3F

 これで一応、落ち着いたようなので。

 いつもお世話になってるタクシーにビルを押し込み、事務所の戸締りをして。自転車を駆り、シェアハウスへと帰り着く頃には。廊下に明かりが漏れてるのは、昼夜逆転生活をしているテッキーの学生……リッター・シュズッスマン氏の居室だけになっていた。

 エレクトロニクス方面の大学らしいのだが、あまり言葉を交わすことがない。こんな静かな夜だと、彼の部屋からはヒュウヒュウ・ゴーンゴーン……と。色んな周期のファンノイズが漏れてきて、どんだけコンピュータを持ち込んでるのかと思う程で。仕事においてすら、あんまり熱心でない僕としては。ソフトウェア・コードを自分からゴリゴリ書いてそうな方は、敬して遠ざけておきたいタイプに属するのだ。


 1時間ぐらい前まで、住人がつどっていた気配の残る居間を通り抜け。端っこにある自室にたどり着いた僕は……デイパックをしょったまま、ベッドへと倒れ込んだ。


(なんて日だ……暇なのか忙しいのか、さっぱりわからなかった)


 ランサムウェアに侵された裁判所のシステム……

 ……を、念のため遮断したら、ジェンが自車に籠り……

 正義省の声明が出て、ロージーが僕の関心を暴き出し……

 戻ってきたジェンには、それを「上司」ファーレルさんにチクられ……

 早退許可が出たと思ったら、アルが突然現れ……

 協会に戻れないかもと告げた直後、ファラたちが現れ……

 クァンテーロの家がどうとか、遺族調査会がどうとか……

 で、事務所に戻ってきたら、ビルが管を巻いてるし……

 ……ああもう。


 ほんと疲れていたが、このまま寝入るわけには行かない。シャワールームに行かなくては……と思って、デイパックを下ろした僕は。それが妙に突っ張っているのに気付いた。


(そんな嵩張るものを入れてたかな?)


 ――と、フラップを開けてみたら。紐で絞ったなかから、丸めた新聞が飛び出していた。


(あれ? これって、確か)


 広げてみると、やっぱり。ニックが持っていた新聞じゃないか?……確か。カンピーニのテーブルに置いたあと、一度彼は退席したから。二度目に向かえに来た時、テーブルまでは来なかったので。そうそう、僕から渡してやろうと思って回収したんだった。バレンデルで帰り際にをしまうときも、側面のジッパーから背側ポケットへ入れてたから。これに気付かなかったのか……まあ、今更返すまでもないだろう。


(でも。東海岸の新聞なんて、久々に見るな)


 欠伸をしながらパラパラ捲って。4~5面あたりまで来たときに、眠気が吹っ飛んだ。


「原因は警備システムの欠陥――刑務所運営会社に好意的な陪審評決」


 思わず、声に出してタイトルを読んでいた。

 それというのも、写真のキャプションとなっている被告側システムベンダーの名称に見覚えがあった……いや「見覚え」どころじゃなかった。学校で僕が監視カメラとか拡張する手伝いをして、それで警察に目をつけられることとなった……あのシステムを販売していた企業だ、間違いない。あの時ゴーティが、ライフル(か何か)で撃ちまくり出すそのまさに直前、再起動を繰り返して役に立たなくなったという警備システム……刑務所でも同じことが?


「……原因不明な再起動処理を繰り返しており、同収容施設からの集団脱獄を防ぐことが出来なかった。このため同社は州当局から提訴されていたが、その一方で、同警備システムが既成のパッケージであり正規に保守を受けていたことから、原告としてシステムベンダーを訴えていたものである――」


 5年ほど前に、某州の刑務所で起きた受刑者の集団脱獄……有名な事件で、僕ですら知っていた。しかし警備システムの件は初耳である。

 気付けば僕は。長机の手前側を片付けて、キーボードを引っ張り出し。メインで使っているPCを立ち上げていた。いつものwebブラウザで、州の名前と「集団脱獄」で検索する。新聞記事と同じ内容のものが沢山ヒットしたので、これを除くために一週間以上前の記事に絞ってみた……ところ、やはりそれらの何れもが。民間委託となった後の予算不足・人手不足の状況を強調しており、警備システムも受刑者達が警備センターへ乱入して落としたことになっていた。


(言われてみれば、システムが健在なら。警備センターに入られる前に気付いてる筈だよな……どうして、記者たちは突っ込まなかったのだろう?)


 今日の新聞に載った話を読む限り、暴動の前に計画停電が行われており、警備システムも停止していたようだが。その時は(当然ながら)会社側も警備員を増員しており、受刑者も大人しくしていたようなのだ。彼らが蜂起したのは、電気が回復して、増員した分の警備員がまさに引き上げたときだった。

 システムベンダー側とは、システムの起動手順が規定のものであったかどうか、そしてを……争っていた、とあり。そのあたりに僕の胸をざわつかせる「何か」があるのだ。


(もっと詳しい話はないか……おっ?)


