3A

 ボスと主任の判断で、今日の就業時間が短縮した――のを、待ち構えていたように。急遽ファラがセッティングした、昔馴染みたちとの会合……が。全て終わって帰ろうとする頃には、もう20時近くにもなっていた。


 ファラはまだ業務があるそうで、ニックが僕を送ってくれるという。


「ここからだと……むしろ、家の方が近そうだね。」

「へえ。まだ、に住んでるんだ?」

「そうだよ。でも自転車を置いてあるから、うちの事務所の方に……。」

「わかった。ただこの時間……ちょっと混むかもしれないぞ。」


 白い車体の後席へと入り込む僕へ、運転席から投げかけるニックの声は。少しだけ昔の……カレッジの寮を引き払ったばかりの僕に、会いに来た頃の口調に戻っていたようなので。


「そのほうがいいね。」

「何が?」

「さっきは誰かと思ったよ。まったく、初対面みたいなかたで。」

「はは……まあ、ファラと一緒に人と会うときは、なるべくにしてるんだよ。彼女の顔を立てないといけないから。」


 車体が水平になったので、夜の街道へと繰り出したのがわかった。つまり、地下階のパーキングから這い上がっていくのと変わらない速度のまま。連なってのろのろと進む車列へと、うまく合流するのが精一杯だったようなのだ。


「あー、やっぱり混んでるな。」

「構わないよ、特に予定もないし。」


 無意識に、不愛想なグレーの樹脂で覆われた車内を見まわしていた。二人乗りのシェヴラテインや、マッスル・カーであるマンファリよりも、かなり広く感じたが。ボスの乗ってるパストーラほどではなかった。


「形式とか、わかるか?この車の。」

「ノヴァル・キャリスの……少なくとも現行型じゃあないね。」

「さっすがぁ。でも知らなかったよ。」

「鍛えられましたので。」


 ニックの口調はどんどん砕けてきて、何だか少しした。


「で、この車は大丈夫なんだよね?」


(やはり、きたか。)

 パーキングに出てきたときから、予期していた質問だったから。何でもないことのように、呼吸するように返す準備が出来ていた。


「2010年以前のモデルなら、クラスアクション合意の対象車だそうだよ。」

「何だって?」

「ディーラーに持ち込めば、無料で『ブレーキ・オーバーライド制御』のソフトウェアを入れてくれるって。」

「ああ、知ってるぞ……それ。あれだろ、あれ。」


 直線の渋滞で、オートマチック車だから。ペダルにしか神経を使っていないはずだが、ニックの両手はステアリング・ホイールをきっちりと握って離さず、顔を後席へ向けることもなかった。口ぶりは砕けても、やはり以前とは違うのだ。


「たしか…止まりたいときに。アクセルを踏んでも、エンジンが吹き上がらないってやつだろ……ソフトウェアで制御して。」

「ん、まあ。その通りだね。」

「この車は、一昨年にまとめてフリート発注したそうだから……」

「じゃあ、最初から入ってるよ。」

「そうなんだな。」


 以前のニックなら、運転席と助手席の両方の「頭置き」……つまり、ヘッド・レストレイントの間から後席側へ顔を突き出して、そのまま喋りながら運転しかねない。そんなのを(今の)僕の目の前でようならば、ノヴァル側の者として。言わねばならぬところだった。


 それというのも、2011年に。NUSAが結論とした「エンジン電子制御の不具合ではなく、ドライバーの踏み間違いが原因」という話の、に乗るようなタイミングで。国家交通安全局:ヌツァNTSAが「ペダル間違いpedal error」に関するレポートを出したのだが、それによると。バック駐車の時など……後ろに顔を向けながら運転すると、「ブレーキと間違ってアクセルを踏んでしまう確率」が上がるのだという。そしてそうなる原因を、体をひねることで下半身の向きがズレることが原因であろう――と、分析していたのだ。

 昔のニックのように身体を右に捻って後ろを見るのなら、下半身も右側にズレるから。ブレーキを踏むつもりでアクセルを踏んでしまうという理屈で、それなりに説得力を感じた。


 しかし、今となっては。ファラを送り迎えするのも ニコラス=ド・リィ の仕事なのだろう。彼の運転技能は見事にプロフェッショナルなもので、姿勢もよく。だらけたところや見切った様子などは一切なかった。これなら踏み間違いで事故になるようなことはないだろう……と、考えていたその時。


が入っていれば、も大丈夫なんだな……?」


 ニックの口から「踏み間違え」という言葉が出て、ふたたび。僕の警戒心に灯がともった。慎重さが顔に出ないよう、軽く答える。


「右足がずれて、踏んだ時は効くけど。完全にアクセルだけ踏んでると駄目だよ。」

「えぇ? でも、NUSAは事故原因が『踏み間違いだ』って言ったんだろ? ペダル間違いpedal errorに対応しないでどうするんだよ。」

「それとこれとは……」

「じゃあなんで、そのオーバーライドを無料で入れろってことで……決着したんだ?」

 

 この半年弱の間に色々と詰め込んだ情報が、僕の頭を巡り始めた。


「4~5年前かな……西海岸のハイウェイ・パトロールの人が勤務外の運転中に。自家用車キャビーネ暴走オーバーランして、亡くなった話があったよね。」

「衝突する前に、ドライバーが緊急通話で『ブレーキが効かない……がんばれ……祈るんだ……』って言ってたっていう、事故のことだよな?」


 僕は、ちょっと間をおいて……少し息を吸い直した。当時、本当に何度も何度も報道に上がっていたから。僕ですら知っていた有名事故だ。ニックが覚えていても当然なのだ。


「あれの原因、覚えてるか?」

「いや。『踏み間違い』じゃないのか?」

「フロアマットだよ。当時、『完全防水』っていう売り文句で量販店に並んでた分厚い奴。」

「ああ、そうそう。アクセルがハマって抜けなくなったんだったか……ペダルの根本が。」


 ルームミラーでは、そう言うニックの表情は読み取れない。


だと言われてる。そして当時は、フロアマットだけじゃあなくて。ペダル自体が粘ついてスティッキー、ぐっと踏み込んだ後の戻りが悪くなってさ。それでフル加速のままになって、事故が起きたケースもあったんだ。」

「なるほどわかった。レイの言いたいこと……何らかの原因で、アクセルが戻らなくなったときのためなんだな。その、『オーバーライド』っていうのは?」

「そういうこと。ブレーキを踏んでいることが発動する条件だから、『踏み間違い』ならどうしようもない。ドライバーが本気で加速しようとしているのと、区別がつかないから。」

「システムの側からすれば、な。」


 こういう理解の速さは、以前と変わらない。だから、本当は。もっと注意して、予期していなければならなかったのかもしれないが。


「じゃあさ、『エンジンの電子制御に欠陥がある』とかいうほうのは……やっぱり、仕込んだ連中がいるんだよな。あれだけのバッシング・キャンペーンだ。成功し過ぎた海外企業への妬みか? 大変だな、お前のとこも。」


 そう言って、穏やかに。普通に同意を求めてきたのは、ほぼ不意打ちに近かった。


 だから。間抜けにも、僕の口から出てきたのは……


「は?」

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