39

 ニックが「カンピーニ」へ、タクシーで迎えに来てから。たかだか15分ほどで、僕は。「バレンデル」O州駐在事務所の入居するビルに到着して、簡素な応接室に案内されていた。

 ニックが使った古めかしい鍵には、ビルの名称の入ったプラスチック・タグに部屋番号が刻まれていたから。他のテナントと共用の、管理事務所で予約が必要なタイプの応接なのだろう。


「うちの事務所のフロアだと、まだ従業員が居るしね。まあ、ここでも持ち込みOKだから……」


 人数分の紙コップに、保温ボトルのコーヒーを注ぎながらニックが言った。どうやら、タクシーを拾う前に調達していたらしい。それで僕の左側のスツールに腰を下ろすと、3人で丸テーブルを囲む形となり。何も説明がなかったので、僕から口火を切った。


「それで、場所を変えた理由は?」


 ファラが右肩をひょいと上げた後、両目を閉じ。一拍おいて、ニックが口を開いた。


「レイに、返すものがあるんだ。」

「返すって? 何か貸してた……」


 答えの途中で。テーブルの下からせり上がってきたを見て、僕は絶句してしまった。明らかに、嘗ては見慣れていて……しかし記憶からは消し去っていたは。


「済まない、持ち出していた。」


 何の変哲もない、学生向けの帳面……クリーム色の表紙には何のタイトルもない……を、恐る恐る開いていくと、妙に太い、消耗気味の万年筆で書いたらしき小さな文字が。罫線のある領域を、びっしりと覆っていた。いや、そうだ。日付を入れた行だけは、その後に書き込まないようにしていたんだ。

 折角頂いたコーヒーの紙コップたちは、一切口をつけられることなく別の台へと避難させられ。僕は、テーブルを囲む全員に見えるよう帳面を広げた。


『6月3日、14時ごろ。

 ミッタ、ゴーティと二教へ移動中。2Fへの階段で絡んできたのはスヴェイ、ダーミット、そしてキリマイ。物理的なチョッカイはなし、口撃のみ。ミッタの家の生業や、ボロ靴を揶揄したうえ、教室での振舞いを非難するなど、ミッタに集中。切り出したのはスヴェイ。これにダーミット、キリマイも追随するが、昨日と同じく、キリマイの吐く悪口は迫力がなく、虚ろ。女の子たちはいなかったし、自分たちの人数も少なかったからか? そうでないなら、昨年のパーンと同じで、スヴェイのグループから脱落するかも。』


 このような文章に続けて、マル・バツ程度の簡単な図で階段や互いの位置関係を描き込んであった。つまり日記というより、ハイスクールの頃に受けた「被害」の……というより「加害者」がやったことの記録だ。最終的にはゴーティ……パトリック・ゴータンドの発射した銃弾を浴びて、彼らが「被害者」になったのだが。

 ジュニア・ハイの頃、「常に不快な状況にある」生徒へ「記録」を促す指導があって。それを切っ掛けに始めたものだが、おそらくハイスクールで続けていたのは僕くらいのものだろう。

 かなり厚手の帳面だったし、小さな字で書いていたことや、以前と同じような被害なら記述を参照するようにしていたこともあって、ゴーティの「プチ乱射事件」のところから、まだ1/5ほど白いページが残っていた。

 そのころの僕は、ほぼ「連中」のターゲットから外れており、記述の頻度自体が減少していて。乱射事件で、このスヴェイやダーミットを含む「連中」が壊滅したので、もう記述することもなくなった……と思っていたが。帳面自体が無くなっていたとは、全く気付かなかった。


 なぜ、ニックがこれを?……それに、ところどころ蛍光ピンクでチェック入っているのも気になる。


「なんで、『キリマイ』のところにマーカーが?……これは僕じゃないぞ。」

「……悪い。」


 うなだれるニックを、ファラが庇ってきた。


「察してるとは思うけど、一時期。警察がこれを持っていたの。」

「警察が?」

「あのとき、レイの供述がすごく詳しかったんで、『これは記録がある』と踏んだらしいんだ。それで……」


 ニックの言葉が弱々しく途切れると、間髪入れずファラが口を挟んでくる。


「勿論。勝手に持っていくのは、捜査としては違法になるから。いったんニコラスに戻してもらって、令状が出てから寮部屋を捜索して、改めて『物証』とする手はずだったらしいの。」

