死幕 おもしろきこともなき夜をおもしろく

 春日真緒の死について口にする者は、ひとりもいなかった。ましてや。




   死幕 おもしろきこともなき夜をおもしろく




 古びた倉庫で、換気扇が乾いた音を立てて回る。

 メンバー全員召集。全員招集という言葉は、【被害者の会】に名を連ねる者たちにとって、十年ぶりの響きであった。

 ある者は約束の時であり、ある者にとっては来るべき時。

 足を延ばす行為が、踏みしめた地面を蹴り上げる行為とは限らない。

 ある者は電車で。ある者は自家用車で。ある者は飛行機で。またある者は自動二輪で。それぞれの生活を象徴する足を延ばして集合は完了した。

 積み上げられた中身不明の木箱に座すのは、金髪を後頭部で結った筋肉質の男、片倉雪斗。その傍らに、鋭い眼で舞原アゲハが立つ。

 触れることのできる距離にいながら、互いに手を出すことのない距離。出会いから何年経っても変わらない、二人の自然な距離感。

 集まった【被害者の会】のメンバーは他に三名。雪斗とはまた違う膨らんだ筋肉を持つ長身の男、十河豪。パーカーを深く被り手元の音楽プレーヤーを触るのが、十河豪の妹でもある歩。そして、静嶺セレナ。

 片倉雪斗が口を開いた。

「やあ、集まってくれてうれしいっすよ。みんな大人になったし、昔みたいなバカはやれないなんてつまらないこと言われたらと、正直な話だが内心ビビりまくってましたから。マジで」

 無駄な敬語と大げさな身振り手振り、雪斗が演出したかった慇懃無礼な態度を助長するためのものである。そうして場の空気を冷まし、無駄に張りつめられた緊張感をぐだぐだにする。勇気の要る手ではあるが、意外と役に立つ司会手法であろう。

「喧しい。どこぞのクソガキみたいに大仰な言い回しを選んでんじゃねぇよ、胸糞悪い」

 早速に水を差したのは、頭に巻いた白いタオル似合いすぎている男、十河豪だった。

 役回りは主に、暴力的な後始末。

 十河兄妹の年齢は一回り離れており、豪はこの場で唯一の世代が違う存在であった。妹の歩は雪斗やアゲハと同級生である。

 豪は皆の兄貴分としての役回りを押しつけられた不幸な男でもある。それ故に便利に使われることも多く、いつしかその予防線として、特に雪斗や狂哉に対してはぶっきらぼうな態度をとるようになっていた。

「お久しぶりです、豪さん。会えて嬉しいですよ」

 雪斗が高校生の頃に、豪と歴史的な名勝負を演じて見せたのも、今となっては昔のこと。

 彼らの因縁が始まったのは、雪斗や歩たちが、小学生だった頃まで遡る。それは会としての【被害者の会】を結成するきっかけの事件であり、つまりは初期メンバーに名を連ねる者たちにとっては因縁が繋がった出来事だった。

 それは片倉雪斗が小学生の頃。トラブメルーカーと再会した少年は、体罰を繰り返す教師を罠にかけて社会的に追放した。それがまさか更に酷いことの始まりに過ぎなかったとは。

「…お前が、今の【修羅】の中の人とは、時も流れるもんだぜ」

「豪さんこそ言い回しが古臭いところは変わりませんね、先輩。まぁ今となっては年相応なのかもですが」

「くそったれが。お前は昔に比べて、随分と慇懃無礼な態度が上手くなったようだな。…狂哉を見てるみたいで腹立たしいったら無いぜ」

 雪斗は心外だと言わんばかりにあからさまなポーズで芝居がかった苦笑いをした。

「せやで、片倉。その北原のやつはどないしたんよ。このメンバーが居て、あのアホがおらへんのは不自然と違う?」

 十河歩が、兄・豪の無意味な喧嘩腰の空気を払う。兄妹で口調が違うのは、別に二人の生まれに違いがあるからではなく、単に兄が標準語を使った方が便利な環境にいたからであるが、それも今となっては別の話であろう。

