散幕 断片集

 物語の世界で時間軸を振り返ると、そこにはメディアをありがちに騒がせて、ありがちに世間から飽きられた事件が幾つか存在があった。

 【天才児童立てこもり】。

 【覆面レスラー殺人レスリング】。

 【サディスティック教師の惨殺】。

 それら陳腐な見出しで連日ワイドショーを踊り狂い、飽きられて果てた事件たち。そうした全ても、今となっては昔のことである。

 犯人も被害者も犠牲者も動機も犯行も凶器も現場も。事件概要を一見すると、そのどれをとっても、全く関連のないよう見える事件であった。だが、ある二点において明らかな共通点があると、インターネットなどを中心に噂され話題となった事件たち。

 その共通点のひとつが、時系列にズレのある三つの事件において、その発生地区が同じであるということ。そしてもうひとつは、全ての事件において確定した犯人が行方不明となっているということ。

 強調するが、それら三つの事件に作為的な関連性は無い。但し、連鎖はある。それでも、人の作為などは連鎖しているように見えたところで、実際は人の意志の数だけズレているものだ。

 確かに同じ地区で発生している以上、関係者を辿れば当然にリンクする処も出てくるであろう。密接に関連している箇所もあるのも事実である。だが全てが全て、独立した個別の人間が抱く打算によって引き起こされた行為の結果であった。

 誰かが言った。「本当に完全犯罪がしたいのであれば、アリバイや密室にトリックを傾けるのではなく、死体消失の一点にこそ全力を注ぐべきだ」と。

 北原狂哉は、そう発言した当時の自分を振り返り考える。確かに幼稚な発想であるが、とても的確であった、と。それ故に狂おしいほど愚かしく、愛おしい、と。

 北原狂哉が直接関与した事件は、【天才児童立てこもり】だけである。それは主役の座を友人に押し付けて、自身は神の見えざる手に徹した懐かしき少年時代の思い出。

 故にそれらと同列に語られる事件、【覆面レスラー殺人レスリング】と【サディスティック教師の惨殺】に対しても、北原狂哉は愛着にも似た感情を抱く。

 北原狂哉という男が特に満足した点は、行方不明になったのが全て「犯人である」ということだった。犯人消失、それは死体消失に付随する悪意的な神の一手であろう。

 例えば「犯人はただの下手人であり、黒幕によって始末された」といった噂話について、安いゴシップだと定義してしまう心理がある。冷静に考えれば、下手人の始末など悪党の常套手段として全然あり得る話にも関わらず、「それではつまらない」と考える人の愚かと健気さ。

 ただの凶器が見つからないところに処分されるのは当然の話である。にも関わらず、人はよりドラマチックな可能性に踊らされるのだ。

 犯人とされた特異な存在のみに限って、「行方不明」を「逃走したのだろう」と解釈される心理。可能性が強いという言葉は時に真実を否定し、現実性の薄い偶然の上に成り立つような真実は、より脆弱な憶測を伴って脳裏の片隅に追い殺られて、逝く。

 北原狂哉は、笑いが止まらない。ああ、みんな本当にうまくやったんだなあと、どこか誇らしくすら思えてしまう。

 最寄り駅のホーム、北原狂哉は季節外れに晴れた空を見上げて呟いた。

「さぁて、おれも頑張らないとな」

 北原狂哉は家路を逆に行く。全ての道は、還るべき場所に続いているのだから問題はない。定義があるならば逆を突く。それこそがトラブルの本質であり、正に北原狂哉という男の生き様そのものであった。

 人は皆、土に還る運命の、言わば星の欠片。

 ならば問いたい。命とは何だろうか。生とは何だろうか。人の定義する死が、本当に正しく死という事象を指すことができているのだろうか。

 死んでみれば、その答えに辿り着くことができるのだろうか。




   散幕 断片集




 その街は繁華街ではなかった。

 仮にも県庁所在地の駅前だろうに、夜の十時にはゴーストタウンと化す平和極まる退屈な街。ストリートミュージシャン気取りが、人に見られるために弾き語るのではなく、人がいないからと安心して下手くそな歌で気取れるなんちゃって大通りストリート。通る車は縄張り意識の強いタクシーばかりか。派出所が駅から徒歩30秒にあるせいもあり、これではもう治安が良いに違いない環境。というか実際、平和そのものだった。

 退屈で、無機質で、静かで、暗くて、人々が互いに無関心。それはまさに、平和の景色そのものだろう。なぜそんな街に『彼』が現れたかと聞かれれば、そんな街だったからこそと『彼』は答えるに違いない。

 壊れたギターが散らばっていた。派出所の窓に警察官が突き刺さっていた。タクシーが一台燃え盛っていた。熱で解け残りの雪が溶けていく。

 これは、ため息がまだ白い季節に語るプロローグ、本当の意味での物語の始まり。

自由気ままフリースタイルにもほどがあるっしょ」

「阿呆抜かせ、これはただの実力行使ストロングスタイルじゃ」

 似合わないオーバーサイズのパーカーに身を包んだ女の言葉に、覆面を被った変態チックな上半身裸男がブリッジの体勢から跳ね起きて答えた。パーカー女が担いだ古臭いラジカセが陳腐な低音を刻む。派出所に突き刺さった警察官を美しく投げっぱなした体勢のまま、上半身裸男は割れた腹筋を誇示するかのように胸を張った。

 パーカー女はパーカーを深く被り直し、自転車に跨った。

「さて、逃げますか」

「そうやな。罪はこいつに被ってくれる」

 言いながら、覆面男はハンカチのように放り投げた自身のスペア覆面を指さす。燃え盛るタクシーの炎で照らされた、修羅の文字が大きくペイントされた覆面。どこかアメリカンテイストのあるデザインは、印字された漢字を引き立てていた。

