30
「はい、タイツォータ第二事務所です。」
こうやって、いつも。関係先を覚えるため、固定電話の着信には率先して出ることにしていた……とはいえ、こんな処へ掛けてくる方々は限られており。このときも、聞き馴染んだ声が。受話器へ焼き付いてるみたいにすんなりと耳に入ってきた————ボスからだ。
『お前ら、もう帰っていいぞ。俺たちも引き上げるから。』
「え、では……裁判所のほうは」
『聞いた感じでは、今日はもう無理だろう。休み中になんとかしよう、というレベルらしい。』
「そうですか。」
ジェンとロージーが。少しずつ、こちらをうかがい始めた。
「ビルも……ですか?
『
確かにそうか。
「では、ビルによろしくと……。」
「今日は戻らないのね、ボスたち。」
「はい。」
受話器を置く前にジェンのほうから訊いてきて、正直ホッとした。
「まだ早いですけど、食事をとった後……ビルだけ落っことしていくみたいです。」
「ビルを待てって?」
「いえ、ここは閉めてもいいと。」
「マットはどうするの。」
ハタと考えた。このパターンは初めてだけど、確かに僕の上司はボスじゃないし、僕自身はD&Dのスタッフですらないから。ボスの指示や意向で帰宅するのは妙な話であった。ビルを待っていようかと思ったが、先ほどの成り行きを考えると……今日の様子をビルから聞かれるのも辛い感じになりそうで。
「切り上げていいか、ファーレル主任に聞いてみます。まあ、ダメとは言わないでしょうが――」
「つかまるといいわね。」
ファーレル主任は東海岸のオフィスに居るよりも飛び回っていることが多いのだが、
なので、2コールで出たファーレル主任への第一声はこうだった。
「マットロウですが、ファーレルさん……今、こちらに向かっていないですよね……?」
『フッフフッフ……』
「?」
何ですか、この含み笑いは?
「あの、主任……?」
『君のすぐ後ろに。』
思わせぶりに重々しい声色に。
よくわからず、振り返ってみた。ロージーと目が合う。
「ユーグランディーナさん……と、キャナリーさんも居ますけど。」
答えた
『ワハッ、なんだよ即答してぇ。ちょっとは調子合わせろよ。「ええっ、もう来てたんですかぁ……どこです、どこにいるんです?!」とかさ。なぁ?グハハハ……』
確かにファーレルさんだ。でも、今のはちょっと無理が――難しかったですよ正直?
「こっちの裁判所の話、聞いてますか?」
『所内のシステム、ランサム食らったって?』
「ええ、来週まで復旧の見込みがないそうなんです。」
『それで、もうアガリにしたい……ってわけなんだな。』
「端的に言えばそうです。D&Dの皆さんも引き上げるそうで。」
『ふふん。』
ふふん……?
『いいぜ。だが条件があるな。』
「条件?」
あ、これは。
『わかるな……? キャナリーさんに替わって、話をさせろ。』
うわー、やっぱりぃ。
どうせ断られるんだし、ほんと止めとけばいいのに。
主任が標的にするのって、昔は
ロージーに対しては(見えないところで何かやらかしたのか)苦手みたいなんだけど。
まあ仕方ないので、受話器のマイクを手で塞ぎながら、
「出れますか?ジェン――」
と、言い終わらないうちに暗号化無線式の受話器がひったくられていた……えっ。
なんと?……いつもなら両手をチョップにして、顔の前で大きく交差させながらバックダッシュしていくジェンが?
「はろー、そうです。お久しぶりで。ええ……」
ロージーと顔を見合わせてしまった。いったい何を始めたのか、ジェンは? まさか、食事とか呑みとか誘われたいのか……?ファーレル主任が勧めそうなとこなど(自粛)。
「……そうなんですよ、もう困ってしまって。ええ、仕事になりませんから。
な、何を話し始めたんだ。
僕は本体だけになった固定電話機をひっくり返して、受信音声をスピーカーから出せたりしないか調べ始めた。底側にスピーカーがあるんだけど、どうやら呼び出し音の専用みたいで。うーん……この固定電話のシステムは主任の指定だったし、正直よくわからない。でも、秘匿性を重視して選んでいる筈だから、出力を色々選べたりはしないだろうな……と思って。諦めて顔を上げた瞬間、ジェンと目が合った。
「ホントっ……につまらないことで揉めてましてねぇ。」
「
ちょちょちょ、ちょっと……!! 何、吹き込もうとしてんですか。立ち上がろうとするロージーを手で制してる場合じゃ?
「まさか?……とおっしゃいますよね。でもそうなんです、マットが――」
にこやかな笑みの、眼鏡の奥から。ギラリと光るものが、今からチクるわよ?って予告していた。こうなったら駄目――もう無理だ。アーメン。
「……マットが、なんですよ。『お仕置きが足りない』って、言うものですから~。ホントもう、どういうつもりなんでしょう?……え。主任さんも、ですか?……またまた~、そんなまさか。」
え、主任も……って?(脳内で胴体に引っ込めてた頭を出しながら)いったい、何が……?
「ああ、そういう心理状態になる……わかる気がします。特にマットは、御社とは期限付きの雇用ですものね。はあ、ふむ。なるほどです。おっと、お電話ですか?それではこれで失礼を。はい……お伝えします。では。」
ジェンは、謎のやりとりをしつつ。こちらに寄ってきて、電話機の本体へ自ら受話器を置いた。
それで僕が声をかけようとした瞬間。くるりと背を向けて、ロージーに向かって――
「今日はもう閉めてよい、ということよ。」
「そ……」「そうですか。」
「面白いこと言ってらしたわ。」
「ぼ……」「マットのことですか?」
「ええ。」
ゆっくりと、こちらに振り返りながら。
「こないだの和解、ほとんど騒ぎにならなかったじゃない。それで
「?」「?」
「つまり、フロアマットとか……5年くらい前の話しか出ないわけで。だから世の中としては、NUSA報告の公表で終わった話なのよ。」
「そ……」「それは、分かる気がする……けど?」
僕の反応は、二人に無視されてるみたいだった。
「だから。この5年間の
「ああ。そういうことですか?」
ロージーの目元、険しくなってきた。
「そう。世間に厳しい扱いをされてるほうが『大変な仕事に関わってました』感が、出るじゃない? それがこういう状態だと『エンジンの電子制御?その話まだあったの?』とか、最悪『何やってたんですかアナタ』みたいな――」
「自分のキャリアに”箔”がつかないと。はあ、なるほど……」
『違います。』と、言おうとして。しかし声には……出なかった。
いや、本当はそうなのか?……そうなのかもしれない、と。思ってしまって。
昨年の晩秋に若干の報道があったきり、四か月が過ぎ。この州の陪審評決のことがほとんど話題になっていないことに、正直――僕は驚いていた。そして今回、
「まあ……ノヴァルでも、法務とか訴訟関連の職務のひとは。そういうふうに思いやすい、という話だから。」
などと。
フォローされても、嬉しくはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。