11

 丁度その、ひと月ほど前に。


 「痩躯の男」は、再び。

 あの南国tropicへと、ひとり赴き……放棄されたエビ養殖所を拠点とする、ソフトウェア・ベンダーを。訪れていたそうだ。


 数か月前とは打って変わり、カラリとした空気がピタリと静止している……だけでなく、海の方にかけて違っている。

 悪い方向へ、ではなく。以前の荒涼とした雰囲気が、ずいぶんと薄れている気がした。赤茶けた地面にすら「生気」が感じられるが、乾季の冬に回復するのだろうか――この辺りは?


「へえぇ。こっちで降られたことがないんだ?……一度もか?」


 プロジェクターの起動画面の影で、巨漢が囁く。痩躯の男は、映し出されたデスクトップに目が眩んだのか、顔をしかめている。


「ないんだな。そもそも夏場の出張がなかった。」

「良かったじゃないか。正直、ここの暑気もスコールも――」

「夏場は、中東が多かったな。」

「……うっ、そうか。」


 タワー型のワークステーションが二台。ラフな格好のスタッフ……ホンゴク人ではない……が三名張り付いて準備をしている。良く見ると、一名は女性だった。

 巨漢が覗きに行って、すぐ戻ってくる。


「もう少しかかりそうだ。」

「増えたんだな。」

「職員のことか?……同じだよ。ホンゴクの方が流動性は高いんじゃないか?」

「もう定年なんで、良く分からん。」


 巨漢の目は。痩躯の男を、頭のてっぺんからつま先まで。実年齢を如実に示す徴が……どこかに現れてやしないか?と捜し回っていたが、すぐに諦めたようだ。


「……だから、か?」 巨漢が声を潜める。

「ホンゴクの役員になりたかった訳じゃない。」

「そこまで言ってないよ。でもな、『今の自動車会社にも提案しやすくなります』って言うつもりじゃなかったんだろ? あのUSBメモリサム・ドライブは……」


 そう囁くや否や、再びワークステーションの方へと。駆け寄っていく巨漢が身につけているTシャツは。赤とグレーの複雑なチェックを、一方向に引き延ばしたような柄で。御洒落に抽象化されていたので。痩躯の男ですら、記憶の海から「ロープメモリ」という言葉を引き上げるのに暫くかかった。前世紀、初めて月へ着陸した宇宙船の、制御コンピュータで使われたメモリ。それもまた、如何にもことだ……そう思っているうちに。

 準備ができたようだ。映写された画面には、自動車であることを示す輪郭と――その中身:エンジン等が図示され、重要そうな部位ごとに折れ線グラフも添えられているので、シミュレータらしいことがわかる。


「十年前からあったのか?」

「この環境か?……あったよ。開発のために構築したんだから。」

「連邦議会のヒアリングや、裁判では使ったのか? NUSA報告には無かったようだが。」

「は?……知らんよ。」


 尤もだ、と――男は思う。

「意図しない加速」問題がステイツで燃え上がった頃には、巨漢の会社も、巨漢自身も。既にノヴァルからていたのだから。

 暫くは守秘義務もあって。自動車関係の業務からは遠ざかっていた――と聞いた。


 本来なら、設備も維持できず技術革新にも置いていかれ「ウラシマタロウ」となっていてもおかしくない状況……と思った瞬間、轟音が響いて。猫が、スクリーンの後方へと駆け込んでいく。何処にいたのか?……と振り返ると。のんびりと徘徊していた掃除ロボットを、スタッフの一人が抱え上げ。轟音が噴き出る扉を、慎重に引いていくところで。完全には閉められないようだが、反響するエンジンの音は……会話に支障がない程度になった。


「実車と繋がっているのか……隣のガレージか? 」

「こっちでは高級車なんだぜ。中古でも結構したよ。」


 実車のエネルギーが映写画面にも現れ、イラストの輪郭に重なっている折れ線グラフのうち、大半が「床」から飛び起きていた。


 その輪郭の内側……ハンドルの影あたりに描かれた四角形より、棒線が伸びていった先には。大小の球体多数を繋いで組み上げられた、複雑な立体が描かれており。接続部が光ると、隣接する球体の色が。グレーから緑に、青から紫に、そして瞬間的には赤く。リアルタイムに変化していく。

 色の瞬きが立体の上をザーッと伝播していくのは、何か生き物のようで。微妙に規則性があるようにも、無いようにも見える。最後は、エンジンの絵の中へと返っていき、折れ線グラフに現れることで。その一生を終えるのだろうか?……瞬きが速すぎて良く分からない。

 

「これは、エンジン制御ソフトウェアの状況なのか?」

「そうだよ。球を繋ぐラインはグローバル変数などだ。それぞれの球の色は、そのタスクの動作状況。休止、起床、待機、そして実行……」

「こっちのバーグラフは?」


 瞬く立体のすぐ横に、エンジン回転数計タコメーターのようなバーグラフがあり、リアルタイムに上下していた。とはいえ、最大値の半分にも届かない範囲であり、バーの色も青い。

 よく見ると、大きなバーの影に……小さいバーが幾つかあった。「スタック****」とか、「****時間」とか、添え字はあるものの小さすぎて読めない。


「こいつらを総合評価した、システム全体の負荷状況だよ。」


 車の絵の方に目を戻すと、エンジンの隣――アクセル・ペダルの横にもグラフが2つあって、両方とも同じように折れ線が上下している。


「シャシーダイナモに載せたキャブラで、か。どんな操作でも?」

「ステアリング以外なら。」

「ふむ。こんなことが出来るのは、ベッソーの作ったMETEORメテオだろ……ここで維持していたのなら、これもNDA守秘契約違反じゃないのか?」

 

