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 (それで、どうしたんだったか……)


 現在いまは「第一」と呼んでいるタイツォータ事務所で、ネットワーク・セキュリティの「強化」に携わっていた頃のことは……当時の業務記録でもなければ、ちゃんと思い出せそうもない。

 毎日、午後三時ごろに伺って通信記録ログをチェックしていたのは……最初の頃だったかな?「協会」に入ってから初めて「通勤」というのをやるようになって。時間帯が変だったので、うちでシェアしてたミニバンは出払ってたから、自転車を使うようになったのも……あれが切っ掛けだった筈。

 それが、いつからか「週に一日」の通いでも良くなったのは……何でだったかな? タイツォータで保守管理を受託していたケッパー・ロジックと直にやりとりしてもよくなって、それで機械L3を一組買って、高セキュリティのエリアを区切ってもらえたのは……随分経ってからだったかな。それでも暫くは毎日、青いシャツにオレンジのタイという(協会指定の!)ワードロープで通っていた筈……はて。


 と、記憶の中に浸りきれずにいた僕に、当のタイツォータ氏が話しかけてきた。


「そうだ、マッ……レイ君ね、覚えてるかな。あの、うちのIT管理者アドミニストレータだった…」

「ベイツさんですか。」


 ブルーノ・リター・ベイツ氏の、十文字に切れ目を入れたバター……っぽい四角い顔とともに、な記憶が蘇ってきたぞ。


「そう、彼がね。何とかスペシャリスト・クラスSって、あるでしょう……その。IT関係の資格で。」


 ——全然違ってたけど、氏の言いたいことは分った。

 で、まさか?


「いや~とったんだよ、彼……ついこの間。話そうと思ってずっと忘れてたんだ。」

「えっ!……それは、おめでとうございます。ということは、今も管理者アドミンを?」

「そう、実はもすぐ復帰させたんだよ。そうしたら、もう人が変わったように……IT方面の勉強を始めてね。」

「あれ。確か、色々と兼務されてましたよね?あの方。」

「うん。今でも沢山兼務させてるけど、どの職務でもITの比重が高くなってきたからね。たぶん、本人も『これじゃまずい』と思ったんだろう。」


 正直おどろいた。あのベイツ氏が……IT関連の資格をとろうとか、ITの勉強をするようには全くみえなかったので。

 おかげで、どんどん思い出してきたぞ。


「いや、君にも本当に苦労させたね……。いきなり最初に通信記録ログを消すとか。もう今でも信じられないよ……。あのときの君の仕事がまさに、通信記録それを確認することだったのにね。」

「あ、確かに。そんなことも……。」

「というかだよ、コンピュータ・ネットワークを区切り直すということが、当時の彼には分らなかったんだよね……だから。君たちが提案しても、自分ではブランドルさんに説明できそうもない、だから賛同しない――って、そういうことだったんだよね。最初は。」


 そうそう、アルと予想してた通り…ネットワークを区切りなおす提案はベイツ氏の反対で却下となったので、当初は仕方なく。同事務所の「ノヴァル訴訟対応チーム」専用PCから送られてくるwebページ呼び出し信号のうち、許可のある特定の行先のものだけUTMへと送るようにして、それ以外の呼び出しは全て「却下」するという。それ専用の機器を設置することで「お茶を濁し」ていたのだ。

 こんな仕掛けだと、PC側の設定を変えることで、簡単に「迂回」されてしまう。そのために毎日通信記録ログのチェックが必要になったのだ。まさに番犬くんWatchDoggyの誕生である。

 ただ、さすがに。そうして通うからには、所内の情報インフラに関する相談も受けていたので。所員の皆さんは、「ケッパー・ロジックの保守が切れた」と受け取って――


『もう、あのお鬚を見れないか……と思うと、何だか寂しいねぇ。』

『髭なら僕にもあります、ほら。』

『あはは、ちょっぴりだな!』


―—僕が違いますと言うのも筋違いなので、放っておいたわけだが。


 そのように「通い」始めてから、二週間ほど経ったある日に。特定の時間帯(=僕がやって来ないであろう時間帯)のアクセスが「大幅に」減少しているのを検知したのだ。それは、一台や二台とは思えないほどで。「フィルターを迂回してインターネットへアクセスするPCも幾らかは出るだろうから、それを特定して報告すればよい」という……僕の仕事の「前提」を越えていて。


 当然、で迂回を始めた可能性を疑い、その報告のために通信記録ログの印字をしたところ、その翌日に。印字用の環境ごと消されていたのだ。あろうことか、印字した紙の束まで……影も形も。

 

「いや、あのときのログイン記録……だっけ。問題の通信記録を削除したユーザ名が、一文字君のアカウントと違うの。今でも思い出すと、顔が真っ赤になっちゃうよ。本当にお恥ずかしい。」