「狂哉の馬鹿は、今も命を狙われているので身を隠しています」

 タチの悪い教師がタチの悪い生徒を諭すような、とても見下した口ぶりで雪斗は歩の問いかけに回答する。人差し指を立てたポージングもばっちり感じ悪い。仲間内のジョークでなければ、角がとがった豆腐的な何かを衝動的な殺意込みで投げつけてしまいたくなるところだろう。

 全てに匙を投げた後のような清々しい笑顔で、歩は両手を挙げた。

「既にとらぶるごーずおん、ってわけやね。しかもあのアホ、また命狙われてるんか。飽きひん奴っちゃね、ほんまに」

「まぁ、それが狂哉くんだからしょうがないよ。ほんと救えないばかなんだから」

 アゲハが雪斗の傍らという切なさを噛みしめた微笑みで歩に応える。張り付いた化粧のようにクールを気取ったアゲハという痛い女の、近しい数少ない友人だけが見ることのできる貴重な微笑み。

「まわりのめいわくを、いいかげんにおぼえてほしいけどね」

 静嶺セレナも同じく笑って応じた。

 とある名言にあやかるところの、女子高生が一人いれば聖女に見えるが、複数集えば豚の群れと化すように。それでも女三人寄れば姦しい時もあるが、うら若き大人になったが故に漂う淫靡な空気もあるように。わずかばかり大人になった女たちが会話する姿のそれだけが絵になっていた。

 そうした中、最も麗しい品格を備えた女性が静嶺セレナであった。

「それで片倉くん。なにが起きて今どうなっているのか、私たちがなにをする【筋書き】なのか、はやく話してくれるかな?」

 セレナは、場の空気に溶け込む事に長けた人間であった。ここに集った人間の中でもダントツに真人間の風格を漂わせる女性である。そして同時に、真人間としての気配を保ちながら、このどこか螺子の外れた集いに馴染むことができる女性。舞原アゲハなどは、そうしたセレナこそが最も恐ろしいと最大限の評価をしていた。

 静嶺セレナが纏う真人間の風格こそが、静嶺セレナという女性の努力研鑽の結果。それはあの【名探偵役】静嶺セツナの妹としての名に恥じない、空気を読む事に長けた才覚に因るのかもしれない。

 話は進む。

「簡単な話さ。狂哉の馬鹿が、手に負えない自業自得で逃れられない恨みを買って殺されようとしている」

「それは多分、恨んでいる相手にとっても災難なんやろうね」

「ほんとうに、こころからのどうじょうをくれてやりたいな」

 北原狂哉という存在に巻き込まれているという不幸。その痛々しさについては、この場にいる人間たちが誰よりも理解していた。命を狙われている友人に対して同情の言葉が無いことが、トラブルメーカーに対する裏返しの信頼、なのかもしれない。

「それで、狂哉のクソガキを保護するためにおれらが集められたってのか?」

「そんな筋書きなら話も簡単なんですけどね。問題は自分への殺意と悪意を理解した狂哉の馬鹿が、文字通りに死んでも過去最大級の大災厄を起こす決意で、残りの人生を全うしようとしているってわけなんですよ」

「…過去最大級の大災厄ねぇ。それは洒落になってへんな」

 過去に起こしたトラブルが可愛いほどの大災厄。想像もつかない事態が、真の恐怖と言えるだろう。

「つまり問題は、それに対して私たちが何をすべきなのか、今日はそういう趣旨の集い、なんだね」

「初めから奴に加担すべきか、それともまずは無駄な抵抗をするべきなのか、か」

 豪が十年以上は溜め込んだと思われるほどの深刻な溜息を吐く。

「それで俺ら【被害者の会】の代表であるお前は、いつもの二択のどっちを選ぶと決意させられたのか、それを聞かせてもらいたいもんだな」

 前向きに諦めたかのような豪の物言いが、彼ら【被害者の会】のスタンスを如実に示していた。踊る人形のように、糸を手繰るしか出来ないということ。それだけしかできなかったという過去。