「まぁ、そんなん無くても捕まる気が、しぃひんけどね」

 全力疾走の自転車と並走する覆面男に、右肩にラジカセを担いだ必死でペダルを漕ぐパーカー女が、息継ぎの合間を縫うように途切れ途切れた声をかけた。

「あとは世間がどれだけ騒いでくれるか、やな」

「大丈夫やよ、きっと歓迎してくれる」

 パーカー女は、そこから自転車を漕ぐ足のリズムに併せて、即興のラップを口ずさんだ。

「また会えるかな、いつか。きっとそれが確かな絆。だけどまるで叶わない唄。―――それでも今はおかえりなさい修羅」

 いつか、絆、叶わない唄、おかえりなさい修羅。踏まれた韻は、確かに二人の関係を如実に表していた。

「下手くそなライムを畳みかけんな。絆とか恥ずかしいフレーズまで挟みやがって、息まで上がってるから猶のこと聞き苦しいわ」

「本場帰りは冷たいねぇ。エミぐらいしか聞いてない癖に」

「アホ、ネムこそ俺には全てだっつーの」

 軽口を叩きながら、夜の町を駆ける二人は十年前に思いを馳せていた。

 十年前に発生した事件、【覆面レスラー『修羅』殺人レスリング】。それは低迷する日本のプロレス業界の評判に、小さな傷と確かなトドメを刺したとも言われる事件であった。

 それは【修羅】を名乗る覆面レスラーが行った、リング上での公開殺人。あらゆる凶器を"正しい角度"から"正しい部位"をブツけ、脚本通りブックそのままにリングを血に染めた試合。裏方バック審判レフィリー観客リングサイドも皆が皆、目の肥えた人間たちがみんな血糊だと思っていたその赤が、実は生命の源そのものであった悪夢の死合。プロレスという痛みリアル演技フェイクが混同された業界を悪意で彩った、文字通りゆえに最低のデスマッチ。未だ逮捕されぬ犯人、正体不明の覆面。すでに死亡した愛すべき家族による事実上迷宮入りの事件。

「十年、か」

「ああ、豪の兄貴がアメリカへ武者修行に行って、ちょうど十年や」

「歩には迷惑をかけたな」

「ええてそんなん。うちかて、十河そごう家の人間や。んなもん生まれた時から慣れてる。陳腐な古い手やけど偽名とか芸名とかを使いこなせれば十河の人間やてバレたりしぃひんしね。周りの人間はだまされてくれるもんなんよ。てかそもそも、そこまで十河の名前は有名違うし」

 無理ゆり韻を踏もうとしていない関西弁の口調は、フード女がヒップホップMC気取りをやめて素に戻っていることを示していた。

「ほな、今日やっとかなあかんのは、あと匿名掲示板か」

「ああ、奴の言葉に従うのは癪だが、細かい所まで固めておくのは必要だからな」

 ひとつひとつの工程を自身が確認するために、段取りを呟く二人。

 思いはせるは、過去か未来か現代か。

 だが、復讐がいつだってそれらの時間軸を飛び越えるように。両親が殺人鬼と呼ばれた十河豪と十河歩。―――悪性劣種バッドブリード

 思い出したように年の離れた妹が兄に微笑んだ。

「豪の兄貴と、こぉやって走るのも十年ぶりやねんな」

 このままどこまでも走れそう、とは陳腐すぎて流石に言えなかった。だが、きっと兄も同じことを考えていたのだろう。懐かしい風が、二人の肌を優しく撫でる。兄妹だけが知る、修羅というレスラーが犯した十年前の事件の真相の全て。十年前、十字路で出会った元凶の悪魔。

 二人は躍る心を抑えきれずにいた。

 前方、逆光に人影あり。急ブレーキをかけた自転車の軋む音が夜の街に、終りを告げる。

「なるほど。確かに、十年ぶりだ」

 そこに立っていた、男がもう一人。奇しくも再会は、十字架にも似た十字路に架せられた罪か罰か業か、報いか因果か。

「やァ、久しぶりだネ、元気にしていたかイ、子どもたチ」

「…ロペス…ピエーロ」

 十河兄妹の前に立っていたのは、右手から木偶人形をぶら下げた黒マントの道化師であった。仮面について返り血の赤が、随時執行される殺意を存分に外へ示す。

 十年前に活躍した、知る人ぞ知るギミックレスラー。処刑道化の名を騙り、主にバックステージで惨たらしい殺劇を演出する役回りたる存在。

「逃げるぞ、歩!!コイツ…、本物だッ!!!」

「―――殺しに来ましたヨ!愛しき十河の兄妹!!」

 惨劇未遂であり対決未遂であり。既に奏でられていた序曲はこうして、ボリュームを上げた。聞く耳を塞ぐ者の鼓膜すら突き破れない程度の静けさのまにまに。

 これは片倉雪斗が北原狂哉と再会を果たした秋も終り、さらに冬も終わりに差しかかろうとしていた頃に起きた幕間劇。そして舞原アゲハが挑む、神の見えざる世界の構図そのもの。

 この幕間劇により、北原狂哉の世界は終わり、全ての終わりが始まる。―――これは、処刑道化を巡る、ゼロ時間へ向かう死神の物語。

 救いは、まだどこにも無い。




 あの唄をあなたが聴いている時。

 おれはこの世にいないだろう。

 それでもいつかこの日が来た時の為に。

 おれはこの唄を遺そうと思う。


 あの、人を殺せる唄を。

 どうか、散り逝くおれの為に詠ってほしい。




 日常と非日常は合わせ鏡。

 違うのに、同じ。同じだから、違う。違う同じが繰り返される、巡れ季節。

 世間と翌日の新聞の四コマの横を飾った修羅の文字は、十河歩が参加した五年ぶりの同窓会の話題の種とまではならなかった。

 話題は静嶺瀬怜那セレナの結婚が中心。そして、折を見ては春日真緒の脱獄。

「漫画か、お前の存在は」

「つぅか海外ドラマ?」

「なんつぅかもぅ、プリズンをブレイクじゃないですか、かわいこちゃん」

 口々に突っ込みが本人に向けて放たれた。

 もちろん脱獄とは的を外した喩え話で、事実は少し違っている。事実は、若手女子にセクハラ紛いの営業行為を強要する悪徳企業に就職してしまった春日という同級生が、入社1年で退社しただけに過ぎない。

 問題は退社の仕方にあった。

「一人で退社するのも逃げるようで癪だったからね。あいつらの言う、綺麗どころの女の子全員と辞めてやったわ」

 つまり、大人数でのプリズンブレイク。脱獄者にあるのは、果たして自由なのか。それてもさらなる苦難の連続なのか。

 当事者である春日真緒は笑いながら簡単に言ってのけているが、会社側からしたら、これほどのダメージは無いだろう。男性社員のモチベーション、残された女性社員の感情。果たして誰が一番複雑な心境なのか探るのは難しい。

