B

 素直に白状すれば。タイツォータさんと初めてお会いしたときのこと、僕の記憶に殆どない。 

 「α協会société ALPHA」の仕事というのは――アルファリーダの側で、お客さんにコンサルティングを……ある程度進めてからでないと。個人事業主αコントラクタに降りてこないものだったので、そのせいかもしれない。


 しかし、タイツォータ氏のほうでは強く印象に残っていた様で。ミーティングの準備作業をしていた僕に、試写中のスライド内容について質問を投げかけてみたら。顎髭あごひげを撫でつけ乍ら(……!)普通に回答を返してきた――ので感心した、のだそうだ。うわぁ……(冷汗)


 もっとも。僕についての印象を更新するような事件が色々あったので、顎鬚といってもなものだし、多分慣れて頂けたものと(滝汗)。実際、どうにも特徴のない顔なので。何処かに尖ったところでもないとお客様を不安にするのでは……と、信じ込んでいるし、説明もしているのだけど……。

 とはいえ。今でも氏に相対すると、視線を顎鬚に感じてしまう。


「D&Dが撤収したら、君はどうするの?」

「いえ、新しい事件が来てるようですから。」

「それももう……ウチに任せてもいい頃だと思うよ。君からも話してあげて?」

「私からですか?……ボスに?」

「エーリォさん、マットを困らせないで下さい。」

 ――と。珍しく、ジェンが助け舟を出してくれた。


 一方、ロージーはといえば、タイツォータさんが持ってきた裁判所の書類を、ボス席の脇にある複合機All-in-One読み取り装置スキャナにセットしていた。複合機のパネルで操作するだけで書類を読み取りpdfファイルに変換、認証の後に自動処理にて、訴訟支援クラウドNLSCへとアップロードされる仕組みである。


 書類は再び封をして、奥の倉庫で施錠保管することになる。その後は……妙な話だが、タイツォータさんは正規の代理人attorneys‐at‐lawであるのに、当出張所第二のPCでしか見られなくなるのである。

 ―――なので、毎日1~2時間はここで過ごされていた。


「今回の裁判所のは、健康保険携行性等説明責任法HIPEAAについての……定型的なオーダーですね。」

「そうそう。これで、被害者の医療情報をでもとれるようになるからね。忙しくなるよ?」


 おそらく、ロージーやジェンには分かりきったことの筈なのに。このように解説してみせるのは、僕に向けてのものなのだろうか? この1月頃だったか、ボスが僕だけを呼んで話をしたに関係が……? タイツォータさんも関わっているのだとすると、ロージーやジェンが知るのも時間の問題かもしれない。

 小っぽけな「秘密」なのかもしれないが、今の僕にとっては困惑の種だった。



 4年前、タイツォータ弁護士が行った「α協会société ALPHA」への依頼。

 それは、氏の事務所――今では「第一」の方だが―――で、コンピュータ・ネットワーク・システムの守りをすることだった。


 古くからD&Dと提携関係のあったタイツォータ事務所が、D&Dと共にブックホルド事件の代理人attorneys‐at‐lawを任せられることに決まって、丁度その頃。世の中ではキャブラの「意図せざる加速」事故……とりわけ、「ノヴァルの電子制御スロットル・システムに欠陥は無いのか?」への関心が極めて高くなっていたこともあり。氏はこう思われたそうだ。


『これは……ノヴァル側にとって、極めて重要な営業秘密トレードシークレットを扱う事件になる筈だが、うちのシステムのセキュリティで大丈夫だろうか? ノヴァルの文書共有システムに入れるようにしてくれるという話は、私にはよく解らないが……』


 このように、タイツォータさんは「わからない」ことを「わからない」と素直に表明される方で、それを聞いている側も何故かスッと腹に落ちるというか、信頼感とか威厳のようなものがいささかも損なわれないのが不思議で。

 これがボスなら、「わかってないように見えるかもだが、実際はわかってるんだぜ?」的な曖昧さを漂わせるので、そうなるの良くわかるというか……理解の範疇なのだが。


「私にはわからない」と言いつつも、「大丈夫でないのでは?」と感じ取って主張できるのは大したものだと思う。


 実際、その直後より。

 ノヴァル側の訴訟体制は――インターネットの向こうに潜む不可視のならず者から放たれた、今でいう「標的型攻撃」ターゲッテド・アタックを浴びることとなった。


 そのときの経験が、三年前に立ち上げた……当出張所の、厳格なストリクトセキュリティを産んだのである。

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