 今日の日付を指定して、検索しなおした結果の一覧に。有名なIT系のニュースサイトの解説記事がヒットしていた。裁判所のディスカバリ命令によって、システムベンダー側が提出した証拠のなかで、このベンダーが別のクライアントからクレームを受けて、不具合を確認していた事実が明らかにされていたらしい。それで裁判所は、原告側の専門家が、直接尋問にて……陪審団の前で。次のような証言をすることを認めていたというのだ。


『施錠状態を監視する系統のマスター・コントローラは冗長構成であったが、かえってこれが災いのもととなった。』


 マスター・コントローラは二つあった。確か、学校のときもそうだ。


『停止状態から復帰する際、マスター・コントローラの一つ目を起動したあと、二つ目を起動するときが問題である。これを図示してみよう。』


 二台のマスター・コントローラを上下に配置して、それぞれの右方向に時間軸を伸ばした図であった。上側のコントローラの時間軸には起動時刻として赤丸が刻まれており、これにやや遅れて下側の時間軸にも、起動を示す赤丸が刻まれていた。そのやや右側にグリーンの縦線が引いてあり。そこから上側に向かって矢印が延びていた。上側の時間軸には、1mmほどオレンジ色に変わっている領域があり、矢印はそこに突き刺さっていた。その直後に、またしても赤丸が刻まれており。そのやや右側のグリーンの縦線から、今度は下側に向かって矢印が延びていて。それでもう、だいたい想像がつくと思うが……下側の時間軸のオレンジ色の領域に突き刺さっていた。完全なる永久パターン。


『……矢印は、ネットワーク上の資源を探索して、それらを初期化する動作である。通常、マスターコントローラは自身が健全であることを示す信号を発しており、その限りにおいて自身が再起動されることはない筈であった。』


 それだけで――もう僕には。

 これが次に。どう解説されるのか……分かってしまった。


『しかし、オレンジ色で示した0.1秒間においては、この発信が遅延する現象があり。一方で、グリーン縦線部直後の1/30秒間においては、このような遅延を許容しない仕様となっていたために、まさに図示のタイミングで二番目を起動したときのみ、相互に再起動し続けることになるのだ。』


 そう。システムのマニュアルでは、一台目の起動をした後に、これと同様に二台目も起動するよう書かれていた。素直に再現すれば、このような状況に陥ることはないだろう。

 とはいえ、起動手順について操作画面を載せつつ、起動確認の終了まで説明していけば、必然的にこのような構成になってしまう。「一台目の起動中に二台目を起動してはいけない」とは読めないのである。

 ベンダー側は「他の様々な用途の冗長システムでも、スタートアップが自動化されていないものでは、一台目の起動完了を確認してから二台目を起動するように指定されているのが、当業界において常識であった」……との証拠を提出して、「マニュアルの記述に素直に従うべきであった」と主張したが。これに対し運営会社側の弁護団は、同型のシステムの他のユーザ……顧客を証言台に立たせて。①その顧客がクレームを出してからベンダー側が再現確認をしていたこと、②「ベンダーの保守部隊ですら一台目の起動完了を確認せずに二台目を起動していた」のをその顧客に目撃されていたことの……二点を挙げて。被告ベンダーが「マニュアルの改訂や、顧客への注意喚起を怠っていた」との主張を、陪審員に認めさせることに成功したようなのだ。そして、この訴えが認められたことが、州との訴訟の行方にも影響するだろう……と、元の記事は締めくくっていた。


 それで僕は、無意識に。どの記事でも明らかにされていないこの「顧客クライアント」を、十数年前に……僕が「軟禁」されたとき現れて「重要なことを申し上げたい」と証言してくれた……あの警備員の「彼」に重ねていた。

 集団脱獄の責任を軽くするためとはいえ、ベンダーに対し訴訟を起こしてくれた運営会社にも。感謝の念が沸き上がってくる。

 僕を、僕の心を。長いあいだ縛って、締め付けていた「呪いの鎖」の一つが……ようやく解けようとしているのだから。


 しかし、と同時に。も思ってしまう。何故ぼくは、自分自身で「不具合」を立証しようとしなかったのだろう……と?


 仮に、このベンダーに落ち度を認めさせようとして。僕が訴えを起こしていれば、証人を見つけることもできたのだろうか? 自分を助けるためでも、何らかの訴訟を起こしていれば、他のユーザにも。同じようなが生じていたのだろうか……?


 とにかく訴訟の多さが槍玉にあがるこの国で、そんなふうに思ってしまうのは。本当におかしいこと……だろうか?


 僕には、よく分からなかった。

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