3E
「新しい技術が、まだちゃんとしていないうちに載せようとするのが問題なのですよね。電子制御でフェイルセーフをすること自体……ではなくて。」
「……。」
チェリー・レッドだった顔色が、だいぶ元通りになってきたビル。僕に顔を向けて、瞼を薄く見開いてはいるのだが。やはり反応はなく、話の続きを待つのは無駄だと悟った。
なぜなら、既にビルは。丸椅子の上で、カウンターテーブルへと寄りかかったまま……静かに寝息を立てているのだから。
(やれやれ。帰るに帰れなくなったぞ……)
どうしようか?……と、駐車場のほうを眺めていた僕は。
新技術に置き換わっていても、あんなに単純な機械もあるというのに。どうして自動車はこうなのだろう?……という疑問が、僕の頭をよぎっていく。
この間、はじめて。
でも。考えてみれば、最近の自動車は、コンパクトな住居のようなもので。上水道がないだけで、自動で施錠できるドアや窓から始まって、暖房や冷房、照明、ラジオ、テレビ、ステレオ……そしてそれらを支える電気系、通信系、空調、そして雨水を逃す仕組みを。どんな安い車でも、全て装備しているのだ。
これが大昔の車なら。大ざっぱに:燃料を貯めてエンジンに流す機構、エンジンとその回転力を車輪に伝える機構、ステアリング・ホイールの回転を車輪に伝える機構、そしてブレーキペダルへの踏力をブレーキ装置に伝える機構……といった基本的な仕組みだけだったろうに。それらすら、コンピュータの助けなど借りず実現していたのだろうに……と。
しかし、ビルが「
「何で、スロットルを電子制御にするか……って?」
「は?」
突然、ビルの口から明瞭な言葉が出てきて驚いた。しかし、その目はもう完全に閉じていて、顎も天井を向いていたから。僕に向かって発した一言では、決してない。
……いや、その一言では済まなかった。
「アクセルなんか、運転手の意思を伝える手段に過ぎない。エンジンの側にはエンジンの都合って奴がある。もっとパワーが欲しいから、その分だけ空気を入れりゃいいってもんじゃないぞ? スロットル・バルブなり、
ビルにとっては先程の続きで、夢の中と気づかずに諭しているのだろうか? それなら――と。ちょっとした悪戯心が芽生えて、うつらうつらしているビルの耳元で囁いた。
「わからないでもないですが。何であんなにも複雑なプログラムが必要になるんでしょうか?」
「……ふがっ?」
「ノヴァルで、スロットル動作を完全に電子制御化したのは2001年のモデルからだと聞いてます。そのときからC言語でプログラムするようになった……と。」
「しー言語ぉ?」
一応は、やりとりらしき状態になってきた。
「ええ。でも……2005年式からは、オペレーティングシステムを切り替えて、サブCPUも新しいのを採用したと。なのに――」
「なのにぃ?」
「何故、プログラムのほうは……ひどく複雑なままにしていたのでしょう? 中身を整理するチャンスだった筈なのに。」
「しー言語のぉ、移植しやすい……って聞いたけど。そうなの?……よくわからんけど。」
「ええ、でもそれは……」
GUCAS:つまり「自動車システムC言語利用ガイドライン」で警告されているような、様々な「罠」を意識していないと。移植元では問題がなくても、移植先で思わぬ動作になってしまう危険があるのだ。ノヴァルは、自らGUCASの策定に関わっていたのに。そのルールを殆ど守っていなかったという。何故だろう?
