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 3年も続いたとはいえ。


 機密に煩いノヴァルの訟務内規にだったは、通常のオフィスとは違って。各自の私物みたいなものは……しいていえば、食器ぐらい(?)のもので。自車に放り込めば、本当にそれで終わりだった。


 複合機All-in-Oneからプリントする紙の書類も、かなり限定していたから。タイツォータ側へ移すにしても、何往復も必要ということはなく。逆に、ノヴァルの「決定」を今か今かと待ち構えていた(フシのある)タイツォータ側が、実にスピーディーに手配していたこともあって。お昼前には「物理的な意味での撤退」が、ほぼ終わろうとしていた。勿論、IT機器類は引き揚げないという前提ではあるが……。

 まあ、とにかく。各人の引っ越しのほうが長く掛かることは明らかだったので、皆それなりに長く休暇を申請する様子だった。



「やっぱり、不安じゃありませんか? このタイミングで休みをもらうのって。」


 居室奥の簡易キッチン。IH調理器で湯を沸かしつつ。皆の昼食を買いに出たビルを待っているジェンに聞いてみたが――


「解雇されるかも……って? まあねぇ。でも、出張のお呼びがかかるぐらいだし、大丈夫でしょ。」

「ロージーは……」


 勿論、おたがいに。が居室に居ないのを確認して。


「彼女は、すごく使からね。まだ若くて、伸びしろもあるし。本部が手放すとは思えないわ。」

「そうですか。」

「ボスの心配はしないの?」

「え?……はは。」


 ボスは既に、タイツォータ氏と昼食をとりに出かけていた。さきほど、トグラ氏も言われていたように。どうしても「ハバリ氏から逃げている」ようにみえてしまう。


「わたしからすればね、マット。」

「はい?」

「あなたがノヴァルで勤め続けるというのが……そう、意外よ。」

「……。」


 不意打ちで来た。

 やはり、気になってはいるのだ。僕が、ノヴァル車のエンジン制御ソフトウェアの品質に「一定の懸念」を持っていることを……ジェンは。


「意外でしょうか。ノヴァルの社内にも、気にしている人はいると思いますよ。」

「それは、想像?」

「想像ですけど。」

「ということは、UAうちの事件の影響もあったと言われてる……金融改革消費者保護法のWP制度を使うのかしら。」

「それは、連邦法……ですか?」

を奨励し保護するための制度よ。」


 それで、ジェンが何を言わんとしているのか分かって。ギョッとした。


「僕が、ですか?ノヴァルを告発なんか――」

「自分じゃなくても、社員を唆すとかして。」

「しませんよ!」

「そう? 企業内で法務をやってると、いっそ表面化してほしい……と思うようになるそうだけど。」

「ノヴァルの方が、そういうことを? トグラさんじゃないですよね。」

主任ファーレルさんがね。」

………………あの人何言ってるんだ?ノヴァルのソフトウェア開発は、この国ステイツでやってるわけじゃないのでしょう?この州で勤めてて、告発するようなことを見知ったり、ファームウェアの開発者と知り合う機会などないですよ。」


 ちょっとだけ、キーファー氏のことが脳裏をよぎったが。前にジェンが言った通りの状況なら、二度と会う機会があるとも思えない。ビルの口から出たストローワ=ミニーキュの名については、まだ調べはじめてもいなかった。


「というか正直、専門外のことに手を突っ込む余裕はないです。こんどの業務が、長く続く保証はないですから。」

「はいはい……まあ、そんなに長くこだわるタイプには見えないわね。」

「いったい、何なんです?」


 ジェンの。こういう絡むような物言いは、指摘したいことがあるときの感じだったので。


「何かあるなら、言ってくださいよ。」

「雇用が継続したの、不思議に感じなかった?……もう御役目は終わるというのに。」

「それは……まあ。ただ、契約上は60日間の――」

じゃなくてね。」


 そこでちょうどケトルが沸騰したので、電気を止めながら――


「わかるでしょ。ノヴァルのやり方。」

「つまり?」

「口止め料がわり……ってことよ。」


 口止め料……!