「しかし、ほんまにひどいね真緒。その会社」

「うん。まぁある程度の古臭い男女観はどこも一緒なんやろけどね。でもあの会社の腐り方はやりすぎやったわ。女性をセックスシンボルとしてしか使う気無いー、みたいなね。そのくせそんな会社の臭いおっさんが『最近は過剰にセクハラだのと言うつまらない時代になった』とか不満そうに言うんよ。もうすっげぇめんどくさい。でもそういうセクハラ大好きな大人に限って、人を動かす地位にいて、ほんま意外なパワーもってたりするんよね。…―――じゃあ、立ち向かうしかないじゃない」

 それは愚痴という響きが一切ない、他人事のような清々しさで語られる言葉であった。

 誰がどうというわけではなく、自身が許せなかったから先頭に立って行動に移す。そういう極端な正義感を春日真緒は持っていた。

 そういうところを、十河歩も尊敬を越えた憧れを覚えている。

「で、今お前はどーしてんのよ」

 話に割って入ったのは片倉雪斗だった。

「ん?今は合コンで捕まえた男の家に転がり込んでるよ。こういう時こそ"女は強い""女はずるい"って言われるような人生を歩むチャンスやからね」

 在学中に何度か聞いた春日真央の女論。

 女に生まれた人生ならば、精一杯の女になってやろうか。日本人に生まれたからには、見事な大和撫子の精神を築こうか。

 彼女にとって性差とは、優遇や差別の原因ではなく、あくまでプライドの拠り所に過ぎないらしい。女であるということ。男ではない人生を歩めるということ。

 こういう場で、十河歩は聞き役に回ることが多かった。歩自身こそが、むしろ必要最小限のリアクションの中で個性を発揮するタイプになりたいと常々考えている節もある。

「残念やったね、ユキト君―。もう相手いるってさー」

「もし体空いても片倉はヤメナよ真緒。片倉はDVするって評判だからね」

「誰の評判だよ、誰の」

 歩が黙って大人しくしている間も話題は移ろう。気がつけば 【24にもなって女子とか言うな】の女子達が、社会人になっても長髪を維持する時代に世間に流されない男を気取った若手現役格闘家、片倉雪斗に向け激しいバッシングごっこになっていった。

 だが、こういういじられキャラを確立するために、片倉雪斗が在学中に費やした努力は相当なものであることを歩は知っている。そういう努力を隠して天然を気取るところが、歩は本当に嫌いだった。軽蔑の念すらはっきりと抱いていた。

 ふと歩と雪斗の目が合う。

「ああ畜生。脈絡ないけどしばくぞ、ごめんな歩」

「ほんまに脈絡ないなDV片倉。素でドン引きしてしもぅて、うまく突っ込めへんわ」

 酔ったふりをして暴力的な言葉を吐くのは、片倉という男の持ちネタだった。サムい冗談も重ねれば内輪ネタの定番となるように。片倉雪斗が自身をギャグっぽい暴力的な寒い人間だと定着させるために費やした努力のサムさやイタさは、歩が最も良く知る愚かさである。

 DVキャラ付けがされている彼だが、実際には女性に暴力をふるっているところを見た者はいない。だからこそ、この男が身内の女性に暴力を振るうときは、きっと誰にも見られないようにうまくやるのだろう。やってきたのだろうと歩は確信する。

 とんだDV男である。むしろどんなDV男よりもタチの悪い、本質的な意味でのDV男である。少なくとも歩ぐらいは、片倉雪斗という男の身内に対する容赦のなさを知っていた。

 十河歩は斜め前に座る男に対して、心底の怖気を走らせる。死ねばいいのに。笑えない。

「片倉は暴力を愛情表現とか言う度胸も無い癖にな。いい加減よしときぃよ、無理して暴力キャラ演じんのさ」

「うるせー、だからおれはDVキャラじゃねーっつーの」

 しかし歩は知っている。北原狂哉という凶悪な『ツレ』を持ってしまった男が、自身を動きやすい立場に置くために日頃から暴力的だと思わせておこうとする、愚かな積み重ね。本当にトラブルに対処したいのなら、他にするべきことがあっただろうに、つくづく胸糞悪いばかだと歩は思う。

「そう思われるような振る舞いをわざとしてきた時点で痛いっゆうてんのよ、ばーか」

 古い友達だからこそ一切の容赦ない、殺伐とした頭悪いやり取りの応酬。それでも、こういうのを幸せと云うのかもしれない。吐かれていく言葉本来の意味とは裏腹に、参加したメンバーに広がる暖かい空気。酒もすすみ、ぽかぽかはとどまることを知らない。

「それじゃあセレナの結婚と真緒の脱獄と、片倉のDVキャラに、もう一度乾杯ー!」

「いえーい」

 素面ならば殴り殺したくなる寒いやり取りも、酒が回れば心地よい。いつしかコチリと音がして、時計の針が十二時を告げていた。

 魔法が解けて宴もたけなわ。終電に間に合う組は会計が終わるとそそくさと席を立つ。終電を逃した面々がこれからどこで寝るかをだらだら話す中で、歩は真緒とセレナに声をかけ、行きつけのバーへ足を運ぶことを提案していた。

 他のメンバーも友達ではあるのだが、親密さでいえばやはり敵わない人間関係というものは存在している。そこまでの苦境を励ましあった仲ではないが、やはり付き合いの長さがそのまま絆を固く結ぶように。

 子供時代からの付き合いも時が経ち、いつしかバーで肩肘を突く姿が絵になる年齢になっていた。10年もの、若い世代にも適度に手が出る琥珀色の液体にに球形の氷を浮かべて、からんころんと、上品な音の乾杯を奏でる。

「結婚、おめでとセレナ」

「うん、ありがと歩。これでようやくねがいが叶うわ」

 静峰セレナがくぃと一杯ひっかける様子は、学生時代に増して色気があった。歩と同じことを感じたのか、春日真緒が人妻という言葉を用いて優しく茶化す。さっきまでとは違う、無理のない空気が広がっていた。口にするカクテルも、アルコールが薄まり果実の甘さが増していく心地よさ。

「そー言えば歩はさっきずっと大人しくしてたけど、近況報告もあまりしてないよね。どう?最近も音楽続けてるの?」

 まさに思い出したかのようなタイミングで、真緒は脈絡をぶっちぎり話を歩に振った。

「金になりきらないような趣味のレベルで、ね。でもなかなか人を殺せる感じが出されへん」

「そりゃあんたが趣味レベルとか言って、殺す気の本気だしてないからよ」

 歩のアーティスト気取りらしい発言をさらっと受け流し、春日真緒がきっぱりと言ってのけた。誰よりも歩を買ってくれている友達。アルコールが入っている真緒は、いつも以上に嘘がつけなくなる性質だ。春日真緒という友人が、お世辞抜きに思うまま正直に話している事を理解しているからこそ、歩にとって耳を塞ぎたくなる言葉。