「いつもどおりにフォロー・ザ・リーダーね。つくづく、ええ関係してるわ、うちらも」

 時に投げやりな態度は、相手に対する何よりの信頼を示す。憎まれ口を叩きながら、十河兄妹はしっかりと仲間たちの腐れ縁を信頼する熱さをもった人間であった。

「それで、どないするん?黒か漆黒か、伸るか仰け反るか、賽を投げるか、投げつけるか」

 もはやこの召集の意図を察していないメンバーはいなかった。この集いは、言わば確認。どうせ巻き込まれるのならば、いつ頃から飛び込むのが一番正解かを探る場所。初めから、静観するという選択肢は、無い。

 だが、この話の早さこそに、雪斗にとっての打算が入る。

 不穏な空気。舞原アゲハだけが、事前に片倉雪斗の企みを聞いていた。

 それが宣戦布告。わかりやすい構図を崩す悪意。この物語が真っ向からバッドエンディングを目指す事になる、その瀬戸際がここであった。

「今回は三つ目の選択肢でいく。―――つまり名探偵の真似事だ」

 雪斗が選んで吐いた言葉は、意図を理解し辛い言葉だった。意図を既に聞いている舞原アゲハは呆れ顔を隠そうとせず、意図を理解することができない十河兄妹は顔をしかめ、そして静嶺セレナは。

「…その名探偵ってのは、セツナお姉の事を言ってるのかな、かな?」

 他でもない故・静嶺セツナの遺族であるセレナの凄みに、場の空気が一気に張りつめた。

 トラブルを解決する名探偵の役回りを果たしてきた故人・静嶺雪菜。静嶺セレナの姉にして、既に故人。既に欠けてしまった、本来ならば解決役という物語の大切なピース。

「いいや、それは無理な話さ。なんせ、まだヤツの致命的な事件は起きていないんだからな」

「…事件が無ければ、名探偵に用はない、とでも言いたいんか。あほくさ。せやったら名探偵気取ろうにも、出来ることあらへんやないの」

 歩の言葉を聞いた雪斗がさらに嫌味な笑みを浮かべるのを、傍らのアゲハは横目で見ていた。厭らしい笑み。それ故に、いつまでも見ていたくなる、胸が痛くなる笑み。まるで笑われているのが自分だと錯覚させられる愚かな感情と、それでも笑顔が近くで見れる喜びに咽ぶ愚劣極まる本能と。

 精一杯に勿体ぶって、舞原アゲハがくだらない感情に芽生えて惑うだけの時間を溜めた雪斗は、ようやくに気取った口を開く。

「昔さ、セツナが言ってたんだ。名探偵も真犯人も大差無い、ろくでもなさだって」

 片倉雪斗は静嶺セツナの名を出したとき、少しだけ辛そうに顔が歪む。故人の実妹は、心底から呆れ果てた面持ちを男に向けていた。

「それみんな知ってるから。必死になって殺す方法を考える真犯人と、必死になって殺す方法を考える名探偵と。ろくでもなさに違いはあるのかしら、っていうやつでしょ。そんなに気取って言う話じゃないよ。くだらない」

 セレナは姉の死を教訓の様に語る雪斗に、明らかな不快の意をぶつけていた。

 舞原アゲハは、セレナの様子を見ながら、やっぱりつよいひとだ、と思う。舞原アゲハという自分は兄を失ってからというもの、兄を想うたびに心が揺らぎまくっているというのに、静嶺セレナという妹は、姉の死に心が傷だらけになってもこうして揺るぎ無い。

 住んでいる自虐の世界が違う、と。

「片倉くんの言う真似事って、そういうばかな話って考えればいいのかな?」

 静嶺セレナは全てを理解したような口ぶりながら、眼以外で笑っていた。

「相変わらず姉貴に似て話の早いねーちゃんだな。こっちはそこまで頭回転させて話を聞くような人間じゃねーんだよ、ったく」

 うわ言のような独り言を十河豪が呟く。空気の読めない自己主張をする姿が相変わらずで、少しだけ場の空気が緩んだ。

 緩んだ空気によりようやく脳まで酸素が届く呼吸が出来たのか、次に閃いたのは十河歩であった。

「ってちょい待ち、セレナ。名探偵の真似事ってまさか」

「そうだよ、あゆ。あそこにいる、どや顔のばかはね、北原くんがやろうとしているばかを推理しようって言ってるの」

 現在、【トラブルメーカー】が何かを企んでいる。だが、まだ何も実行されていない。

 つまり片倉雪斗は、まだ起きていない事件について真相を推理し、そして解決しようと言っているのだ。もしくはあわよくば先回りして、やっちまおう。そうすれば、彼らの友人である北原狂哉は何もできない。自暴自棄の暴挙に手を染めたりしない。