 手厚い待遇に、うすうす感じとってはいても。ジェンの口からはっきり出ると、何かショッキングな響きを伴うようだった。

 要するに。「ふーん。口止め料を受け取るというの、意外ねぇ」とでも言いたいのだろうか?……ジェンの表情を窺おうとした瞬間。

 二人とも、固まってしまった。


 なぜなら、轟音が。

 それも……ここで一度も聞いたことがない類の、が。

 通路の奥のほうから、前触れなく。

 バン・バン・バン!……と、金属を殴りつけるように響き始めたからで。

 ちょうど「梯子」の下あたりから、の……ようだったが。

 暗がりに目を凝らしても、ハバリ氏はおろか。猫一匹、見当たらなかった。しかし――


「動いてる。」

「え?何が?」


 ジェンの指さす方を見ると、掃除道具などを入れている大型ロッカーが。ガンッと、殴りつけるような音とともに。ほんの少しずつ、前に。前にと、ズレてくるのが。かろうじて……分かる。


「あの音じゃ、ロッカーのほうが壊れるわよ。」


 と、ジェンに促され。慌てて駆け寄って、ロッカーと棚の隙間から。向こう側を覗いてみると。

 金属の枠の中、両腕で何処かにぶら下がった状態から。ロッカーに向かって「蹴り」を繰り出すハバリ=ガン氏……のギラつく眼光と鉢合わせてしまった。


「ハバリさん!?一体なにを……なさってるんです?」

「どけろ!!」

「え?」

「エレベーター前のを『どけろ』って言ってるんだ!!」


 よほどの重さなのか。轟音にもかかわらず、ロッカーは殆ど動いていなかった。僕たち二人も、あっけにとられて「ポカン」としていたが……我に返るのはジェンのほうが早かった。


「……隠してたの?エレベーター。」

「ち、違いますよ!」

「お前らだろっ? こんなの置いたの!」

「エレベーターあるの気付いてたら、クレーンとか使いません!」

「ごもっとも。」

「いいからどかせぇ!」


 僕は、素早く見まわした。このロッカー……ここからどかすのはいいが、退避させる先がない。居室の方では酷く邪魔になるのは明らかだった。ガレージの方に出すにしても、周囲の棚などをどうにかする必要があるのだ。


「ハバリさん!そのエレベーターは、私どもが入ってから……少なくとも3年以上は動かしていません。業者が点検に来たこともありません!すぐ使うのは無理です。」

「いま、出られねえだろ!」


 もっともだ。横目でジェンのほうを見ると、プルプル震えながら笑いをこらえていた。


「……仕方がありません。動くようなら、一端それで上に戻ってください。私の方で業者を手配しますから、操作盤に連絡先があれば控えて下さい。」

「くそ、あのとき外階段を壊さなきゃあよかったんだ……」


 悪態をつくハバリ氏の声が、閉まり始めたドアの向こうで次第にくぐもっていく。続いて、ウィーンという上昇音がした。先ほどのように湯を沸かしていなければ、モーターの音は聞き取れるのだ。


「納得していただけた?」

「ええ、たぶん。」

「あの口ぶりだと、ここに詳しいのは本当のようね。」

「わっ。」


 いきなり後ろから、ロージーの声がして驚く。

 それとほぼ同時で。マンファリのエンジン音が、ビルの帰還を知らせてきて。ジェンは、ちょうどよい……とばかりに移動を促した。


「ささ。ハバリさんのお邪魔にならないように、あちらへ行ってましょう。」

「壁から鉄骨が……変な風に出っぱっていたのは、階段の跡だったわけね。」

「いちおう、ハバリさんの分も用意しますね。」


 それで、僕だけ。

 IH調理器の傍に残って、陶器のポットにティーバッグを放り込み。紙コップを並べて、お茶の用意をはじめた。



 (こんなやりとりも、今日が最後かもしれない)


 ……と、そう思いながら。

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