 本気って心や体のどこにあるのだろうか。

「あんたが本気を出したら、日本中が血を見るんだから。私が保証人したげる」

「あ、なつかしいね。みなごろしのメロディ」

 むかし三人がミステリ小説にはまっていたころのバカ話、音楽は人を殺せるのか否か。歩が今も尚、音楽を続けている原点もまた、当時のバカ話にあった。

「人を殺せる音楽、か」

「ファンクラブとかの人を破産させるぐらいしか結局浮かばなかったんだよね」

「あとはとびっきりの爆音でのうみそ破壊させる、とかもあったよ」

 高校時代のバカ話が蘇る。女子気取りの女性たちは、ようやく自然な少女のテンションに戻っていた。姦しい女三人寄れば、弁天の知恵が如く、意味不明の理。

「人をかんたんに殺せるメロディが完成すれば、きっとそれは、おんがくえんそうさつじんじけん。完全犯罪めじろおし。…歩のおじさんやおばさんもそんなのがあればよかったのにね」

 セレナが一切悪びれることなく、真っ直ぐな口調で呟いた。真緒も紫煙を吐きながら、同じことを思っていたのだろう。静かに頷いていた。

 しかし歩は首を振る。

「何言うてんのよ。手を汚すからこその愛なんやで。ていうか殺しを特別な外法にしてるのなんて文明国の人間ぐらいやよ。生きるためなら殺すのが摂理やって、そんなん猿でも普通にわかっとる。うちらは命をいただかな、生きて逝けへんのやから。せやからこそね。もしも、あの殺人をノーリスクでやられてたら、うちは今でもきっと二人を両親やと尊敬できてへん。せやからうちは、あの二人を両親やと尊敬できてる。…世間さまが何を言おうと、あの二人が間違ってなかったこと、絶対に譲る気はない」

 嘘や邪推のない会話に気遣いはいらない。過去を思い出すのは今でも辛いが、そんな痛みも押しつけてしまえば意外と軽いものだ。歩は、今の自分が笑えていることを心から感謝する。

 十河歩は考える。もしも、全ての人の背中を押す応援歌を謳えたら、それだけで悪魔のささやきそのものだろう、と。

 断崖絶壁に立つ時に背中を押せば死ぬように、背中を押す言葉は時として人を殺す言葉となるからだ。それはきっと、人を殺せる音楽の第一歩だと。

 優しい言葉と突き放す言葉、真実と嘘、理想と現実。人はそれらを交互に突き付けられると、心は許容量を超えて対応しきれなくなる。例えば、心を殺すような冷たい言葉の後に、心を撫でる温かい言葉を言われた時のように。

 自分に都合がいい言葉と、聞きたくない言葉。それらが表裏一体でこそ心を抉ることを歩は知っていた。だからそういう言葉にすれば、人は簡単に死へ向かうはず。

 だけどそれは音楽であり、音楽ではない。だから、歩はそれを音楽とは呼ばない。

 時計の針が深夜3時を告げるころ、真緒が呂律の回らない口で言った。

「歩、いま充実してる?」

「あー、前からしたいて思てた事をようやくはじめたんよ。だから結構充実してる」

「そか」

 ヤバい橋を渡っている、とは言わなかった。ていうか兄とともに街を破壊して回っているとは尚更言えなかった。そもそも最近の歩がはじめた行為は、ただのカスでゲスな暴挙だ。

 深い追及をされて歩が適当な誤魔化しを言う前に、話題はまたセレナの結婚に戻っていった。

「でもセレナ、本当によかったよ、たのしみそうで」

「案外そういう人、あんまりいないよね。私の周りは結婚するって言う人って、不安が先走っている人が多かったし」

 そらされた話題に乗っかりながら、歩は溜め込んだ黒い言葉はすぅっと胸の内から消えるのを自覚していた。ただ、双子の姉であるセツナを失ったセレナがこうして家族を得る機会を手にしたことに、心からの祝福を覚える。

「ありがと、二人とも」

「どういたしまして、おしあわせにね」

 カランと、優しい音色で乾杯は交わされる。

「…マスター、ギター貸してくれる?」

 歩は決意を胸に抱き、マスターに預けていたギターを黙って受け取った。明日からくる、血まみれの日々に覚悟を決める為に、過去と決別するために。

「それぞれの明日に、祝福がありますように」

 人を殺せるメロディは、実のところ完成していた。それは皆殺しとは程遠い、愛する人のみを確実に殺せる旋律。

 歩は、安らかな言葉の前置きを置いて、静かに披露した。

「贈るよ」

 ―――愛しい親友に死んでもらうための旋律を、真心を込めて。

 その翌日、春日真緒の遺体が発見されるのだった。



 海の向こうの国ならではの過剰な量の花火、限度を超えた照明、無駄に低音を利かせた爆音。視覚聴覚を揺さぶる派手な演出からゲートに入場した男は、どうも日本人のようだった。タイツにダサダサとプリントされた日の丸からもジャップジャップ自己主張されている。

「あれが、雪斗の野郎、ねぇ」

「そうですね。半年ほど前に留学入門して、いけ好かない日本人っていう面白くない役回り演じてきたみたいですよ」

 ファミレスの禁煙席、向かいの女性が十河豪に語りかける。女性の名は舞原アゲハ。体型は日本人的だが、仕草がやたらと綺麗なせいでとてもイヤラシイ。豪の妹である歩の友人。露出の少ない服装だが、エロいと感心させられる上手い着こなしをしていた。

 豪快な余裕に冷静さを隠している様子を意識して気取るためか、豪は目の前の女性を観察することで、余計なことを考えつつ思考を運ぶ。そうして、まるで運を手繰り寄せたいかのように、ひとつひとつの言葉を選んで吐いた。

「役回り、か。相変わらず全力出してるくせに外面は茶番を気取るのが好きなんだな、あの男は」

 日本においてプロレスとは八百長だと茶化されることがある。実際、プロレスにはシナリオがあり、多くの場合で勝敗まではっきりと決まっていることだろう。

 だが、だからと言って八百長という言葉が当てはまるかといえば、そこにはズレがある。映画やドラマのご都合主義を指して八百長と言う者がいないように、プロレスの本質はあくまでもショービジネス(=エンターテイメント)なのだ。