 ベッソー社。ノヴァルの一次サプライヤーティア・ワンで、元々はバッテリーや点火プラグなどの電装品と呼ばれる機器類の製造者だった。電子制御が当たり前となった今は、車載コンピュータの類……エレクトリック・コントロール・ユニット:所謂「ECU」も多数供給している。

 METEORというのは、開発したてのソフトウェアをエンジン用のECU……つまりはエンジン制御モジュールECM……へ載せる前に、本当に実車を制御できるかをテストする、ベンチ・テスト環境のことらしい。


 巨漢は「フンッ」と鼻を鳴らして遮った。


「この半可通がよ。これはメテオじゃない。」

「そうなのか。しかし――」

「実車のほうは、そのまんま搭載のECUで制御してるんだ。こっちのワークステーションじゃない。」

「なら、何でつなげてる?」

「実車からは、センサーの値をもらってるんだ。ペダルの開度、車速、回転数……」

「車の側に『戻して』はいない?」

「そういうことだ。」

「じゃあ、このワークステーションは、センサーの値をプロジェクターに出すだけなのか?」


 そらきたとばかりに、再び鼻を鳴らす巨漢。


「違うよ。こっちでも同じECUソフトウェアを動かしてる。実車のセンサーからの値をリアルタイムに処理しているんだ。」

「実車と両方で?」

での処理は、ソフトウェアの動きを表示するためにやっているのさ。プロセッサのデバッグ・インターフェースで、処理状況をリアルタイムにワークステーションへ送って評価させ。もう一台のワークステーションで、その評価をもとに画面生成してるんだ。例の証人たちが口を揃えて非難している『グローバル変数』だからな。それができる。視覚化しているからこそ、おかしな動作はすぐ判るんだ。気軽に『スパゲッティ・コード』とか言うんじゃないぞ。」

「実車のCPUプロセッサとは違うんじゃないのか?」

「プロセッサは勿論、『058Λラムダ』シリーズを使ってるが、ICEだし……同じではないな。」

「いいのか?……それで。」

「実車と違うじゃん――と言いたいんだろうが、動作中のコンピュータから処理状況を読み取ること自体が、本来であればな動作だ。そんなことやってる間にも、実車のほうがどんどんしまうんだ。そもそも論なら、これはシミュレータとは言えない。どの程度の負荷が生じるのか、だいたい判ればいいのさ。今のお前らノヴァルは几帳面すぎるから、こういうなのは我慢できないんだろ?」


 成程な……と、男は理解する。

 そして、あの裁判で。ノヴァルが「注意義務を怠っていた」と主張されたを思い出し、こう投げかけた。


「これは、オペレーティング・システムの負荷は反映されているのか? 裁判では……最悪ワーストケースでの見積りに入っていなかったと。あちらさんから言われていたようなんだが。」


 巨漢は……「ニヤリ」と、しかけて。なんとか思い留まったような……何とも複雑な表情をする。


「見ていろ。」


 スタッフに指示をした瞬間。

 ECUソフトウェアの動作状況を示す立体の様子が変化した。新たな球体群が追加され、そちらもめまぐるしく変色している。

 そちらに気を取られていた男は、真っ赤になったバーグラフを見て(あっ!)と思った。


「全体負荷が……80%以上になってないか、これ? 」

「おっしゃる通りで。スタック領域が……実はカツカツだったので、こういう評価。」

「つまり、ここの部分は元々シミュレータにはなかった……今回、初めて追加したのか。」

「はい、その通りでございます!」


 痩躯の男に、相反する感情が沸き起こる。50%にも届かなかった負荷が、「間違いがありました」というだけで80%になるところを「見て」しまったのだ。


 いかにもシミュレータっぽい動きを見せる画面デザインが、急に薄っぺらで、ものに感じられ……特に、NUSA報告での地道な解析手法に比べると。4年前……国家交通安全局NTSAからキャブラの解析調査を受託したNUSAに、ノヴァル側の開発環境を使用できない事情があったにしても。巨漢のこれは……あまりに派手・あまりにビデオ・ゲーム的であり。?……という気持ちになるのを抑えられないのである。


 しかし、その一方で。薄っぺらく見えるであろうと承知の上で、修正の前・後の変化を見せた……ということは。のいうことを……オリジナルの開発者である、このタノン・モウドも。部分的にせよ、認めてはいる訳なのだ。

 で・あれば、このシミュレータも。あの証人の指摘した諸々を……一応は前提としたものとなっている筈なのである。


(それに。こので俺をたぶらかしたい、という訳でもなかろう)


 痩躯の男は、複雑な立体図形の中の、特に大きく描かれた球体のほうに目を移す。その球の添え字には「Th_OUT_X」と書かれており、そこから伸びる多数の線のなかに、イラスト化されたエンジンの近く……スロットル・ボディを示すアイコンにまで、延びているものがある。

 おそらくが、に「キッチン・シンク」と形容されて、被告ノヴァルに「」をもたらす原因となった……いわく付きの「タスク」プログラムなのだ。



「それではそれでは。愈々いよいよ、メイン・イベントでございま~す。」


 芝居がかった調子で、『何か』を誇らしげに頭上へ掲げる巨漢モウド。

「男」の目に入ったそれは。ちっぽけなプラスチックの四角いケースに、短いアンテナが付いている……安っぽいデバイスであった。


 しかし、その側面のスイッチが押されるとき。


 痩躯の男は。タノン・モウドの開発力が、いかに胡散臭く・いかがわしく見えようが。その実、いささかも衰えていないのだと。


 思い知ることとなる。

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