3D
相変わらず流れの
そのボディの外板は。赤い常夜灯に照らされて、白っぽくぼやけていたが。ドアに装着されたバックミラーだけは、本来のマスタード・イエローに輝いており。おそらくLEDのランプを持ち込んだのだろう、車窓から漏れる光は鋭い白色で。それが届く範囲にある物体は何であれ、本来の色を取り戻してしまうのだ。
そして、同じく「本来の色」を取り戻した(筈の)ビルの顔色は……完全に真っ赤だった。
『ホンゴクではね、「
ジェンが、そう言っていたのを思い出した。
なにしろビルはアルコールに弱い。クリスマスの後、裁判所も閉まってしまう年末の前に。ボスの好きなイタリアン・レストランで、慰労会みたいなのを開くのだが。ビルはいつも、真っ先に潰れてしまう。愛車の運転が好きだから、普段は飲まないらしいのだ。
それだけに、夜の駐車場で一人ぼっち。溺愛している車のなかで、どうみても運転不可な有様に……自らなっているというのは、文字通りの異常事態であった。
(裏手から回り込んで、自転車だけ出せないかな…)
正直、関わりたくない……と。アレコレ巡らせていた策謀(?)は、突然。マンファリの左ドアが全開となった瞬間、灰燼に帰した。
「ハハァ。マァットオォオオ~。待っていたぞォ……!」
「ヒッ……!」
「フハッ、フハハァ!」
何しろ量を呑めないから、身体のほうは万全なのだろう――酔っ払いとは思えない素早さで、ビルは迫ってきた。怖ぁ……!
「わわわ、急に動いたら廻りますよ?」
「いいから、開けて!」
「は?」
「早く開錠してくれ!漏れそうなんだ!」
なんだ、そういうことか……と納得して、シリンダー錠(二つある)と、ナンバー錠と、カードキーとを順番に開けていって差し上げると。ビルは「ズダダダッ」と、マンガみたいな足音を立てて便所へと駆け込んで行った。
僕は。少し迷ったあと、ドアを開けっぱなしのマンファリに歩み寄り。教わった通りにエンジンを止めて、キーを抜いた。それで艶やかなヴォーカル(女性)も黙り込む。所謂スマート・キーだから、ドアを閉めて離れるだけで自動で施錠される。防災用らしきLEDランタンは、消し方がわからないので放っておいた……もう知らん。
そうして事務所に戻り、照明を点けていくと。用を足してスッキリしたビルが出てきたので、とりあえずマンファリのキーを渡した。
「フゥ~。助かったよ。」
「どういたしまして……でも、戻るの遅れたら。危なかったですね。」
「それはまあ、ライカンさんに電話があったからね。『いま終わりました』って。」
「え?」
僕は素早く計算した。ファラが連絡を入れた後に、ビルがボスと別れて、それからリカー・ショップに立ち寄ってきたとすると……せいぜい10分位なのか?ここまで酔っぱらうのに??
「じゃあ、そんなに飲んでないんですね。」
「そうだよぅ~?そんなに飲めないさぁ。」
「わかってますって。」
ビルは丸椅子に座ったまま、くるくる回りはじめた……嫌な予感。
「う。おぇーぷ。」
「だ駄目ですって~!!」
もー、まったく子供ですか。一体どういうつもりなのだろう……ビルは? 多分レストランで、ボスがアルコールを許さなかったからだ――としたって、僕が自転車で送ってくれるとでも?
「さあ、ちょっと話したくてなぁ?」
「僕とですか?」
「まあ座れ。」
「……ハイ。」
もぅ週末で、裁判所も(ランサムウェアの掃除で)停止しているから……か。断る理由もない僕は、仕方なく。ビルに付き合うことにした。
「あれから。車、どうだ?」
「多少わかってくると、面白いですね。」
「そうか、そうかァ。で、どのあたりが?」
「少しずつ電子制御が入っていくところとか……」
「ぜーんぜん、ダメだな。そんなんぁ。」
うへぇ。嫌なモードだ。
……という本音を、あからさまに顔へ出してるのに。ビルは「定位置」の書棚を指さしながら、
「こういう本。いくら読んでもなぁ、判らないさ。」
「電子制御になる前の……昔の車の良さが、ですか?」
「”昔”っていっても、ついこないだだ。燃料噴射とか、エアバッグぐらいで……今世紀に入ったあたりは、まだまだ付ッ加価ッ値ィだったからな。」
「
「……ぁあ?」
ビルの表情が「
「あんなん要らん。あれの所為でなぁ、路面に
呂律が回っていないので、一瞬「
『ホンゴクではね、”
「……。」
「何ぁに、プルップルプルップルしてんだぁ?」
「ごッごごめんなさい。急ブレーキ掛けると、タイヤのゴムが摩擦熱で焼けて路上にくっつくんですよね。」
「じゃあ答えろ。なんでABSは……」
「ええと。ブレーキで止めたタイヤが……路面でスリップしはじめるのを車速センサーや加速度センサーで感知して、コンピュータが自動的にブレーキを緩め、するとタイヤが回転できるので摩擦は――」
「そうする理由のほうだよォ!!」
うわぁ……。普段、問答でも穏やかなのを知っているだけに。正直、かなり堪えるものがあった。
「……タイヤを止め続けると、慣性で車体が路面を滑って、ステアリング・ホイールでは制御できなくなるから……でしたよね。」
「そんなの、要ると思う?」
「は!?」
もう思わず。『盗聴されてたらどうするの~?』のジェスチャーが出ていた。いやしくも、自動車メーカーの欠陥訴訟を務める代理人の口から出て良いことととは、到底思えなかったので。