 映画やドラマはあくまで演技であり、テーマとなった種目の達人が主役を張ることはほとんど希少と言っていい。だが、ブロレスはその道のプロが演じる世界である。そこにある技や痛みも本物であるのだ。ノースタントでノンストップ、それはまさにエンターテイメントとしては最上級の完成度が求められる世界であろう。

「おお、すげぇ。魅せるじゃねーか」

 肉と骨がマットを叩く音が響き、リングが軋む音が鳴る。100kgの巨体が宙を舞う舞台。同じ技でも速度と入射角が変われば全く別の技に見える世界で、完成された技は決してブレることを知らない。シューティングスター・レッグドロップ【修羅転生】。その技はコーナー上から前方へバク転し、最終的にレッグドロップを落とす超高難易度のものだった。

 春が来たりても夕暮れが似合う季節のとある穏やかな休日の昼下がり。

 舞原アゲハが通販で購入してきたDVDは日本語の字幕がないものである。だが、かれこれ十年近くはアメリカで生活をした十河豪にとっては苦にもならない。

 そうこうしているうちにレフィリーが美しいフォームでマットを叩きスリーカウントが入った。

「それで、これを俺に見せて何が言いたいんだ、アゲハちゃん?」

 皮肉とは出来た話であろう。

 とある同窓会での話題性の無さとは裏腹に、殺人レスラー修羅の連続凶行による復活の話題は世間から多くの事件を吹っ飛ばしていた。同級生である春日真緒が突然死したというニュースもまた、埋もれて黙殺に近い扱いを受けた事件である。

 十年ぶりに現れた修羅は、ストリートギャングを気取った駅前のヤンキー以上チンピラ以下を、目につく端から最寄りの派出所まで放り投げているらしい。

「今、世間では修羅と呼ばれる覆面レスラーが騒がれていますよね」

 言いながら、舞原アゲハは新聞を差し出した。

 四コマ漫画の横を飾った記事が指さされる。そこに踊る修羅の文字に目を向けた十河豪は、笑いをこらえきれないニヤつきで呟いた。

「修羅がバックヤードレスリング気取りとはね。殺人レスラー風情が通り魔ごっこたぁどこまでも堕ちたもんだ」

「自虐だなんて意外ですね。豪さんなら、もっと自分たちのことを棚に上げる絶賛をすると思ったんだけどな」

「美学がないんだよ、通り魔には。素人をシバしたところで、自慢にもなんねーだろ」

「確かにそうかもね。なんかの戦う達人に真っ向勝負挑んで勝った通り魔なら、捕まってもきっと大人気だ。ネットでも井戸端のおばさんでも、誰彼構わず話題の中心になれる」

 二人ははっきりとした言葉を残さなかったが、漂う空気が『選択肢として犯罪を肯定している』ことを示していた。それも危険思想ゆえに、ではない。犯罪行為が、人の営みにとってあるべきものとして享受している者だけが放つ破滅的空気。善悪のみを判断基準とする行為を良しとせず、大切な仲間の為なら喜んで黒く染まれるだけの愚かさを持つ者たち。

「それは見事な茶番劇、素敵なごっこ遊びですね」

「対して変わらないだろ。サラリーマンだってスーツっていうコスプレした大人のごっこ遊びみたいなもんだ。マスクマンと大差ねェ。だからこそ人生の中で、てめぇの生活をどこまで大事だと思うかの違いだってな。オレは、コレで生きて目的をきっちり果たす。それだけよ」

 筋肉質の腕を誇示しながら笑う豪の笑顔に、アゲハは豪とは対照的な存在であるはずの兄・ツバサを思い出していた。嗚呼、兄さんはどういう風に笑う人だったったけ。もう全然思い出せないな。―――うう、やっぱり思い出せなかった。

「で、どうなんだ?舞原妹。春日真緒、だっけ名前。とにかくその人の突然死。電話で言ってたアレは、マジなのか」

「おおまじだよ。間違いない」

 ごくりと音を立てドリンクバーの炭酸を飲み干した舞原アゲハは、後ろで束ねた髪を揺らしながら目の前の男を見下すように背筋を張ったポーズで腕を組んだ。

「あれは間違いなく、わたしたちの良く知る【トラブル】に巻き込まれて死んでます」

 トラブル。ありがちにいえば問題事という意味であるが、この二人の間ではそれ以上の意味を持つ言葉であった。

「私はグループ違ったし印象も薄いんですけど(ていうか友達なんてほとんどいませんケド)、歩に聞いてた分にはなんか正義感に溢れた人みたいです。聞くところによると、結構色んな人に恨みを買ってたみたい。そんなんだから、結構世間での話自体はズレがちなんですけどね」

「ああ、朝のワイドショーでもチラッとやってたな。会社を突然辞めたんだって?」

 各部署の綺麗所や注目の若手が一斉に辞職を出したとも、元上司が演じるモザイクさんが言っていた。安いドラマの内容によっては主人公がとる行動だ、たいしたもんだと関心させられたのが豪の正直な感想だった。

「だけど彼女は主人公にはなれなかった。この世界に幽霊なんていないからな。死んだらそこで彼女の物語はおしまい、か」

「ええ、そう。彼女はそこそこ重要な犠牲者Aに過ぎなかった。凶器も犯人も不明だけど、動機は間違いなくトラブルが原因。あのふざけた迷惑を撒き散らすだけに長けた大馬鹿野郎のね」

 その名前は、二人の口から同時に吐き出された。

「北原狂哉」

 その先、舞原アゲハは口を噤んだが、確信があった。

 あの日、冷蔵庫に残された携帯電話のアドレス帳、そこに残された明らかな意図と悪意。

 春日真緒と北原狂哉の名だけが残されたアドレス帳。その繋がりを示唆して何を誘導したいのか、どこぞの処刑道化よ。

「…一度、なぜ髪の毛を染めちゃいけないか先生に聞いたことがあるの。そしたらルールでそうなってるからって怒られた。でもさ、生徒手帳のどこにも書いてなかったんだよね、そんなルール。あったのは精々『学生らしい服装』とかなんとかぐらい」

 舞原アゲハはそう呟きながら、人差し指の上でカードをくるくると器用に回転させる。陰陽道の対極図が描かれたそのカードは、一般的に使用されるものと比べて三倍ほどの厚みがあった。

「本当なら、ルールがあるから遊び心が生まれるはず。だから、ルールが無い理不尽には意味があるはずなの。きっと大人になれば髪の毛を染めちゃいけないって理由が判ると思ってたけど、まだわかんない」

