第5話 休暇前の光景
「よし、乾くまで休憩しよう」
営内の床に万遍なくワックスを塗り終えた俺は、廊下で待機する後輩2人に小銭を渡し、
1階の自販機で缶コーヒーを買ってくるよう指示した。
「武内士長、何飲まれます?」
「ブラック以外だったら何でもいいや。お前らも好きなヤツ買って良いから」
「あざーっす!じゃあダッシュでキンキンに冷えたM缶買って来ますね!」
「おい待て。このクソ寒い年の瀬に、俺に冷たいコーヒーを飲めってか?」
「冗談っすよ!ちゃんと人肌程度に暖かいヤツ買って来ますから!おい山木!行こうぜ!」
営内最年少の平本1士は、同室で同期の山木1士と共に自販機へと向かっていった。
「おい!人肌程度って、それぬるいヤツじゃねーか!・・・ったく」
俺は居室のワックスがけの為に廊下に出したソファーに、どかっと腰かけた。
今日は冬期休暇前の大掃除。
自衛隊の大掃除は特殊で、ちゃんとキレイに清掃出来たか連隊長と中隊長が各営内を回って点検する。
しかも中隊の事務室や中隊長室のみならず、武器庫やら補給庫、中隊の駐車場なんかもくまなく確認されるので、この時期になると中隊総出で掃除を行うのだ。
「中隊事務室や中隊長室は、使っている人たちで掃除をお願いします」
なんて事はあり得るはずもなく、当然中隊の陸士は兵力として各所へ投入されてゆく。
なので営内の陸曹、陸士は課業後に居室の清掃を行うのだ。
もちろん、居室だけでなく私物庫や娯楽室、トイレなんかも対象なのだが、これらは当直士長から別命されるので示された時間までは自分の居室の清掃が出来る。
因みに、現在時は1932。当直士長からは2030に当直室前集合と指示されてるので、それまでには何とか終われるだろう。
「武内士長!買って来ました!」
1階(ここは3階)の自販機までダッシュで行ってきた割には、あまり疲れていない平本と山木。
さすが10代なだけあって体力は充実してるようだ。
「おう、ありがとう。お疲れさん」
平本からボス(ちゃんと温かい)を受け取ると、プルタブを開けてコーヒーを一口飲む。
俺が飲むのを確認してから、2人とも買ってきたジュースのふたを開けて飲みだした。
「今週に入って、ずっと掃除ばっかやってますね」
「自分、昨日は3トン半の洗車で終わりました」
「俺は武器庫でひたすら銃を磨いてた。対人狙撃銃(M24)もあったけど、あれはやらしてもらえんかった。中隊狙撃手の山元2曹がずっと整備してたよ」
「対人狙撃銃って、見たことないっす」
「自分はあります。89(小銃)より重たかったっす」
「マジで!?いいなぁ」
居室を覗いては、ワックスが乾いてるか確認する。床の光の反射が斑なので、まだまだのようだ。
「2人とも、休暇中は実家に帰るんだっけ?」
「はい。でも俺と山ちゃんは新教前期の同期と横浜で飲むんで、帰るのはその後っす」
「練馬に行った同期も多いんで、新宿とかでも良かったんすけど、武山に行った奴が『関内で遊びたい』って言うもんすから、横浜になりました」
「そっかぁ。変な店に入ってボラれんなよ。俺の同期が危ない目に遭いそうになって、トイレの窓ぶち破って脱出したらしいからな」
