3E

「新しい技術が、まだしていないうちに載せようとするのが問題なのですよね。電子制御でフェイルセーフをすること自体……ではなくて。」

「……。」


 チェリー・レッドだった顔色が、だいぶ元通りになってきたビル。僕に顔を向けて、瞼を薄く見開いてはいるのだが。やはり反応はなく、話の続きを待つのは無駄だと悟った。

 なぜなら、既にビルは。丸椅子の上で、カウンターテーブルへと寄りかかったまま……静かに寝息を立てているのだから。


(やれやれ。帰るに帰れなくなったぞ……)


 どうしようか?……と、駐車場のほうを眺めていた僕は。マンファリマッスル・カーの車内から漏れていた白い光が2,3回瞬いて。と消えるのを目にしていた。酒盛り用(?)の光源だったLEDランタンは、電池が切れたらしい。

 新技術に置き換わっていても、単純な機械もあるというのに。どうして自動車はなのだろう?……という疑問が、僕の頭をよぎっていく。

 この間、はじめて。交通安全局ヌツァの自動車苦情データベースというのを覗いてみて、様々な車種で、あまりに色々な不具合が報告されていて。正直、驚いてしまった。


 でも。考えてみれば、最近の自動車は、コンパクトな住居のようなもので。上水道がないだけで、自動で施錠できるドアや窓から始まって、暖房や冷房、照明、ラジオ、テレビ、ステレオ……そしてそれらを支える電気系、通信系、空調、そして雨水を逃す仕組みを。どんな安い車でも、全て装備しているのだ。

 これが大昔の車なら。大ざっぱに:燃料を貯めてエンジンに流す機構、エンジンとその回転力を車輪に伝える機構、ステアリング・ホイールの回転を車輪に伝える機構、そしてブレーキペダルへの踏力をブレーキ装置に伝える機構……といった基本的な仕組みだけだったろうに。それらすら、コンピュータの助けなど借りず実現していたのだろうに……と。


 しかし、ビルが「悪魔イカDevil's squid」のような顔になった「アンチロック・ブレーキABS」や、カーブを曲がりすぎてスピンが起きかけたときに発動する「横滑り防止制御装置ESC」、そしてご存じ「拘束補助SRSエアバッグ」などは、交通安全局ヌツァでも安全上必須と決めている機構らしいのに。各種センサー類に、コンピュータの助けも借りなければ実現しなかったものらしい。


「何で、スロットルを電子制御にするか……って?」

「は?」


 突然、ビルの口から明瞭な言葉が出てきて驚いた。しかし、その目はもう完全に閉じていて、顎も天井を向いていたから。僕に向かって発した一言では、決してない。

 ……いや、その一言では済まなかった。


「アクセルなんか、運転手の意思を伝える手段に過ぎない。エンジンの側にはって奴がある。もっとパワーが欲しいから、その分だけ空気を入れりゃいいってもんじゃないぞ? スロットル・バルブなり、排気再循環EGRバルブなり……コンピュータの側で好きなように空気を導入できるようにするのは、内燃機関が……さらに進化していくうえで必然なのだ。分かるか……?」


 ビルにとっては先程の続きで、夢の中と気づかずに諭しているのだろうか? それなら――と。ちょっとした悪戯心が芽生えて、うつらうつらしているビルの耳元で囁いた。


「わからないでもないですが。何で複雑なプログラムが必要になるんでしょうか?」

「……ふがっ?」

「ノヴァルで、スロットル動作を完全に電子制御化したのは2001年のモデルからだと聞いてます。そのときからC言語でプログラムするようになった……と。」

「しー言語ぉ?」


 一応は、らしき状態になってきた。


「ええ。でも……2005年式からは、オペレーティングシステムを切り替えて、サブCPUも新しいのを採用したと。なのに――」

「なのにぃ?」

「何故、プログラムのほうは……なままにしていたのでしょう? 中身を整理するチャンスだった筈なのに。」

「しー言語のぉ、移植しやすい……って聞いたけど。そうなの?……よくわからんけど。」

「ええ、でもそれは……」


 GUCAS:つまり「自動車システムC言語利用ガイドライン」で警告されているような、様々な「罠」を意識していないと。移植元では問題がなくても、移植先で思わぬ動作になってしまう危険があるのだ。ノヴァルは、自らGUCASの策定に関わっていたのに。そのルールを殆ど守っていなかったという。何故だろう?


