第51話 臨勤・パーク⑥

 深夜の演習場は、夏が近づくと虫たちの合唱で少し騒がしい。コオロギにスズムシ、キリギリス。セミの時期になると真っ暗闇でもセミが寝言かのように『ジジッ』と瞬発的に鳴くので、歩哨に就いていたりすると少し驚く事もある。


消防車のアイドリングが虫たちのオーケストラを邪魔し、風情もへったくれもない中で鈴木3曹の「出るんだよ」発言に、武村と三木士長は一瞬真顔になった。

「で、出るって何がです?鈴木班長。屁なら離れて……」

三木は、この手の話が苦手のようで話を逸らそうとする。それに対し鈴木3曹は、両手をブラブラさせ、舌をだらしなく出して

「あほ、コレだよコレ」

と、お化けのポーズをして見せる。

「お前たち、演習道でアレを見た事ないか?」

鈴木3曹が懐中電灯を照らしたそれは、小さい段ボール程度の大きさで、何かの石碑に見えた。

武村と三木はしばらく凝視すると、どちらかが息を呑む音が聞こえた。

「これ…墓、ですか?」

三木は視線を離さず質問する。

「墓、というより慰霊碑だな。…今は状況中で隠れてても戦車が近づいて来たらその場で立つよう言われてるだろ?」

「はい」

「なんで立つか知ってるか?」

「えっと、安全管理で戦車から5メートル以上離れなければならない、と教わりました」

「だから何で?」

何でって…、鈴木3曹の少し強めな口調に三木はたじろぐ。

「過去に戦車に踏まれて死んだ隊員がいるから、でしたっけ?」

「そうだ。よく知ってたな武村」

意外そうな顔をする鈴木3曹と三木に、武村は鼻を鳴らす。

「昔は安全管理なんてアバウトだったから、戦車が近づいて来ても草むらに隠れ続けるなんて普通だったんだ。そりゃそうだろ?自分と関係のない演習車両が通ったくらいで毎回立っていたら、仮設(敵)に見つかっちゃうじゃないか」

確かにその通りだけど…、武村と三木は聞き続けた

「俺たち普通科隊員は戦車を見つけるのは簡単だ。あっちはデカいからな。しかし戦車は逆だ。状況中はハッチを開けて走行しないから、視界は車長席と操縦手にある小っこい【ペリスコープ】だけだ」


前後にカメラが取り付けられている最新式の10式戦車と違い、90式戦車や74式戦車は潜望鏡のように外を見る事ができるペリスコープによって、行進間の視界を確保している。

例えば90式戦車の場合、車長席は周囲を見渡せるように8つ、操縦席にも前面に3つペリスコープがついている。しかし、1つ1つの視野は狭く、また車長席は高い位置にあるので低くて近い物は死角となり見えない。

「だから草むらに伏せて隠れている人間なんか、戦車は気付かないわけだ。一方の隠れている隊員はというと、戦車の履帯とエンジンの音が自分に近づいてくるのは分かっているんだ。近くなればなるほど振動も身体に伝わるからな。しかし、敵に見つかってしまう事を恐れて立つことが出来ない」

鈴木3曹の淡々とした話し方が、逆に怖さを感じる。

「いよいよエンジン音がうるさい位に大きくなり、土や石ではない、草を踏みしめる音が聞こえた、その瞬間!」

武村と三木の身体が一瞬だけ仰け反る。

「目の前に土や草を巻き上げる履帯が迫り、『危ない!』と思っても時すでに遅し。強烈な力が隊員の頭を押さえつけると、その重圧は上半身へと伝わり、そこで隊員は事切れた…」

鈴木3曹は手招きして、二人に小さな慰霊碑の裏側を見せる。

かなりの年数が経ってるせいか、彫られた文字が削られているが何とか読むことが出来た。


『昭和○×年 3等陸曹 ○×△□』


「踏んだことに気付いてなかったそうだ、戦車の乗員。ま、普通は気付かねえよな。あんなクソ重たい鉄の塊が、柔らかい人間の身体を踏んでもよ」

「じゃあ、いつ気が付いたんですか?」

「演習が終わってかららしい。状況終了になっても姿がないから、初めは『脱柵じゃないか?』って疑われてたようだけどな」

「でも、死んでいた…」

「あぁ、それ以降も戦車に踏まれる事故が多発したから、上もようやく安全管理を徹底し始めてな。それからだよ、戦車が近づいたら徒歩の隊員は離れる。戦車も徒歩部隊を見つけたら、車長がハッチを開けて周囲を警戒しつつ行進速度は10㎞以下、てな」

「それで、その踏まれた隊員が、夜な夜な化けて出ると?」

武村は、実は身近に死があった事に驚きつつも、平静を保とうと鈴木3曹に確認する。

「そうだ。この付近で身を隠してると、息遣いが聞こえたり『う~うぅ~」といううめき声が聞こえたりするらしい」

鳥肌が全身を駆け巡った三木は、思わず両腕を擦る。

「ま、あくまで噂だ。俺が潜伏斥候で待機してた時は何も聞こえなかったしな」

空気を変えるように、鈴木3曹は明るい声で言った。武村が時計を覗くと、鈴木3曹も自分の腕時計を見て

「お、もうこんな時間か。そろそろ帰隊すっか」

と、消防車へと向かう。


「他にも、こういう演習場での怖い話ってあるんですか?」

消防車に戻って早々、三木士長の質問に鈴木3曹はニヤっとする。よせばいいのに…

「おう、あるぞ。FF(フリーフォール)に失敗して地面に叩きつけられて殉職した空挺隊員とか、夜間に深い《ちげき》地隙に落ちて死んだ隊員とかな。あとは…そうそう、行軍中に亡くなった旧日本兵ってのも…」

「いや、もう結構です」

三木士長は手で遮るが、

「まぁまぁ、遠慮すんな。お前〇×風穴って知ってるか?あそこフェンスがあるだろ?実は昔、フェンスがなくて偵察の隊員が運悪く…」

「だからもういいですって!」

耳を塞ぎながら懇願する三木に、武村は鈴木3曹と同じようにニヤニヤしつつアクセルを踏み込むのだった。

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