2F

「まあまあマシな結果に落ち着きそうなのに。何で拘るのかしら?……寧ろ、そっちに興味あるわね。」


 ジェンはロージーと話すために、入り口から奥へ入ろうとしていたところだったが。自席に戻っていくロージーと入れ替わるかたちで、回り込むように迫ってきたので。僕は、思わず後ずさりして……「定位置」の丸椅子に「すとん」と腰を下ろしてしまい。腕を前に組んだジェンに、そのすぐ手前でされると。もはや立ち上がることは難しかった。

 見下ろしてくるジェンと視線を合わせたくない——ということでは決してないが。つい、ブルーメタリックの眼鏡フレームのほうに目が行ってしまって。


(おや?この眼鏡、ずいぶん久しぶりだな……)


 というのも、ここを開設して暫くのジェンは。一日の仕事を終えて自分の車に乗り込む前に、当出張所ここのお隣にある眼鏡屋……っぽいアウトドアショップ「プリズモダール」へと。ついつい、立ち寄ってしまうことが多かったようで。その結果、月に一回ものペースで『ハイ、やっちゃった。』『また?いったい幾つ目なの』『いやもう、数えたくない……ここの立地、危険すぎよ。』等と、よく分からないを繰り返していた。

 どちらかというと、セルフレームのが多かったが、形や色は本当にまちまちで。ごく普通のバタフライ型から、上下に薄い角型、挙句の果てには、左右が繋がってないCで支える奇抜なものまで。カラーも、からすの濡れ羽からインディゴ・ブルー、カーマイン・レッド、ブラッド・オレンジ~トランスペアレントのグラデーション、そして重厚なチタニウム・ホワイトに至るまで。ちょっとなってしまうようなものや、逆に「何でも言うことを聞いてしまいそう」になる危険(?)なタイプなど、本当に様々であった。

 さすがに近頃は、増殖のペースがかなり鈍ってはいたが。ロージーの言うには「眼鏡だけで満杯の食器棚」がジェンの部屋にあるとのことで。つまるところ、ジェンの眼鏡は「ほぼ日替わり」であった。


「わたしは正義省の……妥当だと思うけど、マットには気に入らないことがありそうね?」


 ジェンの一言で(脳内の)眼鏡たちが吹き飛んだ。無意識にディスプレイ上の正義省webサイトを指さしていたらしく、「正義省おかしい!」みたいなポーズになってた。すかさず(脳内で)ニックが叫んだ。『正義省は、おかしいいぃ!!』


「気に入らないというか……ノヴァルのなかへ、正義省が『見張り番』を派遣するっていう話ですよね。」

独立監視官Independent Monitorね。それが?」

「いえ、ホンゴクとの行ったり来たりが、大変そうだなぁ……と。」

「ホンゴクは対象外よ。監視官Monitorが見るのはステイツだけ。」

「え、でも……?」


 新型車の開発は。ノヴァル・ホンゴクとか、さらに南方のオフショアでやってるって、ビルから聞きましたけど?——と言いそうになって飲み込んだ。


 どうしてに引っ掛かったのか?……というと、例の証言記録トランスクリプトの中の。原告側の専門家証人エキスパートコードマン教授が、陪審員の前に持ち出そうとして。我らが「雷雲」BBL代理人の「異議あり!」で阻止された……標準規格『ISO26262:自動車の機能安全』のことが頭に浮かんだのだ。これ、僕のような門外漢にはコムズカシくてついていけないのだが、コードマン博士によれば……ええと……『自動車の電子制御システムが危険なものにならないように、部品ごとに異常が出たときの危害の大きさや起こりやすさを考慮して、適切な構成になるようシステムを開発していく』趣旨のなのだそうで。うちの事件caseのキャブラは2005年式で、開発の時期はその数年前だから、その時点では『ISO26262は未だ業界標準ではなかったのです!』がノヴァル側の言い分で。裁判官もそれを認めていた。

 でも……2014年の「今」はもう、とっくに標準だろうから。このISO26262とやらに準拠して開発をすることが、メーカーには当然求められるのだろうと推測していたのだ。


「でも何?」

「ノヴァルの開発センターか何処かで……欠陥ができるような開発をしてないか、監視するんじゃないんですか?」

「監視官は、技術コンサルタントじゃないわよ。エンジニアですらない。」


 何ですと?