 十河豪は舞原アゲハの真意を理解した。目の前に座る女性は、事態の本質に近付いている。 現状の散乱した繋がりのテキトーな出来事たちに、ルールがある事まで辿り着いている。

 北原狂哉が定めたルールと、それに伴う一世一代の遊び。

 ≪十河豪が狂哉の協力者である事までは悟られていないだろう≫。だが疑われている。少なくともこの女は、身内に対する疑いの目を持っている。

「…世間を騒がしている修羅ですけど、今は雪斗がその覆面をしてリングに立っています」

「へぇ、あいつが修羅を名乗るか。偉くなったじゃねぇか」

 覆面レスラー【修羅】、その初代は片倉雪斗ではない。また、修羅の覆面をスケープゴートに蛮行を繰り返す十河豪もまた、修羅ではなかった。

 かつて【覆面レスラー殺人レスリング】と呼ばれる事件を起こした覆面レスラー【修羅】でさえも、オリジナルではない。

 あくまで【修羅】とは外道に身を堕とした被害者気取りの総称であり、【覆面レスラー殺人レスリング】を果たした十河兄妹の父親すらも同じ畜生に過ぎないという事実。殺人者が奈落に堕ちる意志を示す仮初の上っ面。

 罪人たちが【修羅】の覆面に込めるメッセージ。

「私は、まず処刑道化の真実が知りたいんです。いいえ、知らなきゃいけない。話してくれませんか、豪さん。あなたたちのご両親が修羅と処刑道化というモチーフに託した本当の意味を」

 チープトリック、覆面崇拝。全てはこうしてゼロに至る。



 全ては取り返しのつかない、愚かなごっこ遊びによるものかもしれない。だが、遊びでも人は死ぬし、殺すことができる。物事には無限の可能性があり、殺人もまた然り。

 音楽で人を殺すことはできない。だが、言葉ならば殺せる。そして音楽こそが、言葉を最高速度で運ぶ。音速で、心に届く。

 たとえば、人を殺す小説を書くことは可能である。

 正確には、人の心を殺す小説。

 対象の過去と現在を調べぬき、それらをリフレインさせる単語と展開で埋め尽す。人の想像力がトラウマを膨らませて脚色し、勝手にオーバーフローを起こす寸法で。蛸殴りにされた精神は、言わば洗脳状態にも近いものがある。心が死ねば廃人が出来上がる。心の拠り所を完全否定された人間など、死んだも同然なのだ。

 だが、そんな物語はありえない。なぜなら、撲殺でもした方がよっぽど手っ取り早いからだ。

 しかしこの世にはたったひとつだけ、人を殺す歌がある。

 それは不特定多数に謳う事を許し、唄われた数だけ人を殺す詩。―――ラストメッセージ、つまり遺言である。

 遺言は死を固定する。

 人の死は生物学的な死だけではないのだから。死の本質とは、その存在を過去と定義づける言葉にある。 

 恋とは、そのひとを知りたいと思う好きのカタチ。 

 愛とは、そのひとを知っても尚思う好きのカタチ。

 恋は破れ、愛は裏切る。恋するが故に殺意を覚える者はいない。殺意はいつだって、愛するが故の我が儘によって引き起こされるのだから。 

 ―――だから、ここからは言い訳無しの世界になる。その全てが愚かなごっこ遊びだったとしても、言い訳は無用の世界。



 私の名前はロペスピエーロ。罪深き子羊ども裁き律する法に定められし愉快な存在が私ダ。

 全身を黒マントで覆イ、右手からは相棒である木偶人形マリーを吊り下げル。お洒落なポンポンがチャームポイントの三角帽をかぶリ、笑みを浮かべた仮面を右に傾けて装着すれば勝負服は出来上がル。

 最後に星を基調とした白と黒と赤のメイクを施せバ、怪人は完成すル。

 我が仮初の名を処刑道化。血に塗れておどけテ、殺して殺ス。殺しテ、殺しテ、殺ス。愛がゆえに人を殺ス、それが私という存在なのであル。

 とまァ、―――それが、本来の私に定められた設定なのだそうだ。

 残念ながら、私という人間の本質はロペスピエーロではない。過去において猟奇的な殺人鬼を気取った事は無いし、現在に至るまで愉快な道化師として人に笑顔をもたらした覚えもない。極めて退屈な日本人が、本来の私に宿るパーソナリティである。

 だが、そんな私だからこそ。私はこれから為そうとしている暴挙のモチーフに、このロペスピエーロを選んでいた。嗚呼、愛しのロペスピエーロ。さぁ行こう、処刑道化。子供の頃に見た、マニアックなキャラクターよ。

 これは復讐の物語ではない。もっと自虐的で破滅的で刹那的な何か。私という個人がそのパーソナリティを捨てて、一人のロペスピエーロとして血を撒き散らす外道の所業。

 たとえば目の前に、一人の若い女性が縛られていル。この女性はロペスピエーロを気取る私がまだそうではなかった頃の友人ダ。名を、春日真緒。

 黒い前髪が汗に濡れて額に張り付いていル。煌く涙が頬を伝イ、塩の痕を残ス。赤い唇から涎がだらし無く滴リ、目の前の人間が自我の瀬戸際まで追いやられている事を明確に示ス。

 全ては、このロペスピエーロのおぞましい罪によるものであっタ。

 服など、もはや原形を留めていない布と化している。切り傷、刺し傷、裂き傷、焼き傷。だが皮膚に決して傷をつけないようニ、服だけを嬲る変態的という他無い所業。

 私は目の前で木偶人形と化した女性ニ、一切の危害を加えるつもりは無かっタ。確かに飲み会帰りの所を拉致リ、今尚こうして不法侵入した深夜の廃ビルの柱に縛り付けてはいる。だガ、決して身体的欠損をもたらしたいわけでは無いのDEATH。

 大切なのハ、この女性かラ、人としての尊厳を奪い去ることにありましタ。

 人の尊厳とは偉大な言葉であるト、私ロペスピエーロは考えル。人間とは本来から畜生そのものであるにも関わらズ、さも他の種族から突出した存在であるかのように強調する言葉が尊厳。