「しかし、捜査は中止されて。私は戻す機会を逸してしまった……本当に済まない。」

「ああ、そういう話だったら別に……」

 

 と言いかけて、やはり妙だな?――ということは、聞かざるを得なかった。


「…でも、リザ・キリマイは筈だろ。あの時点でもう、グループから抜けてたからね。どうして彼にマーカーが?」


 僕の疑問を前に、二人は無言になり。暫く目だけで会話していたが、ニックのほうから口が開いた。


「このノートは、つい最近まで。乱射事件の被害者の……遺族たちの手元にあったんだ。正確にいうと、調査遺族会Investigative Bereaved Associationの事務局だ。」

「え……っ?」

「遺族として、もっともな疑問……『?』という疑問からだよ。」


 『どうして?』

 ――返す言葉が、出なかった。

 もっともな疑問……そう言われれば、確かにそうだが。


「犯人が死んでしまって、郡警の捜査も終了したから。『自分たちで突き止める』と……それが調査遺族会が発足した理由さ。」

「わたしはともかく、ニコラスは。遺族会から相当しつこく聴かれていたの。パトリック・ゴータンドの交友範囲や、事件までの様子や状況を。根掘り葉掘りね。」

「……。」


 あの事件のあと、ニックとは殆ど顔を合わせていなかったけど。まさか、そんなことになっていたのか……なんて。


「そんなの。僕のほうには、全然……」

「実はね、あのとき君が受けた取り調べ。調書の写しが、こっそり遺族会に出回っていたんだ。遺族会の縁者が、あそこの群警の偉い人だったらしい。」

「その裏付けとなる、この………ノートも、ね。」


 「」と言いかけたのを、ファラが飲み込んだ気がした。


「遺族会としては、君の残した大量の情報の――『裏』をとるほうに動きたかった。というか、いまさら君に聞いても。これより多くのことが、さらに出てくるとは思えなかったのだろう。」

「こんなのを読めば、そう思うでしょうねぇ……。」

「でも、そうしたら。あの」


 ゴーティの遺族のほうにも――


「ゴータンド家のこと?事件のあと、すぐ州外に引っ越していったわ。」

「学校として、遺族会には。生徒へヒアリングする機会をそれなりに用意したから。それ以上突っ込もうとするのは、遺族会としてかなり決心が必要だったと思う。」

「ああ……」


 あのとき僕が。父の葬式などを終えて、故郷から北の学校へと戻った時。みんな「親たちの相手で大変だった」と言ってたけど。そういうのもあったんだ。


「それから私は。なんとなく、遺族会のために動かなければいけないような立場になってしまった。実をいうと『君を呼ぶ』という話もあって、何とかして呼び出せよ……みたいに言う方々もおられたよ。」


 なんと。


「とはいえ、遺族会がを持っている理由に説明がつかないしね。会としても、レイを追及するとか、逆に謝罪するとかするつもりは全然なかったから。結局、しなくて済んだのだけど。」

「でも、そうなら……何故」


 二人の話は、あの事件が起きてから2~3年程度のことに聞こえた。だったら、もうとっくに済んだ話なのでは……?


「何故、今になって?」


 ニックは口を閉じ。問題の帳面をパラパラと捲りながら、マーカーの箇所を指先で示す。最初の方では見開きあたり10以上もあったのが、だんだんと減っていき、事件の直前では。ほぼ「ゼロ」になっているのを。


「かつては被害者グループの一員だった、リザ・キリマイ。」

「そうだね。――?」

「彼は。昨年の暮れ、ようやく遺族会との会合に応じてくれた。」


 さ、昨年だって……!?


「それだけじゃないでしょう。ニコラスは、事件の加害者の……ゴータンド家の引っ越し先もつきとめて、遺族会との仲介役を何年も続けてる。最終的にパトリックの親御様を説得して、生き残った全員で、当時を振り返ることができた……と、聞いてるわ。」

「私だけじゃないよ。」

「それで今年、調査遺族会は解散したの。このノートをニコラスに託してね。」

「それじゃあ、ニックは……」


 ひどく陽気で、気分屋で、騒々しかった嘗ての相棒。その持ち味の全てが失われ……もの静かで、慎み深そうな人物へと、変わってしまっていた。


「私も、これでようやく自由になった……というわけさ。」

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