「いや。だって、要るんでしょう?それは。
「ブレーキを踏み続けたら、慣性でスリップして当然なんだ。そしたら、身体のほうが勝手にブレーキを緩めるだろ?」
「いや、だろ?って言われましても……」
いったい僕に、何を言わせたいのか。
「ブレーキを緩めれば、どうなる?」
「タイヤの向きを変えて、車体の動きを制御できるように――」
「そういうこと言ってんじゃない。停止距離が延びるんだよ!」
「はあ……」
「必ず”作動”したら、選・べ・な・いだろうが!運転手が。スリップしたっていい場合があるんだ……!」
(選・べ・な・い)
それでようやく。ビルの言いたがっていることがわかってきた。
「車ってのはなぁ、コンピューターなんかなくてもなぁ、本来なあ、ちゃんと・きちんと。動くもんなんだよ。そういうマシーンなんだ!!それをなぁ~」
「はいはい。はいはい。」
「『はい』は一回で良い。わかったね?」
「……はい。」
「それを……集中治療室の重症患者さんみたいに、全身ワイァーだらけでさぁ!……無数のコンピュータに制御されて――どれかイカレても、まともに動かないようにしておいて……ううぅ……おっ…おっ……おううう」
ビルの嘆きは、途中で嗚咽に変わっていった。
「マットなぁ、知らんだろう。俺の友達……車友達もイイ歳になって、いい車を買えるようになって――」
「はい。」
「――それで、憧れのモデルの最新の、しかも上位車種を買うだろ?」
「それはご自慢でしょうね。」
「自慢……。自慢したい。その通りだよ。でもなぁ。」
「でも?」
「その車種で売りの、トクベツな機構がな……ある日、突然。エラーを出しはじめる。聞いたかよ?あいつのもさぁ、あいつのも出たってよ。俺のもいつかは………だとしたら、どうだ?」
僕は、その答えを慎重に考えて…
「その機構を、使えなくなる?」
「それだけならまだいいさ。そういうもんだと思うさ。でもな。そのスペシャルな機構は……古き良き仕掛けを置き換えたものなんだ。だから、ちゃんと代役をこなさなきゃいけないだろ?」
「もし、こなせなくなる……と?」
「ある日突然、メーターパネルで……黄色だか赤だかの警告灯がつく。そのとたん、スピードを出せなくなるんだ。あるいは、ステアリングが異常に重くなる。それで、いったんエンジンを落とすと、始動できなくなることもある。そんな車で訴訟にならないほうがおかしいから『コンシューマー弁護士の懐が潤うことを、わざわざしでかしてるのはメーカーのほうじゃん!』って、そりゃ言われるさ。」
あ、それって――
「何らかの異常を感知して、『
「そうだな。『フェイルセーフ』ってやつだ。勉強したろ?」
「ええ……」
きちんと設計されたフェイルセーフ機能なら、異常を正しく感知して、悪影響がほかに及ばないようにできる……原告側の専門家証人は、誰もがそう証言していた。そして「ノヴァルでは、きちんと設計していなかった」とも。
「ちゃんとやるには、どういう設計でないと…いけないんだっけな?」
「センサーとかが、冗長化……つまり二組以上、ないといけないと。」
「それは、センサーがそこでトチると致命的なコトになる場合で。しかも、センサー異常がわかる手が……他にないときの話だなぁ? 二組ありゃいいってもんじゃないぞ。」
「そうでした。」
「まあいい。二組以上あると、どうなる?」
「それら全部不調になることは、まずないので……」
「そうじゃないよ。そうじゃない。」
「え?」
酔っぱらってはいても、ビルの目は真剣だった。冗談を言っているようには、まったく見えない。
「そのうちの。どれかひとつが不調になっても、フェイルセーフが作動する……ってことは、だ。わからないか?」
「わかりません。なんです?」
「車のオーナーが、うんざりする確率が上がるってことだよ。」
僕はちょっと驚いた。タワー型サーバー筐体の半分以上を占拠する
「わかりますが、そう言うのだとしたら。その……フェイルセーフが必要な……トクベツな機構に替えること自体、『うんざりする確率』を上げているのではないでしょうか。エアバッグみたいに……フェイルセーフ発動時でも、元々の車の仕組みに影響が出ないのなら別ですが。」
ビルは、突然。穏やかな顔になって――――
にっこり笑って、こう言った。
「その通り。その通りだよ。」
「え……?」
虚を突かれた気がして、僕は続けた。
「なら、どうしてメーカーは。先を争ってまで、そんな機構に……替えようとするんですか? ハードディスク……じゃなかった、排気ガスの無害化処理とは違って。それじゃ無くても困らないようなものなんですよね?」
「……。」
ふと気づくと、ビルの顔色は。だんだんと平常に戻ってきているようだった。
そして何故か。それまでとは「逆」のことを言い始めた。
「まあ。でもな、信頼性が上がっていれば、それでいいのかもしれない。とくに燃費対策は……炭酸ガスの排出を減らすのは、最優先だしな。」
「信頼性が上がる前なのに……置き換えようとするのが問題だと?」
「そうなんだ……が。」
「が……?」
「…………」
いくら待っても、ビルの口からは――
続く言葉が、出てこなかったのである。
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