 嗚呼、何と罪深い人の定義であろうカ。恐怖ひとつでこうも簡単に人は言葉を忘レ、ただうめき声を上げるだけの肉塊と化するのニ。

 目の前の女性も尊厳という定義から言えバ、既に人間では無かっタ。

 先ほども強調させて頂きましたガ、別に肉体を犯し蹂躙し凌辱し尽くしたわけではありませン。ただひたすらに恐怖を与えテ、与えテ、与えテ、与えテ。―――人間ハ、その想像力によって簡単に自身を追い詰めル。火を揺らめかせれバ、刃を煌めかせれバ、血を滴らせれバ、それだけで人は簡単に最悪の展開を膨らませル。破裂せんばかりの恐怖を植え付けテ、育んダ。

 動機などありませン。たダ、これは必要な儀式だったのでス。私という個人ガ、私という個人を捨テ、私という処刑道化ニ、私というロペスピエーロになるために欠かせない儀式。

 私ハ、旧知の女性を惨たらしく嬲り尽くすことデ、私を捨てるのDEATH。そうして私は初めて、あの北原狂哉という凶悪な存在悪に対峙する権利を得るのダ。

 誰に言われたわけではなイ。それがロペスピエーロに定められた設定。その為の、ロペスピエーロという処刑道化なのだかラ。

 私ハ、ホッチキスを手に取っタ。時に文房具ハ、何よりも残酷な処刑道具となることを私は知っていル。尖端の恐怖ハ、人の想像力によって簡単に凶器と化すのだかラ。

 焦点が狂っていた女性の表情が再び恐怖でひきつっタ。

 パチンパチン、服だけを不自然に縫い付けて見ましょウ。

 ただそれだけデ、既に彼女の脳裏では幾百もの処刑方法が想像されていることでしょうカ。ホッチキスで裂かれた服を縫い付けるだけの行為ガ、遡って恐怖に繋がる拷問行為。

 爪など裂かずともよイ。眼など抉らずともよイ。耳鼻など削がずとモ、四肢を落とさずとモ、縁者を吊るさずとモ、自由さえ奪えば拷問は成立すル。むしろ無傷の時間が続くほド、後に控える行為の時間が永遠に近いと勝手に想像する人間の心理の愚かさたるヤ!アレルヤ!

「アーッひゃキャゲギャピひゃにゃむペシャヒャヤヤヤヤヤヤヤ」

 高笑うのが堪え切れなかっタ。まるで言葉にならない叫びを笑いに代えることデ、私は言葉を捨てて自らを捨てて人であることを捨てていたのだろウ。憑きものが落ちテ、新たな憑きものが私に宿る感覚。

 高笑いが止められなイ。ホッチキスで服を縫い付けていくその手もリズム良く進ム。

「ピギェーヒャヒャヤヤピョラリプギョーヒャハハヤヤッアー」

 翌日、春日真緒が死体で発見されたというニュースを見た。失敗もピエロのご愛敬☆


 春日真緒が死体で発見されたというニュースを見た私ハ、仕方なく新たな子羊を求めて街を歩いていタ。全ク、面倒なことこの上ないでス。

 途中、私の奇抜な服装を見た警察官に職務質問をされたガ、こういう時に持参していた嘘チラシと嘘ブログにより事なきを得ル。

 サーカスサークルを気取リ、宣伝するためのチラシを撒く為の場所を探していたと主張すル。勿論、身分証明を求められるがそんなものは偽造で良イのダ。そもそもメイクを落としてまで職務質問に付き合う義務は無イ。ピエロのメイクのまま堂々ト、自分ではない人間の身分証をかざせばそれで全ては解決。そのまま世間話に乗じて嘘ブログを見セ、『新鋭サーカス"お腐乱す"近日行動開始予定!よろしくね★』などと具体性が一切ない嘘チラシを手渡せバ、ピエロは職質など簡単にやり過ごせるのダ。愉快な道化の覆面を剥ぎにかかる公僕なド、市民から糾弾されて然るべきであろうかラ。怪しさを隠すことなく主張してこそ示すことのできる正当性とでも言えばいいだろうカ。

 ここデ、覆面という技術について整理をしたイ。

 人は覆面を見たときニ、その正体について興味を持つ思考回路をしているものダ。

 覆面の役回りハ、中身が誰カ、などでは決してなイ。むしろその逆、つまり"中身が誰でもいい"という点こそが覆面の真実なのであル。

 その個性は、皮にこそ集約されるのダ。

 人はピエロを恐れサンタクロースを恐レ、悪魔を崇拝すル。それはカルト・オブ・パーソナリテイの真逆。つまり覆面崇拝。

 人は個人に個性など求めていないという心理にして真理。人はたダ、個性というシンボルを知った気になれればそれでいイ、という節理ある摂理。

 上っ面がそれっぽけれバ、本音はいらなイ。作法としテ、形式的な言葉が付いてくル。だかラ、決して真に受けてはいけなイ。

 私は昼間の街を彷徨いながラ、標的となる対象を探していタ。そしていつしか夜は来ル。

 ―――標的を見つけタ。



 こうして、北原狂哉が死に至る。


 おれは果てしなく愚かで、虚しい存在だった。望む世界がいつだって手のひらサイズの手の届く世界で。望まぬ世界ばかりが眼前に広がる果てしなく広大な世界。

 薄い紙に描かれた英雄譚に憧れて、いつではなく、今という人生をかくありたいと望み。

 世界には英雄に相対するような、わかりやすい悪がいないことに絶望をする。

 世界は、例えば戦争は、一人の悪によって成立するようなものではないように。人は人々の愚かしさゆえに、理解の範疇に事象を縛り留めようとする本能がゆえに。責任を騙り、罪と罰を下手人にのみ託して満足するが如く。愚かなる事、人の如く。

 おれは知っている。

 例えばおれが金と権力に物を言わす、誰にでも親切に理解りやすい悪を気取ったとしよう。だがどれほどの悪意をバラ撒いたところで、積極的なヒーローが立ちふさがることはない。きっともっと惰性的な何か。散漫な日和見達が、安い陳腐を掲げておれを裁く。そんな日が来る方が遥かに高い確率を気取る事だろう。人の織り成す世界とは本来、他人に興味が無いのだ。

 その癖、時に自身に降りかかる試練でさえも、人は他人ごとのように受け流す。

 つくづく、人は愚かで、ヒトの様に愚かしい。おれの人生は、そうした愚かに対して、さらなる愚かをもって対抗する積み重ねだった。

 かつて友と呼ぶには破滅をさせてしまった友が言っていた。

 ―――名探偵も真犯人も大差無い、ろくでもなさだ。

 ―――必死になって殺す方法を考える真犯人と、必死になって殺す方法を考える名探偵と。

 ―――ろくでもなさに違いはあるのかしら。

 大好きな言葉である。

 まるでクズな自分を主役に並ぶ存在として肯定してくれているかのよう。涙すら流しそうになった。自分は存在していてよかったのだ。些細な悪として人を誑かし、下劣な悪として人を唆し、低俗な悪として人を人を人を!そうして生きてきた自分という存在。それを大した事のないどこにでもいる有象無象のように言ってくれた言葉が嬉しかった。

