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 いま、ジェンが居るのは。カウンター・テーブルに沿って、ロージーから空席をひとつ挟んだ奥側だ。


 彼女も同じように丸椅子へ腰掛けていたが、カウンターからは遠く。PCの画面も、とうの昔に「真っ暗スリープ」な状態で。キーボードの手前にあるコーヒーショップの袋のには、何度も開封し……かけては思い留まるという、不毛なサイクルを繰り返した形跡があった。


 で。ジェナダイン本人は――というと、両手をすくめるようにを目の前まで持ってきてチクチクチクチクチクとやってる。

 あれ?……ファブレットは渡してもらった筈では。何かまた、無申告のモバイル・デバイスを?……と思って目を凝らすと。彼女の指先にあるのは、量販店でブリスターパックに収まりUSBハブなんかと同等の扱いでるような、安物の電子辞書であった。小さな白黒の液晶をキーボード側へ折り畳めない程だから、で御法度となる通信機能などは無いのだろう。念のため僕用のコンソールでチェックしたが、WiFiの電波などは出ていないようだった。


 ジェン自身が結構なホンゴク贔屓びいきで、過去には勤務経験もあるそうなので、あれがホンゴクの言葉の辞書だとしたら……今、読み耽っている内蔵コンテンツか何かも、神秘的な表意文字で出ているのだろうか?

 訴訟支援クラウドNLSCにはホンゴク語のままの文書もある。が、ここのPCからは――自動翻訳のwebサービスはもとより、辞書のサイトにすら――アクセスをから。たしかに電子辞書でも使うしかないので、それで引いているうちにそっちが面白くなって、だんだん業務から遠ざかって――ファジーに昼休みへ突入していると見た。実際、無意識に片手を紙袋を突っ込んでは(ハッ)と気づいて止める……というのを繰り返している。


(いやもう、昼食にすればいいのに)

 とも、思ったが……確かにそうしないはあるのだ。


 しかし数か月前まで、こんなに府抜け――いや、リラックスした姿を見れるとは思ってもみなかった。当時ここは、ほぼ常時開けていたので……アポなしで偉い人がやってくることもしょっちゅうで、ちょっと休憩するにも宣言をする程だったのだ。

 それが今は。椅子の上のジェンも、すっかり両足まで引き上げて冬眠前のヤマネがごとく、両膝のすぐ手前でクルミでも頬張るかのようにチクチクやってる。普段から着ているものが複雑な構成ドレスコードすれすれで体形のよくわからないひとだったが、あそこまで丸くなれるのだから相当にスレンダーなのだろう……。


 ――と、そのとき。妙なことに気づいた。

 とっくにサンダルも脱ぎ落している、彼女のが……座面の近くまで引き上げられているのに、掛かっていないのである。身体ごと後ろにそっくり返っているのならまだわかるが、首などはむしろ前傾しているほどで。ちょっと揺れてはいるが、かれこれ10分以上この姿勢でリラックスでチクチクの筈。


(あれって、まさか。筋肉の力で続けてる?)

 えー無理だろー?と目を白黒させていたら、さらに妙なことが起き始めた。ジェンが載っている椅子の、足の一つが……ゆらり、ゆら~りと。床から浮かびあがっては、かたん……と降りるのだが。

 その丸まった姿勢から、パッと右手が伸びてティーカップをとり……ちょっと飲んで、またカウンターへと戻して。そのまま昼食の方へ……紙袋に触れたところで気づいて引っ込めた。


 「おっと、いけない。いけませんね。」


 そう呟いた後、また……ゆらり、ゆら~りが始まって。

 いつの間にか、カウンターに手が届かなくなっていた。

 カップの振動で起きていたPCも、再び消灯する。


 (は?……?)


 何かすごいものを目撃してしまったが、耳の方は外の来客をとらえていた。

 パストーラのよりも若干低い疑似走行音pseudo-travel soundが上がってきている。グラン・モータース製の発電機付きレンジエクステンダー電気自動車「キロ・ワット」だ。


 (今日は、少々早いお越しのようで……)

 どおり降車時の開け閉めも丁寧だから、ジェンには聞こえてないだろう。ちょっとした悪戯心が芽生えて、訪問者に気づかないふりをした。

 キュッと音を立ててドアが開く。


 「はい、来たよー?」

 「わっ……すみません。こんにちは。」


 わざとらしく驚いて、ここの看板主:エーリォ・タイツォータ弁護士からスマートフォンを受け取り……ながら、横目でジェンの慌てる様子を見てやろうと……あれっ?

 カウンターのキーボードに手を置いたジェンが、PCディスプレイから顔を上げて会釈しているのと目が合ってしまった。両足もきちんと降りており、しっかりサンダルに収まっている。(えー……?)


 「お疲れ様です、タイツォータさん。」と、挨拶するジェン。

 「お待ちしておりました。」と、ロージー。

 訪問者は「今日これだけね。」と、裁判所の名前が入ったエンベロープをジェンに差し出した。


 浅黒い、彫の深い顔立ちに、ウエーブのかかったブルネットの長髪。それほど長身ではないが、引き締まった体躯にゆったりしたベージュのスーツで。上品なのに、何故かワイルドな雰囲気も醸し出していた。

 この……タイツォータ弁護士こそ、ノヴァル絡みの仕事を僕が始めたときの発注者であり、ここでD&D事務所の弁護士たちと働くきっかけを作ってくれた「恩人」なのだ。


 あのころ。4年前の僕は、まだ「α協会société ALPHA」に属していた。

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