「いえ。2005年式で変わったといっても、メインCPUや……コンパイラは変わらなかったようですから。移植性は実際良かったのかもしれません。」

「……ぱいらぁ?」

「コンパイラ。人間が書いたプログラムを、コンピュータ……機械の側がわかるプログラムに変換するためのものです。」


 僕の独り言に近い説明だったが。本当に目を覚まし始めていたのか、ビルの返しはまともだった。


「移植できるならなぁ、作り直すわけがないぞ?ノヴァルの予算管理は世界一。世界いち、厳しいんだぞぅ……設計者に無駄な費用なんか一切なぁ。」


 ビルが言わんとしているのは。2001年の時点で正規採用になったプログラムだから、明瞭なメリットがない限りは。作り直すのを認めない――ということだろう。実際、ノヴァル社内で「新しく作る」のが認められたのは2007年ごろ。それも、車外との通信連携を高度化するために、より高性能のハードウェアが必要だから――という理由だったようなのだ。

 しかし、そうなると。いったん問題のあるものが採用されてしまえば、多数のオーナーさんが酷い目に合うまで無数の生産車に搭載され続ける――ということではないか。それに、たとえ無償のソフトウェア修正であっても。規制当局ヌッツァに報告せず、オーナーに黙って行うことは。連邦規則で、堅く禁じられているのだと聞く。自分達で「ヤバッ」と思っていても、なかなか踏み切れない――というのが実情でないだろうか。


「それなら尚の事、何であんなに複雑なプログラムを?」


 ――と。アルコールが入っていないビルでも、おそらく答えられないであろう疑問を投げたのは。ビルの主張である「新技術の信頼性」とやらを、ノヴァルが。ノヴァル自身で台無しにしてしまっていると感じたからだ。

 このとき僕は、原告側の専門家証人であるマクシミリアン・バイエル氏の証言記録トランスクリプトを思い出していた。


A『さきほどの証人……ノヴァルの従業員ですら、NUSAがノヴァルのソースコードを読むのに苦労していたとおっしゃっていましたね。自分たちのなかでも、「スパゲッティ的」であると。これは、彼らがGUCASに従っていなかったからというより、悪い書き方で、悪く構成されたソースコード、つまりスパゲッティ・コードだったからです。』


「なんだよぅ。どっちの味方なんだ、お前ぇはぁ……?」

「いやでも、こちらノヴァル側も認めていることですし。」


A『これは、いわば複雑に絡み合った配線です。まともな設計図面もなしに繋げていったような。そんなものを、場当たり的に強化したり、改良しようとすれば、さらにスパゲッティ度合が増していきます。全体を、動作を。テストしきれず、誰にも理解できない。手に負えない、まさにものになっていきます。』


「何でー?という話なら、ミニーキュ博士にでも聞け。」

「……誰ですって?」

「ストローワ=ミニーキュ……」


 聞き慣れない名前がビルの口から飛び出した。僕の読んだ訴訟資料には出てこない名前で。


「装置制御の専門家。その方面ではノヴァル・ホンゴクのトップだった……今は引退して、系列のシンクタンクに居られるが。」

「その方がプログラムを?」

「いや、コンピュータや、ソフトウェアは専門ではない。」

「は? どういうことです?」


 意味が分からなくて、問い詰め気味になってから気付いた。ビルの顔が、今度はなってきていることに。


「数学……うぷッ」

「うわぁちょっと、起きて。トイレまで下さいよ……!!」

「……ぷぷぷ、ごぽぁッ」


 目を覚ましたビルは猛然と立ち上がり。手で口を塞ぎつつダッシュを掛けたが、トイレまでもたずに。点々と零しながら、居室の奥の通路にあるシンクへとぶちまけた。

 床を拭きながら追いついた僕は、ビルの背中をさすりながら、ストローワ=ミニーキュの名を忘れないようにと暗唱していた。


「うぷ。はぁはぁ……有難う、もう大丈夫だ。」

「どうされます?」

「いつものとこの、車を呼ぶよ。」

「そうしてください。ああ、ここはそのままで結構です。」

「悪いな。」


 ここで料理をすることは殆どない。とはいえ、シンクの排水口に嵌めてあるストレーナは。今、掃除しておかないと、休み明けで恐ろしいことになりそうだった。

 僕は意を決して。水を流しながらストレーナを外し。成るべく手を触れないように、中身をポリ袋へと叩き落とし始めた。


「ずいぶん、菜っ葉を食べたんですね。」

「よしてくれよ、マット……あ、もしもし? タイツォータ第二事務所のブルックランドです。車を一台お願いします…」


 中途半端に形が残っているのは、コーンとか――野菜みたいなものだったが、最後に残った中に。異質なものがあった。


(何だ?……赤いな)


 はじめは「銅線」かと思った。それぐらいソリッドで、ピンッとしていたのだ。

 しかし、ストレーナの上で突き回しているうちに、どうも毛髪らしい……ということに気付いた。5cmもあるから、今夜ビルが食べたものとは思えない。最後にここを掃除したのは、いつのことだったろうか?


「こんな色の髪の方が、ここに出入りしていたかな……?」


 それは、火を噴くような赤毛だった。 

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