2F
「まあまあマシな結果に落ち着きそうなのに。何でそこまで拘るのかしら?……寧ろ、そっちに興味あるわね。」
ジェンはロージーと話すために、入り口から奥へ入ろうとしていたところだったが。自席に戻っていくロージーと入れ替わるかたちで、回り込むように迫ってきたので。僕は、思わず後ずさりして……「定位置」の丸椅子に「すとん」と腰を下ろしてしまい。腕を前に組んだジェンに、そのすぐ手前で仁王立ちされると。もはや立ち上がることは難しかった。
見下ろしてくるジェンと視線を合わせたくない——ということでは決してないが。つい、ブルーメタリックの眼鏡フレームのほうに目が行ってしまって。
(おや?この眼鏡、ずいぶん久しぶりだな……)
というのも、ここを開設して暫くのジェンは。一日の仕事を終えて自分の車に乗り込む前に、
どちらかというと、セルフレームのが多かったが、形や色は本当にまちまちで。ごく普通のバタフライ型から、上下に薄い角型、挙句の果てには、左右が繋がってない耳側のCの字で支える奇抜なものまで。カラーも、
さすがに近頃は、増殖のペースがかなり鈍ってはいたが。ロージーの言うには「眼鏡だけで満杯の食器棚」がジェンの部屋にあるとのことで。つまるところ、ジェンの眼鏡は「ほぼ日替わり」であった。
「わたしは正義省のお仕置き……妥当だと思うけど、マットには気に入らないことがありそうね?」
ジェンの一言で(脳内の)眼鏡たちが吹き飛んだ。無意識にディスプレイ上の正義省webサイトを指さしていたらしく、「正義省おかしい!」みたいなポーズになってた。すかさず(脳内で)ニックが叫んだ。『正義省は、おかしいいぃ!!』
「気に入らないというか……ノヴァルのなかへ、正義省が『見張り番』を派遣するっていう話ですよね。」
「
「いえ、ホンゴクとの行ったり来たりが、大変そうだなぁ……と。」
「ホンゴクは対象外よ。
「え、でも……?」
新型車の開発は。ノヴァル・ホンゴクとか、さらに南方のオフショアでやってるって、ビルから聞きましたけど?——と言いそうになって飲み込んだ。
どうしてここに引っ掛かったのか?……というと、例の
でも……2014年の「今」はもう、とっくに標準だろうから。このISO26262とやらに準拠して開発をすることが、メーカーには当然求められるのだろうと推測していたのだ。
「でも何?」
「ノヴァルの開発センターか何処かで……欠陥ができるような開発をしてないか、監視するんじゃないんですか?」
「監視官は、技術コンサルタントじゃないわよ。エンジニアですらない。」
何ですと?
「じゃあ。
「まだ
「どこです?」
「一番下へ……そこのリンク先。」
言われるがままクリックすると、正義省側の弁護士からノヴァル側の代理人——
「6ページ目までスクロールして。」
はいはいと、マウス・ホイールを回していく。「財産的制裁」や「執行猶予」……といった刺激的なタイトル達が飛ぶように流れていったあとに、「独立監視官」と銘打ったセクションが出てきた。これか……。
「えぇと、『15.ノヴァルは総務長官代理局の選任する監視官を置くことに同意する。その権限は……』」
「読み上げなくていいから。すぐ下の(a)をみて。」
「……はい。」
「後半にあるでしょ。NTSAの安全規制に準拠しているかを
ほんとだ。でも……
「でも、それはわかりますよ。メーカーさんのなかで検査するのは、まずはそのメーカー自身ですよね? 監視官さんは、その検査の実施状況を……」
ジェンは。僕のいうことに耳を貸そうとせず、そのまま話し続けていた。
「要するにね、監視官の仕事っていうのは。消費者からNTSAにクレームがいっぱい来てて、その原因も調べてある程度把握しているのに、NTSAへの報告を遅らせたり、リコールを避けたり、
なるほど。それだけなら、エンジニアである必要はなさそうだ。でも、そうすると……
「そういうことだとすると、調査そのものを怠っている場合はどうなるんでしょうか。例えば、クレームの原因が色々と考えられるのに、わかりやすいものだけに集中して、それだけ一生懸命取り組んでる……とか。監視官からすれば、クレームの原因が別のところにありそうなら、それは見過ごしてしまうのでは?」
あー、そういうことねー……といった表情を浮かべているジェンの肘越しに、背を向けてディスプレイを注視しているロージーの、手のほうが止まっているのに気付いた。
「メーカー自身で『ここが原因っぽいぞ?』と見当をつけたポイントに集中して何が悪いの?」
そのように言うジェンは、分かってて知らぬ振りをしている……と僕は思った。ノヴァル・キャブラの四気筒エンジンを
エンジンECMのサプライヤーは、「ベッソー・エレクトリック社」というノヴァルご用達の自動車部品専門メーカーなのだが。半導体メーカーの汎用製品であるメインCPUとは違って、この「2B-PSE」サブCPUはソフトウェアも含めてベッソー自身による開発という話で。バイエル証人によれば、裁判所のソースコード
そして。そのバイエル氏も参考にしていたNUSAの報告では、このモニターCPUのソースコードについて一切触れていなかった。メインCPU用のコードのほうは、シミュレーション・モデルの検証などに使っている話がたくさん出てくるのに……だ。だから当然、バイエル氏の証言もこうなった:
『ノヴァルは、モニターCPU用のソフトウェア・コードを入手していなかったのです!』
こんな話をそのままするわけにはいかない……から、僕は慎重に切り出した。
「その……『原因の見当をつける』ところで、メーカー側の事情が影響することもあるのでは、と。例えばですよ、サプライヤーのほうに……」
「はー。もういい、よくわかったわ。」
意外な感じだった。あのジェンが、追及を止めた……?
「マットロウさんは、正義省の処分が『足りない』と思ってる。そうでしょう? しかもその理由は、あちらさんの
冷たく言い放って、巨大ファブレットを投げるように寄越した。
それっきり。ジェンも、ロージーも。『盗聴されてたらどうするの?』のジェスチャーすらしない。無表情で、押し黙ったまま自分たちの端末に向かう。
僕は、何か突き放された気がして。何かを致命的に変えてしまった気がして、ひとり茫然としていた……
事務所の固定電話が鳴り響くまでは。
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