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 そうして、出張所となったから。


 クラウドNLSC上の訴訟データは(僕の日報と一緒に)ファーレルさん達のリモート操作で隔離され。紙の形態で保管されていた大量の文書類も、タイツォータ側が寄こしたデリバリー・バンによって。今まさに、運び去られようとしていた。


「ようやくこの日が来たね。ささ、あとはウチに任せて。」


 と。喜色満面でおっしゃるタイツォータさん……を前にして。どんな顔したらいいのか? よく分からなかったのは、僕だけじゃなかったようだ。実際――


「名前までお借りして乗り込んだうえ、4年近くも居座っていながら。結果的には……うまく役立てなかったようで残念です。」


 ロージーが(だいぶ迷った末)口に出した言葉がこの有様で。そういった生真面目な自己卑下を、タイツォータ氏が(苦笑こそすれ)否定しなかったのは。この州都シティにD&Dの拠点を設けたのは無駄なことでしたよね……と、させたかったからなのだろう。


 しかし。ボスによれば、D&Dのヘッドクォータは。まだ、ノヴァル側の窓口から、正式な撤退要請を貰ってはいないとのことで。ローヤーの仕事をする環境がなくなろうとしているのに、ここへ居続けなければならない……という、ちょっと理不尽な状況なのだそうだ。


 ガレージのシャッターへ向けて停められたバンのお尻へと。ロージーやビルたちと一緒に、文書箱を運んでいると。バンの助手席に、懐かしのバター顔……タイツォータ側のIT責任者でもあるベイツ氏が。携帯セルラーを肩と耳の間に挟んで通話しながら、ノートパソコンで忙しそうに操作しているのが見えた。荷室越しに、聞き覚えのある低い声が漏れてくる。


「ブランドルさん、これで入れますよね……?OK。所長と一緒なので、こうするのが一番早いんです。ええ。こういうときのためにリモート環境を整備したので……」


 なんというか。以前とは違って、顔つきに自信が……ハッタリのない実力に裏打ちされたそれ自信が滲み出ていて。タイツォータ事務所では、もはや僕の出る幕はないのだと。いやでもそう思わざるを得なかった。


(僕は。このまま、ノヴァル勤めを続けることになるのかな……)


 その考えが、なんとも現実的に思えないのは。いま二階を嗅ぎまわっている旧時代の遺物……ハバリ=ガン氏と交わしたばかりのやりとりを思い出してしまうからだ。


 1時間ほど前、僕とボスは。居室奥の通路にて、ハバリ氏に詰め寄られていた。


『あそこから上の階へ行けるだろ?梯子はしごを降ろすから、この下を片付けろ。』

『……そんなのがあるのか? マット……ロゥ、さん。』


 驚いたボスの口調が微妙に脱臼して。僕の頭を変な風にくすぐったけど、今言わないとには気づいてた。


『ええ、屋根裏みたいなところで。外にクレーンの備えがあるので、ちょっとした倉庫みたいになってるのですが……実は、通信機器の一部を置かせてもらってます。』

『なに、地下じゃなかったのか?』

『おいっ……!』

『は……はい、すぐやりますから。』


 ハバリ氏ばかりか、ボスまでも……僕への視線が。微妙な感じになってきて。


『手伝いましょう。それにしても法務さんは、本当に我々が信用ならないんですなぁ……』

『そんな。ボス……』

『?……お前ら、一体何なんだ?』


 もっともな疑問だったが、ボスのこの返答には驚いた。


『わたしはD&D法律事務所ダイク&ドレイク・ローファームのローヤー、ダリル・ライカン。事故訴訟の代理人Pro Hac Viceです……が、こちらのレイモンド・マットロゥ=サンは貴方と同じノヴァルの方。法務システム部のデジタル・フォレンジック技術者ですよ。』

フォレンジック鑑識屋だとぅ……?』


 ええー!デジタル・フォレンジックですと?? そんな……僕には「完全消去ワイプアウト」したハードディスクからデータを復元するような真似はできませんよ……!!ボスったら、あとで困るの僕なんですから……とは。もちろん口に出せないので。うまく胡麻化して、切り上げるしかない。幸いにして、梯子を下ろす障害となっていた段ボール箱の類を。片付けるのが、ちょうど終わったところだった。