 静嶺セレナは、片腕を組んで右手を人差し指と中指を額につけた。

「ほんとばかみたい。それでどうなるのかな。どの道に北原くんは命を狙われているんだよ。片倉くんは、ほんとうに北原くんを救いたいのかな?」

 静嶺セレナが放つプレッシャーに当てられて、アゲハは背筋に嫌な汗が伝うのを感じていた。

 激怒。セレナという奥ゆかしい女性が率先して発言をするときは、彼女のハラワタが煮えくり溢れているときに限られている。場の空気が黒くなっていく。

 静嶺セレナは止まらない。

「それとも、北原くんが勝手に命を落とす前に一矢報いてやって、自分が救われたいのかな」

 真っ向勝負の箴言であった。ここにいる誰もが、静嶺セツナという死の真相を知っているのだ。―――つまり、片倉雪斗という男が抱く、北原狂哉への殺意を知っているということ。

「キツい事を言うなぁセレナは。でも、うちも同感。正直言って、狂哉に対してあんたが復讐したいだけな気ぃしてくるわ」

「セツナの復讐、か。確かに、そう考えた方がしっくりくるな」

 追随するように瞳を黒く染める十河兄妹。容赦の無い仲間たちの姿勢は、しっかりとリーダーを気取る男を刺していた。それは、死んでしまった仲間を言い訳に使おうとしている卑怯者を、ざくりと断罪する響き。

 しかし片倉雪斗は張り付いた笑顔を崩さなかった。

「…否定はしねぇよ。おれは正直言って北原狂哉の馬鹿が嫌いだ。自分勝手で自己中心的で支離滅裂で品行方正で品性下劣を気取り、陰気で陰湿で陰険で。たぶんおれはあいつの全てが大嫌いだ。果てしなくクズ野郎でありながら、限りなく優秀で、それを人の迷惑になる使い方ばかりに使う。人の嫌がることをするのが大好きで、人の嫌がる事を進んでやる男だった。仲間想いの奴だった。おれなんかよりもよっぽど大した奴で、きっと誰よりも真っすぐで純粋な奴だと思う。つくづく反吐が出るほどに大嫌いだ」

 だから、認めている。男として仲間として親友として、そして仇敵として。雪斗の言葉に嘘はなかった。

「おれはあいつの、汚い所は全部自分が手をつけるってスタンスが気に食わねぇんだな。だってよ、それで何かがうまく運んだことがないのは俺たち全員がよく理解しているだろう?」

 あれは片倉雪斗が幼稚園児の頃。少年はトラブルメーカーと出会い、遠足先の山で掘った穴から白骨死体が出土。それがまさか更に酷いことの始まりに過ぎなかったとは。

 あれは片倉雪斗が小学生の頃。トラブメルーカーと再会した少年は、体罰を繰り返す教師を罠にかけて社会的に追放した。それがまさか更に酷いことの始まりに過ぎなかったとは。

 あれは片倉雪斗が中学生の頃。とあるレスラーの事故死が殺人だと看過した友達が、なぜだが学校を占拠する暴挙に出た。それがまさかさらに酷いことの始まりに過ぎなかったとは。

 あれは片倉雪斗が高校生の頃。罰ゲームで友達にやらされた"番長ごっこ"がきっかけで、街中をシメる存在になった。それがまさかさらに酷いことの始まりに過ぎなかったとは。

 あれは片倉雪斗が大学生の頃。教育実習の為に戻ってきた地元で再会した友達と、子供たちの悪企みに手を貸してしまう。それこそがまさに酷いことになってしまった"あの日"。

 中心にいるのはいつだって北原狂哉だった。全ての渦は彼を中心に廻り、多くの思惑を巻き込んで渦巻く災厄。巻き込まれた者は口を揃えてこう云う、―――我々は被害者なのだ、と。