 おれはとても愚かな人間だ。

 想う相手に思いを告げる事もままならねぇ、自分の為に行動ができない畜生め。自身を下種と断じ、その癖、根は優しい人間であると願い、そうして恥と覚える。普段は品行方正で品性下劣を気取り、変なところで紳士の癖に肝心なところでは残念で。人の嫌がることをするのが大好きで、人の嫌がることをするのに躊躇いがない。外見にある程度の自信があるからこそのコンプレックスに潰されそうになり。その癖、人を姿形で判断しようとする思考を嫌い、そうした風潮を憎み蔑む。そんな屈折した自分だから、無難に生きることを責任転嫁と呼ぶのだろうか。いいや、それでも、やはり。

 責任転嫁こそが、人の歴史に於いて、最も忌むべき思想なんだと思う。物事が起きた時に、責任の所在を探ることほど、下等な行為は無い。それは保身であり、本能であるから仕方が無いのかもしれない。―――だけど許してはいけない。

 人は、トラブルを試練と喩えて讃えたがる習性を持つ生き物だ。その癖、トラブルに向き合おうとせずに、ただ責任転嫁に走る。成長の見込めない短絡さにはほとほと呆れ返るほか無い。

 いつだって誰が悪いかでいえば悪いのは間違いなくおれだ。ところでそこのおまえは、そこまで大した聖人君子なのですか。

 これまでだって、誰が元凶かといえば間違いなくおれだ。ところで手をこまねいていたのは、そこのおまえなのでは無いですか。

 これからもおれが誰かといえば、きっと軽蔑に値する以上の存在では無いことだろう。ところでおれに軽蔑を覚えるそこのおまえは、解決に何かの貢献を果たしたのですか。

 おれはただ、人に後ろ指する人間に、後ろ指してやりたかっただけなのかもしれない。

 おれは行動をもって、動機というものが消化されると考える。行動を伴ったとき、人は動機を語り同情を誘う真似をしてはいけないとおれは信じている。だから、おれは悪であると定義されることに対して、何一つ間違いはないと思う。

 もしも間違いがあるとすれば、それは善悪でのみ物事を判断しようとする人間にあるのだ。善悪は判断基準であろう。だが、絶対ではない。論理的に言っても、あってはならない。だからそういう物差しに歯向かいたくて、おれは叫びに代えた暴挙を仕掛けてきた。人生をナメるな。人の営みを、ナメるなと。おれはただ、叫びたかった。叫びに内容を伴わせたかった。

 無難など、どこにも存在しないことを形にすることで。責任など、悪意の連鎖ひとつで有耶無耶に出来る紙切れに過ぎないことを。正義など、悪意と大差ない責任逃れの論法に過ぎないのだと。

 くだらない日常や、つくられた笑顔。そこには嘘があり、嘘の中でこそ真実は雄弁に物語る。

 幸せな日々にこそ悪意は潜み、暗闇の中で希望の光は心に影を差す。

 日常というルール、求められる安定。変化を恐れる俗物が描く世界の退屈と、他人事だからこその話題性。ガキのおれが反旗を翻したかったのは、そうした大人たちのごっこ遊びだったかもしれない。

 そして、そのごっこ遊びは十年では終わっていなかった。終わるなんて有り得なかった。

 おれが、おれたちが何の為にこんなふざけた真似をするのか、してきたのか。そこんとこを意思統一するつもりはない。が、それでもはっきりと言葉にしておきたい事がある。

 おれらは願ってきた。

 優しさというものを誰よりも望み願い恋い焦がれたのさ。優しさを誰よりも愛することができる、優しさを知る者は、ただひたすら優しい人になれる。なのに優しさを知る者たちが、優しくない人たちに優しくすることをやめた。それは誰だ、そこに居るおまえらか。

 おれは、仕方ないって言葉に逃げるのが嫌で、おまえらを集めて揃えたつもりだ。

 いいか、リスクなんてのは、覚悟って諦めでねじ伏せろ。こいつは破滅覚悟なんて上等なもんじゃねぇ。だが、破滅の覚悟もなしに誰かの破滅を願うんじゃあスジがとおらねぇ。

 だからおれがまず、罰ってリスクを享受することで、罪を犯す行為を肯定する。仕方ないことなんて無いことを見せつけてやる。

 罰を受ける覚悟があるなら、それこそどんな犯罪行為でも選択肢としてアリなんだぜ。世間さまがそれを認めてくれてるんだぜって、はっきりと結果に刻んでやろうじゃないか。

 それは、支離滅裂で破綻しているかもしれない論理なんだろう。だけどその論理にスジさえ通せば、きっとその思考にウソはない。悪の美学と言えば言いすぎになる。だけど口ばかり正しいことを叫び、実際何もしない人間よりはよっぽど心があるさ。

 だから未来は託す。もしもではない想いとして。他の誰でもなくあなたに歌ってほしい。

 あなたが、あの携帯から流れるあの唄を聴いている時、おれはこの世にいないだろう。

 それでもいつかこの日が来た時の為に、まずおれはこの唄を遺そうと思う。

 この、おれを殺せる唄を。ただ、散り逝くおれの為に。


 これがおれ、北原狂哉の遺言。

 これからおれは、色んなものをぶっ壊して死ぬつもりだ。だからお前らはお前らでお前らの好きにすればいい。愛しているぜ、被害者の会。おれが作り出したちっぽけな後戻りできない世界で。おれが好きな物語の登場人物のように踊ってくれや。

 希望が無くなったせかいで、それでも希望とやらを信じて、繋いで見せろ。きっとそこから、本当の意味でごっこ遊びは終わるからさ。

 人は遺言さえあれば、その存在を過去にできる。過去にするということは、殺すということだ。だから、おれも死ぬ。だからおまえらも、おれを殺してみな。

 おれは他でもない、おまえらの心によって殺されたいのだよ。




    アガサクリスティーによろしく

    後は野となれ、そして誰もいなくなれ


                      20XX年4月7日 北原狂哉



 せかいのおわりは、そうやってはじまるのがふさわしイ。

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