「いえ。2005年式で変わったといっても、メインCPUや……コンパイラは変わらなかったようですから。移植性は実際良かったのかもしれません。」
「……ぱいらぁ?」
「コンパイラ。人間が書いたプログラムを、コンピュータ……機械の側がわかるプログラムに変換するためのものです。」
僕の独り言に近い説明だったが。本当に目を覚まし始めていたのか、ビルの返しはまともだった。
「移植できるならなぁ、作り直すわけがないぞ?ノヴァルの予算管理は世界一。世界いち、厳しいんだぞぅ……設計者に無駄な費用なんか一切なぁ。」
ビルが言わんとしているのは。2001年の時点で正規採用になったプログラムだから、明瞭なメリットがない限りは。作り直すのを認めない――ということだろう。実際、ノヴァル社内で「新しく作る」のが認められたのは2007年ごろ。それも、車外との通信連携を高度化するために、より高性能のハードウェアが必要だから――という理由だったようなのだ。
しかし、そうなると。いったん問題のあるものが採用されてしまえば、多数のオーナーさんが酷い目に合うまで無数の生産車に搭載され続ける――ということではないか。それに、たとえ無償のソフトウェア修正であっても。
「それなら尚の事、何であんなに複雑なプログラムを?」
――と。アルコールが入っていないビルでも、おそらく答えられないであろう疑問を投げたのは。ビルの主張である「新技術の信頼性」とやらを、ノヴァルが。ノヴァル自身で台無しにしてしまっていると感じたからだ。
このとき僕は、原告側の専門家証人であるマクシミリアン・バイエル氏の
A『さきほどの証人……ノヴァルの従業員ですら、NUSAがノヴァルのソースコードを読むのに苦労していたとおっしゃっていましたね。自分たちのなかでも、「スパゲッティ的」であると。これは、彼らがGUCASに従っていなかったからというより、悪い書き方で、悪く構成されたソースコード、つまりスパゲッティ・コードだったからです。』
「なんだよぅ。どっちの味方なんだ、お前ぇはぁ……?」
「いやでも、
A『これは、いわば複雑に絡み合った配線です。まともな設計図面もなしに繋げていったような。そんなものを、場当たり的に強化したり、改良しようとすれば、さらにスパゲッティ度合が増していきます。全体を、動作を。テストしきれず、誰にも理解できない。手に負えない、まさに恐竜のごときものになっていきます。』
「何でー?という話なら、ミニーキュ博士にでも聞け。」
「……誰ですって?」
「ストローワ=ミニーキュ……」
聞き慣れない名前がビルの口から飛び出した。僕の読んだ訴訟資料には出てこない名前で。
「装置制御の専門家。その方面ではノヴァル・ホンゴクのトップだった……今は引退して、系列のシンクタンクに居られるが。」
「その方がプログラムを?」
「いや、コンピュータや、ソフトウェアは専門ではない。」
「は? どういうことです?」
意味が分からなくて、問い詰め気味になってから気付いた。ビルの顔が、今度は青白くなってきていることに。
「数学……うぷッ」
「うわぁちょっと、起きて。トイレまでもって下さいよ……!!」
「……ぷぷぷ、ごぽぁッ」
目を覚ましたビルは猛然と立ち上がり。手で口を塞ぎつつダッシュを掛けたが、トイレまでもたずに。点々と零しながら、居室の奥の通路にあるシンクへとぶちまけた。
床を拭きながら追いついた僕は、ビルの背中をさすりながら、ストローワ=ミニーキュの名を忘れないようにと暗唱していた。
「うぷ。はぁはぁ……有難う、もう大丈夫だ。」
「どうされます?」
「いつものとこの、車を呼ぶよ。」
「そうしてください。ああ、ここはそのままで結構です。」
「悪いな。」
ここで料理をすることは殆どない。とはいえ、シンクの排水口に嵌めてあるストレーナは。今、掃除しておかないと、休み明けで恐ろしいことになりそうだった。
僕は意を決して。水を流しながらストレーナを外し。成るべく手を触れないように、中身をポリ袋へと叩き落とし始めた。
「ずいぶん、菜っ葉を食べたんですね。」
「よしてくれよ、マット……あ、もしもし? タイツォータ第二事務所のブルックランドです。車を一台お願いします…」
中途半端に形が残っているのは、コーンとか――野菜みたいなものだったが、最後に残った中に。異質なものがあった。
(何だ?……赤いな)
はじめは「銅線」かと思った。それぐらいソリッドで、ピンッとしていたのだ。
しかし、ストレーナの上で突き回しているうちに、どうも毛髪らしい……ということに気付いた。5cmもあるから、今夜ビルが食べたものとは思えない。最後にここを掃除したのは、いつのことだったろうか?
「こんな色の髪の方が、ここに出入りしていたかな……?」
それは、火を噴くような赤毛だった。
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