 だが、人が本当に悲劇のヒーロー、ヒロインを気取りたいのならば気づくべきなのだ。そうして被害者を気取っている限り、踊る未来はあなたを嘲笑うばかりで、決して微笑まないと、いう事を。

「もうほんと、だからいい加減におれらもやめようぜ。そういう脇役気取り」

 未来とは意志の継続によって変わるものだと学べ。終わりよければ全て良しという言葉の嘘を、【被害者の会】を名乗る人間ならば、知っているはず。

 彼らは多くのトラブルを乗り越えて、今もなお日常を過ごす事ができている奇跡の上に居る。だがそれは、過去のトラブルが『綺麗な結末』を迎えたからに他ならない。

 しかしそれでは無くならない痛みがある。それは、悪党とは言え人の破滅を目の当たりにした後味の悪さであり、仲間の命を賭した犠牲であり、その他色々であろう。

 彼らが味わった物語に、素敵な物語なんてどこにもなかった。それは冒険であり戦いであり、人生であった。完全なるハッピーエンドなどはどこにもなかった。綺麗な結末とやらが、全ての者にとって幸せになるとは限らないということなのかもしれない。

 罪には罰を。

 因果にはそれに応じた報いを。

 痛みを。そうして、人間社会の歯車は生贄の油を噛みしめて狂狂と廻る。

「やめようぜ、もうそういうの。もういいじゃねぇか、そういうドラマティックの繰り返しは」

 これは片倉雪斗が社会人として格闘家をしていた頃。久しぶりに再会した友達が命を狙われていた。ああもう、どうせコレもまた酷いことの始まりに…―――させてたまるか!!

「オレはちゃんと罪を背負う事に決めた」

 それは、片倉雪斗という一人の男による、決意表明であった。

「原罪でも気取るか?」

「そんな影響力絶大なモンじゃねぇですよ、豪さん。ただ、やっぱり狂哉や、…セレナに全部押しつけてたこれまでのおれたちが何か間違ってたんじゃねぇかって思うんだ」

 それは本当に痛い言葉であった。

 解決策も提示できない人間が、現場気取りで善悪を語る愚行のように、下劣で下世話な下等な振る舞い。それは本当に、心から恥ずべきゲスであろう。

 最悪の事態ワンオブゼムが来る度にそういうものだと諦めて、流れに身を委ねる。食い止められない不幸を受け止めようともせずに、ただひたすらに傷つく素振りで自分たちを慰めてきた愚かしいまでのいじましさ。自身の無力を噛みしめるポーズで目を背けている事実は、いつだって何もしようとしていない自分たち。それが、【被害者の会】という人間たちの本質なのである。

「…狂哉がいれば事件が起きておれらはその当事者たる資格を得るだろうよ。なるほど、セツナが居たからこれまでのおれらは無事でいられただろうよ。沢山に傷ついた被害者を気取れただろうな」

 舞原アゲハは、知っていた。この男は今、甘ったれた自分たちを全否定しようとしていると。

 そして片倉雪斗はまず、脇役でいいと甘んじていた自分たちの愚かさを全否定していた。

 目の前に立ちふさがった全ての出来事に線引きをして、これは現実的じゃないから無力でも仕方がないと言い訳をして。そのくせ置いてけぼりが怖いから、せめて参加するふりをして踊らされる自分たちを【被害者】と称して自虐して、自責の念に償った誤魔化しをしていた。

 片倉雪斗にとってこの集いとは、過去の自分たちがしていた愚かしい"ごっこ遊び"を完全否定する儀式だったのである。

 物語のような人生などは、現実の前では茶番に過ぎない。必然など、運命の踊り子など愚か者と同義である。手をこまねいて結果が綺麗に締まれば全て丸く収まって。

 その陰でどれほどの人たちが背景で泣いてきたのか、想像力は本当に単体では無価値なのか。

「だけどよ、あれだけ多くの問題をくぐり抜けてきた俺たちは、もはや世間からすれば【トラブルメーカー】なんだな。俺たちに問題があるから問題に巻き込まれている。それなら仕方が無い、ってなもんだ」

 物語には波乱があり、時に変えられない未来が立ちふさがることは人生の意味そのものである。だが、気づけば簡単な答えがあって、思考を放棄し否定をする本能に蓋をすれば、変えられる将来があったということ。