『今は雑用ですがね。さあ、これで上がれそうですか。』


 ハバリ氏にとって、フォレンジック云々はどうでもよかったらしい。というのも、まったく別の「本音」が飛び出してきたので……それは。


『法務だろうが、代理人様だろうが……要はんだろ?つまり、大した事ねえってことだろうよ。』


 と。ここで戦ってきた者にとっては、まさに耳を覆いたくなるような「本音」だった。当然のように、ボスは抗議した。


『なんということを……ハバリさん、和解は敗訴とは違いますよ!』

懲罰punitiveの評決が出て、慌てて和解に走ったと聞いとるよ。負けだろ?』

『はい。梯子、降ろしますよー。』

『わたしどもは、証人尋問を終えたときから勧めておりました。それを拒否していたのはホンゴクです。』

『ふん、そうかい。』


 そう言いながらハバリ氏は。僕たちを残し、狭い梯子をスタスタと登って行ってしまったので。僕は……今耳にしたことを、思わず。


『勧めたんですか……陪審団が評決を出す前に、和解を。』

『知らなかったか。』

『ええ。』


 ボスは。どう教えたものか迷っている風で、言葉が出るまで時間がかかった。その事情はすぐ判明したが、それは僕にとって本当に。本当に、意外なもので……。


『勧めたのはBBLさんだが。お前も一枚、噛んでいるんだぞ?』

『僕が……何に?』

『ブックホルドの陪審員選定は。出自や信条に偏りがないよう苦心した筈なのだが、どうも……偶然、普段からITに親しんでる人種が集まってしまったらしくてな。』

『聞いたことあります。』

『そこで、お前だ。』

『僕?』


 あのとき。ボスに「やってもらうぞ」と言われたとき……のことを、思い出す間もなかった。


原告むこうの専門家の……コードマン博士の尋問記録、読んだだろ?』

『ええ。バイエル証人とは違って、電制スロットルのソースコードを調べることが許されなかった専門家証人ですよね。』

『こちらが人数制限を請求して、裁判所が認めたんだ。』

『そうでしたね。でも僕は、この方がハードウェア関係の主張をされていた……と言いたかっただけで。』

『そう、そこだ。』


 すわ、過去の阻喪むかしのそそうの追及か?――と身構えていた僕は。どうやら違うらしいぞ?……と、この時ようやく。


『コードマン博士の主張する理屈セオリーを聞いていなかったとしたら。どう判断するか?……を知りたかったんだ。BBLさんは。』

『え?』

『普段からITに親しんでいる人が、どう判断するか?――だよ。』


 シェヴラの車内でBBLさんに見せられた図面と、訴訟記録のコードマン博士の証言とが、同時に。僕の頭の中に、蘇ってきた。


『でも僕は。コードマン博士のように……モニターCPUが単一故障点Single Point Of Failureだとは、見抜けませんでしたよ?』

『そうなのか。』

『ええ。 二基あるセンサからの信号を、メインCPUだけでチェックするのは問題では?……と申し上げただけで』

『BBLさんは。本来構成がどういうものか、お前は知っていた……と言っていたが。モニターCPUでもチェックすべきだ、ということだろう?』


 いや、それはそうですが。

 結論のところは、とんだ買いかぶりであって。訂正しなければ……と。


『残念ですが。僕は、アナログ電圧をデジタル信号に変換するA/Dコンバータ……がにある、という点を見落としていました。』

『それが?』

『サブCPUは一基だけです……冗長化されたペダル・センサーからの、二系統の信号の変換を行っている。サブCPUに異常が起きれば、二つの値が揃ってしまうかもしれません。そうすれば……』

『どっちのCPUで比較しても、異常がわからないと?』

『はい。そのような弱点までは見抜けませんでした。』


 コードマン証人が「単一故障点」と呼び。そこは重大な問題である……と言うために、自動車の機能安全規格である「ISO26262」を引き合いに出そうとしていたのは、だったのだ。


『しかしな、コードマン証人は……2005年式キャブラのA/Dコンバータで異常が起きたことを立証していないし、「起きうる」との仮説……メカニズムの説明もない。彼が「常識だ」というような、アクセル・センサごとにA/Dコンバータが独立している実際の車種を……挙げてすらいないんだ。つまり彼は、自動車用ECMハードウェアの専門家ではない筈だ。だから……』

『皆さんは、「勝てる」と思っていた?』


 口から勝手に出た言葉に、僕自身。ちょっと驚いていた。


『少なくとも、ノヴァル・ホンゴクの考えはだった。裁判官ですら、コードマンの理屈セオリーは「因果関係が薄い」と言っていた。』

『つまり「勝てる」と。』

『……しかし我々のほうでは。その証言を聞いているときの、陪審たちの様子が気になっていた。「もっとITに親しんでいる人には、コンピュータの異常動作についてが身についているのでは?」と……な。』


 なるほど。

 それで、僕に……なのか。 


『もうわかったと思うが。お前にウォレスのなかで「缶詰」になってもらったのは、次に控えてたバイエル証人尋問でこちらからする反対尋問クロスの中身を決めるため。それはノヴァル・ホンゴクが決めることで、ここにいる者では変更なぞできなかった。』


 え? トグラさんでも……?


『そうではなく。どの程度の切迫感をもって、どの程度強硬に、どの程度早い時期に、を。決断するため……だったのさ。』


 ええっ、それでは。

 それでは、まるで……


 と。

 僕が驚いているうちに、ビルたちがやってきて。タイツォータ側へ書類を積んでいくデリバリー・バンの到着を知らされたのだった。


 その積み込み作業も、もう終わり。

 デリバリー・バンのドアを閉め、エンジンを掛ける音が響いて。聞きつけたボスが、ガレージへ労いに来た。


「終わったか。」

「はい。いま出発されるところです。タイツォータさんは?」

「先に自車で戻っていかれたわ。ハバリ氏と顔を合わせずに済んだみたいね。」


 ――と。舞い上がるほこりから逃げていた(と思われる)ジェンも現れて、ロージーの疑問に答える。そのタイミングをみて、ボスは姿勢を正しつつ宣言した。


「みんな揃ったな……ちょうどいい。ハバリさんが降りてこないうちに伝えるが、D&Dのヘッドクォーターから指令が来た。」


 全員がそれなりに緊張した。息を切らして無言で床に座りこんでたビルも、いつの間にか起立している。


「詳しいことは不明だが。ジェンとビルは、明日から西海岸に飛んでくれ。チケットもとれている。こっちの空港は、いつもの駐車場を使っていいぞ。」

「宿泊は?」

「いつものホテルを手配したそうだ。」


 急にビルの機嫌がよくなった。食事とかがいいのだろうか…?


「確かに……D&Dの撤収だけなら、もうロージー1人で十分よね?」

「これからうちは、多区域訴訟マルディの集中和解交渉がメインになるのかしら。」


 ジェンとロージーの嚙み合っていない会話……は、もう僕にとって。

 ひどく、遠くの。


 僕とはに、聞こえていた。

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