「タイツォータさん、その件はもう十分ですので。」


 いつの間にか、ジェンとロージーがこっちに聞き耳を立てているようだ。聞かれてまずい話ではないし、ベイツ氏をかばう気もないが……。


「でも、あのときは驚いたね。君がたった一人で……『皆様から信頼を頂くに至りませんでした。お役に立てず誠に申し訳ございません』って、契約解除を提案しに来たとき。『私だけでなく、アルファリーダのコンサル契約も解除頂いてかまいません』って言うの、大勝負だったんじゃない? 確か、違約金条項もあったしね。」

「いやー、それは……」


 アルファリーダにとって初めての顧客でこうした事件が起こっても、何が起きたか説明して(お客様の悪意ですよ!と)信用してもらうことは難しく。独立事業者に過ぎない僕は、誰かに介入してもらうわけにもいかない。かといって放置すれば、虚偽の報告をせざる得なくなる。「撤退する」と申し出れば、アルファリーダの仕事に瑕疵があったように見え、タイツォータさんも不信を持ち、導入機器のリースも解除され、ネットワーク環境も元に戻せるだろう――と、ベイツ氏は読んでいたはずだ。

 彼の誤算は……僕が「直ちに」動いたこともあるが、ベイツ氏自身に小細工の痕跡を消すスキルがなく。ケッパーの保守契約が切れておらず、ブランドルさんの管理権限も維持されており、タイツォータさんが直ぐに相談できる状況だったこと……だ。

 そうした状況や契約の中身を考慮して、その「博打」を打つと決めた時。アルも驚いてたな——「お前からそのアイデアが出るとは」とか何とか。


「確かその直前に、プリンタのことで許可がどうの、とかベイツ君に言われてたじゃない。だから、泣きつかれるかな? とは思ってたんだけど。まさか、機器の再検証レポートからはじまって、一部解除の合意書、引き継ぎマニュアルまで、キッチリ用意してくるとは……」

「え、何でそんなハッキリ覚えてらっしゃる?」

「で、こっちでマニュアルとか、ブランドルさんに見てもらうじゃない。そしたら、すぐピンと来たらしくて。保守のアカウントで調べて、見せてくれる訳よ。ベイツ君のやらかしたことを……」

「あー、そうだったんですね。」


 ジェンとロージーのほう、ちらっと見たら。もう完全にロックオンされてる……。


「すぐ、ベイツ君を呼んでね。『α協会には、ケッパー社ともっと密に組んでもらうことにしたよ』って。彼も、私の見えるとこで君を叱責して気が済んだのか、素直に受け入れてくれて。それで、もう一度アルファリーダにコンサルをお願いした……ということだったんだ。」

「成程です。どうして急に、ケッパーとやりとりしてよくなったんだろう……って不思議に思ってました。」


 ジェンとロージーは、お互い……とやっている。「どうして、ですって? よく言うわね……役割分担しておいて。不思議じゃないでしょうに?」とか、言ってそうだ。


「きちんと部屋を分けて、あの機械も入れて、それでちゃんとするかと思ったら……その後もあったよね。無線か何かで潜り抜けようとしたり、挙句の果てに……」

「あー、ネットワークが全て落っこちたことがありましたね。」

「確か、LANコンセントの管理が甘かったんだよね。そこはベイツ君の責任だから、それで管理者から退いてもらったんだ。」


 そう。「大部屋」と「ノヴァル部屋」とで切り分けたネットワークを壁越しに無線LANでつなごうとした方がいて、片割れを「ノヴァル部屋」側のLANコンセントに繋いだら、実はそれが「大部屋」側のネットワークのままだったので……詳しい説明は省略するけど、要は間違った接続で。いつまでも同じデータが流れるようになって、になっちゃったのだ。

 まだ午前の早い時間だったので、うちに電話で呼び出しがあったけど。すぐケッパー・ロジックが(駆けつけて)復旧したらしく。僕が着いた頃には――ほぼ全員「何も起きていませんよ?」っていう顔で、平静を装っていた。


 あれ?何か、向こうの方で「策士ね……」とか「顔に騙されちゃダメよ……」とか呟いてる気がするけどから。


「それにしても……タイツォータさんは、本当によく覚えてらっしゃいますね。僕にとっては、遥か彼方の記憶ですよ。」

「ああ、それはね。」

——と、氏がカバンから取り出して見せてくれたのは。

 って、え?……なに、見覚えのある書類は?


「君の書いた報告書。ベイツ君の合格で思い出してね……しまってあったのを読み直してたんだ。すごい臨場感あるんだよね。」

「……。」


 ひきつった笑いで声が出ない。どうして今更そんなものをこの方は……というか、あー!いつの間にかジェンの手に渡ってる……!


「これは……いい時間潰しになりそう」

「じゃあ、スキャンしなきゃね」

 やめて!ロージー。


「でもね、ベイツ君がやる気になったのは……本当に君のおかげだとね。感謝しているよ。」

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