 変えられない未来、その先にある未来なら変えられる。未来は続く、未来は途切れたりしない。―――だから、未来は変えられる、という言葉は死なない。

「確かにおれらは誰よりも【トラブル】に振り回された【被害者】でもあるかもしれない。だが、俺らのせいで色々な人たちが破滅したりしている事実がある。勿論その中には許せない暴力教師のアイツだったり、卑怯者でゲスなボンボンだったアイツだったりが居て、大抵はスジが通っている暴挙だと思ってるだろう。―――だけどだからって言い訳の余地が無くなるわけじゃないし、犯した罪はやっぱり罪なんだ」

 冒険し活劇した日々を振り返り思うことは、後悔ばかりではない。だが、だからこそ後悔が前を向くためのきっかけであり、原動力となるように。

 彼らの人生は波乱に満ち、それでもこうして生き延びてきた。

 家族と死別した者、大切な人と生き別れた者、半身を失った者。だが彼らも、もう過去をうじうじと悩む段階にいない被害者たちでなければならないのである。

 犠牲になった存在に顔向けできるよう、必死に顔をあげて退屈な人生を大切に生きなければいけない者たち。今を生きている者が果たすべき義務、責務。背負え。

 既に幾つかの物語を乗り越えた者だけの、心の持ちようがある。それは部活動での達成や勉学の成就と同じ、費やした人生に応じた人格の形成とも言えるだろうか。

 だが断言する。人間の織り成すコミューンは、決してそういう『貴重な経験を持つ存在』を手放しで歓迎したりしないと云う事を、この世界は迷いなく断言する。

 都合のよい存在。社会が求めるのは全てがこの一点にのみ集約され、他のことは全てが付加価値に過ぎないという事。それを、【被害者の会】の面々は身をもって理解していた。

「ここには、存在それだけで忌み嫌われ邪魔扱いされてきたヤツがいるし、進んで人に嫌われてきた愛すべき馬鹿もいる。つうかマジ愛してる」

 なぜ彼らが幾ほどのトラブルに塗れようともこうして集い、会を成すのか。それは、彼らの本質が日常に耐えられない痛々しい人間であり、その本質を北原狂哉が神経逆撫で肯定してくれたから、である。

 人は本来、波乱万丈と不幸を望む罪深き魂を孕まねば、心があると言えない。

 なのに家畜のように生きて死ぬ人間が肯定されすぎている。あなたがわたしが、人と同じを気取る人が、人と違う人を否定する言葉が、社会という世界に満ちすぎている。

 違う、人はもっと這いつくばって試行錯誤しなければいけないのだ。

 落伍を許さぬ社会の歯車をもって狂気と成したせかいで。安全神話という邪教をブチ殺せ。無難という偶像崇拝者を叩き壊せ。物語の演者を気取るなら、破滅を抱け!!!

 現実はそうではない。

 ここで片倉雪斗はアゲハにしたように、大金をチラつかせて言い訳を殺し、心を揺さぶった。

 集まったメンバーの眼の色が変わっていく。この場における舞原アゲハの立ち位置は絶妙で、その様を第三者の視点から見ることができた。

 それでもアゲハは、雪斗の演説を他人事のように聞き流す。それはこの中に、あのピエロを気取った人間がいるかもしれないという疑惑が拭えなかったからである。

 人の冷蔵庫に、新鮮な手首を冷やしておいてくれた人間がいるやいなや。

 その怪しい人間の筆頭には、当日に家まで訪ねてきた片倉雪斗が名を連ねている。だが、だからこそ怪しすぎて、そうして一巡する心理。アレが本当に雪斗からのプレゼントならば、その日に姿を見せる必要は無いのではないか。

 だがしかし。

 それでも、ロペスピエーロというモチーフが選ばれている以上、プレゼントの贈り主は知人に限られる。なぜなら、ロペスピエーロこそは北原狂哉と静嶺セツナが演出した最低にして醜悪なるスケープゴートなのだから。

 あれは舞原アゲハが中学生の頃。とあるレスラーの事故死が殺人だと看過した知人が、なぜだが学校を占拠する暴挙に出た。それがまさかさらに酷いことの始まりに過ぎなかったとは。