「じゃあ。監視官モニターさんは、ステイツ・ノヴァルで一体何を……?」

「まだ起訴猶予合意書DPAは読んでないのね。ちゃんと中に書いてあるわよ。」

「どこです?」

「一番下へ……そこのリンク先。」


 言われるがままクリックすると、正義省側の弁護士からノヴァル側の代理人——D&Dうちではなかった——へ宛てた私信みたいなpdfファイルが開いた。手紙のように見えるだけに「犯罪」だとか「電信詐欺wire fraud」だとか……なんとも剣呑な言葉が浮いて見える。


「6ページ目までスクロールして。」


 はいはいと、マウス・ホイールを回していく。「財産的制裁」や「執行猶予」……といった刺激的なタイトル達が飛ぶように流れていったあとに、「独立監視官」と銘打ったセクションが出てきた。これか……。


「えぇと、『15.ノヴァルは総務長官代理局の選任する監視官を置くことに同意する。その権限は……』」

「読み上げなくていいから。すぐ下の(a)をみて。」

「……はい。」

「後半にあるでしょ。NTSAの安全規制に準拠しているかを検査レビューするのは、監視官の仕事じゃあないよって。」


 ほんとだ。でも……


「でも、それはわかりますよ。メーカーさんのなかで検査するのは、まずはそのメーカー自身ですよね? 監視官さんは、その検査の実施状況を……」


 ジェンは。僕のいうことに耳を貸そうとせず、そのまま話し続けていた。


「要するにね、監視官の仕事っていうのは。消費者からNTSAにクレームがいっぱい来てて、その原因も調べてある程度把握しているのに、NTSAへの報告を遅らせたり、リコールを避けたり、公式声明ステートメントでミスリードしようとしたり……していないかチェックすること。ほぼにつきるのよ。監視官としてはクレーム対応のレポートラインを押さえればいいわけで、新型車の開発や試作に張り付いてる必要はないの。後で目を通してもらえばわかるけど、海外も対象じゃない……って、はっきり書いてあるわよ。」


 なるほど。それだけなら、エンジニアである必要はなさそうだ。でも、そうすると……


「そういうことだとすると、調査を怠っている場合はどうなるんでしょうか。例えば、クレームの原因が色々と考えられるのに、だけに集中して、それだけ一生懸命取り組んでる……とか。監視官からすれば、クレームの原因が別のところにありそうなら、それは見過ごしてしまうのでは?」


 あー、そういうことねー……といった表情を浮かべているジェンの肘越しに、背を向けてディスプレイを注視しているロージーの、手のほうが止まっているのに気付いた。


「メーカー自身で『ここが原因っぽいぞ?』と見当をつけたポイントに集中して何が悪いの?」


 そのように言うジェンは、知らぬ振りをしている……と僕は思った。ノヴァル・キャブラの四気筒エンジンをつかさど電子制御モジュールECMにて、メインCPU「058Λラムダ」とともに重要フェイルセーフの一部をになっているモニターCPU「2B-PSE」のことを。

 エンジンECMのサプライヤーは、「ベッソー・エレクトリック社」というノヴァルご用達の自動車部品専門メーカーなのだが。半導体メーカーの汎用製品であるメインCPUとは違って、この「2B-PSE」サブCPUはソフトウェアも含めてベッソー自身による開発という話で。バイエル証人によれば、裁判所のソースコード証拠開示命令ディスカバリが出た後も。このサブCPU用ソフトウェアのソースコードがいっこうに開示されず、メインCPU用コードの開示から遅れること6か月にして漸く提供されたときには。裁判所の指定する締切日まで3週間しかない有様だったそうで、それが原因でブレーキ・エコー機能が実装されたコード領域を一度「見逃す」ミスをしたらしい。

 そして。そのバイエル氏も参考にしていたNUSAの報告では、このモニターCPUのソースコードについて一切触れていなかった。メインCPU用のコードのほうは、シミュレーション・モデルの検証などに使っている話がたくさん出てくるのに……だ。だから当然、バイエル氏の証言もこうなった:


『ノヴァルは、モニターCPU用のソフトウェア・コードを入手していなかったのです!』


 こんな話をするわけにはいかない……から、僕は慎重に切り出した。


「その……『原因の見当をつける』ところで、メーカー側のが影響することもあるのでは、と。例えばですよ、サプライヤーのほうに……」

「はー。もういい、よくわかったわ。」


 意外な感じだった。あのジェンが、追及を止めた……?


「マットロウさんは、正義省の処分が『足りない』と思ってる。そうでしょう? しかもその理由は、あちらさんの専門家証人エキスパートの言うことを十分汲んでないからだ、と……お話になりませんわね。ほらこれ!」


 冷たく言い放って、巨大ファブレットを投げるように寄越した。

 それっきり。ジェンも、ロージーも。『盗聴されてたらどうするの?』のジェスチャーすらしない。無表情で、押し黙ったまま自分たちの端末に向かう。


 僕は、何か突き放された気がして。何かを致命的に変えてしまった気がして、ひとり茫然としていた……

 事務所の固定電話が鳴り響くまでは。

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