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3年も続いたとはいえ。
機密に煩いノヴァルの訟務内規にがんじがらめだったこの施設は、通常のオフィスとは違って。各自の私物みたいなものは……しいていえば、食器ぐらい(?)のもので。めいめい自車に放り込めば、本当にそれで終わりだった。
まあ、とにかく。各人の引っ越しのほうが長く掛かることは明らかだったので、皆それなりに長く休暇を申請する様子だった。
「やっぱり、不安じゃありませんか? このタイミングで休みをもらうのって。」
居室奥の簡易キッチン。IH調理器で湯を沸かしつつ。皆の昼食を買いに出たビルを待っているジェンに聞いてみたが――
「解雇されるかも……って? まあねぇ。でも、出張のお呼びがかかるぐらいだし、大丈夫でしょ。」
「ロージーは……」
勿論、おたがいに。本人が居室に居ないのを確認して。
「彼女は、すごく使えるからね。まだ若くて、伸びしろもあるし。本部が手放すとは思えないわ。」
「そうですか。」
「ボスの心配はしないの?」
「え?……はは。」
ボスは既に、タイツォータ氏と昼食をとりに出かけていた。さきほど、トグラ氏も言われていたように。どうしても「ハバリ氏から逃げている」ようにみえてしまう。
「わたしからすればね、マット。」
「はい?」
「あなたがノヴァルで勤め続けるというのが……そう、意外よ。」
「……。」
不意打ちで来た。
やはり、気になってはいるのだ。僕が、ノヴァル車のエンジン制御ソフトウェアの品質に「一定の懸念」を持っていることを……ジェンは。
「意外でしょうか。ノヴァルの社内にも、気にしている人はいると思いますよ。」
「それは、想像?」
「想像ですけど。」
「ということは、
「それは、連邦法……ですか?」
「従業員による企業不正の告発を奨励し保護するための制度よ。」
それで、ジェンが何を言わんとしているのか分かって。ギョッとした。
「僕が、ですか?ノヴァルを告発なんか――」
「自分じゃなくても、社員を唆すとかして。」
「しませんよ!」
「そう? 企業内で法務をやってると、いっそ表面化してほしい……と思うようになるそうだけど。」
「ノヴァルの方が、そういうことを? トグラさんじゃないですよね。」
「
「
ちょっとだけ、キーファー氏のことが脳裏をよぎったが。前にジェンが言った通りの状況なら、二度と会う機会があるとも思えない。ビルの口から出たストローワ=ミニーキュの名については、まだ調べはじめてもいなかった。
「というか正直、専門外のことに手を突っ込む余裕はないです。こんどの業務が、長く続く保証はないですから。」
「はいはい……まあ、そんなに長く
「いったい、何なんです?」
ジェンの。こういう絡むような物言いは、指摘したいことがあるときの感じだったので。
「何かあるなら、言ってくださいよ。」
「雇用が継続したの、不思議に感じなかった?……もう御役目は終わるというのに。」
「それは……まあ。ただ、契約上は60日間の――」
「そういうことじゃなくてね。」
そこでちょうどケトルが沸騰したので、電気を止めながら――
「わかるでしょ。ノヴァルのやり方。」
「つまり?」
「口止め料がわり……ってことよ。」
口止め料……!
手厚い待遇に、うすうす感じとってはいても。ジェンの口からはっきり出ると、何かショッキングな響きを伴うようだった。
要するに。「ふーん。口止め料を受け取るというの、意外ねぇ」とでも言いたいのだろうか?……ジェンの表情を窺おうとした瞬間。
二人とも、固まってしまった。
なぜなら、轟音が。
それも……ここで一度も聞いたことがない類の、が。
通路の奥のほうから、前触れなく。
バン・バン・バン!……と、金属を殴りつけるように響き始めたからで。
ちょうど「梯子」の下あたりから、の……ようだったが。
暗がりに目を凝らしても、ハバリ氏はおろか。猫一匹、見当たらなかった。しかし――
「動いてる。」
「え?何が?」
ジェンの指さす方を見ると、掃除道具などを入れている大型ロッカーが。ガンッと、殴りつけるような音とともに。ほんの少しずつ、前に。前にと、ズレてくるのが。かろうじて……分かる。
「あの音じゃ、ロッカーのほうが壊れるわよ。」
と、ジェンに促され。慌てて駆け寄って、ロッカーと棚の隙間から。向こう側を覗いてみると。
金属の枠の中、両腕で何処かにぶら下がった状態から。ロッカーに向かって「蹴り」を繰り出すハバリ=ガン氏……のギラつく眼光と鉢合わせてしまった。
「ハバリさん!?一体なにを……なさってるんです?」
「どけろ!!」
「え?」
「エレベーター前のこいつを『どけろ』って言ってるんだ!!」
よほどの重さなのか。轟音にもかかわらず、ロッカーは殆ど動いていなかった。僕たち二人も、あっけにとられて「ポカン」としていたが……我に返るのはジェンのほうが早かった。
「……隠してたの?エレベーター。」
「ち、違いますよ!」
「お前らだろっ? こんなの置いたの!」
「エレベーターあるの気付いてたら、クレーンとか使いません!」
「ごもっとも。」
「いいからどかせぇ!」
僕は、素早く見まわした。このロッカー……ここからどかすのはいいが、退避させる先がない。居室の方では酷く邪魔になるのは明らかだった。ガレージの方に出すにしても、周囲の棚などをどうにかする必要があるのだ。
「ハバリさん!そのエレベーターは、私どもが入ってから……少なくとも3年以上は動かしていません。業者が点検に来たこともありません!すぐ使うのは無理です。」
「いま、出られねえだろ!」
もっともだ。横目でジェンのほうを見ると、プルプル震えながら笑いをこらえていた。
「……仕方がありません。動くようなら、一端それで上に戻ってください。私の方で業者を手配しますから、操作盤に連絡先があれば控えて下さい。」
「くそ、あのとき外階段を壊さなきゃあよかったんだ……」
悪態をつくハバリ氏の声が、閉まり始めたドアの向こうで次第にくぐもっていく。続いて、ウィーンという上昇音がした。先ほどのように湯を沸かしていなければ、モーターの音は聞き取れるのだ。
「納得していただけた?」
「ええ、たぶん。」
「あの口ぶりだと、ここに詳しいのは本当のようね。」
「わっ。」
いきなり後ろから、ロージーの声がして驚く。
それとほぼ同時で。マンファリのエンジン音が、ビルの帰還を知らせてきて。ジェンは、ちょうどよい……とばかりに移動を促した。
「ささ。ハバリさんのお邪魔にならないように、あちらへ行ってましょう。」
「壁から鉄骨が……変な風に出っぱっていたのは、階段の跡だったわけね。」
「いちおう、ハバリさんの分も用意しますね。」
それで、僕だけ。
IH調理器の傍に残って、陶器のポットにティーバッグを放り込み。紙コップを並べて、お茶の用意をはじめた。
(こんなやりとりも、今日が最後かもしれない)
……と、そう思いながら。
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