 その物語、全ての罪を誤魔化して全てを煙に巻いた悪魔的駒が当時に実在したギミックレスラー、処刑道化・ロペスピエーロだった。

 ここに集った面々は、先ほどから「まだ何も始まっちゃいないぜ」という雰囲気で言わば悠長な会話をしている状態にある。だが、違うのだ。既に物事は始まっていて、更にろくでもない事態へ向かおうとしていた。

 舞原アゲハが抱く疑念、それはここに集ったメンバー全員に向けられる。

 つまり、ここにいるメンバーは皆が皆、既に何かが始まっていることを知っていてここに集ったのではないか、ということ。この馬鹿げた召集に出席率の裏付けに、各人の打算が隠れていないか。それぞれの近辺で既に起きている怪しげな出来事の理由に北原狂哉という存在を求めて、ここにこうして集ったのではないか。

 それは、もはや確信に満ちた観点であった。

「いい加減に、このパターンから抜け出そうぜ。肝心なところで諦めるのも、もう止めだ」

 こうして、物語は真の意味での幕を上げる。

 これまで、トラブルメーカーに振り回された因縁を持つ者達が、そのルールに立ち向かおうとする物語。

 だが、それでも。こうしている頃、倉庫の裏で、奇妙なピエロがシュレデインガーの猫を殺していたことを、彼らは知らなかった。

 曖昧にとどめを。

 罪には罰を。

 因果にはそれに応じた報いを。

 終わり始まりを告げるように、舞原アゲハは、音もなくカードを壁に投げつけた。



 舞原ツバサが遺したカードは角に衝撃を受けると小規模の爆発を起こす。皮膚は裂けるが、肉は切れない程度のエクスプロージョン。骨など断てるはずもなく。

 それ程度の火力が、大虐殺すら実現するからこそ、人の業とは罪深いのだ。

 もしも確実という精度で破壊を期待するのであれば、機械を介してはいけない。シンプルに、火花が散って火薬に引火する。その程度のギミックを丁寧に連鎖させる行為こそが最も精度の高い悪意であろう。機械化とは、あくまでその集大成である必要性。理解不能の不具合を除外する行為、それこそが犯罪の精度を高めるのである。

 アゲハがノールックノーモーションで投げたカードにより、後方の非常口で爆発が起き、炎が上がった。

 仕掛けはまさにシンプル。倉庫の入り口付近に配置されたポリタンクのガソリンは、決して建物自体を崩壊させない程度のものである。それらのひとつが起爆した時、連鎖するよう計算された炎の経路。しかし連鎖自体が失敗に終わっても問題がなかった。

 打算とは切り離して思考するべきが、暴挙という行為。打算とはあくまで目的であり、行為とは過程にすぎない。

 舞原アゲハの目的は、あくまで爆発を起こすこと。―――それに対する、不自然な対応をする者が出ないかどうか。それだけの為に、賽は投げられたのだ。

 つまり、駄目で元々のトラブルメイキング。そもそも百戦錬磨の【被害者】たちが、この程度で動じるわけが無いという前提。音量にもタカが知れる爆発如きで、もしもうろたえるような人間が出たら、それは好からぬ事を企んでいた存在ということ。

 これは危険という保険。事前に危険な手を打つことで、今後に起きたかもしれない危険を防ぐ打算。暴力に訴えた、選別思想。

 舞原アゲハは冷静に、日和見の傍観者で友人たちを観察する。

「…なんや、安い爆発やな。臭いし、ガソリンやのうて火薬使いぃなっつう話やね」

 爆風に髪を躍らせながら、冷静に呟いたのは十河歩だった。

「そうだね、でも危険だよ。ここには不完全燃焼し易いものが多すぎる」

 ハンカチを口に当てながら周囲を見渡し、静嶺セレナは脱出経路を探していた。

「おいこら、ユキト。ワレがおれらを試すために仕組んだんじゃないだろうな」

 女性陣を庇うように筋肉の壁を持って炎の前に立ったのが十河豪。

「失礼な。そりゃあ火遊びは好きだけど、屋内でやるのは興業の時だけにしてますよ」

 瓦礫の山から飛び降りつつ、雪斗は鉄パイプを手に取る。

 これは駄目で元々のトラブルメイキング。そもそも百戦錬磨の【被害者】たちが、この程度で動じるわけが無いという前提。音量にもタカが知れる爆発如きで、もしもうろたえるような人間が出たら、それは好からぬ事を企んでいた存在ということ。

