッピーエンドは間に合うんだよ。死がどれほどに不幸でも、人はきっと幸せになれるんだ」

 歩き出した夜道。深夜、点滅する役割に終始する信号。車一台通らない道路。―――運命の十字路で出会い、別れる悪魔。その先に待つこの世は天国か地獄か。

「お別れだ、雪斗。これまで、楽しかったぜ。征ってくる。止めても無駄なんだぜ?」

「残念だよ、狂哉。本当に、手遅れなんだな。逝ってこい。止めてもなん無駄だろ?」

 月下煌めく街頭が照らす。

 こうして二人の男は、別れの握手を交わした。


 静嶺セツナの死について、真実を知る者は少ない。

 書類上は殺人の被害者とされ、知ったかぶりの人間は痴情のもつれと言い、巷の噂ではヤバイ事件に巻き込まれたと囁かれている。

 だが真実は違う。彼女は自らの意志で生贄となる道を選び、大切な人と友人と、小さな子供たちのために死んだ。家族も友人も、自身の人生も捨てた。それが全てだった。

 誰かが死ななければ、丸く収まった気がしない人種は確かに存在している。血を伴う儀式的な意味ではなく、むしろ政治家秘書の自殺によって有耶無耶にされた過去のような事例が当てはまる日常の茶飯事。

 あらゆる事件性を強引な暴挙でねじ伏せて、自身の死が処理される事で、これ以上波風が立たない状態に持ち込む。解決できない群集心理すらをも解決する死に方を選んだ一人の偉大なる愛すべき馬鹿。そして【トラブルメーカー】に反する対極の存在、それが静嶺セツナだった。

 彼女は時として【問題解決人】【危険物処理者】、陳腐にストレートに【名探偵】などと言われることもあった。だが、そのどれもが最期まで定着することはなかった呼び名たちである。

 彼女は確かに真相を見抜き状況を納める能力に長けていた。荒れた学級会から、コンビニ強盗まで。誰もが納得する解決策を提示するのが静嶺セツナという存在であり、しかしながら決して丸く収めたりしないやり方を取るのが静嶺セツナの【名探偵】たり得ない理由であった。

 あくまで【名探偵役】。罪深き無罪、ごっこ遊び。

 不測の事態とやらが発生した時、いつだって彼女は選ぶ手段に躊躇いがなく、どこまでも暴力的で圧倒的で高圧的な解決を好んでいた。

 皆にとって都合の良すぎる結末は時に悲劇となる。綺麗な結末の為に、わざわざ手間と時間をかけて言い訳じみた過程を取ることを嫌っていたのだろう。

 結果として、鬼畜に始まり外道に終わる。決して感謝されないやり方をもって、静嶺セツナは数多の【トラブル】を解決してきたのだった。仲間たちは誰もがそれを自作自演の悪党ごっこだと感じていた。だが、だからといって彼女の真実を知る者は少ない。

 彼女は、あまりにも疑問の余地が多すぎる存在であった。

 真実とは言葉ではない理由に基づく事が多い。まるで舞台装置のように事件に関わり、全ての意図をブチ壊しにする形で物事を解決していくセツナの姿を北原狂哉は敬意を込めて、「作為的」と云った。それでも静嶺セツナは静嶺セツナであり、彼女が何故そこまで【トラブル】への対処に慣れていたかの答えは"彼女だから"以外に答えようがない。

 だが、それもまた偶像に過ぎず、所詮は一人の人間の行動とその結果なのである。

 悩み、試行錯誤し、決意し、実行に移すを繰り返す。それは、決して人に押し付けてはいけない果たすべき責務なのだ。だから、たとえ理想像が如き人と同じようにできなくても、だからと言って何もしなくていい言い訳にはならない。

 何もしなくていい言い訳を探している暇があるなら、何かをしなければいけないのである。たとえ世界が失敗者を冷たく嘲笑う人で満ちていたとしても、たとえ失敗が即ち致命的な破綻と転落に繋がるとしても。挑め。

 こうして片倉雪斗は、ひとつの決意を実行に移す。唯一つ、【名探偵の真似事】という決意を胸に秘めて。愛した女性の生き様を心の支えに。

 その為に、鈍器で殴り、腕を切断し、金品を奪い、そして人生を奪おう。



   ―――こうして片倉雪斗は北原狂哉をその手にかけて、殺害した―――

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