「そんな人いるんすか!?」
「あぁ。だってお前らも外出する時は身分証持ち歩いてるだろ?そんなモンよからぬ輩に取り上げられたら、どうなっちまうかくらい分かるだろ?」
「そうっすね。それ考えたら窓を破壊してでも逃げたくなりますよね」
「山ちゃん、気を付けよう」
平本は山木の肩をポンポンと叩き、自分にも言い聞かせる。
ワックスが乾いてるか、もう一度確認。おおよそ乾いてるみたいだ。
「平本、3班に行って次ポリッシャー貸してもらえるように頼んで来てくれ。さっき佐伯士長が持ってくの見たからさ」
「了解、行ってきます」
平本はテッテッテッと3班に向かった。
「そういえば、瀬戸士長は年末年始営内で過ごすらしいっすよ」
「えぇ!マジでか。・・あぁ、そういやあの人実家北海道だったな」
「そう、飛行機代がバカにならないらしくて帰らないみたいなんすけど、さっき当直陸曹の菅谷2曹に『お前営内に残るなら休暇間ずっと当直士長上番しろ!』って絡まれてました」
「そりゃそうだ。ついでに元旦警衛も上番すりゃいいのにw」
ハハハっと山木と笑っていると、平本がポリッシャーを重そうに運んできた。
「俺が行ったら丁度かけ終わる所だったんで、そのまま借りてきました」
「ありがとう。じゃあ、俺がかけてくから、2人のどちらかでコードを持ってくれ」
居室のコンセントにコードを差し込み、ポリッシャーのスイッチをオンにする。
ウィンウィンとブラシが回転し、ポリッシャーはあらぬ方向に行こうとする。
ポリッシャーは上手く操作しないと壁やベットの柱にガンガンぶつけてしまうので、繊細さが求められるのだ。
ポリッシャー操作は人によってやり方が違う。床のマスに沿ってかける者もいれば、半分づつずらしてかける者もいる。
しかも居室内のベットなどの位置関係によって進む方向も違ってくるので、経路も考えねばならないのだ。
まぁ、輝いて見えればどうだって良いのだが。
「武内士長。終わった所から廊下に出してある物戻してって良いですか?」
役目が特にない山木(コードは平本が持っている)は、暇を持て余してるようだ。
「あぁ、頼むよ」
山木はフットロッカーやソファーなど、ひょいひょいと運び入れていった。
「そういや榎本士長、結局戻って来なかったっすね」
平本の不満そうな言葉の中に出てきた榎本士長とは、陸士で一番中隊在籍の長い【先任士長】のことであり、我が営内班の先任士長でもある。
この忙しい時期に何処に行ってるかといえば、駐屯地内にある隊員クラブである。
駐屯地内で唯一酒が飲める居酒屋みたいなものと思ってくれたらいい。
そこに我らの先任士長さまは飲みに行かれてるのだ。
『ごめん!今日は本管(本部管理中隊)の同期とクラブで飲む約束してたんだ!悪いけど、お前たちで掃除やっといてくれ。ポリッシャーかける前には帰ってくるから!』
なんて言ってたが、時刻は2015。時計でも壊れてるのだろうか?
ガン!!
「おっと。つい操作を誤ってしまった」
ポリッシャーを(つい)榎本士長のスタンドロッカーにぶつけてしまった。
ガン!ガン!ガン!