 そして結果は、舞原アゲハが望まぬ、だが期待した結果に辿り着く。

「…っ」

 日頃からクールを気取る舞原アゲハが、天井を見上げて言葉にならない悲鳴を上げていた。選別を気取り、仲間といえる存在を試した最低な人間に与えられる罰がこれなのか。

 違う。事実は断片が繋がったように錯覚を覚える結果が示されただけに過ぎない。それでも舞原アゲハは驚愕し、動揺し、硬直をしていた。

 悪意は連鎖する。たったそれだけのテーゼ、気高さを気取る人の心はこうも容易く漆黒の染みに汚される。

 メールの同時着信で、複数の携帯電話が鳴り響いた。



         【やぁ諸君、久しぶりだね。元気にしていたかい?】



 液晶画面に踊る文字。天を仰ぐ液晶画面に照らされた天井。力なく垂れ下がる関節。黒い空洞の瞳。裂けた笑顔。ハングマン・ダンプティの空。

「おい、まじかよ」

「それより、上。…あの、人形は」

「…間違いない、あのふざけたデザイン」

 誰かにとって、断罪の時が迫る。

 炎は広がり、入口は塞がれて、酸素もまた奪われる。

 木偶人形が天井に首を吊るされていた。人間ではない。肉を持たぬ、糸と木造りの四肢脱力。

ひとつやふたつではない、かの串刺し公を彷彿とさせるような大量公開処刑を演出したかったのか、踊る人形、天井には煩悩の数すらも上回る罪人たちのモチーフがぶら下がっていた。

 人形たちからは、赤い液体が滴り落ちる。

 全ての嘘を洗い出して、罪だけをむき出しにするような赤色の雨。

 舞原アゲハの懐で、冷蔵庫に仕込まれていた携帯電話にもメール有。発信人は、『愛しのロペスピエーロから愛を込めて』。文面は、【被害者の会】の面々との再会を祝うメッセージ。

「―――ロペスピエーロ……」

 それがつまり、愚かな【ごっこ遊び】に興じるイイ歳の大人たちに捧げられた、宣戦布告の鎮魂歌であった。



                                     



 ―――【トラブルメーカー】は死して尚、嘲る者の座を譲らない。

 翌日、北原キョウヤという男性が殺害された、というニュースが近畿地方を中心に踊った。言うまでもなく、北原狂哉の死亡を意味する【訃報】である。

 そして現代社会に於いて死者と報道された者が、まさか黄泉還り社会的地位を取り戻すなどという物語が展開されるはずもなく。

 被害者を気取る事で自身の自我を保ってきた、そんな者達が今さら物語を先導して動かすなどできるはずもない、と嘲笑うかのように。

 繰り返されてきた物語作法に立ち向かう意志を見せた片倉雪斗。物語作法によって固められてきた足元の爆破を真っ先に目論んだ舞原アゲハ。そして後追いの仲間たちも。皆が皆が踊る人形のように無様に空回る。

 人の作為は、簡単に噛み合ったりしない。精々が、絡み合って身動きが取れなくなっているところを轢き殺す、そんな程度の慈悲さえあれば良いところであろう。

 つまるところ、ロペスピエーロの暗躍が始まっていたころには企みは動き始めていたのである。その時には既に北原狂哉という悪意も、その大風呂敷を広げきっていたのだ。

 翌日の訃報から遡れば、【被害者の会】の寄り合いこそが絶妙なタイミング、まさに愚か者の饗宴というに相応しい夜と言えるだろう。

 さぁ、辞世の句の上の句は読み終えて、ここからが白紙の下の句に至る物語。賽の河原、致命的な賽は既に三途の川に投げ捨てられた。ただ水面も落ち着き澄み透っているから、誰も彼も気がつかなかっただけ。

 黄昏る時。人よ、それを手遅れと呼べ。

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