「あぁ、しまった。フットロッカーにも当ててしまったー(棒)」
「武内士長、ぜってーワザとでしょw」
平本と山木は大笑い。
多少のストレスを解消し、ポリッシャーがけは完了した。
山木にポリッシャーを元の置き場所(娯楽室内)に戻してくるよう指示し、俺と平本で残りの備品を居室に戻していった。
「なんとか終わりましたねぇ」
時計を見ると2025。集合5分前だ。
「2人ともお疲れ。ちょっと早いけど、当直室前に行っとくか」
当直室前には、他の営内班の連中も集まっていた。徒手格闘の構えを仲間に確認してもらってる者、箒を木銃代わりにして銃剣道の真似をする者、談笑する者。
「みんな、休暇前でうかれてるな」
中隊で一番下っ端の平本が、ジャレ合う陸士たちを見て上から目線の発言。
お前だって、十分浮かれてるっつの。
『1中隊。営内に残っている陸士は、当直室前に集合』
当直士長の村田士長が、放送マイクで集合をかけると、当直室前にいた陸士は班ごとに並んだ。
当直室から出てきた村田士長は、迷彩服に半長靴。戦闘帽を少し斜めにかぶるっている所が、本人のやる気を表している。
「えぇっと、これから清掃場所を示すんで、各班は指示された所をいつもよりキレイに清掃するように!・・・あれ?5班、榎本士長は?」
村田士長が、榎本士長の不在に気付いたようだ。
「榎本士長は隊員クラブにて、英気を養っています」
俺は事実のままを報告した。
「お前たちに掃除させといてか?」
ちっ、と小さく舌打ちをし、村田士長は当直陸曹の菅谷2曹に榎本士長の不在を報告した。
基本、隊員クラブへ行くときは特に当直への報告義務はない。
ただし、今日みたいな清掃時間が変則的になる場合(普段は2100)は、当直に(行先の明示)をして行かなければならないのだ。
「あの野郎、先任士長のクセに下のモンに任せっきりたぁ、いつの間にエラくなったんだ?」
菅谷2曹はかなり怒っているようだ。あぁ恐ろしや。
「まぁいいや。榎本はいいからお前らは掃除を開始しろ。俺は隊員クラブを見てくる」
菅谷2曹は当直室の椅子に掛けてあった迷彩服上衣をバッと着て、戦闘帽を深くかぶって隊員クラブに向かおうとした、時だった。
「すいませーん、遅くなりましたぁ」
空気の読めない口調とともに、榎本士長が帰ってきた。
顔は真っ赤で、足元が若干おぼつかない。かなり飲んだようだ。
「おい榎本ぉ。お前は下のモンに働かせて何してたんだ?あ?」
菅谷2曹の口調がいつもと違う事に気づいた榎本士長は、何故か(不動の姿勢)になった。
「榎本士長は!隊員クラブで!本管の同期と飲んでましたぁ!」
大声で当直陸曹に報告する榎本士長。やばい、笑いそうだ。
「あぁ?その酒は美味かったんか?」
更に詰問する菅谷2曹。若干笑いを堪えてるように見える。
「はい!大変おいしかったです!」
本人は至って真面目に答えてるから、尚更おかしかった。
「つまみは何を食ったんだ?」
「はい!枝豆と!ポテトと!唐揚げです!」
「美味しかったか?」
「いえ!唐揚げが冷めていて、不味かったです!」
「馬鹿野郎!せっかくオバちゃんが作ってくれたもんを不味いとか言うんじゃねぇ!」
「はい!すいませんでした!」
この時点で当直室前にいる人間はみんな笑っていた。
菅谷2曹も反対方向に顔を逸らしながら、肩を揺らして笑っている。
「おーし、榎本。お前は罰として休暇間は外禁(外出禁止)だ。分かったか?」
「!?」
ショックを受けたのか、榎本士長は暫くフリーズしていた。
何か言おうとしてるらしく、口をパクパクさせている。
俺も笑いを堪えてるが、後ろで平本が
「ででーん♪武内士長、アウトォ!」
と、24時間笑ってはいけないような事を言うので、思わず噴いてしまった。
「外禁だけは勘弁してくださいぃ!!」
うおんうおんと榎本士長は泣き出してしまった。
大の大人のマジ泣きに1士達はドン引きしてたが、俺ら士長クラスにとってはいつもの光景だった。
「よーし、榎本。お前の涙で外禁だけは勘弁してやる。その代り、掃除してくれた後輩たちにジュースくらい奢ってやれ!分かったな?」
「ありがとうございますぅ菅谷2曹ぉ!」
榎本士長は選挙中の候補者みたいに菅谷2曹の手を握ると、俺らの前に来て
「ごめんなぁ武内ぃ!次からはお前らも誘うからさぁ!」
「着眼そこじゃねっすよ!」
ズッコケそうになった俺に代わり、平本がツッコんだ。
いつの間にか営内陸曹たちまで当直室前にいて、みんなして大笑い。
そして、一通り笑い終えた陸士たちは、それぞれ示された掃除場所へ向かうのだった。
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